魔導物語 久遠なる理想郷 第六話 sacrifice 「ったく!」 やや大柄なシルエットが月夜に飛翔した。 ある種幻影的とすら言える光景だが、男の苛ついた様な声と、よく見ると二人分のいびつな影であるそれが至ってこれは現実なのだと釘を差した。 影。 それはシェゾ、そしてその背中におぶさったサマの巫女、二人分のシルエットだ。 鳥の様に飛翔したシェゾは先程まで足をつけていた地面を睨み付ける。 何も無い。 何も居ない。 そう、ついでに、地面も無かった。 「死んでも腕離すな」 返答も待たずにシェゾは背中の巫女を押さえていた手を離す。 「!」 巫女は押さえの無くなった下半身に息を呑んだが、辛うじて両手でシェゾの首根っこに齧り付く事に専念できた。 同時に、強制的な落下が始まる。 体が浮き上がる。 「せぇっ!」 気合いと共に闇の剣が横一文字に空気を薙ぐ。 その瞬間、刃から白い衝撃波が飛び、消失した地面のやや後方に飛んだ。 途端、鋭く、そして耳障りな悲鳴が上がり、透明な空気が何やらどんよりと赤黒い嫌な色に染まり、染まった先からぬるぬると地面に流れ出す。 その様は、まるで水饅頭が腐った様子を連想させる。 無論、実際にそんな物を見た事はないが、まぁそんなものだろう、とシェゾは口元を緩める。 かくして、二人を飲み込もうとして地面を削ったアメーバ状のモンスターは息絶える。 この程度で息があがる筈もないが、とりあえず形式的に深呼吸する。 背中の巫女は正真正銘心臓を早鐘と化していたが。 「今の奴、違うな?」 巫女は声も出せずに背中で頷く。 見えもしない動作だが、背中の感触でシェゾは納得する。 「…最近、増えてきたのです」 やっとの事で声が出る。 そこ声は悲しみに満ちていた。 「聖域でした…。でも、明らかに狭まり始めて…どんなに…がんばっても…言う事を聞いてくれなく…言葉も…聞こえなく…」 「残り時間」 慰めの言葉など、その口から発せられる事はなかった。 当然の様に出た言葉は事実の確認、そして現実の問いかけ。 「貴方は…本当にどこまでご存じなのですか?」 「『今』なら全て知っているさ」 巫女は気づいた。 初めて彼の言葉に感情が含まれた事を。 「一体…ここへ…貴方は…何をなさりに…?」 不思議な感情を含む問いかけだった。 聞いている様な、それとも聞いて欲しい様な、言葉からは意図が読めないそれだった。 巫女はひたすらシェゾを見詰める。 「目的があった気がするんだが…何だったかな?」 的を射ぬ返答。 巫女の瞳を見詰め返してから、シェゾは乾いた笑いで応えた。 だがその言葉に、巫女は自分でも気付かぬうちにそっと笑みを漏らしていた。 ふと次の瞬間、再びシェゾは宙に飛ぶ。 彼と彼女が立っていた地面の中から腐った木の根と思わしき紐状の物体がイソギンチャクの様に這い出て、獲物が居るはずだった宙に触手を絡めてもがく。 続けて周囲からぼこぼこと地面を掘り起こしたり透き通りしながらモンスターが湧き出した。 「次から次へと…」 苛つき、と言うよりうんざりと言う声だ。 シェゾならば風をいなすが如く叩き伏せられる。 だが。 「!」 地鳴りが響く。 離れて着地しても尚足下が不安定に揺れた。 そして、名も無い魑魅魍魎の筈だったが、突如それらの中心から、周囲の同士を挽き潰しながら物体が現れる。 まるで巨大なミミズでも出現したかの様なその様。 多分生物の分類とは思うのだが、しかし生物とは思えぬ硬質な表皮、異様にメカニカルな胴の複雑な関節、目も口も見えぬ頭部らしき部分。 シェゾは正直、ちょっとだけぞっとしていた。 巨木が倒壊したかの如く、シェゾが立っていた場所にそれがのし掛かる。 シェゾは後ろも見ずにぶわりとその身を後方に飛ばし、回避した。 着地と倒壊は同時。 巨大な岩が落ちてきた様な轟音が森に響いた。 「生物か?」 さほど驚いた様子もなくシェゾが呟く。 巫女は怯えきってシェゾの首に齧り付いていた。 「これはなんだ?」 怪物が蠢き始める。 「…一部、です」 名前なり何なりの答が来るかと思いきや、予想外の一言。 「一部ぅ!?」 複雑怪奇な関節から触手が伸び、二人を捕獲せんと襲いかかる。 シェゾはそれらを流れる様に交わしつつ言葉を進めた。 「これは…守主であった者…。でも…」 「そうか」 もう説明は不要だった。 今尚迫り来る触手をシェゾは気合いのみで纏めて切断する。 それでも際限なく無数に襲い来る触手だが、結局彼に触れる事すら適わなかった。 「行動が遅くないか?」 「……」 巫女が恐る恐る、地面に横臥する本体の一部を見る。 「! まさか…」 本体は既に視界から外れた。 森の高台で足を止めた頃、巫女はやっと言葉を発する事が出来た。 「どうした?」 シェゾが地面に足を戻し、巫女を背負い直してから数分経つ。 だが、それでも背中からは一言の声もない。 流石に気になった彼は声をかける気になった。 と。 「…あ、あの…」 「ん?」 首に回した手に、力と怯えがこもっていた。 「は、はやく行き…ましょう」 最初こそ先程の怪物に驚愕していたからかと思ったのだが、それはすぐに違う理由からだと分かった。 視線が、遠くを見ていたから。 「何が起きた?」 シェゾは自分で問うておいて何だが愚問だ、と答を聞く前に疾走を始めた。 「地震!?」 キキは子供達を抱きかかえながら周囲を見渡した。 皆はキキにしがみついたり、机の下に隠れたりと各々が別々に、しかし共通して怯えきっていた。 「シエル、これ…一体なんなの?」 「こわいやつがくる…こわいやつが…」 少女はそれを繰り返すのが精一杯だった。 訳も分からす何人かの子供をしっかりと抱きしめながら、キキは周囲を見渡した。 地震じゃない。 キキは不規則なそれから、明らかに何者かが起こしている振動だと悟る。 後方の森で鳥や鳥形のモンスターが一斉に羽ばたいた。 キキはその方向を見る。 「!」 心臓が止まるかと思った。 大きな開け放しの窓の外。 そこは先程まで、延々と続く森のシルエットだった。 木々の大きさの大小こそあれ、そこは森だった。 だが、突然木々をかき分ける様にしてそれは出現していた。 「…塔?」 天を突くかの如く、それは雄々しくそそり立っていた様に見えた。 巨大な塔を思わせる少々いびつな柱を思わせるシルエット。 それは、煌々と輝く月を背にして微動だにせず立っていた。 あまりに巨大なせいか、距離感が分からなかった。 五百メートルは離れている様にも見えるし、窓から五十メートルも離れていない様にも見える。 だが、辛うじてその体の前に森の木々が見える。 キキは、その巨大さを知識的に実感した。 まるで後光を背負ったかの様なその姿。 しかし、神々しさなど微塵もない。 キキの恐怖は更に加速される。 巨大な黒光りする塔と思われたそれ。 その中央より上付近に横一文字の亀裂が入った。 そしてそれは上下に押し広げられる様に亀裂を開く。 「…っ!」 キキは胃の中の物がこみ上げてきそうになった。 それは眼球。 自分の身長の十倍だってありそうな大きさの眼球だった。 赤黒い血管が血走り、濁ったオレンジ色の瞳がやんわりと発光して見える。 非現実的なその光景はキキの思考を遮断する。 禍々しさだけがキキの視線を、時間を釘付けにしていた。 一秒が千の月日にすら感じたであろうその時間。 だが、その時。 「あっちいけ!」 小さな石礫が小さな弧を描いて飛び、すぐ側に落ちた。 キキが我に返る。 振り向いた先には、アーちゃんが毅然とした瞳で『塔』を睨み付けていた。 「そ…そうだそうだ!」 また声がする。 反対側ではパノッティが拳を握りしめていた。 「お、お母さんがいるんだもん!」 キキの胸の中で怯えていたシエルも、やや小さい声ながら精一杯に喉を鳴らす。 そうだ、とキキは顔を上げる。 私が今は守らなくてはならない。 『お母さん』が帰ってくれば、多分大丈夫なのだ。 「みんな! こっちに来て!」 キキは立ち上がって子供達を自分の後ろに集める。 手や足に遠慮無くしがみつくので正直安定が悪くなるが、それでも彼女は子供達に尚、しっかり掴まって、と念を押す。 せめてモップがあればまだ精神的にでも心強いのに、とキキは悔やんだ。 ただの木の棒だが、あれは一種彼女の精神安定剤でもあるのだ。 でも、一体どうすれば…。 正直何の手だてもなかった。 状況も分からない。 相手の正体も目的も分からない。 『お母さん』が誰なのかすら分からない。 キキは息が詰まりそうだった。 その時。 「おめぇら逃げろ!」 背中から声がした。 驚いて振り向くと、そこにはキキとシエルをここまで連れてきてくれたアウルベアが戦闘態勢で仁王立ちしていた。 「あなたは!」 アウルベアは言葉も続けさせず、その巨体を窓から外に踊り出させる。 「おらおらぁ!」 強力な爪が月明かりに光った。 と、塔から音もなく無数の線が生えた。 あまりにもスムーズなそれはまたしてもキキから現実感を奪う。 しかし、キキは本能的に危機を察知する。 躊躇無く走るアウルベア。 「だめーっ!」 ペンで夜空に線を描いているかの様にそれはしなやかに伸び、やがて優雅な曲線を描いてその方向をアウルベアに向けた。 「逃げてーっ!」 その声と、針金の様な無数の触手がアウルベアを貫くのは同時だった。 |