魔導物語 久遠なる理想郷 第四話 reaf 「ぬぅっ!」 シェゾは、彼にしては随分と大きな声を上げて剣を振り回した。 どことも知れぬ夕闇の如き暗き視界。 その中にうっすらと人影の様な物体が無数に浮かぶ。 シェゾは前から後ろから間髪入れずに襲い来るそれを次々と斬り捨てていた。 靄の様に揺らぐだけだが、僅かでも気を許すと針の様に尖って変形した靄が岩をも貫かんとする勢いで彼に迫る。 他の者が対峙していたならば、既に針の筵にされていたであろう。 闇の剣は針をなぎ払い、靄を斬り裂き、更に消滅させ続ける。 元より面倒を嫌う彼は、一太刀で最低五体は間合いに入れる様にしている。 だが、敵の出現数がそれを上回る。 靄同士か重なり、周囲はだんだん霧がかかった様になる。 立場は明らかに不利になりつつあった。 「……」 単調な攻撃と単調な迎撃。 シェゾはだんだん苛ついてきていた。 「くそ、なんでこんな所でウイザードロックが掛かってんだ!」 全ての魔導は封じられていた。 元より封印魔導が効果を現すかどうかは、魔導を発動した者の腕と、相手のレベル差によって変わる。 のだが、それは感心する程に完璧。 シェゾの魔導すら封じるとは、一体いかなる相手か。 閉ざされた空間。 シェゾは色々と考えなければならなかった。 「……」 あれから二時間が経過していた。 既に太陽は山脈に隠れ始め、じわじわと空に星々が顔を出し始めている。 併せて空気の温度も下がり始め、キキはリュックからもう一枚上着を取り出してウェアに重ねた。 「…これが最後。あと、十分だけ待ちます…」 言い聞かせる様に呟く。 一時間を過ぎようとした辺りから、彼女はずっと最後通告の繰り返しだった。 どうしても踏ん切りが付かないのである。 不安は無論ある。だが、早く移動しなくては体力的に危険になる。 それに、シェゾならば例え誰も居ないここに戻ってきても単独で進む事は可能だろう。 ならば、自分が少しでも先に進んで追いかけてきて貰うのも合理的だ。 そう思い込もうとしているのに、それでも彼女の気持ちは切り替え切れない。 それは、一人で進むのが恐いとかそういうものではないのだろう。 だが本人にもそれが何故なのかは分からない。 キキは只ひたすら待つ以外の選択肢を選ぶ気が起きなかった。 ふと、背中に何かの気配を感じた。 「!」 言い方は悪いがキキとて魔族の端くれ。 その気になれば並の魔力的能力は扱える。 今、丁度かなりの緊張状態にある事で、普段より感覚が研ぎ澄まされていたのだろう。 それはかすかだった。 だが、確かに何かの気配を感じ、キキは恐る恐る振り向く。 「…あ!」 振り向いた目線のかなり下方。 そこに、一人のモンスターがいた。 「あなた…マンドレイク!」 つい大きい声を出してしまう。 目線の先に立っていた小さなマンドレイクはびくりと身を強張らせた。 「あ、ごめんなさい。大きな声出しちゃって…。言葉、わかる?」 逃げないところを見ると、危険とまでは思っていないらしい。 キキはしゃがみ込んで目線を会わせ、柔らかな笑みで語った。 「…うん」 小さな声で、小さなマンドレイクは応えた。 そのマンドレイクはまだ幼い様だ。 慎重は五十センチに満たず、頭の花も蕾。 丸みを帯びた体型はまるでぬいぐるみの様で、やや緑がかったワンピースと浅黄色のウエーブヘアが印象的だった。 「どこからきたの?」 キキの瞳に、マンドレイクの深緑色の大きな瞳が映る。 幼く、汚れのない瞳は水晶の鏡の如く、キキの興味深そうな顔を映した。 「あっち…」 もみじの様な手が行く手にある山を指す。 キキはその方向を見て顔をぱぁっと明るくした。 「もしかして…あなた、サマ遺跡から?」 キキはずい、と顔を寄せる。 「…!」 マンドレイクはその勢いに思わず身を引いた。 「あ、ああごめんなさいね。嬉しくて、ついね」 「うれしい?」 「私ね、きっとあなたの住んでいるところに行きたくて、こうして歩いていたの。ねぇ、あなたの住んでいるところは、何て言う名前なの?」 キキはそっと小さな手を握る。 柔らかく、暖かなその手。 「え、えと…。あの…あけのけいこくって言うの」 キキは今度こそ心の底から感動を沸き上がらせた。 サマ。 元の語意では、それは『夜明け』を意味するから。 さて、シェゾが不可解な空間に落ちてから少々時間が経つ。 彼は敵の攻撃が止んだのでとりあえず状況を静観し、現状の打破を思案していた。 「……」 本気を出している訳でもないが、こうも立ち止まらせられると彼の性格からせずとも自然(じねん)不快感が強まる。 そもそもまだ、仕掛けた相手の確認すらしていないのだから。 不満も去る事ながら、疑問も多い。 あからさまな敵意というものを感じないのだ。 シェゾ程の男を仮とはいえ押さえる力がありながら、敵対心を隠す事が可能だろうか? むしろ、どこか怯えた様子すら感じさせるこの空間。 シェゾは考え方を変える必要がある、と判断した。 「答えろ」 声が闇に吸い込まれる。 「お前は、誰だ?」 戦闘態勢を解く。 ふと、呼応するかの様に一切を遮断する闇に小さな小さな明かりが灯った。 白い灯り。 小さくも暖かな灯りがシェゾに近づいた。 シェゾは欠片程の警戒心も露わにせず、接近を許す。 わたしは… シェゾは声を聞いた。 「…こんな近くにあったの?」 キキは驚きと喜びがごちゃまぜとなった声で問う。 「お姉ちゃん、見えなかったの?」 キキの胸にはマンドレイクが抱かれている。 あれからキキは、小さなマンドレイクに案内されてサマ遺跡を目指していた。 だが、いざ行かんとした矢先に着いたと言われては、喜びよりも驚きが優先される。 シェゾの話では、あと一日歩く筈だったのだから。 「う、うん…。ねぇ、シエル」 キキはマンドレイクの名を呼んだ。 「ん?」 抱きかかえているので、顔の先にマンドレイク、シエルの蕾がある。 くるりと振り向いたシエルの顔は好奇心に満ちていた。 「明けの渓谷には、他に誰か居るの?」 「わたしのおかあさん」 「お母さん?」 「うん。わたしのおかあさんで、ほかにユマやエミリーやリリー、メイスにベルにハリス、みーんなのおかあさんがいるんだよ!」 「…ああ」 キキは今の言葉で大体を理解した。 恐らく、渓谷には一人『お母さん』と呼ばれる大人が居るのだろう。 そしてシエルの様なマンドレイクや他のモンスターの子供を育てている、と言う事なのだろう、と理解した。 キキは嬉しくなる。 シエルの表情を見れば、屈託のない笑顔を見れば解る。 サマ遺跡が楽園であると言う言い伝え。 それは、本当かも知れない、と。 「シエル、連れて行って!」 キキは子供の頃からの夢が適う予感に打ち震える。 「うん!」 シエルも、子供の様に嬉しそうにしているキキを見あげて、自然に自分も心が楽しくなっていた。 「あっちから降りられるの!」 キキは背中に背負った巨大なリュックの重さも失念して走り出した。 最も、近いとは言え歩行距離は遠い。 数分後、やはりその細足は重力に屈し、あっさりとへたる事になるのだが。 |