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魔導物語 久遠なる理想郷 第二話


  Mandrake
 
「そこは、傷ついた魔物達にとっての楽園だったと言われています」
「ふむ」
「特に、そこはモンスターとしても弱い種族である、マンドレイクにとっての楽園だったそうです」
「ふむ」
 シェゾは聞いている様な、聞いていない様な返答を続けた。
 場所はなだらかに傾斜した草原地帯。
 傾斜の先には森と崖、小さな川。更にその向こうにはここより遙かに高い山脈が見え隠れし、乾いた空気が結構な高所である事を物語る。
 そして、やや大きめのくぼみに湧き水がたまり、小さな湖が出来ている場所。
 シェゾはあれから軌道修正するのにさんざ苦労し、結局初期の到達予定地点からは三分の二程度の距離しか進めないまま一日目のキャンプを張る事となった。
 二人の会話はそんなこんなで夜も更けたテントの中から聞こえた。
 明かりはない。
 もう横になっているのだろうか。
「聞いてます?」
 キキの声が問う。
「聞いてるよ」
「なら、もうちょっと聞いている風にしてください。私、独り言言っているみたいです」
「…もう寝たらどうだ? 体は暖まっただろ」
 夜の山である。
 気温は昼が嘘みたいに下がる。
 今夜は外に出ると粉を蒔いたみたいな無数の星空が見え、それはつまり今夜から明日にかけて冷え込む事を意味する。
 テントもランプを消してから温度は下がり始めている。
「眠気はありますけど、まだ元気です」
「俺が寝たいんだよ」
 流石にやや不機嫌な声のシェゾ。
「……」
 疲れの原因が自分であるのは火を見るより明らかなだけに、キキは何も言えない。
「寝袋だと、添い寝にもなりません」
 申し訳ない、という意もあるのか、乞う様な声のキキ。
「せんでいい」
「寒いですし…」
 二人はテントの中で寝袋に入って横になっていた。
 二人用テントの中なので、見た目は寄り添って寝ているが本人にすればそうとは思えない距離と冷たさを肌に感じる。
 が、お互い餓鬼ではない。
 その夜は、それ以上の事も言葉もなく時は過ぎた。
 
 次の日の朝。
 シェゾが目を覚ますと、キキは彼の横に寄り添って寝息を立てていた。
「…なるほど」
 何やら寝ている間中、右肩に重みをじんわり感じていたのは、キキが無理矢理シェゾの肩に頭を乗せていたからだと、今理解した。
 そしてこの少し後、やや広めのおでこをデコピンされ、キキは跳ね起きる事となる。
 
「シェゾさん」
「なんだ?」
「こ、ここって…道…ですか?」
 太陽が頭上に昇る頃。
 二人今、カモシカすらも通らない様な険しい崖沿いの道を歩いていた。
「道か、と言う問いなら道だ」
 キキはシェゾの腰にしがみついて震えている。
壁にべったり張り付いているにもかかわらず、先程から谷間風が吹く毎に体が引き剥がされそうになるのだ。
「ひ、人が通った事のある道ですか…?」
「そういう意味でなら、違うな」
 そうだろう、とキキはシェゾにしがみつく。
 足下から視界の下に見える渓谷までは、優に二百メートルはあるだろう。
 落下の意味は言うまでもない。
「…こういう事、いいたくは無いんですけど…フ、フライとかって…」
「遺跡が逃げる」
「え?」
「一般に出回っている文献には出ていない一節がある。それが、サマ遺跡が幻と言われ続けている理由だ」
「どういう…?」
 言いかけて足下が崩れる。
 キキは猫みたいにシェゾにしがみついた。
「そうされると、俺まで落ちそうになるんだが…」
「だだだだって…!」
 爪を立ててしがみついているので背中が痛い。
 シェゾは、降りろと行っても無駄だと考え、そのまま崖っぷちの道を渡りきった。
「…し、死ぬかと思いました…」
 広い場所に出てキキを降ろすと、やっと彼女の口が開いた。
「俺もな」
 シェゾはどうなっているか想像できる背中を撫でながら言った。
「え?」
「分からんならいい」
 そう言って向こうを見るシェゾ。
 その先には、切り立った崖に阻まれて先程までは見えなかった風景が広がっていた。
「うわぁ…」
 キキが広大なその風景に声を漏らす。
 乾いた空気と、時折強く吹く風。
 二人の立つ台地から少し低くなった位置には緑の絨毯みたいな森林が広がり、それはまるでカルデラに水の代わりに森を敷き詰めた様な光景だった。
 木々の間には霧の様に雲が流れ、ここが相当な高度を持つ山の上なのだと認識させる。
 その様な高度の森だというのに時折、木々の間から鳥が飛び上がり、更に高みへと飛んで行きつつ鳴いていた。
「ありゃ、ベンヌだな」
「え? モンスター?」
 空を旋回する鳥の影に視線を集中する。
 と、確かにそのシルエットは通常の鳥と比べても妙に巨大で、鳥には無いと思われる尖った影も見られる。
「こんなところに…? 確か、生息地がちょっと違う筈ですよね…」
「まったく違う。っつーかこの大陸には居ない奴だ」
「え?」
 振り向いた時、シェゾはその手に闇の剣を構えていた。
 ぐん、と背中から風が巻き起こる。
 キキが驚いて一瞬目を瞑り、そして目を開けた時、シェゾは背中から姿を消していた。
 
 シェゾは空中にいた。
 先程の場所から盆地の森の上、ベンヌが飛び上がった場所まで距離は約千メートルを数える。
 シェゾは、そのベンヌの目と鼻の先に転移していた。
 こういう行動を取れば、普通相手は驚いて何も出来ない内に彼の刃の餌食となるのが定石である。
 だが、目の前のベンヌはなかなかそうはいかなかった。
「む!」
 必殺の筈の一撃。
 それは、ぶわりと上空に飛び上がったベンヌの喉の先を、僅かにかすめるに過ぎなかった。
 そして同時にベンヌの攻撃が始まる。
 細長く、巨大なくちばしを大きく開き、一瞬の溜めの後に空気が揺らいだ。
「っつ!」
 それは重々しい衝撃波。
 シェゾの周囲が空気ごと押し潰される。
 結果、結界という足場は崩壊し、シェゾは重力に抗う術を失った。
 が、シェゾは重力に首根っこを捕まれつつも極めて速やかに魔導を再発動させる。
 それ故、余計な行動は落下しかけた時に頭が下がったので取った行動であるバック宙一回転に留まる。
 傍目から見れば、アクロバットを披露したに過ぎなかった。
 シェゾは再び地面あらざる地面に足を付き、それと同時に闇の剣を構えた。
 ギェェエエエッ!
  ベンヌが凶暴な鳴き声で威嚇するも、いかんせん相手がシェゾではカロリーの浪費に過ぎない。否、それどころか、命の灯火を無駄に減らしたに過ぎないだろう。
 シェゾは闇の剣を撫でる様に滑らせる。
 それだけで全ては終わる。
 だが。
「!?」
 シェゾは違和感を覚えた。
 それは既にベンヌの首と胴が離れてからだったのだが、シェゾは確実に違和感を脳に覚えた。
 
 荒らすな。
 
 楽園を。
 
 我らが安息の地を。
 
 シェゾはその言葉を脳に感じる。
 突き刺さる様な言葉だった。
 肉塊と化して落下するベンヌ。
 シェゾは、それが森の中に消えるまで動く事が出来なかった。
「結界…か」
 既にその体は森の中へと消えている。
 それを見届けてから、シェゾは息苦しそうに呟いた。
「嫌な結界だ…」
 シェゾはうんざりした顔で呟く。
 力圧しの結界よりよっぽど応えるのだ。
 感覚に訴えかける結界というのは。
「だ、大丈夫ですか! モンスターが…」
「ああ」
 シェゾは何事もなかったかの様に返答する。
「モンスターの安息の地、か」
「はい?」
「それ自体は、本当なのかも知れないな…」
 怪物に安住の地があっていけないという事はない。
 シェゾは、人の庭に踏み込もうとしているかの様な気分になっていた。
「キキ、お前はまだこの先に進む気があるか?」
「え?」
 突然の質問、しかもその瞳は極めて真摯。
 キキは己の映る彼の瞳に戸惑った。
「…も、もちろんです! 例えお話とは少々違うとしても、私の夢なんです。今まで、私の夢で本当に行ける場所なんて無かったんです。私、実物を見たいんです!」
 いつになく食い下がるキキ。
 その瞳も真摯だった。
「そうか」
 二人は再び歩き始めた。
「…あの」
「ん?」
「シェゾさんは、どうしてサマ遺跡に?」
「ブラックに聞いてなかったか」
 
 そもそもシェゾがサマ遺跡を訪れようとした理由。
 それはその遺跡の特異性にあった。
 大抵、一般人が知る程度の有名な遺跡であれば、そこはよほどの僻地でもない限り観光やら学術目的で開発が進んでいるものである。
 だが、サマ遺跡はちょっとした歴史文献であればまず例外なくその名を見る事が出来る程有名である。
 が、それに反してサマ遺跡の場所は明確にされていなかった。
 名前だけが有名になり、その遺跡自体は満足に場所も知られていない。
 これは他の例えで言えば、少々スケールが違うが海に沈んだムー大陸の様なものと言えば分かり易いだろう。
 サマ遺跡も、その遺跡の名前と伝説だけが定着していた。
 幻の遺跡と呼ばれる所以である。
 そして、それが見つかったのはつい最近。
 まだ確証はないとされるが、それはそもそも何を持ってサマ遺跡と言うかの定義が無いからに過ぎない。
 シェゾはその情報をギルド、他の情報筋、独自の調査を合わせて見つけたのだった。
 そして彼が興味を持った点については今の襲撃で半ば確信を持てた。
 シェゾは、キキとはまったく違う観点で望んだ通りであろう遺跡に近づきつつあると分かり、実りを確信した。
「話の通りなら十世紀以上…いや、十五世紀は人が立ち入った事のない筈の遺跡だな」
「ですよね」
「どんな魑魅魍魎が居るやら」
「あら、きっと素敵な場所ですわ」
「お前、さっきのベンヌ見てもそう思うか?」
 シェゾはおいおい、とキキを見る。
「で、でも、遺跡はまだですし…辿り着けば、きっと…」
 キキは夢のない事を言うな、とシェゾを非難した目で見る。
 幼い頃からの悲願を頭から否定されればそう言う顔もするだろう。
 素直な反応のキキ。
 シェゾはそんな彼女を見て、だからこそ、ここまで来れるのか、と納得した。
「遺跡まではあと半分はある。気合い入れろ」
 シェゾは歩き始めた。
「あ、はい!」
 キキもそれに続く。
 気候の変わりやすい季節にして快晴が続く山腹。
 そこは風の音以外に耳を刺激するもの一つとてない静寂な世界。
 二人は、歩き続けていた。




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