Top 第二話


魔導物語 久遠なる理想郷 第一話


 
 Cat
 
 時は午後二時を過ぎた辺りだろう。
 少し空が曇るともう、吹く風は肌寒くなる季節だった。
 街を歩く人々は防寒具で体の嵩を増す。
 子供はそれでも尚元気に、逆に大人は丸くなって、それぞれがそれぞれの目的に向って歩いている。
 …俺は、『何処に向って』歩いているのやら。
 寒空の下。
 ふと気がゆるむとそんな事を考えそうになる。
 不毛だと分かり切っているのに、何故それは繰り返されるのだろう。
 鉛色の雲が視界を埋める。
 彼には、それがまるで自分に対して世界からふたを閉められている様な閉塞感として、一瞬錯覚された。
 空よ、晴れろ…。
 ガラにもない、と思いながらそう思ったのと、声はほぼ同時だった。
「しぇ〜ぞ〜」
 街で突然、俺は声をかけられた。
 妙に猫なで声のそれ。
 そしてその声は聞いた声だ。確認する間でも無い。
「……」
 かくして、振り向くと、通りを挟んだ向こうにブラックが立っていた。
 ブラウンのコートに身を包んだ彼女は、この寒空でもしゃんと背を伸ばしており、性格そのままのシャープな印象を放っていた。
 俺が気付いたかと思うと、奴は何を考えているのか、ちちち、と声を出しておいでおいでをし始める。
「……」
 
 猫か何かか、俺は。
 
 溜息をついて奴に近づく。
 そして、何で俺、奴を斬らないんだ? と物騒な疑問をよぎらせる。
 普通、こんな扱いされようものなら、問答無用で斬り捨ててもおかしくない筈なのだが…。
「はいよく来たねー」
 そんな事を考えつつも彼女の側に着く。
 すると、今度は事もあろうに頭を撫でて『いい子いい子』するブラック。
「…お前…そのうち本気で斬るぞ…」
 凄んだつもりだが、ブラックはにっこりと笑う。
 まぁ、ぐしゃぐしゃにされた髪で凄んでも迫力は無いだろうが…。
「あはは。ゴメンね。なんかさ、今のあんたってそういう雰囲気だからさ、やってみたくなっちゃったんだ。よしよし、って」
 どう言う雰囲気だ。
「で、呼んだからには用事があるんだろうな?」
 流石に不機嫌な声のシェゾ。
「まぁまぁ、本題入るからさ」
「…最初からそうしろ」
「喫茶店でも入ろうよ。あんたも、マントは着ているけど黒いからさ、見ているだけでも寒そうだもん」
「人の勝手だ」
 二人は手近な喫茶店に入る。
 カプチーノとローズヒップティーを注文してから、話は始まった。
「あんた、今度遺跡探しに行くんでしょ? 幻って言われているサマ遺跡に」
「何で知っている?」
「ギルドの情報網を舐めないでね。あんたが自分で集めた情報だって、元はといえばギルドの公開しているものも含まれているの。特にあんたはウチから見ればVIPみたいなもんなんだし、そもそも行動が目立つから、その気になれば行動の痕跡からの予測はつくよ」
「…まさか、普段からそんな事されてないだろうな?」
「勿論。下手にかぎまわるとあんたの場合逆に透波の命がヤバイし。今回は、あたしが街中限定で頼んだの。プライベートは守るよ」
「…個人の理由でギルドを動かすな」
 街中でも充分プライベートだろうが、と思うが自分も仕事柄そういう行動自体には批判をする気はない。
「で?」
 とりあえず話を進める事にする。
「そこにね、キキも一緒に連れて行ってくんない? って言うか、決定。よろしくね」
「は?」
 カプチーノの受け皿から、使われていないスプーンがカチャリとずり落ちた。
 
 四日後。
「……」
 シェゾは不機嫌と言うか困惑と言うか、とにかく『何故?』の二文字が頭から離れなかった。
「…ふぅ…ふぅ…」
 彼の後ろからは、疲労困憊と言った感じの息遣い。
 振り向けば、言葉そのままに疲れきり、気力だけで彼の後を着いて来るキキが居る。
「…休むか?」
「…は、はい…。よ…よろしいですか…?」
 そう言いつつ、彼の返事を待つ前に彼女は道端にへたり込む。
 地面に直に腰を下ろす事も、もはや気に病む余裕がない。
「シェゾさんって、いつもこんな移動をなさっているんですか…?」
「まぁ、こんなもんだ」
 シェゾは彼女の装備を改めて見回す。
 新品のトレッキングシューズにナップサック、発汗性に優れた長袖と手袋に帽子。
 まぁ、初心者として山を登るには合格点をやれる。
 こんな感じで一応彼女も気張っている様子なので、この道は全然楽な方だ、とは言わないでおく彼だった。
「しかし、お前が遺跡に興味があるとは思わなかったな」
 シェゾは意外、と言う顔でキキを見る。
「…正直申しますと、あんまりそういうの自体に興味はありませんの」
 対して、これも意外な返答のキキ。
「あ?」
「だって、そもそも倒壊しているのは論外ですけど、建物が残っているだけならおそうじのし甲斐もそう無さそうですし、誰にも見られないのでは綺麗にする意味があまりありませんわ」
「あまり?」
「綺麗になる事自体は、とてもいい事ですから」
「お前らしい…」
 とりあえず、彼女は綺麗になる事実は見られようが見られまいが嬉しいのだ。
 流石はお掃除魔神。
 一説には、アホみたいに広いサタンの別荘に出向き、たった一人で僅か四日後にはそこの掃除を完了させたという逸話がある。
「ですけど、今回の遺跡に関してだけは、実は子供の頃からいつか行きたいと常々思っていたんです」
「そりゃ随分とご執心だな」
 シェゾはその表情から本心だと知る。
 元より表裏のない彼女である。
 少女の様に嬉々としたその顔に嘘はあろう筈がなかった。
 実際、疲れより遺跡に近づいている事の喜びが増すのだろう。
 嬉々とする彼女の表情は実に爽やかだ。
 空も、それに答えるかのように快晴である。
 キキのおかげとは言わないが、予想より楽な天候による旅路のおかげでシェゾも余裕を持てた。
 最も、その僅かな余裕はこの少し後におもいっきり靴ずれを起こしたキキを負ぶう事で帳消しどころかマイナスとなったのだが。
 元々彼女が行きたい場所へ行くのだから代わりに地図を任せ、シェゾはナビゲータの指示に従う事とする。
 
 だから何しに来て居るんだ俺は…?
 
 彼はあらゆる意味で女性に対して不利な立場を背負う定めらしい。
『似ているな…
 ふと、普段は常世あらざる世界に身を眠らせたままの闇の剣が、珍しく自分から語りかけてきた。
 何がだよ?
『奴も、あれで結構女には苦労したのだぞ。
 奴? 奴って…ルーンがか!?
 思いがけぬ科白にシェゾが仰天する。
『ふふ、もしかしたら…闇の魔導士たる為の必須条件なのかも知れんな。ルーンといい、おぬしといい、その苦労性は。
 …冗談はよせ。
 シェゾはうんざりして言う。
 が、そう言いつつも今度奴に会ったらその辺を一度聞いてみたい、とも思い始めた彼だった。
 体の線の割に体力のある彼だが、流石に山道で人一人を背負うとなると消耗が違う。
 そろそろきつくなり始めた頃、キキが耳元で言った。
「あの、シェゾさん…」
「ん?」
「…北って、どっちでしたかしら?」
「……」
 彼は、彼女が何を言いたいのかをイヤと言う位理解した。




  Top 第二話