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魔導物語 久遠なる理想郷 第五話



  fear
 
 その日、日も落ちて空に無数の星が輝き始めた頃に、キキとシエルは明けの渓谷、人の言うところのサマ遺跡へと到着した。
 足で辿り着いたのではない。
 二人は、大きなアウルベアの背中に乗ってその場所にたどり着いていた。
「ありがと」
 大きな背中から転がり落ちるみたいに滑り降りると、シエルは小さな手をぶんぶんと振った。
「あ、ありがとうございました…」
 キキも恐る恐る背中から降りる。
 そして両腕で抱えてもなおその手は半分にも満たない大きさの顔、そして彼女の身長の二倍を余裕で越す体長の巨大なアウルベアを見上げ、半分恐れおののきながらも辛うじて礼を言えた。
 普通、アウルベアと言えば問答無用で危険なモンスターである。
「おう、あばよ」
 アウルベアは特に愛想良くする訳でもなく、くるりと振り返ると道から外れて森に消えていった。
 彼らが規則正しい生活をしているとは思えないが、多分これから夕食でも探しに行くのだろうか、とキキは思う。
「…アウルベアの背中に乗るなんて初めて」
 キキは、そんなのんきな事を考えている片方で、ほっと胸をなで下ろして呟いた。
「そお? よく乗せてもらうよ。おじちゃん、しんせつだし」
「へ、へぇ…」
 多分、彼は感情を出すのを得意としないのだろうとは予想できる。
 最も、元々他心通の力を持ち、粗暴な性格で知られているのだから、あまり感情豊かなアウルベアというのも想像しがたいが。
 周囲は夜のせいもあり視界は良くない。
 地面より星空の方が明るいので、代わりに周囲の建物や森の木々のシルエットが切り絵の様にくっきりと映っていた。
「……」
 遺跡なのだから当たり前なのだが、人の気配がない。
 キキはそんな周囲を見回して少し不安になった。
「ねぇ、他のみんなは何処?」
「もう少し先だよ。ここから先は、あたし達やお母さんしか入っちゃいけないの」
「私は、いいの?」
「いいの!」
 シエルはキキの手を引っ張って歩き出す。
「こっちだよ!」
「あ、そんなに走らないで」
 二人は岩壁立ち並ぶ遺跡の町並みに消えていった。

「信じるかどうかはお前さん次第だが…、俺はここをなんかしようとして来た訳じゃあ、ないぜ」
「……」
 姿無き相手。
 シェゾはそんな相手に向かって語った。
「ここは…あなたが向かおうとしている遺跡は…もう…」
「サマ遺跡がどうした? 小さな魔物にとっては楽園だって聞いているぜ?」
 値踏みする様な声。
「わたしは…守りたい…みんな、を…」
 それに対して、相手の声はみるみるトーンを落として弱々しくなる。
 そのまま消えてしまいそうな程に。
「おい」
 シェゾはやれやれ、と溜息をついた。
「おねがい…そっと…し…」
 そう言いかけた。
 その時。
「なら、姿見せろ。『サマの巫女』よ」
 瞬間、結界は消えた。
 真っ白な世界にモザイクガラス状の黒い線が縦横無尽に走る。
 黒に縁取られた白がその形のままに崩壊し、消滅する。
 数秒と経たず、世界は主役の座を取り戻した。
 シェゾという主演を中心に据えて。
「…そこまで、ご存じだったのですか」
 氷の壁が瞬時に氷解するかの如く、その結界は消えた。
 その先に、サマの巫女は立っている。
「おっと」
 いや、立っていた。
 シェゾが視界に巫女を捕らえた瞬間、彼女は崩れる様に倒れる。
 素早く動きその身を抱きかかえたのは、シェゾが親切だから、と言う訳では無さそうである。
「おまえさんは楔だ。しっかりしろ」
「…なんでも…ご存じなのです…ね」
 巫女は力無く笑った。
 透き通る様なブロンドのロングヘア。
 雪の様に白い肌。
 やや浅黄がかった色のドレス。
 ダークブラウンの瞳は淡い色で包まれた彼女の中で一際美しく輝く。
 そして、その額には蔦を模した白銀のサークレットがあった。
「成る程。こうしてお目にかかれるとは…俺は幸運か?」
「…本当に、なんでもご存じなのですね」
「表面だけだ。それより、ガーダーを一人滅ぼしちまったぞ」
「はい、でも…仕方がありません。ああなるのは当たり前ですし、覚悟の上でした」
「そうか」
 シェゾはそう言うとそのまま巫女を抱きかかえて立ち上がる。
 彼女の体はまるでぬいぐるみでも抱えているかの様に軽かった。
 流石に、あいつとは違うな。
 シェゾは約一名に対して失礼な想像をして自分で失笑する。

 同時刻。
 本人の眉間に何故か、本人も理由が判らぬまま僅かに皺が寄った事実を彼は知っているだろうか。

 周囲の暗闇に目が慣れ始める。
 ここは森の中。
 木々の間を木々が走り、その足下を蔦や様々な植物の生い茂る鬱蒼とした森だった。
 人口と思わしき灯りは見あたらない。
 時折森の奥で発光する青や黄色の点滅は主に精霊の光だ。
「で、ここはどこだ? お前さんの家まではどれくらいだ?」
「遺跡の、裏庭に当たる場所です」
「裏庭?」
 シェゾは周囲を見渡す。
 視界は全て草と木々だ。
「けっこう、広いんです。あ、でも大丈夫です。迷いさえしなければ、ここからなら二時間かかりませんから」
 平気です、と彼女は微笑むが、二時間と言う距離にはシェゾとて正直眉をひそめざるを得なかった。
「…道中、道案内と話し相手、頼む」
「はい、喜んで」
「まず、名前教えてくれ」
「あ」
 失礼しました、と彼女はシェゾの胸に収まったままでくすりと笑う。
 つい先程逢ったばかり。
 しかも理由があるとは言え対峙していたと言うのに何故、そんな男の胸で自分は笑ったのだろう。
 彼女はにっこりと微笑んでからやっとそんな自分に気付いた。
「私の名前は…」
 しばしの沈黙。
「どうした?」
「あの…あの、申し訳ありません。私の名前…忘れてしまいました」
 真顔で応えるそれに嘘はない。
「…そうか」
「あの、本当なんです。私には、知られて困る名前の呪縛はありませんし、たとえ縛られても…私はもう…」
「信じるさ。お前は、それだけの時を歩んできた。そう言う事だろう」
 彼女はシェゾの言葉を噛みしめ、そしてこくりと頷いた。
「あ、ただ…」
「ただ?」
「みんなから呼ばれている名前なら、あります」
 沈んでいた表情が眩く輝く。
「ほう、教えてくれ」
「私、みんなからはお母さんって呼ばれているんです」
 笑顔。
 それは本当に心の底からの笑顔だった。

「お母さんはね、とっても優しいの。それから、強いんだよ」
「へぇ、すごいお母さんね」
 キキはサマ遺跡の中、かなり大きめな建物の内部で子供達に囲まれていた。
 トリオザバンシー、パノッティ、アーちゃん、マンドリアや、幼いスキュラ、ケットシー等幼い容姿を持つメンバーの殆どが勢揃いし、キキを囲んで談笑していた。
 遺跡の一角にしてそこはほぼ完璧に現存しており、生活に必要な最低限の家具、他の道具が確認できる。魔導による灯りもある。
 まるで大きな宿屋を思わせる大所帯だった。
 子供達は口々に『お母さん』の自慢をしたり、いかに自分達が愛し、愛されているかをうれしそうに語る。
 キキは、心の底からこの子達は幸せなのだ、と満足げに頷き、相づちを打つ。
 彼女の持論は人が幸せだと自分も幸せ、である。
 小さな子供達の大きな幸せに囲まれた彼女は至福と言っても良い幸福な感覚に包まれ、普段より優しげなその顔をさらに優しく、美しく微笑ませていた。
 が、突然遺跡全体を揺るがす様な大きな振動が響いた。
 壁の明かりがぐらりと揺れる。
「!」
 シエルや他の子供達の顔が瞬間的に緊張で強張った。
「な、何?」
 壁の炎は魔導による灯り。
 風で揺れるものではないそれが揺れたという事は、先程の振動が物理的な物では無いという事だ。
「あいつだ! あいつがきた!」
「怖い…」
 子供達が口々に恐怖を呟き、お互いの身を固める。
 キキは羊の群れの様に固まった子供達を更にその外側から抱きしめた。
「何? あいつって、何なの?」
「…怖いやつ。とっても、とっても…」
 シエルが蚊の鳴く様な声で呟く。
「……」
 凶暴で有名なアウルベアの背中に乗る子供達だ。
 その子供達が恐れるそれとは一体何か?
 キキは空気を揺るがす波動をその身に感じ、恐怖に汗がにじむのが分かった。
「…シェゾさん」
 キキは無意識にその名を呼んだ。




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