第八話 Top エピローグ


魔導物語 IZA-SENJOU-E! 最終話




  荒原 午前10時20分
 
「…あいつら、なかなか動かねぇですぜ?」
「やっぱり何かやる気じゃ…」
 シェゾを送り出した頭の後ろで、部下が次々に不審を口にする。
 気の早い者は既に手持ちの武器を構えていた。
「違うって。お前ら、奴らの間のぴりぴりした空気が分かんねぇか? 動けねぇのさ」
「は?」
 確かにその男の言う通り、二人の間には周囲とは密度の違う空気が渦巻いていた。
 
 悪い癖だ…。
 
 ラグナスは、最近意識する様になっている自分の悪癖に内心ため息をつく。
 強い奴を前にすると、つい無条件で剣を交えたくなる。
 理由も、賭けるものもいらない。
 ただ、どちらが強いかを確かめたくなる。
 以前はそんな事無かった。
 むしろ、戦いは嫌っていた。己の力を呪った事すらある。正義など二の次、何故自分が? そう自問自答する事もざらだ。しかも、意志とは関係なく幾多の次元を越えさせられて来たのだから心の拠り所の一つも与えられなかった。
 だが、最近は割と安定している。無くなったとは言わないが無碍な空間移動は少なくなり、何より『この世界』に戻ってくるのが当たり前の様になっている。
 それもこれも、『奴』に会ってからだ。
 ラグナスは勇者としては問題のあるその悪癖には苦笑しつつも、男として、戦士としてはむしろ嬉しくなるその癖に気付かせてくれた彼に感謝すらしていた。
 そういう、人間らしい自分がまだ残っていたと言う事実に喜んでいた。
 しかし。
 今は、その時ではない。
 少なくとも、今彼と戦う事は絶対に良くない。
 なのに、それを分かっている筈の彼、シェゾが闘気剥き出しで自分の前に立っている。
 しかもその闘気は何かヤケと言ってもいいくらいの強さ。
 どうする気だ? 闇の魔導士…。
 ラグナスはお互い相手にばれている素性を考慮する。
 ここまでばれつつも、尚目標を完遂する手だてはあるのだろうか? それとも、目の前の男は、何かの秘策を持っているのか?
 意外に、マメな男だからな…。
 ラグナスはかすかに口元を緩める自分を確認した。
 そして、それと発動は同時だった。
「!」
 二人の空間の間。いや、正確にはその遙か頭上、低めの雲が発生する程度の位置が突如、その名の通りに『裂けた』。
 一瞬、空の一点が輝き、湖面の様に真円の波紋を空気になびかせる。
 そして、波紋がそのまま空間の穴となった。
 ズズズ、と腹の底に響く重苦しい低音をBGMにして、その穴は広がる。
 遙か頭上だというのに、その穴ははっきりと肉眼で確認出来、なおかつそのあなは濁りのない黒、漆黒だった。
 
「…か、頭…?」
「な、なんだぁ? ありゃぁ?」
 両陣営がざわめく。
「ボス、あ、あれも新入りがやっているんですかい…?」
「ちが…違うだろ…ありゃ…」
 誰も答えは解らない。そして、誰もがその穴に全神経を集中させた。
 かろうじて隊列こそ崩さないが、もはや臨戦態勢どころではない。誰もが、己の技量を保身に回すので精一杯だった。
 
「……」
「シェゾ…?」
 そんな中、もっともその穴に近い二人は場違いな程に落ち着いている。
 この轟音の轟く中、大声を出してやっと聞こえる距離だと言うのに、二人は何の事はなく話していた。
「保険が役に立った…」
「保険?」
「ラグナス、巧くやれよ。得意だろ?」
 そう言って頭上を見るシェゾ。
 ラグナスもその視線を追い、それから確認できた事がひとつあった。
「…そうか…しかしよ、いちいち引っかかる言い方しか出来ないのかお前は…」
 勇者の溜息と、それが起きたのは同時。
 空中の穴から、突如閃光と熱線がでたらめに降り注いだ。
 それは、地に這い蹲る者達をあざ笑うかの様に舐め回す。
「うぎゃああ!」
「ひいいっ!」
 歴戦の強者とは思えぬ悲鳴が轟き、周囲はにわかに地獄絵図と化す。
 雷は最初の一秒間で数十発も降り注ぎ、それが止んだ後に周囲はあちこちで野火を起こしていた。
「な…何だ? 何だってんだよ!」
 頭が叫ぶ。
 この状況で尚も何より理解を求めるとはなかなかの肝と言えるだろう。
 そこへ、シェゾがのこのこと戻って来る。
「…おい! おめぇ、こりゃ何の真似だ! 俺らが冗談言わねぇ事くらい…」
「目的は、実はもう一つあった」
 知るか、とばかりにシェゾは淡々と述べる。
「お前達の事は、『ついで』だ」
「…な、何だと…!?」
「今すぐここから逃げ去るか、無駄に戦って犬死にするも自由だぞ」
「だからさっきから何を…!!!」
 言いかけて、頭が目を剥く。
 シェゾの背後、その穴に変化があったのだ。
 穴が、移動した。
 ゆっくりとそれは降り始め、音もなくあっという間に地上から三十メートル程度まで下がってしまった。
 そして、どうでもいいのだがそれにより解った事が一つある。
 『それ』は球体。
 穴ではなく、空間自体を球状に切り取った真円の異空間だった。
 皆はそれに釘付けとなる。
 三メートル程の大きさの漆黒の球に変化が起きる。それが一瞬陽炎のように揺らめき、霧が四散するようにして収縮を始めた。
 音もなく収縮するそれだが、見ている者にとってはまるで何か恐ろしい障気でも撒布されているかの如き不気味さと恐怖を植え付けていた。
 そして、その球体の収縮はやがて内部に何かのシルエットを浮かび上がらせる。
「…!!」
「な、何だありゃ!?」
「う、うわああ…」
 そして、誰かが叫ぶ。
「あ、悪魔だ!」
 悪魔。それはまるで、人の心に生まれながらにして刻み込まれているかの様な恐怖の象徴。DNAにそれを恐れよと組み込まれているのやも知れない絶対の恐怖対象。
 それが宙に仁王立ちで両陣営を睨み付けていた。
 
「…あ、悪魔…」
「そうだ。いわゆる悪魔だ」
 ボスの所へ、いつの間にかラグナスが戻っていた。
「お前…一体これは…」
「この辺には、実は勇者だの闇魔導士だのよりも、よっぽど厄介なのが出るって話は情報に無かったか?」
「…あ、あった。だが、それはそれこそおとぎ話だ…異界の魔物が、出没するなんて…」
 
 次の瞬間、そこにいる全員の耳、いや頭の中に、気が狂いそうになる程威圧的で、おぞましい声が強制的に鳴り響いた。
『ここは我らが主の領域。天上の神と云えども立ち入る事まかり通らぬ。ましてや、貴様ら如きが害意を持ちて入り込むなど、その愚行万死に値する…。
 その言葉にその場の全員が、いや、二名を除いた全員が息を呑む。
「…悪魔」
「悪魔だ…」
「…ひいぃ…」
 もはや、お互いがお互いの相手に対する戦意など持てよう筈が無かった。
 
「…お、おい…本物か?」
「この辺り一帯は、『そういう奴』が出ると言われていてな。俺と奴は、どっちかと言うとそいつをなんとかする為にこうしている」
「あ、悪魔…だろ? 次元を越えて現れる魔物が居るなんて…ほ、本当だったのかよ…」
 
 次元。
 
 悪魔。
 
 この言葉は、シェゾ達のレベルだからこそ普通に受け止めている事実であるが、『一般市民』にはその名の通り絵空事なのだ。
「ちっと奴には借りがある。お前らもそれなりの猛者だと思ったから、うまく扇動して戦わせれば手傷ぐらい負わせられるかと思ってな」
 頭は今こそこぼれそうな程に目を剥いた。
「…てて、てめぇっ! まま…まさか、自分の都合に俺達を巻き込んだってのか! テメェの仕事はどうした!」
「この為に利用した。それだけだ。この国が滅ぼうと俺の知った事か」
 シェゾは涼しい顔で言う。
「……!!!!」
 この男は、自分達を事もあろうに己の都合にのみ利用していたのか? 国の事などどうでもいいのか? しかも、『悪魔』と戦えと言うのか?
「貴様…貴様、貴様こそ悪魔だ!」
 青筋を立てて怒る男に、シェゾは氷の様な微笑で一言返す。
「なんだ、知らなかったか?」
 暗雲と共に、叩きつける様な暴風雨になり始めたのはその言葉と同時だった。。
 
 一方。
「お前…俺達を、そんな事に利用したのか…?」
 ボスがまるでシェゾと頭の会話の再現をしているかの様に立ち振る舞っていた。
「済まない。ここは次元ってやつの本当のゆがみの場でね。とりあえずあいつだけでも何とかしたいとね。君達の力を合わせれば、手傷くらいは負わせられるかな、と」
 ラグナスは顔では済まない、と言う表情で(半ば事実だが)言う。
「国は関係ないんだ。たまたまここに今居るだけだからね。だけど、さっきも言った通りあいつを何とかしないと、君達だけじゃなく、君達の国も『悪魔』に睨まれるよ。そんなことになったら、もう人間同士の戦争所じゃない」
「…巻き込まれたのは、俺達の方かよ…」
 
「あいつには人間に敵も味方もない。ここにいる連中全員が消去対象だ。せいぜい加勢してくれよ」
 シェゾはそういうと疾風の様に消えてしまう。
「……!」
 頭は何か言おうとしたが、ある事象がそれを許さなかった。
 頭上の悪魔が動く。
 骨張った腕を地面に伸ばし、妙に長い指をゆっくり広げて、そして閉じた。
 同時に、その手の真下の地面が唸って裂ける。巨大なそれは、空から見てやっと巨大な手の掻き傷だと解った。
 その衝撃も直接両兵士にダメージを与えたが、追い打ちは容赦がない。
 地割れの如き裂け目に落ちた兵士、もしくは地面と一緒に体を裂かれた兵士達を気遣う暇もなく、次なる恐怖は訪れる。
 裂け目から、無数のいびつな下級悪魔が這い出して来たのだ。
「ぎゃあああっ!」
 今こそ、戦場は正に地獄と化した。
 半ば、虐殺に近い形でやられながらも、力つきたのか飽きたのか、魔物は少しずつ姿を消して行く。無論、兵士達のそれは二乗所ではない。
「…こん、こんな所…来るんじゃなかった…」
「帰る! 帰って傭兵辞める! 親父の農場手伝う!」
 百戦錬磨とそれなりに唄われた兵士達が、役立たずの新兵みたいに泣きながら逃げ始める。そして、誰一人それを戒める者は居ない。全員が同じ気持ちだから。
 生きながらえている者は、方向もバラバラに逃げ始める。
「……」
 そんな中、かろうじて低級の魔物を数匹倒していた両陣営のリーダーは二人を遙か遠くの空に見つけた。
 宙に留まる悪魔に、二人が飛ぶ。
 黒い一閃と白い一閃が交差し、その体を切り裂いたかに見えた。
 しかし、次の瞬間、悪魔は両手にお互いの剣を握り締め、その両手から何か眩い発光現象を起こす。
「うう…!」
 思わずうめき声が出た。ある意味、ここでは最も頼りになる二人が、煙を上げて地面に落下してしまったのだ。
「…駄目だ…。ここは、駄目だ…。こんな所に、手を出しちゃ…」
 まるでその声を聞き取ったかのように、悪魔がまたも声を響かせた。
『貴様らの国、どうして欲しいか言ってみるが良い…。
「! や、止めてくれ! 二度と来ない! 忘れる! 本当だ!」
 心の底からの懇願。
 そして、ほんの一時の間。
『貴様らの領土に印を残した。それを忘れぬのなら、今だけは許そう。
 悪魔はそれだけ言うと下級悪魔もろとも残像も残さず消え去った。
 残るは、人のみである。
「い、生きている奴は聞け! 撤退する! 今すぐだ!」
 そして、両陣営は恐怖とトラウマと外傷を負い、この一帯から姿を消した。
 少しの後、進言の為に城に出向いたリーダーは、そこでまた恐怖する事となる。
 悪魔が残した『印』、それは王の死と、呪いの刻印を刻まれた王妃としてあまりにも無惨にその証を残したのである。
 両国とその諸国周辺には、それ以来言葉を変えつつも変わらぬ内容の普遍の決まり事が生まれる。
『光と闇、この加護に守られた地に近づく事まかり通らぬ』と。
 
 そして皮肉にもそれが契機となり、両国間に和平協定が数世紀ぶりに結ばれたのは、それから少し後の話である。
 
 
 

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