魔導物語 IZA-SENJOU-E! 第七話 午前6時52分 旅人の憩い亭 早朝。 街の朝は早い。 宿場街と言う事もあり、普通より早い時間から街のあちこちで様々な朝食の支度とおぼしき湯気と匂いが立ちこめていた。 ラグナスの泊まる宿でも同じである。 彼は、おそらく暫くはありつけなくなるであろう、まともな朝食を先程から心待ちにしていた。 だが、残念ながらもはや彼に時間の猶予は無い。 少しして運ばれてきたサンドイッチを、彼は飲み込む様にしてたいらげ、昼食用のも受け取ると、まるで弾かれた様にして宿を後にする。 宿屋の娘が外に出た彼を見送っていたが、瞬きしただけでもう、人混みの中に彼は消えていた。 「…お父さん、あの人、あんな忙しい人に見えなかったんだけどな…」 「だな。宿代の釣りも受け取らずに行っちまった」 「今朝のは新作だから、サンドイッチの感想、聞きたかったのに…」 少女は料理に対してと、彼自身に対する名残惜しさを半々に心に留めつつ、他の客に対しての仕事へと戻っていった。 彼女、そして街の人々は知らない。 昨夜、彼が何の事はなく行った事によって、この街は平和を守れたのだと。 昨夜。 「君が倒した男は、実は我々と敵対する勢力の先兵だった。奴は、今夜この街を襲って略奪を行う予定だったのだ」 ベッドに座るラグナスは、どこからか聞こえてくる声と問答していた。 「…あいつ一人でか?」 「人を殺すのは、何も剣や魔導ばかりではない。君は、戦っただろう?」 「そう、か…」 「奴は、致死性の毒を範囲限定で撒き散らす事が出来る。その気になれば、この程度の街など一夜で死体の山に出来るのだ」 「…何故、そこまでする? ただの虐殺じゃないか…」 「力を示すためだ」 「……」 ラグナスは『胸糞』が悪くなった。 「あんたは、それを助ける気だったのか?」 「出来れば、な」 嘘だな。 ラグナスはその白々しさに大声を上げて笑いたかったが、使命感が彼を押さえた。 『やること』さえ無ければ、どこからか声を出して飄々と会話するネゴシエイターもどきなど、一言とて喋らせる事無く地獄にたたき落としているところだ。 「あんた達についていくと、どうなる?」 「たぶん、君が求めているモノを手に入れられるだろう」 「……」 「君の様な力を持つ者が、何故この様な場所に?」 「…田舎には、俺の力を分かる奴が居ないんだよ」 「なら、その力を大陸中に広げたくはないか?」 「どうやって?」 「一緒に来ればいい。栄光は、我々と共に…」 流れる様な口調で喋っていた男の声が途切れた。 「どうした?」 「…待て」 しばしの沈黙。 …ば、馬鹿な…! 神狼の牙を必ず手に入れる必要があるからこそ、万全の為にと氷を行かせたのだ! 奴が…殺された!? だ、だが…喜べ。あの強敵だったポイズンをも倒す男が見つかった。しかも、引き込める。この男ならば、必ず…! …分かった。 急ごう…。 聞こえる者にのみ聞こえる声で話す。 この時の男の声は隠す事無く、驚愕に打ち震えていた。 「すまない。話の腰を折ってしまった」 声に動揺があった。と言っても、読心術に長けるアウルベアでも分かるか分からない程度に押さえたそれだったが。 「君に、打ってつけの仕事がある。来てくれるか?」 「どこに行けばいい?」 まるで空気から湧いたみたいに、ぱさりと紙切れがラグナスの前に落ちた。 「プロになりたいなら、書いてある時刻に、書いてある場所へ来てくれ。それも、君の質に関わる。では、待っている…」 声、気配、共に消えた。 「…少し遠いな」 ラグナスは紙切れを拾い上げる。 そして、ここで初めて表情を見せた。 「透波の情報、確かだな」 ラグナスは、とりあえず一つの惨劇を見ずに済んだ事を喜んだ。 …からだろうか? 別に、この程度の事でそうなるほど青くもない筈だと言うのに。だがたぶん、どこかで緩んだのだろう。 だから、彼は寝坊こいた。 「氷は、多分森の主を狙っていたのだ」 声は砦の中から聞こえる。その部屋は部隊のまとめ役の部屋と見え、急拵えのその場所にしては整っている。 「主?」 こちらも当然一夜が明けていた。 シェゾは、明け方頃に別れを惜しむ狼達の頭を撫で回してから森を離れる。 サービス半分だったのだが、お返しに顔中を舐め回されたのは予想外だった。 別れの遠吠えが、やけに耳に残っていた。 「神狼と呼ばれる巨大な狼だ。見ただろう?」 「…ああ」 彼の目の前には、岩を削りだした様な顔つきの男が剛胆な作りの椅子に鎮座している。 ぱっと見は切り株に座る熊だと言うのにそう思わせないのは、やはり人の上に立つ者としての実力たる雄々しさのせいだろうか。 「あれは、森を守って約八百年ほど生きたという」 「神獣だったのか」 「あれを手なずけるとは思わなかった。君の力、期待する」 「…ああ」 シェゾは、毎度ながらいつもいつも考える。 どうして、こういう奴らは押さえつけるか押さえつけられるかしか頭に思い浮かばないのかね、と。 無論、闇の魔導士たる彼がそういう考えを持っている事自体、闇の魔導士の歴史から見て異端に相応しいのは、闇の剣とルーンが認めるところである。 シェゾに言わせれば、ルーンこそ最たる異端だと言う所であるが。 「でだ、実は手放しでは喜べない」 「あん?」 「情報によると、我らが牽制として放った凄腕の男が一人居るのだが、そいつが殺られたと報告を受けている」 「そうかい」 「彼は、我らの中でも指折りの実力者だった。そいつを倒した者が、敵に加わったらしいと報告があった」 「痛いな」 「だが、君が今ここにいる。殺された男、ポイズンには悪いが、君は氷を倒した。その力、彼に勝らずとも劣らずと言える。いや、強いかも知れない。むしろ、我々は幸運だよ。彼が、命と引き替えに君と巡り合わせてくれたのやも知れん」 「……」 「さぁ、早速働いて貰う。君の力を、我ここにありと広める事が出来るぞ!」 「有り難いね」 シェゾは、まさしく作った様な笑みを浮かべると、何とか一言喋る事が出来た。 何とも体がむず痒い。 今、ここでちょっとだけ力を解放すれば、すべてはきれいさっぱり『消え去る』と言うのに、それが出来ない。やってはいけないのだ。 「……」 自分でも、よくもまぁ我慢強くなったものだと思う。 彼は、もやのかかった頭の中をかき回しながら、一刻も早く予定を実行できる時が来る事を願っていた。 そして、それは当然と言えば当然だが、もう一人の男も全く同じだった。 二人の男が、違う空の下で思うままに行動できないもどかしさに苛々していた。 |