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魔導物語 陰陽 第四話
 
 
 

  闇の皇子

 メイガス。
 吸い込まれそうな青い瞳だった。
「あ、友人…友人を捜しています」
 一瞬、本当の事を言うべきか躊躇いつつも、下手な小細工は逆に不利と考える。
「そう。ここにいた?」
 それほど若い人物ではない。
 外見は。
 特に透き通った声でもないのに、その声の響きはラグナスの脳を揺らす。
「先に、帰ったかも知れません。では」
 ラグナスはその場を離れようと会釈する。
「待って」
 白のローブに隠された右手がそっと挙げられる。
 無論強制ではないのだろう。
 だが、その言葉には押さえつける以外での、あらがえない何かがあった。
 メイガスが上げた右手。
 そこから見える腕には金属の輝きが覗く。
 流石に軽装ながらしっかりとした鎧を着込んでいるのが確認出来た。
 白金で作られた様な、眩い装飾がなされたガントレット。
 そしてその手首には、白金の鎧にはあまりにも不釣り合いな、粗末な作りに見える根付けの様なものがくくりつけてあった。
 不釣り合い故に、それは特に印象に残る。
「何か?」
 ラグナスの瞳がメイガスの瞳に映っていた。
「君は…誰だい?」
「俺は…ただのマイルス教信者です」
 ラグナスはマイルス教特有の印をきり、恭しく頭を下げた。
「そう…。この書庫は、気に入った?」
 ぐるりと、踊る様に体を一回転してから、楽しそうに問う。
「…え、ええ」
 背は同じくらいだろう。
 だが、まるで子供の様な仕草。
 ラグナスは戸惑う。
「ここは世界中の本が集まっているんだ。僕も、まだまだ読んでない本が多い…って言うか、読んだ本なんてろくな数じゃないけどね」
 再びメイガスは屈託無く笑う。
 そして優雅に歩きながら、机の上に置かれた本をぱらぱらとめくり始めた。
「この本は、我らがマイルス教の聖典だね。この書庫でも、特に貴重な本の一つだよ」
 楽しげにページをめくりながら、誰に語りかけるでもない唄う様な口調で言う。
「君、知っている?」
「何を…ですか?」
「この聖典の第一巻はね、全二十四巻の中でも特に大切なんだ。勿論、最初の本だからと言う意味もあるけど、それ以上に、この本の中身が…中に、書かれている事が大切なんだ」
「中に、書いてある事?」
 メイガスは何気なしに捲っていた様な手を、あるページでぴたりと止めた。
「あった。ここだよ」
「…?」
 手招きするメイガス。
 やや警戒するも逆らえるわけがない。
 ラグナスは彼の隣に歩み寄った。
「この本にはね、マイルス教の事だけじゃなく、それの発祥に係わる世の理、それらの意味、対応も書かれているんだ」
「なるほど」
「その中でも一つ、面白い記述が一巻には書かれているんだ。ほら、見てごらん」
「…これは…古代…魔導!? …闇魔導!?」
「君、なかなか博識だね」
 メイガスが関心、と言った表情で言う。
「え、いや、俺なんて…」
 ラグナスは、はっとして自分の言動の軽はずみさを呪う。
「普通、古代魔導は知っていたとしても、それから闇魔導の言葉はなかなか出てこないよ」
「そう、ですか? 俺、実は魔導書のマニアなんで…」
「そうだね。そんな事知っているなんて、なかなか居ないものね。それに、この辺りは教会の人間でもあまり近付かない場所だよ」
「そうなんですか?」
「意外にみんな不勉強だよね」
 ゆったりとした笑みでラグナスを見るメイガス。
 その瞳は透き通る程に真っ直ぐだった。
「そして、この本が大切にされている理由はまだあるんだ」
 メイガスは言葉を続ける。
「それは?」
「この本自体が、一種の結界といえるんだ」
「結界!?」
「そう、例えばね、この本に記載されている、最も悪しき、恐ろしき存在の闇魔導を扱う者が、万一この本にふれると…」
 ラグナスは息をのむ。
「消えてしまう」
 メイガスは本を勢いよく閉じてしまった。
 静かな書庫に重厚な音が響き、わずかに机の周りにほこりが舞う。
 太陽の光が当たっていた場所だけに、陽の光には細かなほこりが無数に反射していた。
「……」
 だが、程なくしてそれは静まる。
 ラグナスはまるで、本の中に吸い込まれるような錯覚を覚えていた。
「こんな感じだったのかな?」
 メイガスは楽しげにいう。
「彼も、こんな感じで本に吸い込まれちゃったのかな」
「!」
 ラグナスは後ろに下がる。
「どうしたの?」
「…あなたは…」
 だが声が出なかった。
 出たとしても、意味を為しただろうか。
 アドレナリンが吹き出る。
 ラグナスの視界は鋭敏なレーダーそのものとなり、目の前の標的を捉えていた。
 今の彼なら、それこそ埃の一粒すらも見逃すことはあるまい。
 メイガスの手が、ゆるりとあがる。
「うん、知っているよ。彼の事、そして君の事もね」
 心を見透かしたかの様な口調で呟く。
「一体、何の事ですか?」
 体中から汗が噴き出しそうだった。
「教皇が気付くまでは、僕は誰にも、何も言う気はないよ」
「…何の事かは分からないけど、なぜ?」
「君は、何となく、僕と同じ匂いがするんだ。こんな事、初めてなんだ。彼は、きっと大丈夫だと思うよ。保証は出来ないけどね」
「……」
「君は、何をしに来たのかな?」
 ラグナスは瞳を見つめ返す事で精一杯だった。
「勤めがあるんだ。それじゃ」
 メイガスは振り返り、そのまま崖の様に立ち並ぶ本棚の奥に消えた。
 姿、気配が消えた事を確認してから、ラグナスはやっと大きく息をついた。
「何て奴だ」
 そしてもう一つの危惧に頭を切り換える。
「シェゾ…」
 テーブルの上には、巨大な革張りの本が一冊、無造作に置かれているのみ。
 ラグナスは机の前に立ち、本の表紙に手を置いた。
 自分の正体がばれた、とは思えないが、不審に思われた事は間違いがない。
 ここから離れるべきでもあったが、先ほどのメイガスの言葉、シェゾが本に封じられたと言う言葉を無視は出来ない。
 気付かれるまで誰にも言う気はない。
 今は彼の言葉を信じるしかないのだ。
 あまりにも古い本。
 しかも著者はそれなりに力を持つ者。
 本自体に何らかの力が宿る事は珍しくない。
 事実、自分には本が宿すエネルギーを感じる。
 これ自体が、強力なマジックアイテムである事は明白。
 だが、それを読んでいたのは他ならぬシェゾだ。
 奴が、そこらの結界に囚われる事などあり得るのか?
 実際、こうして本をサーチしてもエネルギーにこそ満ち溢れてはいるが、パワー自体は微弱にしか感じられない。
 つまり、腹は膨れているが、寝ている状態と言って良いだろう。
「……」
 ラグナスは本をめくる。
 マイルス教の成り立ち、教祖、教義、あらゆる事柄が隙間なく、ラテン語から古代魔導文字、梵字までを交えて書き連ねられていた。
「闇、か」
 確かに、闇魔導を扱う者のみに強力に反応する力も存在する。
 白魔導を扱う者に黒魔導の力は強く感じられない様に。
 闇もまた、光の力にはどうしても疎くなりがちなものである。
 …だが、パワーが強ければそれは流石に純粋な力として感じられる筈だ。
 『光の使者』たる俺が、見抜けないのか?
 属性と言う問題がある。
 だが、それでも無性に悔しかった。
「くそ…」
 意識せず、拳に力がこもる。
 捲っても捲っても、本自体には何の変化も感じられなかった。
「…闇魔導の記載されたページがある、と言っていたな」
 ラグナスはそのページを探した。
 やがて。
「!?」
 一瞬、自分の瞳が狂ったかと思った。
「何…?」
 ページの半ばにさしかかった辺りから、確かに闇魔導に関する記述が記載され始めていた。
 そのページに、ラグナスはあり得ない物を見る。
「冗談だろう?」
 思わず、本に描かれているその挿絵をそっと指でなぞり、それが事実と確認する。
「馬鹿な…シェゾ!?」
 本に記された挿絵。
 それは、黒の衣装に身を包むあの男。
 それは、紛れもなく彼。
 それは、闇の魔導士、シェゾ・ウィヴィィだった。
「そこの者! 動くな!」
「!?」
 ラグナスは我に返り、後ろを振り向く。
 そこには、十人程のテンプルナイトが自分に向かって剣を抜きぬかりなく構えていた。
「な…!?」
 流石に動揺を隠せなかった。
「ちょ、待て…待ってください。俺は…」
「かかれ!」
 問答無用だった。
「ちぃっ!」
 やはり奴か?
 ラグナスは身に纏っていたローブを脱ぎ捨て、向かってくるナイトに向かって投げつける。
 途端、宙を舞うローブはパイ生地を伸ばしたかの様に面積を伸ばす。
 驚いたナイト達の前で、そのローブは突如燃え始める。
 その勢いは油でも吸っているかの様に激しかった。
 炎の雨が、四散しながらナイト達に降り注ぐ。
「うわっ!」
「おおっ!」
 正に雨の様に降り注ぐ火に、流石のテンプルナイトも怯む。
 火事になるなよ。
 自分で火を放っておいて無責任だが、ラグナスはナイト達がパニックになる前に消化する事を願いながら逃げる。
「よっ!」
 ラグナスは二階の手すりから一階へ飛び降りた。
 十メートル以上の高さから飛び降りたと言うのに、まるで机の上から降りたかの様に静かに着地する。
 だが。
「おいおい…」
 思わず愚痴が出る。
 一階。
 そこには既に他のテンプルナイトがぞろぞろと待機しており、通路らしき通路は全て塞がれていた。
「二十人くらい居るぞ…」
 溜息が出た。
「抵抗をやめろ」
 テンプルナイトの中に一人、他の兵とは明らかに質の違う鎧を身に纏った男が居た。
 金と言うより白に近い輝きを持つ鎧。
 腰の剣の柄には、天使をあしらった意匠が美術品の様に輝いている。
 フルフェイスヘルメットの奥は見えぬが、鋭い眼力は感じていた。
 重い声の質といい、立ち位置といい、彼は言うまでもなくテンプルナイトの隊長だろう。
 どうする?
 ラグナスは考える。
 内部をもっと知るチャンスと言えばチャンスだ。
 掴まるのも手だろう。
 だが、シェゾの事もある。
 見事に嵌めてくれたメイガスの事、シェゾをこのままにしておく筈は無いだろう。
 あまつさえ、自分の事も知られている可能性がある。
「……」
 一応、教会をなんかするってのは躊躇うんだがなぁ…。
 先程の豪快な炎の事はひとまず忘れ、良心に苛まれるラグナス。
 無言は拒否と見なしたらしい。
 分厚い岩の床に金属のスパイク音が忙しなく響く。
 まず先鋒として二人の軽装のテンプルナイトが、滑る様な足取りでラグナスに向かい突進した。
「ほう」
 ラグナスは遠慮無く頭と足に迫り来る白刃を、これもまた水面を滑る様な動作で避ける。
「流石は先鋒とはいえテンプルナイトか」
 一撃必殺と思われた刃を撫でる様に交わされ、二人のナイトの表情が一変する。
 若いな。
 二撃目以降は、基礎こそ辛うじて守っているが、その太刀筋はめちゃくちゃ。
 危うく、お互いの刃でお互いを傷つけかける場面も出る始末。
 ラグナスは正直避けて良いものか、と気を遣いたくなる程に動きは乱雑だった。
「やめい!」
 隊長が声を上げる。
「…!」
 二人のナイトは怒りと恥辱を入り交じらせた表情で、ついに刃をかすらせる事すら叶わなかった敵を睨み付けながら、その身を引く。
「お前は何者だ」
 隊長が一歩前に出て問う。
「さてね?」
 肩をすくめて呟く。
「救世主、現人神のおわす聖地での狼藉。ただでは済まされぬぞ。それと知っての行いか?」
「誰の為の救世主かは知らないが、それは知っているさ」
「……」
 仮面の下の顔がゆがんだ。
 ラグナスも、そこまで言ってから自分の顔を少ししかめる。
 今の物言い、あいつみたいだぞ。
 ラグナスは苦笑した。
「…斬れ」
 隊長はそれを愚弄と見なした。
 今度はナイト達が揃って突進してくる。
「おいおい」
 ラグナスは驚き、と言うより呆れた顔でナイト達の突進を目の当たりにする。
 書庫が壊れるっての。
 ラグナスは宙に飛翔する。
「むっ!」
 気合いを込め、背中に手を回す。
 何もないその場所に空間の歪みが浮き上がり、そこに手を突っ込むや否や手を引き抜く。
 異空間の摩擦により火花を散らせながら、ラグナスは光の剣をその手にしていた。
 剛胆な跳躍より机の上に降り立つも、ラグナスは木の歪む音一つ立てずに構えを取る。
 まるで、ブロンズ像の様に雄々しい構えで。
 驚愕したのはテンプルナイト達である。
 曲者とはいえ丸腰の相手。
 それが今や剣を構えて机の上に立っているのだ。
 だが、彼らも聖職者である。
 動揺こそあれ、ラグナスの周りを隙無く取り囲み、攻撃の機会を伺っていた。
 そして、目線の先に立つは隊長。
 縛り付けられる様な目線がラグナスを直視していた。
 さて、どうしたものか…。
 隠密作戦はここに終わりを告げた。
 シェゾが封じられた本を奪って逃げる事も出来るが、解放する方法が分からない。
 それよりは、多分ここに置いてまずは解放させる方がいいだろう。
 シェゾがキレて暴れない事を祈りつつ、ラグナスは隊長に向かって飛んだ。
 疾風の様な跳躍。
 瞬間、テンプルナイト達は完全に囲っていた目標を揃って見失う。
 まさか思いもしないだろう。
 今目線の位置にいた相手が、天井付近まで飛び上がっていたなどとは。
 鳥の様に飛翔したラグナスは、音もなく空を舞う。
 自分に向かっていたが為、辛うじてその動きに気付いた隊長が「上だ!」と叫ぶ。
 テンプルナイト達が上を見た時、ラグナスは既に扉の前だった。
「お邪魔」
 まるで友人の家から帰るかの様な軽い挨拶を残し、ラグナスはその場から消えた。
 ローブは失ったが、彼を持ってすればこの場から逃げる事は造作ない。
 教会の手の届かぬ場所へ撤退し、改めてシェゾの救出を考える。
 これが今できる最良の策と思われた。
 だが。
「!?」
 疾風と化していたラグナスの足が止まる。
 無論、走れなくなった為。
「……」
 外へと続く通路の先。
 そこにただ無言で立つ真っ白なローブ姿の男。
 距離はまだ三十メートルはある。
 だがラグナスは足を止め、男と互いに仁王立ちとなっていた。
 不思議な静けさだった。
 本来なら、テンプルナイト達が大挙して自分を追いかけて来る筈。
 だが、その姿は愚か靴音一つ聞こえない。
 周囲を見渡すと、壁や天井が今まで居た場所と違い、妙に古めかしい。
 梁は年期を帯びて飴色に染まり、壁はクリーム色に変色、ひび割れも目に付く。
 だがそれは、古いという言葉などでは言い表せぬ、歴史の重みを含む威厳を放っていた。
 まずいか?
 ラグナスの表情が曇る。
 年代を重ねに重ねた建造物。
 テンプルナイトが追わぬ、いや追えぬ場所。
 そして目の前で異様な気を放つ男。
「聖域に何用か」
 生気を感じさせぬ、まるで音が重なり合っているかの様な声が耳に障る。
「聖域、か」
 ラグナスは剣を構える。
「たわけが」
 ラグナスの立っていた床が、突如溶けた蝋の様に歪む。
「!」
 泥に浮かぶ木の葉の上にすら立てるラグナスが、何とも無様に足首まで埋まる。
 続けて周囲の空間が歪みはじめ、手に持つ光の剣が陽炎の様な時空の歪みに引き込まれ、かき消えた。
 その手を放さねば、手首ごと空間に消えていただろう。
「ぐっ…!」
 体の中と外がひっくり返りそうだった。
「まだ意識があるか。たいした鼠だ」
 感情の起伏が微塵もない声。
 声の主はゆっくりとラグナスの元へ近づく。
「ここは聖地。教壇の幹部どもとて、あまつさえ薄汚い侵入者など、例え神の許しあろうとも足を踏み入れる事まかり通らぬ神聖な場所。その罪、身をもって償え」
 いつの間にか男がラグナスの目の前に立っている。
「……」
 苦悶の表情のラグナスが見た、ローブの奥にある男の顔、それはまるで朽ちかけ、崩れかけた蝋人形の様に無表情。
「意識がある事だけでも賞賛に値すると言っておこう。未だ頭働くならば問う。言い残す事はあるか?」
 ラグナスに問われるその声。
 それはやはり、まるで人間の声とは思えなかった。
 ラグナスは骨と肉が引き裂かれそうな苦痛の中で、目を男に向ける。
「ほう。ここまでとは。ここまで耐えた者を見るのは、一体何百年ぶりかのう」
「……」
 ラグナスの口が動いた。
「聞こえぬな」
「…な」
 口が、あえぐ様に動く。
「ふふふ、一体何と言い残したいのやら」
「…いな」
「ん?」
「…すまない、な」
 彫り物の様な光のない瞳が見開かれる。
「何?」
 男は意味が分からなかった。
「気が狂っ…」
 言葉が続かなかった。
 ラグナスの目が鬼神の如く光り、消えた筈の剣がその手に握られている。
 空気すら切り裂く勢いの太刀筋が光の筋を描いた。
 男の首、そして胴体が分かたれたのはそれとほぼ同時だったと、本人は気が付いただろうか。

 
 
 

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