魔導物語 IZA-SENJOU-E! 第六話 午前0時2分 繁華街 この時間、街の繁華街となれば人はまだまだ、いや、むしろ昼よりもその数は多い。 ただ、歩く人間の年齢層が跳ね上がる。それだけが違っている。 そんな中を、ラグナスはするりするりと雑多な人ごみを避けて進む。 大半と比べれば若い部類に入るラグナスである。 ともすれば混沌とした人々のエネルギーに飲み込まれそうになるが、今の彼はそんな雑なエネルギーに干渉されるアンテナを張ってはいなかった。 ラグナスの歩みに迷いは無い。 そこへ向って進むラグナスの足取りは、意気揚揚としていた。 彼が向うのは『戦場』だから。 繁栄した宿場町とは言え、その規模自体は所詮街道に出来る程度のもの。 ラグナスは、程なくして街から出た。 街の灯火を背に受け、彼は対照的に光を吸い込み、黙して語らぬ森を目指す。 そんな静かな森が、どこかで彼に対して拒否反応を示している様な気がするのは気のせいだろうか。 まるで、来るな、来るなと行っている。そんな気がして、ラグナスは自分の自信を確信した。 森と平野に明確な境界は無いが、どこかでラグナスはそれを超えた、と思った。 透明で清々しい空気の生まれる場所たる森にして、ラグナスは違和感を覚えたから。 纏わりつく様な空気。 息苦しさを覚える空気。 ねっとりとした嫌な感覚をラグナスは感じた。 まるでゼリーに突っ込んだみたいだ。 ラグナスはそうイメージする。 そして、それはまるで膜になっていたかの様にラグナスの体はそれを突き抜けた。 もう、違和感は無い。 「……」 ラグナスは深呼吸して姿勢を正す。 そして、流れるような動作で背中から剣を取り出した。 まだ鞘のままだが、それだけでもみすぼらしい鎧に覆われたその姿にして、その剣だけが異様に鋭く存在感を強調していた。 少しでも腕に覚えがあれば、彼に襲い掛かる真似はすまい。 だが、あいにくその相手はそれを知ってなお下がる事の無い相手だった。 黙っていれば美しい夜の森。 それは、どこかで無愛想なあの男を連想させる。 孤独だから美しいのか、美しいから孤独なのか…。 「!」 闇の中から一筋の閃光が襲いくる。 次の瞬間、剣の縁でそれを受け止め、力など殆ど込めることなく、正確にベクトルを送り返す。 熨斗をつけて送り返されたそれは、来た時と同じ軌道で再び闇に身を溶かす。 「今のは…短剣か」 確かにそれは刃物だった。普通なら、向けられた相手が殺されたと気付く前に絶命させる筈だった。 その刃は、ラグナスの首を狙っていた。 存在を感知させたのは僅かな風切り音と、申し訳程度の月明かりに反射したそれこそ点の様な刃の反射だった。 梟だって見えはすまいそれを彼は確かに見て、そして返す。 なんと恐ろしき技量。それは、神技か、魔技か。 「…どこだ?」 だが、望んでいるわけでもないのだが第二波がなかなか来ない。 …なんだ、奴は? いぶかしがるラグナス。 普通、ああいう攻撃をする相手は簡単には引かないものだ。 己の存在を悟られない限りは。 だが、それもその筈である。 攻撃を仕掛けた何者かは、絶対の一撃であった己の攻撃をいともあっさり見切られた事で動けずに居たのだ。 技量の違い。 それは残酷に己の力の限界をさらけ出す。 自分の肩口に突き刺さるそれ。 投げた瞬間に戻ってきたそれはあろう事かその主に深々と突き刺さり、冷酷に彼の敗北を語った。 正確に返したとは分かっているが、まさか相手がそれをよけられないとは思っていなかった。己のレベルの高さは、時として思わぬ誤解を生む。残酷な誤解を。 そしてその刃にはご丁寧に即効性、かつ致死性の毒も塗ってある。 カミソリの様に合わさった刃であった。その隙間には、塗るより遙かに多量の薬が吸い込まれ、かつ、確実に相手にそれをプレゼントする。 彼は少々の耐性を持っていたものの、深々と突き刺さったナイフから染み出たそれの量と濃度は到底、生物に耐えられるものではなかった。 数秒後、肉塊が地面に転がる。 音を聞き、一通りの流れを冷静に悟り、確認したラグナスは特に気にすることもなく街へと帰る。 不快な感覚は消失していた。 「…世の中、色々あるぜ」 彼にとってはこれも日常の一部なのだ。 ただ一筋の嫌な予感を残し、それはいつもの事だった。 ラグナスは、そうだ、夜食を作ってもらおう。何がいいか…。そんな事を考えつつ帰路に就いた。 夜の闇に沈む森はそれだけで一種の異空間を想像させる。 一つとて同じシルエットの無い木々の枝や葉は異質な生物を連想させ、黒いのか青いのか分からない夜の空はそれを包み込む母胎を思わせる。 様々な生物の息吹、鳴き声、挙げ句の果てには嫌でも現実味を失わせる精霊達の光が舞い、その生命エネルギーのたくましさは幻想等と言う生やさしい言葉を否定させる。 そして、そんな森のほぼ中心に彼は寝そべっていた。 周りに、十頭以上の狼を侍らせて。 何してんだ? 俺は…。 彼はそれでも何故か居心地のいいこの空気に抗えなかった。 生来の人より動物が好きという性格が久々に頭角を現したのかもしれない。 どうも、気の合いそうな動物に囲まれると気がゆるむらしい。 シェゾは、って事は奴も俺にとってそうなのか? と失笑した。 笑顔を隠すことはない。 見ているのは月と、こいつらくらいだ。 そして彼は頭の片隅でなぜこうなったのか、その意味は何なのか、を整理し始めた。 世の理に無意味はない。損得こそあれ、何らかの理由はあるのだ。 そして、その理由が気づけ、と言わんばかりに動き出す。 狼すら気づかないその微々たる気配に、彼は顔をしかめた。 「…俺だって夜は寝たいんだがな」 同時刻。 渓谷の中程。 とある急ごしらえの砦。 そこに居るのは、どれもこれも不適な面構えの男達だった。 その数は約百。それは、一つの軍隊だった。 場所は、シェゾの居る森から二十キロほど離れる。 「報告が入りました。例の森に、何やらやっかいな奴が現れた様子です。あの氷が、容易く殺られました」 「…詳しい情報を集めろ」 「は」 「力になればよし。でなければ…」 「面倒になる前に、始末しておきますかい?」 「氷を殺った奴をか? 自惚れるな」 「す、すいません…」 「報告を待つ。いいな」 「へい」 場所は森に戻る。 「なんだかな…」 シェゾは夜空を仰ぎつつ呟く。 具合が悪くて言うのではない。 思いの外、具合が良いので呟いてしまった言葉だった。 自然の中に寝そべり、狼の群と一緒に寝る。 「…悪くねぇ」 シェゾはやれやれ、と言う顔で笑った。 狼達の群には、長老が居た。 ただの狼ではないらしい。その体は、虎と見まごう程のものだった。 長老は、この夜魂を肉体から解放する。 シェゾは、狼達にそれを看取って欲しい、と頼まれたらしかった。 「俺をわざわざ選ぶとはね」 深淵の中、長老を取り囲み、岩の様に黙っていた狼達が突如一斉に遠吠えを始めた。 「…あばよ」 シェゾも深い深い藍色の空を見上げて呟いた。 空に、一筋の何かが旅立ったのだ。 ふと、一匹の狼が長老の抜けた牙をくわえてシェゾに渡す。 「…礼、か」 それを握り、もらったと確認すると狼はふと笑ったような顔をして長老の側に戻る。 それきり、森は数分前と同じ世界に戻る。 しばし、梟の鳴き声と風の音以外に耳を撫でるものはなかった。 が。 「…誰だ」 狼の嗅覚より早く彼が呟く。 狼達は、その声で初めて身を起こした。 「敵ではない、と思う。話がある」 木々の上から気配を感じる。だが、その声はまるで耳元で囁かれているかの様だった。 静かなその声は、確かに第一印象では敵意を感じさせるものではない。 しかし、この様に異様な接触を試みられては素直に応じるものは居まい。 そもそも、敵ではない、と言いつつシェゾの事を恐れている証でもあった。 「で?」 それに対してシェゾは至って普通に返す。 むしろ意外とさえ言える彼の対応に声は戸惑いつつも、その手のプロらしき応対をはじめた。 「我々はある男をマークしていた。だが、その男が殺られた」 声のみで会話は続く。 「誰に?」 「君だよ」 「ああ、さっきの雑魚か?」 「…あの男を、雑魚と言うかね? 君は…」 「雑魚は雑魚だ。それがどうした。邪魔されたんで、俺をどうにかするってのか?」 静かな声だが、その響きには死すら覚悟させる振動がある。 男はどこに居るのか見えもしないのにその身を震わせている、と確信させる声だった。 「…先程も言ったが、敵ではない。むしろ、あの男を倒したというなら、君はある意味同じ敵を相手にしていると言えるのではないかな?」 「……」 「君が、ここに居る理由を聞きたい」 シェゾは、誰にも見えぬ微笑を作った。 「俺のすごさを分かる奴が居ないのさ」 「我々は違うと思う」 闇の向こうで、交渉人がしてやった、と言う顔をした。 少なくとも、今はそう思っていた。 「…田舎には、俺の力を分かる奴が居ないんだよ」 「なら、その力を大陸中に広げたくはないか?」 ラグナスは自分の部屋で誰かと語っていた。 誰もいないその部屋だが、ラグナスが誰かと語り、そして相手もどこかでラグナスを見ていた。 この夜。 二つ、契約が結ばれた。 |