第七話 Top エピローグ


魔導物語 The Harvest home 最終話



   The harvest home day
 
 駆け寄りたかった。
 その体を抱きしめたかった。
 だが、それは許されない。
 自分でも、やってはいけない事と分かっている。
 アーナルはパニックを起こしかけた頭で必死に、無意識で飛び出しそうな自分の体を押さえていた。
 目の前に苦悶の表情を浮かべて横たわる男。
 彼は、死すべき男だから。
 そして、横たわる男の前に立つは死神。
「さて、正気は残っていますか?」
 ルーンは先程のアーナルの声などどうでもいい、とエグセルに問う。
「…お前は、倒すべき…悪…」
 その声に抑制はない。
 瞳孔も半ば開き、その瞳には既にルーンが映っているかどうかは怪しげだ。
 アーナルは悲しく、そして情けなかった。
 憧れだった、誇りだった兄の今の姿に面影はない。
 自分の声も聞こえていない。
「……」
 そして同時に、闇さえなければ、ルーンさえいなければ兄は…と、論点を無くした気休めで頭を濁す。
 今、ルーンには手を出さない。
 だが、兄にとどめを刺した後なら…。例え、掠りもしなくとも刃を向けた。
 それだけでも…。
 アーナルは己がテンプルナイトとして決定的に失墜したのを認識しつつ、その考えをやめられなかった。
「エグセル、あなたは死すべきです。いえ、死ななくてはなりません」
 ルーンは言い聞かせる様に言う。
 そして。
「アーナル、見ておきなさい」
「…!」
 アーナルはその言葉に憎悪を燃え上がらせた。
 兄の死を見ろと言うのか、と。
 愚かと言うべき似非光の勇者にさせられた男の最後を、妹に見届けろと言うのか、と。
 涙がこぼれ落ち、その手に握る剣に当たって弾けた。
 次の瞬間。
 ルーンは飛んだ。
 後方に。
「!?」
 アーナルは一瞬何が起きたか分からなかった。
 彼は、剣を突き立てるどころか飛び退いたのだ。
 更に不可思議な現象が続けて起きる。
 彼が、エグセルが立ち上がった。
 まるで糸でつられた人形のように不自然に。
「ふっ!」
 ルーンが初めて気合いを込めた息吹を聞かせた。
 その剣は、先程の一撃など児戯以下と思わしめる速度で飛ぶ。
 目的は首。
 だが。
 剣が到達したと思った瞬間、エグセルの体が陽炎の様に揺らぐ。
「!」
 ルーンはその揺らぎの波に触れた途端、疾風の如き速度のベクトルを正反対にねじ曲げられて吹き飛んだ。
「つっ!」
 ルーンが受け身も取れずに転がる。
 アーナルは呆けた。
 その様はまるで先程の二人の立場を反対にしたのと同じだ。
「…兄さん?」
 一瞬喜んだ自分を恥じつつ、それでもアーナルは今起きた現象を異常だと判断できた。
「兄さん!」
 もう一度叫ぶ。
 エグセルは、返答の代わりに剣からソニックブームを飛ばした。
「!」
 本能的に死を確信した。目を瞑り、死を待つ。それくらい絶対的に自分は殺されたと思った。
 だが、その衝撃は自分の少し前で消滅する。
 目を瞑って尚、その衝撃は眩しかった。
「…外野に刃を向けなくてもいいでしょうに。相変わらず人の事など無視ですか?」
 ルーンの声が聞こえた。
 恐る恐る目を開けると、自分の前に立つルーンの背中が見えた。
 信じられなかった。ついさっきまで、彼はアーナルから四十メートル以上は離れていたのだ。
 そしてもう一つ違和感。
 先程までのルーンとは何か口調が違う。
 まるで、先程までの語り口とは別だ。
 そう、それはまったく他の誰かに語りかけているかの様に。
「…兄さん」
 アーナルはルーンのローブから見え隠れする兄を覗き見る。
「!」
 一瞬、心臓が止まるかと思った。
 そこに立っていた男。
 それは、既に人の形をしていなかったから。
 形相は醜く歪み、不自然に盛り上がった筋肉は、全身から鎧をむしり取る。
 そしてその体は、まるで灰色熊ほども巨大化していた。
 その体の下にはまるで銅で出来ている様な赤茶けた筋肉があり、おぞましい事にいつの間にか両の手が左右で六本に増えている。
 それぞれの手には、元から持っていた剣の他に様々な武器が握られ、それらが妙にスムーズに威嚇を繰り返している。
「…!」
 アーナルは頭をハンマーで殴られた様な衝撃と、同時に強烈に胃からこみ上げる不快感を覚えて必死に耐えた。
 再びルーンが疾風と化す。
 闇の剣は、幅広のツーハンデッドソード特有の重々しさを生かして絶対的一撃を脳天から食らわせようと振りかぶる。
 空気すら切り裂くその一撃。
 振りかぶりから振り下ろしに転じた瞬間、その剣が燃えさかる炎の剣へと一瞬で変化した。燃えている所ではない。太陽でも切り出して剣に据えたようなまばゆさだった。
 そしてそれは、まるで炎のカミソリの如き鋭い火柱となって振り下ろされる。
 だが。
「むっ!」
 その一撃は針金で出来ている見たいな頭の僅か数センチ前で止まる。
 二本の腕が、その手の剣をクロスさせて剣を阻んだのだ。
 だが炎のみはその場に留まらず、滝の様にそれをエグセルに浴びせかけた。
 まるで溶岩の滝でも浴びているかの様に炎に包まれるエグセル。
 そこらの魔物など骨も残らぬ荒技だ。
 アーナルはその瞬間の技、初めて見る攻撃的な技に肝をつぶす。
 と、その炎の固まりがぐにゃりと歪んだ。
 ルーンが舌打ちする。
 
 『遅かった』と。
 
 そしてそれを証明するかの様に炎の中から四つの剣や槍が飛び出し、ルーンの胸に突き刺し、背中まで貫通した。
 その衝撃はそのままルーンを吹き飛ばし、血の軌道を描いてルーンは地面に落ちる。
「くっ!」
 頭から地面に落ちるその瞬間、ルーンは逆立ち状態のままで体をひねり、その剣から円形の衝撃波を飛ばす。
 それが剣から放たれ、周囲の地面を衝撃波で吹き飛ばしながらエグセルに飛ぶ。
「……」
 エグセルは、瞬きする間もなく飛来する衝撃波を再び二本の剣で防御する。
 剣を地面に突き立て、衝撃波を刃で割るみたいにして散らす。
 行き場を失った運動エネルギーがそのまま衝撃となり、巨大な轟音と振動を森に響かせた。
 エグセルが瞳を見開く。
 轟音が響いた瞬間、ルーンは体に四つも穴を開けていながら既に目の前に飛来していたのだ。
 その一撃を、エグセルは避けきれなかった。
 信じられない事にその針金と化した髪がわずかに刃の軌跡をずらしたが、その額を割られて流石によろめく。
「闇めがっ!」
 その口、いや体から怒声が、憎々しげな声が聞こえた気がした。
 衝撃と爆音で視覚も聴覚も奪われたアーナルにもそれははっきりと聞こえた。
 その声にアーナルは背筋を凍らせる。
 声と同時に、ルーンはどの様な技をかけられたかも分からず吹っ飛ぶ。
「うおっ!」
 巨木にしこたま背中を打ち付けたルーンがたまらず声を漏らし、その手から闇の剣を取り落とした。
『主よ!
 闇の剣が叫ぶ。
 その声と、飛来した槍がルーンの腹を貫通するのは同時だった。
「ぐっ!」
 それは背骨こそずれたが、切っ先を三十センチも背中から貫通させてルーンを木に縫いつける。
 ルーンの体は地上から六メートルに固定され、その真下に闇の剣が落ちて、刺さる。
 流石にその顔に苦悶の表情が浮かぶ。
 無論、その状態でそれが出来る事自体驚異だが。
「…ル、ルーン!」
 アーナルが思わず叫ぶ。
 そこへ、エグセルはゆらりと体を揺らしながら近寄った。
「やめて! 兄さん! やめてっ!」
 アーナルは泣きながら叫んだ。
「…無駄ですよ」
 頭上から声が聞こえる。
 アーナルはその声に心臓が止まりそうになった。
「ルーン…」
 ばくばくした心臓で上を向く。
 そこには、確かに今も大木に縫いつけられたままのルーンがいた。
「『彼』は既に死んでいます」
 言い聞かせる様なその言葉。
「…!」
 アーナルは絶句する。
 元より、あのような異形の姿を見れば生き死にの問題など吹き飛ぶが、それでも声ではっきりと言われるとその現実は重い。
「やはり、『あいつら』にも改造されていましたね…。正直、まずいですよ」
「か…改造って…元から…」
「更に、です。…おぉっ!」
 そう言いかけた時、ルーンの首めがけて光の刃が飛んだ。
 ルーンが両手をかざして障壁を張るも、その衝撃は樹齢五百年を超える巨木をめきめきと傾かせた。
 今の一撃でルーンの両腕は大変な火傷を負っている。
 あまりにも圧倒的な力だった。
 エグセルだったものはずるりずるりとその体をルーンに近づかせる。
「…約束したんですがねぇ…」
 口惜しい、と言う表情ながらその口調はあまりにもあっさりしている。
 アーナルはこの様な状況で尚本当に本気を出しているのか? と疑いたくなった。
「アーナル、逃げた方がいいですよ? 『兄』の最後は見たでしょう」
「…た、倒すのだろう? 兄を倒すのだろう! お前は! 死んでしまう様な事を言うなっ!」
 アーナルは震える足を叩きつけて立った。
「いえ、イレギュラーです。相手が、悪いですね。流石にあれが相手では…」
「あれ…? あれって何よ!」
 アーナルが訳が分からない、と泣く。
 後ろからは、吐き気を催す様な姿となった兄が迫る。
 その兄だったものに対して、アーナルは半狂乱で剣を向けた。
 信じられないのだ。それが人だとは。自分の兄だったとは。
 地獄の悪鬼ですら、あんな惨いことを人に出来るのか?
 アーナルは混乱し、絶望し、泣く。
「……」
 だが、そんな彼女に対してすらそれは無感情。
「まずい…」
 ルーンは初めて真面目に苦い顔をした。
 そんなアーナルに対して、エグセルだったものは何の躊躇もなく光の矢を飛ばした。
「!」
 アーナルはその圧倒的な一撃に足をすくませ、目を瞑った。
 
「よくないぞ!」
 
 その声と、アーナルの前に岩の様な障壁が現れたのは同時だった。
 光の矢は爆煙を撒き散らして周囲を灰色の世界と化す。
「うっ!」
 アーナルは凄まじい爆煙と衝撃、轟音にひっくり返った。
 そして、今聞こえた声は何か、と必死に気を保とうとする。
 だが、その気力とは反対に意識は朦朧とし、視界もぐんぐんと闇に包まれる。
 そんな中。
「借り、になりますか?」
 いつの間にかその槍を体から抜いたルーンが土煙の中に立っていた。
 手には闇の剣。
 そしてその問いかけはやや上空を向いている。
「これはむしろ私と天界の連中の問題となるだろう。今回は奴らの分が悪い。だから、助けてやるのだ」
 声は上空から聞こえた。
「…こんな簡単にやられる様な奴に、そんな気を遣わなくてもいいと思いますがねぇ」
「貴様ではない。貴様の存在が大切なのだ。一撃でやられてしまえば遅かったかもしれんが、やはりしぶといな」
『だからこそ、主はその資格があるのだ。受け継ぐ資格も、受け渡す資格もな。
 闇の剣が重々しく言う。
「ふん、面倒な奴よ」
「ま、でもお陰で、助かったというところですか。サタン」
 ルーンは姿も見えぬ男の名を呼んだ。
 サタン、と。
「奴らの気は遮断した。後はお前やれ」
 気配は消えた。
「せっかちですねぇ。お礼も言えやしませんよ」
 そしてルーンは改めて剣を構える。
「さて、人間だった者よ。あなたは一応本当の意味で『光の勇者』になれました。思い残す事は無いでしょう」
「…ルーン…」
 目の前の男。
 エグセルはいつの間にかその姿を元に戻していた。
 だが、先程までの凄まじい気は感じられない。
「…感謝する」
 エグセルがその瞳を閉じた。
 ルーンは闇の剣を静かに振る。
 次の瞬間、造られた光の勇者はその存在をこの世から消滅させていた。
「……」
 少し離れた場所。
 辛うじて意識を保ったアーナルは、一部始終を知る。
「神が…そんな…」
 アーナルは自分の中で何かが跡形もなく崩れるのを感じた。
「さぁ、帰りますよ。お仕事は終わりです」
 たった今までの地獄絵図が嘘みたいな声で、ルーンの声は静かに彼女の耳に響く。
 それの声は、アーナルの瞳からとめどなく涙をこぼさせ続けた。
 
 


第七話 Top エピローグ