第三話 Top 第五話


魔導物語 IZA-SENJOU-E! 第四話



  午後8時11分 未見の森
 
 シェゾは、まるで生来そこに住んでいるかの様に馴染んでいた。
 そこは森。
 いや、それは密林と言うべき鬱蒼とした森だった。
 空は見えない。
 針葉樹の鋭い葉から、顔より大きい落葉樹の葉まで、様々な大きさの木々の葉に空は覆われ、今宵は満月だと言うにもかかわらず、新月の夜の様に空気は暗く、重い。
「…出て来いよ。自分の領域のつもりか?」
 それは、誰に対してか。
 何に関してか。
 シェゾは、今もジプシーの様な分厚く、重い布を纏っている。その姿は、まるで太古から森に棲む精霊をイメージさせる。
 そして、その答は動き出した。
 シェゾの耳が、空気の流れによって起きるかすかな悲鳴を捉える。
 それは、彼の頭上から襲い掛かってきた。
 鳥の鳴き声さえ憚られそうな程の静寂を守る森に、鈍重な音が響く。
 シェゾがたった今まで居た位置に、大人より大きな氷塊が落ちてきた。
 クリスタルの様に一点の曇りも無いティアドロップ状のそれは、地面に突き刺さると同時に自重で砕ける。
 そして、それは一秒と間を置かずに、再び飛び退いたシェゾが立つ位置へ落下した。
 しかも、数は二つに増えて。
 尚も飛び退くシェゾの退避位置へ、まるでそれは予見していたかの様に落下する。二つ、三つと数を増やして。
 例え移動する方向が背中であろうとも、退路を誤るシェゾではない。だが、落下する氷塊が五つを超えた時、背中には大木があった。
 ここまで、彼がそれを避けた事は、敵にとってもあながち予想出来なかった事ではない。何故なら、わざわざ魔導による氷塊で攻撃しているのは無意味な事ではないから。
 今、周囲の気温は崩れた氷塊が吹き上げる冷気によって氷点下と化していた。氷の落ちた地面は白く凍っている。
 異常な冷気を吹き出すそれにより相手を凍えさせ、動きを封じる事もその攻撃の目的なのだ。
 そして、今相手は凍えている。少なくともそう思ったであろう敵は、一気に十を超える数の氷塊で死角なくシェゾを襲った。
 これだけの攻撃を避ける相手をただ者ではない、と感じた点は評価できる。
 視界に入ってから一秒と経たずに地面に着弾していた速度も尋常ではない。
 シェゾに、逃げ場など無いと思われた。
 だが。
 シェゾは、その時もうそこに居なかった。
 いや、居たと言うのは嘘だ。
 姿すら見せずに攻撃する相手を、シェゾは既に欺いていた。
 十を越える氷塊が無駄に地面を削り、無駄に静寂を汚す。
 樹齢三百年は下らないであろう大木を、氷塊が自らの崩壊を引き換えにして、無情に叩き折った。
 だが、ここまでしても敵の目標は何一つ達成出来なかった。
 無駄骨。正にそれ。
 闇に舞う漆黒の鳥は一体何処か?
 
「『旅人の憩い亭』、か」
 ラグナスは町の道具屋で携帯食や灯り等の消費物を買い揃えた後に、少女の手渡してくれたメモを見ながらその宿屋に着いた。
 一応、年季の入った宿屋だ。入り口に掲げられた黒ずんだ看板も、それをぶら下げる赤錆の浮いた鉄のアームも古いを通り越してもはや十分な風格となっている。
 古い書体で書かれた看板は、宿自体の風格と相まって歴史を物語る。
 派手さの無い堅実な店構えが、ラグナスは気に入った。
「良さそうだな」
 ラグナスは戸を開けた。
「いらっしゃい」
 カウンターには、ビール腹も逞しい初老の男が立っていた。頭が寂しい変わりに、グレーの顎鬚はなかなか立派だ。やや小さめの丸メガネも、なかなかに知性的だった。
「一晩いいかい?」
 ラグナスは床に荷物を放って聞いた。
「初めてですな。それなのに、こんな奥まった宿屋を、わざわざ選んでくれるとはありがたいですな」
 両手を広げてWelcomeの意思表示。威勢もいい。
「教えてもらったんだ」
 ラグナスは、なんの気なくメモを見せた。
 すると、その字を見て主人はああ、と頷いて笑った。
「ん?」
「じゃあ、あんた多分、ミートサンドも食べなさったでしょう?」
 主人は笑って言う。ややガラガラ声だが、気持ちのいい笑い声だった。
「ミートサンド? ああ、昼間の…なんでそれを?」
「孫の得意料理さ」
 主人は顎鬚をさすりながらもう一度笑った。
 
 無数の木の葉が出鱈目に舞い狂っていた。その疾風は森の木々を揺らし、木の葉の翻弄する様は、背の高い木々を越えて尚、空高く舞い上がっていた。
 竜巻でも爆発による突風でもない。
 男が走っただけだ。
 闇をも切り裂く漆黒の矢が走る。
 そして、木々の間を飛び上がり、森の上に跳びあがった
 月をバックに男のシルエットが浮かびあがる。マントを翻して満月に映えるその姿は溜息が出そうな光景だった。
 実際、見惚れていたのかも知れない。
 銀の髪を輝かせて、ゆったりと落下した先の樹の上にいた敵は、何の抵抗もなく剣を受け取った。
 己の体で。
 数秒後、鈍い落下音が森に響く。
 それきり、森は押し黙った。
「…雑魚じゃないが…」
 シェゾは、落下したそれを見て言う。
 深緑色のローブが捲れた下には、使い込まれた軽量の鎧が装着されていた。主を無くして尚守ろうと淡く揺らぐそれは、おそらく高位の魔法付与がなされているのであろう。
 レベルの差こそあるが、通常の攻撃魔法、そしてある程度は剣や矢等の物質兵器をも無効化するはずの防御魔法が付与された鎧。
 そこらには無い物だ。
 そして、そんな鎧を紙の様に切り裂く剣こそ、そこらには無い。
 シェゾは、闇の剣を仕舞い、その場を後にする。
 敗者に興味はないから。
「…街に、辿り着けるか?」
 森を出た頃にシェゾは呟いた。
 月は真上に出ている。
 これでは、街へ辿り着く頃には空が白んでいるだろう。
 一応、情報は集めておきたい。
 先程の森の中から、狼の遠吠えが幾つか聞こえる。
 敗者に情けはない。
 それを確認した瞬間だった。
 ふと、空を見る。
「…何だよ。森の反対側に出ちまったじゃねえか」
 シェゾは、再び森を彷徨わなければならなかった。
 一度進んだ道はもう迷わない。空を見ずとも、シェゾは正確に街への方角へと向かって歩いていた。
 再び遠吠え。
 ふたつ…みっつ…全部でいつつ。
 シェゾは、確認しただけで別段困る様子もない。
 やがて、見晴らしのいい高台に出た。
 森が一望出来て、遥か彼方には針の先程の大きさだが街の明かりが見えた。
 空気がいい具合に渇いている。
 視界は最高だった。
 そんな空気は、音も良く通す。
「……」
 声より先に、足音が聞こえた。綿の上を歩くかの様に静かなその足。だが、その音を彼は逃さない。
 そして、何より気配がそれを許さない。
 シェゾは、もう一度月を背負って後ろを見た。
 金に輝く瞳が十、シェゾを見詰めていた。
 
 
 

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