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魔導物語 久遠なる理想郷 第三話



  kite
 
「あつっ!」
 キキはその日何度目かの苦痛の声を上げた。
 たまらずしゃがみ込み、靴を押さえる。
「見せてみろ」
「は、はい」
 場所はサマ遺跡まであと丸一日と迫った岩だらけの山腹。
 噴火した火山の溶岩が固まって出来上がった奇妙な岩のオブジェが、平面と言う言葉を排除する。
 地面から巨大な黒い剣が無数に突き出ている様を思わせる光景。
 植物とて流石に岩には根を張れず、なけなしの土にかろうじて根を下ろした小さな草以外一帯に緑はなく、極めてその風景は荒涼としていた。
 キキは、そんな岩場に足を取られっぱなしだった。
 傾いて天を突く岩に背を預け、キキは恐る恐るシェゾに足を預けた。
 最初は申し訳ないやら恥ずかしいやらでぐずるキキだったが、流石に回数が重なるとそうそう子供じみた事を言っている余裕も無くなるし、兎に角シェゾに対する申し訳なさから彼の言葉に抗う気を無くす。
 既にテーピングされている左脚もまだ痛むが、新しい痛みがそれに勝る。
 キキはしゃがみ込んで右脚を差し出した。
 シェゾは手慣れた手つきで靴と靴下を脱がせ、痛みを感じるという小指を見る。
 既に数回同じ事をされているとは言え、やはり歩き詰めの足を見られるというのは何度経験しても消えない恥ずかしさがあった。
 靴擦れや豆に因る血の汚れならまだしも、万万が一にでも歩き詰めの足がシェゾに臭う等と言われた日には消えてしまいたくなる。
 キキは万が一にもそんな事があった日には殺されるより恐ろしい、とびくびくしながら彼の様子を見ていた。
「お前…」
「は、はいっ!」
 思わず大きな声が出る。
 シェゾは、ん? と言う顔をしたがとりあえず続ける。
「お前、かなりぴったりの靴選んだだろ」
「え? え、ええ。そうです、けど…」
 幸い別の話題だったので胸をなで下ろすキキ。
「覚えておけ。歩き詰めの足はむくむ。少しでいいから大きめの靴を買って、隙間は靴下の厚さと紐で調節しろ。だから、必要以上に足に負担がかかっているんだ」
 シェゾはキキの素足をわし、と掴みながらまじまじと眺めて言う。
「…は、はい」
 足をしげしげと見られる事、その足をむんずと掴まれる事など、普通の生活ではそうそうある事ではない。
 彼の手の感触のくすぐったさも手伝って奇妙な感覚を胸に感じながら、キキは半分上の空で返答した。
「…爪が割れている」
「えっ!?」
 本気で驚いた声。
 足の爪とは言え、彼女は手入れを怠った事はない。
 見せる事こそ、そうそう無い部分とは言え、そう言った部分の手入れも完璧だった彼女はショックを受ける。
 小さな自慢だが、足の爪も指と同じくらい健康的である事を、キキは密かに自負していたのだ。
「ほれ」
 シェゾが足の指をキキに見える様に向ける。
「…ああ」
 小指の先に白い亀裂が見えた。
 キキは痛みよりも爪が割れた事実がショックだった。
 指の皮がむけた事も無論そうだが、爪の破壊は遙かにそれに勝る。
「ヒビだ。伸びれば直る。薬塗るぞ」
 シェゾは手慣れた手つきで処置を続ける。
 会話が途切れた。
 キキの耳には、急に周囲の風邪の音が大きく聞こえる気がしてきた。
「……」
 キキは視界を覆い尽くす青と白、そして視界の端に見える花崗岩を見渡す。
 乾いた空気は視界を鮮明に研ぎ澄まし、近くの岩から遠くの山肌の木々までを妙にはっきりと映し出す。
 脳が圧迫されそうな程の鮮やかな色と形の情報量が押し寄せ、キキは一瞬自分がこの光景に同化してしまった様な錯覚を覚える。
 しん、とした世界を意識すると、逆に風の音一つから遠くの鳥の鳴き声までが妙に大きく感じる。
 山肌を舐めながら上に向かって吹く風がキキの髪を撫で、耳には遠くで鳴る風の音がやけにはっきりと聞こえた。
 遥か上空では旋回しながら鳴いている鳶が澄んだ声で鳴く。
 手が届きそうだというのに、それでいて果てのない青い空。
 静かで、それでいて騒がしい世界。
 何か、不思議なものに満たされた感覚。
 キキは何となくそれが心地よく感じられ、足の痛みが和らぐのを感じた。
「……」
 ちらりとシェゾを見る。
 もうテーピングは終わりかけ、締め具合を確認している彼が居た。
 
 考えてみると、闇の魔導士さんに足の手当をしてもらうのって…。
 もしかして、すごい事かも知れませんね…。
 
 キキは普段の彼を知っている故にその程度の考えで済むが、それは知る人が見れば心臓を止めかねない行為だ。
 だが、彼を知る人程、そんなギャップは逆に埋まってゆく。
 闇の剣自身も、とてつもなく長い人生において大抵の経験はしてきたつもりだと言うのに正直、今と先代の主には尚数知れぬ不理解を覚えている。
 これに関しては、誠、歴史は誰にも予想できぬ未来を紡ぎ出すものだ、と某牛の角親父も証言しているので実際そうなのだろう。
 そうこうしているうちに手当も終わり、はっとキキが気付くといつの間にか靴まで履かされていた。
「あ、す、すいません! 何から何まで…ご迷惑をおかけしっぱなしで…」
「気にするな」
 そんなシェゾの表情は、特に無理をしていると言った影は見えない。
 ただ、なんでこうなるかな、と言う半ばあきらめの様な色は目元に見る事が出来た。
 この辺り、彼の持って生まれた特殊なカルマに因るとも言えるかも知れない。
 キキは手当を終えた足を軽くとんとん、とつま弾く。
「あ、いい感じです。ありがとうございました」
「ああ」
 基本的に素っ気ない返答だが、彼への評価は彼の行動が十二分に表してくれている。
 黙々と事を進める。そんな彼の姿、キキはそれがかなり嫌いではないのだ。
 キキはそれに報いる様にがんばります、と気合いを入れてシェゾについて歩き、二人は遺跡探索を再開する事となる。
「サマ遺跡…ありますよね」
「あるのは、間違いない。さっきのベンヌも、キーパーの一匹なんだろう」
「じゃ、近いんですか?」
「それはわからん。遺跡によっては歩いて一日以上かかる距離にたっぷりキーパーを置いてある、なんて場所もある。中には、山の頂上がそれだとすると山一つまるまるが結界、なんて大仰なヤツもあった」
「……」
 想像し難い事実はなかなかそれの飲み込みを許さない。
「そこまでするのって…何の為ですか?」
「遺跡にもピンキリがある。ピンになると、ある意味遺跡と言うのがはばかられる位に『生きている』もんだ。そう言う所は、必然的に守りも堅くなる。時が、壁を厚くする」
「生きて…」
 遺跡と言う、いわば死んだ場所である筈のそこ。
 だが、生きている。
 シェゾの言葉に、キキは心の奥底にふつふつと希望の光が灯るのを感じた。
「そうですよね、遺跡って言っても、生きているんですよね! サマ遺跡も!」
「多分、な」
「きっと、いえ、絶対そうです!」
 キキは嬉々として頷く。
「そう言えば、お前はどうしてここまでしてサマ遺跡に行きたがる?」
「昨日、テントでお話ししましたけど?」
「寝てた」
「…今夜のキャンプでお話しします。今度は起きていてくださいね」
「さてな」
 暫く歩くと、ようやく岩だらけの地面が柔らかくなり始めた。
 ベンヌと戦った盆地も視界の端に消え、いよいよ目的の地に近づきつつある。
 ふと彼が立ち止まり、キキにリュックを開けと言う。
 そしてシェゾは地図とは別に渡していた羊皮紙の巻物をキキに取り出す様に言った。
「これ、何ですか?」
「お守りだ。ここから先は、荷物を無くしてもそれだけは無くすな」
「え?」
 そう言ったシェゾの顔には見覚えがある。
 クールな顔立ちの目元に、鋭い光が灯っていた。
 キキは息を呑んで周囲を見渡す。
「…ど、どこに?」
「どこかにいる」
「!」
 キキの視界を暗い闇が覆った。
「きゃあっ!」
 たまらず尻餅をつくキキ。
 目は閉じていたが、隣にいたシェゾが宙に跳び上がるのを感じた。
 耳の横を風切り音が通り過ぎる。
「……」
 数秒も経った頃、不意に音が止んだ事を確認してからキキは恐る恐る目を開く。
「…シェゾさん?」
 周囲には誰も、何も居なかった。
「うそっ!」
 危機感より何よりも、単純にこんな山の中に一人になった現実が重い。
 彼を持って手を煩わせる怪物の徘徊する山奥。
 それに、悲しく取り残された十キロを超える彼のリュックを代わりに背負って歩くなど、もはや拷問に近い。
 そもそも昨日のキキを見ても無理だと明白なのが、この一人で地図を読んで先に進めと言う事実である。
 シェゾがさらって行ったのか、すっかりおかしな気配が消えた世界。
 安全だが、それ故に生き物の気配一つ無い世界はどこか寂しく、不安だった。
 無論帰っては来るだろう。
 だが、それが何時かとなると正直分からない。
「……」

 一時間待ちます。
 それでダメだったら、先に行かせて貰います。
 不安だけど、とにかく、進みます。
 あなたは、きっとそうする事を進める筈だから。
 
 キキはそう決めて彼の帰還を待つ事とする。
 つい先程まで、心地よく感じていた青い空。
 それが今、キキの目には無性に冷たく、心細い青に見えていた。
 急に冷たく感じてきた空気に身を震わせ、キキは側にあった岩にしゃがみ込んでその身を小さく丸めた。




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