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魔導物語 陰陽 最終話
 
 
 

  陰陽

 目では追えぬ程の早さで、何かが教会内を駆け抜けた。
 古びた扉が破裂する様な勢いで開かれ、疾風が外に飛び出る。
 つむじ風は建物から五キロも離れた位置でやっと止まった。
 陽炎の様に揺らいでいた空気に色が付き、それは瞬きする間もなく黒髪の男、ラグナスへと戻っていった。
 布の多いローブが旋毛に巻かれ、ラグナスに絡みつく。
 ラグナスは剣を仕舞った両の手で一気に布を開き、マントの様に翻す。
 ローブは優雅なラインを描いて元に戻る。
「…まずい、か?」
 ラグナスは苦い顔で頭を掻く。
 振り向くと、教会はもう陽炎に揺らいで幻の様に小さく、淡い存在となっている。
 シェゾに関しては正直たいして心配はしていないが、依頼が頓挫するのは避けたい。
 だが、自分の面は割れた。
 一体どうするか。
 悩んでいたその時、答は向こうからやって来た。
「マジか?」
 教会の上空に、どこから湧いたのかこの時期のこの地域には間違ってもあり得ない暗雲が立ちこめる。
 それは水に垂らした墨の様にじわじわと大きさを増し、勢いをつけながらラグナスへ一直線に向かう。
 円は楕円になり、驚く間もなくナンの様な形となり、ラグナスの頭上までたどり着いてしまった。
「…本気か」
 ラグナスはその身を包み隠していたリネンのローブを脱ぎ捨てる。
 下に着ているのは無論一般の服だが、その手には既に光の剣が握りしめられていた。
 墨で空を塗ったかの様だった雲が、今度は液を垂らす様に下に降りてくる。
 それは程なくして墨色の巨大なドームとなり、教会とラグナスを繋いだ。
 周囲の気温が下がったらしい。
 教会から風が吹き、その風は身を刺す様に冷たい。
 ふと、教会の方から絹を引き裂く様な悲鳴が聞こえた。
 声、いや音だったかも知れない。
 妙に甲高いと言うのに、それでいて女とも男とも付かぬ声だった。
 光の剣を握る手に力がこもる。
 一瞬、彼方に稲妻が光る。
 一時遅れて轟音がラグナスの元へ届き、その衝撃波がラグナスの髪をかきむしる。
 砂を蹴る馬の足音が聞こえてきた。
 砂地だというのに、蹴爪の音がはっきりと聞き取れる。
 騎馬の音は、蹴爪が砂を蹴るたびに増える。
 目視出来る頃、それはおよそ二十騎を数えていた。
 どの馬も例外なく漆黒。
 そして普通の馬と比べ、二回りは大きい。
 顔には棘だらけの仮面が被らされ、首回りにも刃がむき出しの鎧を着せられている。
 そしてそんな馬に乗る騎手はそれ以上に異形だった。
 馬を見てもそうだが、到底教会から来たとは思えぬ容姿。
 黒く、そして流線型ながらも角が鋭く角張った、刃を重ね合わせたかの様な兜。
 身を包む鎧もまた黒く、精巧な作りながらもあちらこちらが変形し、異様な造形が浮き出ている。
 その手に握る剣もまた黒い。
 鋭くも所々が欠け、そして何より巨大だ。
 人など、チーズの様に真っ二つだろう。
 それらをマントで覆ったその姿。
 それはまるで悪魔の騎士だった。
 時折耳に障る悲鳴の様な声。
 障気をまき散らして駈けるその恐るべき姿。
「あれは…ウーライリ(幽鬼)か」
 ラグナスは一直線に近付く騎馬を鋭く睨み付け、構えを固める。
 手強いは手強いが、ウーライリなら、と思ったその時。
 騎馬の後ろから黒い鳥の様な物が飛来してきた。
 赤茶けた皮膚と黄色がかった牙が妙に目に付く。
 それはワイバーン。
 ドラゴンの中では能力的には小物だが、速度に秀でる種族だ。
 …鎧は欲しかったな。
 ラグナスはちょっとだけ支度の時間が欲しかった、と考えた。
 ワイバーンはあっという間に騎馬隊を追い越し、低空飛行でラグナスの頭上を通り過ぎた
「くっ!」
 砂埃が舞い上がり、風圧は砂以外に岩や枯れ枝など様々な物を石つぶての様に飛ばす。
 ラグナスはとっさにシールドを張る。
 障壁による気圧差の為、砂や障害物の直撃は免れる。
 だが、細かな砂が舞い上がり、視界が断たれた。
 同時に砂埃の向こうからファイアーボールが無数に飛来する。
 だが、シールドが張られている事で攻撃は自動的に無効化された。
 ファイアーボールは、真正面に来た物ははじけ飛び、周囲に飛来した物は軌道を逸らして後方に消える。
 突然、砂塵の中から黒い刃が生えた。
 刃は伸び、ラグナスの頭に向かい斜め上から矢の様に迫る。
 ラグナスは神技の様な素早さで光の剣を振り上げ、迫る刃を弾き上げた。
 ラグナスのすぐ側を、黒い馬が通り抜け、舞い上がった砂塵が騎馬の起こした突風に流される。
 先陣を切って飛び出した騎馬の刃だったらしい。
 ラグナスは振り向きざまに光の剣を横一線に凪いだ。
 砂まみれながら、辛うじて視界に見えていた騎士の体。
 それが、胸の当たりから真っ二つに切れ、そして墨の様な黒い障気を吹き出しつつ、上半身のみが馬上から落下した。
 下半身もそれを追う様にして馬の背から滑り落ちる。
 剣など届かぬ距離で、いかなる技を使ったのか。
「一人」
 死のカウントが始まる。

 真っ白で厚手のローブを被った男が一人、手に巨大な本を抱えて歩いていた。
 よく見ると白のローブの下には分厚く、そして黒い布を重ねてある。
 布の下に陽の光は一切透過する事がなく、ローブの奥にある筈の顔は不自然な程に暗い影で輪郭すら見える事は無かった。
 男は教会の中央、ナイトが四人もの数で守る、巨大な扉の前に立つ。
 周囲は十メートル以上の高さの岩壁で遮られ、一角は百メートルを超える長さの壁となっていた。
 途端、ナイトは揃って傅き、何かの装置で扉を音もなく開く。
 扉の中は意外にも建物らしい建物一つ無く、小高い半球状の丘と、その周囲に十本程の高い柱が立っているだけだった。
 男は扉の向こうに消え、再び扉が閉まる。
 中に入った男は丘の前に立つ。
 よく見ると丘には斜めに取り付けた井戸の様な円筒形の岩作りの穴が開いていた。
 男はその、熊でも背を伸ばしたまま入れそうな洞穴へ滑る様に入って行く。
 扉も何もないというのに中に一歩入ると、そこは完全な闇となっていた。
 男は闇の中、崩れかけた階段を下りていく。
 ひたすら地下へと。
 教会の最深部。
 マイルス教創設者の子孫のみが出入りを許される聖域。
 だがそこは教会建造物の遙か地下にあり、モルグより更に下部に作られたその場所に神聖さという威厳は見られなかった。
 どれだけ地下を降りたのだろう。
 錆びた鉄の金具と、錆びに浸食された分厚い観音開きの木の扉がある。
 きしんだ音を立てて中に入るとそこは岩と乾燥煉瓦、そして木組みで作られた広大な三角錐の形をした部屋だった。
 何もない。
 だが、何か異臭がする。
 部屋の中央に、ベッドより巨大な円卓があった。
 円卓の中央には燭台が一つだけ有り、それが唯一、ここは部屋だと認識出来る証拠だった。
 椅子はなく、その高さから見ると立ったままで使うものらしい。
 中央の円卓の上を見上げると、その頂点は闇に紛れ消えていた。
 異様な作りの部屋は角の足りないピラミッドを連想させる。
 部屋の一辺は三十メートルにも及び、高さは最高部で四十メートルを数えた。
 部屋には巨大な円卓が一つだけあるかに見えたが、よく目をこらすと、暗がりに紛れつつ、周囲の壁際には無数の石棺が並んでいた。
 男が中央に進み、本を円卓に置く。
「起きよ。血は充分であろう」
 血。
 異臭は血の臭いだった。
 闇に紛れているが、壁をよく見ると反り返った壁には無数の亀裂の様なスリットがあり、その間を今も赤い物が流れている。
 そしてその流れは、壁際の石棺へと繋がっていた。
 少しの間の静寂。
 その後。
 暗闇から石を擦る重い音が聞こえた。
 音は二つ三つと増え、静かだった部屋の中には石がずれる音が何重にも重なり響いた。
 平坦だった闇に、何かが立ち上がるシルエットが更に濃い闇となって浮かび上がる。
 それは続けてシルエットを増やし、最終的には十三となる。
 全て、石棺から立ち上がった者達だった。
「先祖達よ。よく起きてくれた」
 石棺から起きあがったそれはゆっくりと歩き始め、円卓の側に並ぶ。
 着衣こそ美しく、そして威厳のあるものだった。
 だが、それを着ている者。
 その表情を見ると、皆が皆、まるで干物が人の形をしているかの様な顔だった。
 枯れ木に目鼻の穴を開けただけの様な者もいれば、中には乾きかけの様なミイラを連想させる表情の者もいる。
 共通しているのは、服に付いている紋章。
 天より舞い降り、剣を地に向けて突き立てた姿で描かれた、武装天使の紋章。
 ここはマイルス教創始者マイエルを初めとした直系の子孫が『眠る』場所なのだ。
 空気の流れもなく、太陽の光も差し込まぬ黴くさい石壁と、僅かな明かりのみがオブジェとして認められる部屋。
 中央の巨大な円卓の中心にマイルス教聖典第一巻が置かれている。
 周囲にはぞろぞろと子孫達が並ぶ。
 少しの静けさの後。
「レオンが傷を受けた」
 本を持ってきた男が、砂を吐き出す様な口調で呟いた。
 周囲の者達はざわめく。
「レオンは最も技に長けた者だ」
「誰がその様な…」
「レオンはどうした?」
 男は手をあげて制止する。
「レオンは生きている。今、その愚か者を処罰している最中だ」
 自信に満ちた物言い。
 だが、ざわめきは小さくなりつつも収まる事はなかった。

「二十三!」
 剣が、刃とその持ち主をまとめて斬り捨てる。
 地面には二十三のカウントとほぼ倍数の物体が転がり、それが乗っていた馬も何頭か横たわっていた。
 二、三の型をつけた素振りを行い、未だ空に陣取るワイバーン、そしてその上に乗っている誰かを睨み付ける。
 ラグナスはやや息を上げつつも、自分の体が疲れてはいない事を確認していた。
「全てやられるとは…」
 ワイバーンの上から声が聞こえる。
 人とは思えぬ声。
 まるで、木が折れ、軋んでいるかの様ないやな響きの声だった。
 ワイバーンが初めて地面に降りてきた。
 砂煙が上がるが、最初の様な目つぶしの為ではない。
 その巨体からは想像の難しい静かな着地。
 ラグナスは、ワイバーンの顔の鱗まで見える距離に近付いていた。
 竜の背から、男が降りる。
「お前は…」
 ラグナスはその男に見覚えがあった。
 いや、正確には、その服に見覚えがあった。
「さっき、一番に真っ二つにしたと思ったぜ」
「まったく、無礼な奴だ」
 そう言い、首の辺りを大事そうにさする。
 その男は、教会からラグナスが脱出する際に立ちふさがった男。
 言葉通り、ラグナスが真っ先に首と胴を頒った男だった。
「お前が何者かは知らぬが、我への無礼。そして無礼を働けるその力、許す訳には行かぬ。一族への顔向けも出来なくなるのでな」
「一族…。やはりな。マイエルの子孫か」
「貴様、何を知っている?」
 フードの奥の瞳が妖しく輝いた。
 男は両腰に差された巨大な剣を抜く。
 両の手に持たれた二本の剣。
 その刀身にはびっしりと何かの呪文が刻まれている。
 二太刀の剣が力強く振られ、それだけで周囲に砂埃が起きる。
 ラグナスは光の剣を中段に構えた。

「ならば問題あるまい」
 小さなざわめきの中、誰かが言う。
 その件はそれで仕舞いとなる。
「この本は何だ?」
 誰かが問い、次の議題が始まる。
 本を持ってきた男が口を開いた。
「使う事はあるまいと思っていた結界が発動した」
「この本は…まさか?」
「そう、そのまさかだ」
 男は本を開き、封印のページを開く。
 そこには、肖像画の様に斜に構えたシェゾが細密なペン画で描かれていた。
「闇魔導士…何故ここに?」
 だれもが初めて見る。
 だが、間違えようのないその姿。
「まさか、此度の行動で…」
「いや、闇の魔導士には関係のない事だ」
「だが…」
 複数の言葉が交錯する。
「落ち着け。問題はこれをどうするか、だ」
「このままならば何も問題はない」
「そのまま封印してしまえ」
「闇魔導士…恐ろしや…」
「封印だ」
「本を結界で封じよ」
「封印だ」
 声が揃いかけた。
 その時。
 突如頭上から強力な波動が降り注ぐ。
 男達は圧迫する様なそれに一瞬戦き、そして気付く。
「おおお…」
 三角錐の部屋の頂点から光が差し込んだ。
 あり得ない。
 ここは部屋の頂点といえども、それでも地上から三十メートルは下の筈なのだ。
「おお…」
 誰かが感動の声をあげる。
「おお、おおお…」
 むせび泣く声も聞こえる。
「神祖様…」
「マイエル様の奇跡だ…」
 拡散するスポットライトの様な光の中から、真っ白な剣とそれを持つ黄金色の腕が現れる。
 それはゆっくりと降下を始め、やがて円卓の上部にその姿を現した。
 姿を現したそれ。
 それは、教壇の紋章そっくりな姿の、剣を構えた天使だった。
 皆の頭に声が響く。

 闇の魔導士を消滅させよ。

 闇の魔導士をこの世界から消し去れ。

 闇の魔導士は存在してならぬ。

 天使の体から光の粒子が降り注ぐ。
「分かりました」
「分かりました」
「仰せのままに」
「承知しました」
 幾重もの声が静かに響いた。
「では、この本、我らが最大の魔導力を持って焼き滅ぼそうぞ」
 本を持ってきた男が言う。
 そして。
「メイガス」
 荒々しく名を呼ぶ。
 突如、闇にまみれた空間に尚も暗い穴が開き、そこから滑り落ちる様にしてメイガスが現れた。
 メイガスは受け身も取らずに地面に落ち、うめき声を上げた。
「…く」
 苦しげに立ち上がるメイガス。
 その姿は傷だらけだった。
「現人神と祭り上げられ、いい気になりおる」
 男は吐き捨てる様に言った。
「メイガスよ。我らが力を貴様に託す。それでこの本を消滅させよ。出来たならば、先程闇魔導士ともう一人の鼠が入り込んだ事を黙っていた狼藉は以後不問とする」
「……」
 満身創痍となったメイガスが苦痛に顔をゆがませながら立ち上がる。
「どうした? 聞こえぬか」
「いえ…。分かり、ました…」
「よし」
 男は円卓に置かれた本に手を伸ばそうとその身を屈ませる。
 本を手に取る筈だった。
 だが、男の体が固まる。
「どうした? 早く本を…」
 一人が男の側に寄る。
 そして。
「ひいぃっ!」
 金属が軋む様な悲鳴があがった。
 あり得ない光景を見たから。
 男の胸から喉もとに、透明な剣が突き刺さっていた。
 本から剣が生えている。
 それはじわじわと刀身を伸ばし、串刺しとなった男の体をを押しのけつつ姿を現していた。
 やがて手首が見え、そして腕が見え始めた時。
 男を刺していた剣がとうとう首の後ろに抜けてしまった。
 一体どのような切れ味だと言うのか、剣が抜けたその勢いで、体が崩れ落ちる速度そのままに、刃は差し貫いた場所から首の辺りまで一気に切り裂いてしまった。
胸から喉を割られた男が、血とは言えぬ色の血を吹き出しながら倒れた。
 本から剣を突き出したその手は尚もその姿を現し続ける。
 やがて、とうとう頭が現れ始めた。
 銀の髪に続き、蒼の瞳が現れる。
 闇の世界に光が生まれたかの様に。
 隣にいた男は腰を抜かしそのまま尻餅をつく。
 周囲の男達も皆、畏れ戦いた。
 上空の天使は固まった様に動かず、メイガスもその様子をじっと見詰めていた。
 既に本の大きさを超えているにも拘わらず、まるで二次元と三次元を融合したかの様にスムーズにそれは現れ続けた。
 口が現れ、胸の辺りまで出現した辺り。
 本に封印されていたシェゾの頭が動き、上空の天使を確認する。
 初めてその口が動いた。
「見ぃつけた…」
 狩人の目が輝く。
 次の瞬間、シェゾの体は一気に本から飛び出す。
 僅かに反る様にして飛び出たその体を中で背中向きに回転させ、円卓の上に足から着地する。
 同時に、腰を抜かしていた男の首が落ちた。
「せあっ!」
 怒号の様な息吹が響き、シェゾは円卓を蹴った。
 羽があるかの如くその体は跳躍し、闇夜を優雅に飛翔する。
 闇の剣が、瞬きする間もなく天井からぶら下がる様にしてそびえる天使を頭頂から股間まで、真っ二つに切り裂いた
 瞬間、天使は眩い輝きを更に強め、そしてガラスの様に崩壊しつつ爆散した。
「逃がしたか…」
 ガラス質の物質が霧雨の様に降る中、シェゾは地面に降り立った。
 ちらりと周囲を見渡すと、棒立ちのメイガスと、慌てふためきつつも身動きが取れずにいる、対照的な男達が目に飛び込む。
「僕は…」
 息苦しそうな表情で呆然とするメイガス。
 シェゾはそれを無視して剣を構え、そして疾風と化す。
 メイガスの横を風が通り過ぎる。
 数秒後。
 その場にはシェゾとメイガスの二人のみが存在していた。
 残りは全て、今や物体に過ぎない。
「ったく、このシェゾ様相手とは言え、せめて抵抗のそぶりくらい見せやがれ」
 まるで麦を刈るかの様に抵抗のなかったマイルス教の神祖の祖先達。
 シェゾは逆に不機嫌だった。
「僕は…」
 メイガスはそんな地獄絵図が、まるで無関係の様に呟いた。
 その喉元に、無造作に闇の剣が触れる。
 微かに皮膚に刃が食い込み、血が流れてもメイガスは動かなかった。
「お前の相手は俺じゃない」
「!?」
 焦点の合っていないメイガスの瞳が息を吹き返す。
 メイガスは後方に飛び、同時に剣を異空間から抜いた。
「お、お前は…僕…僕は何をしている? 一体何が起きた!?」
 構えこそ迷いはない。
 だが、彼の頭は混乱の極みだった。
「僕は…何故…何故こんな場所に…」
「少しは記憶が戻ったか?」
 剣を構えもせず、シェゾはやれやれ、と問いかける。
「記憶…」
「光の勇者様の気分はどうだった?」
「光の勇者…僕は…いや、僕はそんな…。僕は…僕はっ!」
 メイガスが叫ぶ。
「堕ちたに過ぎない! 僕は、僕は天使のなり損ないに過ぎないっ!」
 メイガスが剣を床に叩き付けた。
 石に火花が散る。
 繋がった。
 シェゾは確認する。
 メイガスがシェゾに向き直る。
「闇の魔導士! 僕を、僕を殺してくれ! 僕は罪を犯しすぎた! 天に操られ、人を殺め、魔界の者とはいえ、何もしていない者までを殺めた! 僕を…殺してくれ…」
 崩れ落ちるメイガス。
「自殺したらどうだ?」
「出来ない…自分じゃ、自分を滅ぼせないんだ…。灰になってもよみがえる…。だから…」
「断る」
 だがシェゾは意外な言葉を紡ぐ。
 それが目的の筈なのに。
「何故? 僕は確かに神によって様々な能力を付与された体になっている。だから滅ぼ…」
「お前を滅ぼすなんざ仕事の内にも入らないよ。魂の切れっ端も残さず消滅出来る」
「じゃあ…」
「俺の役目じゃない。闇の魔導士の役目じゃないのさ。今回はな」
「え…」
 メイガスは訳が分からない、と呟く。
「真打ちは外にいる。役目はどうあれ、天の戦士ならそれらしく戦え。自殺は出来ないんだろ?」
「……」
 メイガスは天井を仰ぎ見た。
「うおおおぉぉっ!」
 叫び声と共にメイガスが飛び上がり、部屋の頂上を突き破った。
 その瞬間、何処にどう収まっていたのか、鮮血が滝の様に降り注ぐ。
 シェゾはすかさず転移し、部屋は程なくして血と瓦礫、ローブの男達のごった煮のスープと化す。
 天井を突き破り、そのまま地上に出たメイガスはそこでもう一度驚愕する。
 美しかった筈の中庭が、中庭から続く教会が、まるで戦争後の様に崩壊していた。
 瓦礫の間では今もうめき声を上げるナイトや教会の人間が苦しげにもがいている。
 そして、立っている者はと言えばグールの様に姿を変え、生死を問わず人の肉を、血を喰らっていた。
「…!?」
 いきなりグールの首が飛んだ。
「ご苦労だ、シェゾ」
 頭の中に響く様な声にメイガスが驚く。
「もう来たのかよ」
 声の方向にはシェゾ。
 そして今グールが倒れたその場所には、何時の間にか男が一人立っていた。
 雄々しい二本の角。
 魔族であろう事は間違いない。
「これは…」
「こいつが天の者か」
 男の問いにシェゾはまぁな、と頷く。
「わたしはサタン。魔界では一応名の知られた男だ。知っているな?」
「サタン…」
 メイガスは驚いて目を見開く。
 サタンは優雅に、そして時折襲い来るグールを、指一本動かす事無く斬り捨てながらシェゾの元へ歩く。
「これは…復習か!? 僕は言える立場じゃない。でも、でもだからといって、罪のない人々まで…」
 元来の性格なのだろう。
 純粋に悲しみと怒りに染まった声が響く。
「勘違いするな。わたしは結界を解放したに過ぎぬ。手は出しておらぬ」
「結界?」
「この地は、人々の命そのもので成り立っていた。いや、命を絞り出していた、と言うべきか。信者は信仰を厚くするとやがて教会の奥へ集められ、何処へともなく姿を消す。そいつらは、何処へ行ったと思う?」
「…それは」
「何処にも行っていない。ここにいる。ただし、生命エネルギーと、血袋に姿を変えてな」
「!?」
「天の連中はエネルギーを得、ここの連中は血で生きながらえる。血による永遠の命の代償に、天はいつ起こるやも知れぬアーマゲドンに向けて魂とエネルギーの補充を行う」
「ここは天の連中の全自動ブロイラーさ」
 シェゾが付け加える。
「…!?」
 メイガスは顔を青ざめた。
 思い出したのだ。
 自分は長年それに反対してきた。
 そして、とうとう逆にその作業を更に効率よく進める為に、記憶を潰され、そして地上に堕とされたのだ、と。
「それだけなら、良くある話だ。だが、ここの連中は少々度が過ぎた。マイルス教とやらを広める為のデモンストレーションに我が別荘を狙うなどと言う愚行を犯した。まったく、いまいましい…」
 サタンが眉をひそめる。
「この地を警護していた連中は外から来た信者を除いてナイトから神父まで、全ては人の皮を被ったグールに過ぎん。その制御をとっぱらってやった。だから、暴走したのよ。文句があるか?」
「僕は…」
 メイガスがうなだれる。
「お前の相手が外にいる。お前が、まだ心あるならば、そいつの元へ向かえ」
 メイガスはサタンを見る。
「シェゾ、後であいつと城へ来い。報酬を渡す」
「こんなくそ暑い所へ来たんだ。色付けて貰うぞ」
 ある意味、悪魔より恐ろしい笑みでシェゾがにやりと呟く。
「…う、うむ」
 魔界の実力者は頬を引きつらせながら空間に消えた。
 シェゾもきびすを返して立ち去ろうとする。
「ま、待ってくれ!」
 乞う様な声だった。
「言っただろう。お前の相手は外だ」
 シェゾはとうとう振り返りもせずに、瓦礫と化している通路から、視界の外へ消えてしまった。
「……」
 瓦礫と死体の中。
 メイガスは無言だった。

 ラグナスの足下に、ぴくりとも動かなくなったローブの男が横たわっていた。
 少し離れた場所に、ワイバーンも首と胴体を別々にして横臥している。
「……」
 ラグナスは無言で顔を上げる。
 そこに、傷だらけの男がいた。
「教会が燃えている。シェゾか?」
「そんなところだ」
 そこに、憑き物の落ちた様な表情で立つメイガスがいた。
 メイガスはじっとラグナスを見詰める。
 そして。
「そうか、そう言う訳か」
 メイガスは微笑んだ。
「ん?」
「僕は、君と戦わなくてはならない。全身全霊で」
「そうか」
 ラグナスが光の剣を構えた。
「本気の本気でいく。もしも君が死んだら、済まない…」
「気にするな」
 ラグナスは他人事の様に返す。
「お前の気持ちは、分かる」
 メイガスの剣が光る。
 たった今まで二十メートルは離れていた二人の距離が今は0となる。
 金属が響き合う音は一度きり。
「気がするよ」
 ラグナスは続きの言葉を呟いた。
「そうか…」
 ラグナスの足元。
 口から血の泡を吐き、胸の真ん中からも鮮血をあふれさせたメイガスは、それでも心から満足そうに呟いた。
「僕は、君に倒されなければならなかったのか…」
 ラグナスはかがみ込み、メイガスの瞳を見た。
 透明だ。
 何も知らないかの様に澄んだ瞳だった。
「俺の方がよっぽど汚れている」
 メイガスは弱々しくも首を振る。
「みんながみんな…そうじゃないよね。僕の…主は…そうだったけど…でも、君の…」
 口から血が吹き出る。
「ありがとう…。光の勇者」
 メイガスの瞳が閉じられた。
「じゃあな」
 肩を赤く染めたラグナスは立ち上がり、街に向かって歩き出す。
 振り向く事はない。
 用は済んだのだ。
 街に行けば、シェゾが居るだろう。
 彼は何と言うだろうか。
 軽く憎まれ口の一つも叩いてから、そして、冷たい酒の入ったグラスを差し出してくるだろう。
 今のラグナスの最も望む事だ。
 それが、ラグナスの心を癒してくれる。
 シェゾだけが、それを理解してくれる。
 ラグナスは笑って呟いた。
「これじゃ、どっちが陰陽だか」


  陰陽 完

 
 
 

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