魔導物語 IZA-SENJOU-E! 第五話 午後10時5分 旅人の憩い亭 「成る程ね。バイトがてらの客引き、か」 ラグナスは、宿屋のホールでコーヒーを飲みながら寛いでいた。 「えへ。でも、こんな風に来てくれる旅の人って中々いないんですよ。嬉しい!」 彼のテーブルの前には、昼間のサンドイッチ売りの少女が座っていた。 名はベルと言う。 昼時はサンドイッチ売りのバイト。夜は、宿屋の厨房に立つ。 器量、性格、どれをとっても評判の看板娘だった。 「あのサンドイッチが美味くてね。それで、そんな娘が紹介してくれたならいいかと思ったんだ。それは当たったんだけど、しかも、サンドイッチをまた食べられるとは思わなかったよ。ここに来て良かった」 ラグナスは素直に言う。 「気に入ってくれたんですか? あのサンドイッチ」 ベルは、微かに頬を染めながら聞く。 「ああ」 微笑むラグナスのその顔は、少女の心臓を早めるに十分だった。 「…じゃ、明日の朝は、朝食用にあっさりめのサンドにしますね」 ベルは、身を躍らせながら厨房に戻った。 そんな二人をカウンターから眺めて、主人はそっと笑う。 ラグナスも、ホールから部屋へ戻る。 部屋は質素だが、飽きの来ない造りだった。年季が入っているが、清潔なその空間。 床を見ると、最初に部屋に通された時に放り出した荷物が、その辺に散乱している。 以外に、そういうところはだらしないラグナスだった。 窓を開ける。 その部屋は三階。街並みが眼下に広がり、家々の灯火が美しい夜景となって町を彩る。 耳を澄ますと、向こうの大通りからのざわめきやら犬の吼える声やらが聞こえる。 商売人の掛け声、血の気の多い男の怒鳴り声も聞こえた。 好奇心で耳を傾けると、俺の船が一番獲れる、いや俺の船だと言い合っている様だ。 活気と、生命力に溢れている。 「…いい街だ」 空を見て笑うラグナス。彼の、もう一つの役目を果たす時は近づいていた。 基本的に、動物は強い者に従う。 尊敬ではない。 群れる動物であれば、強い者に従う事が生き残る為の道であり、強者に無理に逆らえば先が無いからだ。 種の保存。そう言えば理解し易い。 そう、強い者に従うのは今言った様に、種を守る為、繁栄の為。 その人に魅力を感じた、惚れた、放って置けない、等の様に、人が人に従う理由の様な感情的なものではない。例え、根本に近いものがあるとしても。 だから、種の違う生物に従うなど普通はありえないのだ。 だが。 「…着いて来るなよ」 シェゾは、狼の群を率いて森を歩いていた。 正確には、彼が今言った様に勝手に着いて来るだけだが。 群は、彼について歩く。 シェゾは無視して歩く。そして、暫くして広い場所に出る。 そこは小高い丘の上で、地平線近くに灯りが見えた。 街だ。 シェゾは助かったと思った。 歩き出そうと歩を進める。 と、ローブが引っ張られる。 「……」 狼の一匹が、ローブの端を噛んでシェゾを見ていた。 他の狼も、一歩引いているがその瞳は同じだった。 「俺は仲間じゃない」 だが、狼達はシェゾの周りでうろうろしている。 一緒に戻って欲しい、とでも言いたげに。 「野生生物が懐くなよ…」 だが、他の狼達も、待て、とでも言いたげにシェゾに向って鳴き始めた。 低く唸られる方がよっぽど扱い易い。だが、今の狼達は軽く鳴きながら、しっぽすら振っている。 「……」 彼は悩む。この状況、どうしたものか、と。 そして何故、振り払えばいいものをそれが出来ないのか、と。 数頭が彼の前に立つ。そして、顔を見上げる。行くな、とでも言いたげに。 「お前ら…」 そこまで来て、シェゾは流石に何か異質なものを感じる。 行かせたくない? シェゾは地平線の方へ目をやり、目的地の街を眺める。 そして、軽く溜息をつく。 …こいつらに付き合うのも、まぁ一興か。 すると、狼たちはそれを悟ったかの様に森へと動き出した。 ふいと、群のリーダーらしき一匹が、来いと言いたげに鳴いた。 「分かったよ」 シェゾは群に付いて、森の中へと姿を消した。 そして、彼と狼を見送ったのは月だけかと思われたが、もう一つ、遠い遠い場所からそれを見送った一つの視線があったとは、然しものシェゾも気付かぬ事実であった。 旅人の憩い亭。 夜半、ラグナスはベッドに突っ伏していた。 夜風は心地よい涼しさを部屋に満たし、街の雑踏も今はむしろ適度なBGMとなり彼の耳を楽しませる。 今のラグナスの姿、それは傍目から見ればベッドに仰向けで大の字になり、脱力しきったその姿だったが、パンツとシャツのみのラフな恰好にしてベッドの脇にある剣の位置は最もそれを握り易く、かつ最速でそれを行える場所にある。 そして、彼の五感も実際はぴりぴりと張り詰めていた。 感じるのだ。 街に流れる張り詰めた『風』の気を。 喇叭の情報は九分九厘正しい。となれば、少なくとも今この街とその界隈に目的となる敵は存在しない。 だが、彼の神経はむしろ警鐘を鳴らしていた。 今、彼の頭の中はベッドで寛いでいる弛緩状態どころか、戦場の真っ只中にある様な状態にある。 今なら、ベッドの下から針が突き出てもそれを避ける事が出来るだろう。 戦士の緊張状態とは、そういうものだ。 「……」 やな夜だぜ。 美味い夕食を平らげた後だけに、尚更嫌な気分だった。 ラグナスはだが、そんな気分とは裏腹に体の高揚を押さえられない。 彼は、そんな自分の体が、好きでもあり恨めしくも思っている。 戦士としての喜びと、勇者としての平和への願い。 その二つの感情が、果てる事の無い葛藤を巡らすから。 「!」 戦士のそれが勝った。 ラグナスは跳び起き、素早く窓に張り付く。 「…来る」 神経がぴりぴりと張り詰め、体の表面に電気が走る様な感覚が流れる。 ラグナス程の男だ。 無論、恐怖感や恐れがあるわけではない。だが、剣があれば刺せば死ぬし、魔法が直接当たれば程度に拠るが充分致命傷になる。 バケモノではない。 他の人よりは強いと言うだけだ。 ラグナスは、戦いを控えた時にはいつもこれを考え、自分を戒める。 確実に勝つ為に。 そして、こんなときはいつも一人の顔が浮かぶ。 奴は、確かに強いは強い。だが、正しい技量的には勝っているといっても自惚れでは無い筈。なのに、奴と剣を交えると良くて引き分け。悪けりゃ負ける。勝つのは稀だ。 本気で殺そうとして戦っている訳じゃないが、それは言い訳だ。 何故だ、とラグナスは思う。 何時しか、自分が戦うのは正義とか平和は二の次で、奴に…と半ば当然の様に考える事が多い。 「……」 ラグナスは、頭を振って考えを一蹴する。 結果は結果だ。 始めなきゃ、分からない。 今は目の前の事を考えろ。 ここを、この街を、守りたいと思うのは本心だ。 ラグナスは、本番前の突発的な出来事とは言え、正式な装備を纏えない自分を呪う。 不恰好な鎧に包まれた自分はまるで道化だと思うから。 そして、彼は心のどこかで自分の存在自体に道化を重ねてしまう事がある。 馬鹿な考え、と思いつつも決して拭えぬその猜疑心。 ある意味、彼の勇者たる正義の意志を支えているのは、ただ金色に輝く鎧の見た目のお陰と言っても良いのだった。 それは今、彼の、シェゾの家に置いてある。 唯一携えているのは、布に巻いて背中に隠している光の剣のみだ。 「…まったく、お前と代わりたいよ」 窓の外、夜空の向こうのどこかに居る仏頂面の無作法者の事を思い浮かべつつ、ラグナスは宿の外に出た。 外に出ると風が無かった。 ラグナスは、まるで知っているかの様に『それ』の屯する場所へと歩みを進める。 |