魔導物語 陰陽 第一話
月の子供
初めてと言う訳ではないが、自分の領域にいきなり現れられるのにはなかなか慣れるものではない。
サタンはその日の朝、リビングでぼーっと本を読んでいたシェゾの前に霞みたいに現れていきなり命令した。
「仕事がある。手伝え」
「断る」
すっぱり言い切るシェゾ。
サタンもサタンだが、突如空間に現れた相手に対して、しかも魔界の実力者に二の句を継げさせぬ物言いをするシェゾも、掛け値なしに大したものだろう。
「まったく、勤労精神と言うものがないのかこの宿六は…」
「お前の都合の為に動かす筋肉なんざナマズの髭程もない」
「……」
「……」
両者がっぷり四つでにらみ合い、といった感じであった。
「…コンオール(良質の魔導器が出土する、魔界の古い遺跡)から出土した魔導器三つでどうだ?」
得意げな顔のサタン。
大盤振る舞いである。
「五つ」
サタンの頬が美しく引きつる。
「…な、ならその代わり、絶対に手抜きするなよ」
「成立」
味も素っ気もなくシェゾが呟く。
「はぁ…」
サタンは貴重なコレクションが幾つかがらくたに変わるのを、致し方ないとは言えがっくりと肩を落として憂いた。
「で? お前が、んな条件飲むって事はよっぽどな内容か?」
「うむ…少々話しは長くなるが…」
「俺、ちっと本屋に行こうと思っていた。その後、カフェで話せ」
「…ま、いいがな」
その後二人は街に行き、まずは大雑把な事の成り行きを離す事となっていた。
次の日。
場所は魔界。
サタンの城に移る。
「な訳で、まぁ、天の連中とのいざこざなどと言う物は本当に昔っから絶え間ないものなのだ」
「だろうな」
城の一室、そこらの家が五つや六つは余裕で建ち並びそうな程に巨大な図書館で、二人は話していた。
「だが、それでも一応、一線は引いてあった。機能しているかどうかはともかく、戦争にも条約、ルールがあるようにな」
「一応、な」
「だが、それを破った愚か者がいる」
声に怒気が含まれる。
「お前相手にか?」
「だから愚かなのだ。事もあろうに、四大実力者の一人たる私の、この私の、人間界にある別荘の一つが破壊された」
「そりゃ豪気だ」
「ただの阿呆だ」
サタンはいらついた調子で、適当に読んでいた本を棚に放り投げる。
「あの場所は特にお気に入りの場所だった…。四階の広大なテラスから望むエメラルドグリーンの海は、昼はもちろんだが、夕日の時が特に綺麗でな…目の前がオレンジ色の太陽に染められると…思わず…!」
サタンはいきなりシェゾに抱きつく。
「うお!」
「でな、でな、思わずこう、太陽の光に体が焼けるのも構わず…」
更に腕の力を強め、サタンはシェゾを強く包容する。
「こう…で、『死ぬなぁーーーっ!』 とか叫びたくなるくらいっっ! …叫びたくなるくらいに、美しい場所だったのだぁぁぁっ!」
号泣し、涙と鼻水を擦り込みつつ、シェゾに頬擦りする。
「一人で死ねっ!」
シェゾはサタンの顔に手のひらを押しつけ、勢いに任せてエクスプロージョンをぶっこく。
「ふんがっ!」
サタンは顔面から煙を上げつつ、もんどり打って床を転げ回る。
「あああづづづっっ!」
しばらく転げ回った後。
ようやく顔面から噴き出される煙も収まったサタンは、はっと我に返りる。
そして、何事も無かったかの様に優雅に振る舞いつつ、冷静に呟いた。
「と、それくらい美しい風景を望める格別の別荘だったのだ。アルルと行きたかったなぁ…」
澄ました顔で締めるも、顔面は真っ黒。
緑の長髪は飲み屋の提灯のようなアフロなので、その言葉には爪の先程の威厳もない。
「で、そこがぶっ壊された、と」
「その通り」
思い出したサタンは再び眉間にしわを寄せた。
破壊された、と言う屈辱を除けば、新たなる別荘を建てる事も、いくらでも可能だというのに、それでも尚ここまで腹を立てている。
よほどその別荘を気に入っていたのだろう。
「で、昨日も話していた、そのヒーロー様ってのは、どこの何様なんだ?」
「ラグナス」
「……」
「のお仲間だ」
「そうか」
へぇ、と言う顔でそこらの本を読むシェゾ。
「……」
「……」
「おい」
「ん?」
「もう少し動揺するかと思ったが?」
「何に?」
「いや、いい」
「で、そのお仲間ってのは?」
「この町から南の方角にイールと言う小都市がある」
サタンはシェゾの手からひょい、と本を抜き取り、ちゃんと聞け、と顔を寄せる。
「ああ、あそこね。確か、けっこう教会や寺院が多い町だな」
シェゾは無造作にサタンの顔に手を押し当てて距離を取る。
「ほうだ。ほこは都市がけんへふはれた当初からひて、まふ教会を造りはひめ…っていい加減離さんかい!」
サタンはシェゾの手を顔からひっぺはがした。
「続き」
「……」
サタンはこめかみを押さえつつ続きを話す。
「まず教会を造り始めた様な場所だから、言うなれば、宗教の為に作られた都市と言っても良い」
「疲れそうな所だ」
「そこには今、救世主と呼ばれる者が居る」
「『居る』のか?」
少し、シェゾが興味を覚える。
「居るのだ」
サタンは憮然と呟く。
「普通、そう言う御方は非常に有り難く、畏れ多くも見えざる存在、だろ」
「そうだ。信仰の対象は普通見えざる存在を崇めるものだ。その方式が、何よりも布教には都合が良い。自分たちの広げたい都合の良い形に神の姿を変えて、『自分達の』教えを擦り込む事が出来るからな」
「『居る』のか?」
シェゾは面白げに呟いた。
「そうだ。普通がそうだから、現人神の存在は特に珍重される。そ奴に何かしらの『力』さえ備わっていれば、それこそ人々は盲信も盲信、どえらい事になる」
「ふーん」
シェゾは呆れた顔で言う。
「居なくても崇高な存在。居れば居たで畏れ多くも有り難き存在、か。便利だね、宗教って奴は」
シェゾは、所謂人が神と崇める存在の実像を知っているだけに苦笑が止まらない。
「で、そやつ記憶がないらしい」
「記憶?」
「詳しい話はあっちで聞け」
「誰に?」
「現地での、その時の一番新しい情報を聞いた方がいい。お前が会うそいつは、新鮮な情報に詳しいぞ」
「正論だ」
サタンはシェゾの返答にうむ、と頷き、有り難い言葉で送る。
「迷わず行けよ。行けば分かるさ」
「その一歩が道になる」
シェゾは本を閉じ、サタンの屋敷を後にする。
ついでに、前金がわりに倉庫のマジックアイテムをいくつかちょろまかしてから。
少し後、青ざめたメイドからその話を聞いた時のサタンの表情たるや想像に難くない事は、誰が考えても明白な事実であった。
さて、シェゾはその日のうちに支度を整え、翌日の日の出と共に街を目指す。
サタンの話では、十日後にイールで大規模な祭が行われるらしい。
それはその都市で聖教としてあがめられている宗教の開祖の誕生日を祝う日であり、都市の外に出ていた信者も、その日ばかりは親の葬儀の日であろうと息子が危篤であろうと、取る物もとりあえず都市に向かうと言う。
「何だかなぁ」
シェゾは、乾期に水を求めて大移動する動物の群れを何となく思い出していた。
七日後。
シェゾは二日前から足を馬からラクダに替えていた。
イールの都市付近、と言うかその土地一帯は絵に描いた様な砂漠気候であり、不用意に歩を進めればもれなく遭難、しかる後に確実な死を承る事が出来る土地だった。
旅慣れたシェゾですら、最初はこのまま進んだら遭難するかと考えた程である。
事実、道すがらお目に掛かった前衛的オブジェクトには、動物や同族の骨やミイラも含まれていた。
単にダイエットしただけではなく、刀傷のあるものもある、と言うところを見ると、気をつけなければならないのは気候以外にもあるらしい。
逞しいね。
シェゾは厚く巻いたターバンの下ににじむ汗をぬぐいつつ、布の隙間から頭の上の太陽を覗いていた。
「あちぃ」
言うとますます熱くなるが、それでも言わずにはいられない。
「絶対追加報酬払わせる」
シェゾはゆらゆらと波の様に揺れるラクダの背で呟いた。
陽はまだ高い。
これからが日中で最も熱くなる時間帯だった。
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