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魔導物語 The Harvest home 第七話



  Alluring every day
 
「…!?」
 アーナルは心底その言葉に驚いた。
 この男、神聖魔導教会が総力を挙げて倒そうという似非光の勇者よりも、収穫祭の方が大切だというのか。
 それに、これだけの月日をかけても居場所すら満足につかめないそれを、一週間足らずで終わらせようと言うのか、と。
 彼女は、怒りよりも呆れよりも、次元の違うその思考に初めて、人外の男なのだという恐怖を覚えた。
 だが、何故だろう。
 何故、この男はこんなに楽しそうに笑えるのだろう。
 アーナルは心のどこかで、そんな男と一時でも旅する事が出来る自分に、何かしらの前向きな思考を覚えはじめていた。
「さて、アーナル。早速役に立って貰いますよ」
「な、何をだ?」
「次の街が最後に勇者様が確認された街です。そこの教会に行っていただき、その後の情報を何でもいいので集めて欲しいのです。ゴシップでも噂でもなんでも結構ですから」
「おかしな情報は混乱を招くだけだ」
 何でもいい、と言う注文に対し、アーナルは正論の筈である考えで反論する。
「いえいえ、今はそれが必要なのです。まともに見つけられない相手には、まともではない情報もそれなりに意味を持つのです。お願いしましたよ」
「……」
 それこそ反論の余地はなかった。
 街に着いてからルーンは宿を取り、アーナルは教会へと向かう。
 一時間ほどかかる、と言い残して彼女は出かけた。
 ルーンはベッドに腰掛けると、鍔広のツーハンデッドソード、闇の剣を取り出してなんとなく磨き始める。
『主よ。
「はい?」
『仕事とは言え、光に組みする連中の言いなりか?
「言いなりとは酷いですねぇ。利害が一致したからこうしているだけですよ」
『それだけではあるまい。
「ま、そうなんですけどね。個人的な事です。お気になさらず…」
『主の事は誠、未だによく分からぬ…。
「そうですか? サタンとか、もっと偏屈な奴も居ますよ?」
『…五十歩百歩と言う言葉を知っているか?
 呆れたような、感心した様な言葉を残して、それきり会話は途絶えた。
 少しの後、アーナルが戻ってきた。
 幸い、各教会にも通達は徹底されており、情報の強化がスムーズに行われていた。
 お陰で比較的新しい情報が入っており、それはエグセルの居場所を特定するのに有効だった。
「どうやら、彼はこの街から見えるあの森に潜んでいる、と見て良さそうですね」
 あの森。
 ルーン達が取った宿からは、町外れからそのまま遠くの山脈まで、まるで緑の絨毯みたいに続く森があった。
 面積で言えば、そこらの街が三つ四つ平気で入ってしまうその規模だ。
「…自分が持ってきた情報で言うのも何だが、そんな情報で見つけられるのか?」
「見つけますよ」
 ルーンはさも当然、と言った。
 アーナルは不思議だった。
 何故、普通ならいい加減な、と鼻で笑う様な言動なのに、こうも信じられるのだろう、と考えてしまう。
 そして、同時に不安がのしかかる。
 見つかるのだろうか、見つかってしまうのだろうか、と。
「出かけます」
 その言葉にアーナルはハッとする。
「どこへ…」
「彼の元へ、ですよ」
 ルーンはその身一つで出かける。
 何も携帯しない。
「…分かった」
 二人は町へ出る。
「今日は、まぁ試しと言うところですかね」
「試し?」
 ルーンは言う。
 彼が感知し易いであろう波動を撒く。
 それで来れば良し。
 来なくても、その波動は留まるのでいずれは来る、と。
「無論、それにかかれば私には分かります。多分、間違いなく来るでしょう」
「何故?」
「彼は、私に恨みがありますからねぇ」
「…そう、か」
 アーナルは何故かその理由を聞きたいとは思えなかった。
 
 さて、つつがなく結界を張り、二人は街へと戻る。
 その処置はあまりにもあっさりとしていたので、アーナルの方が大丈夫か? と心配する程だった。
 ルーンはそれを感じられなかったアーナルにちょっと安心する。
 『それ』とは、例の症状に犯された者が敏感に察知できるものだったから。
 街のカフェ。
 ルーンは、何の気は無しに、楽しみにしている収穫祭の事で談笑していた。
「…で、そこのフィッシュアンドフライは実に美味でしてね。私、絶対に食べる事にしているんですよ」
 芯から楽しそうに笑うルーン。
「…そうか」
 アーナルは、ここ数日の彼の行動、言動がどうにも信じられなかった。
 あまりにも自分の知る闇の魔導士とはかけ離れているから。
 夜半。
 アーナルは別室で考えていた。
 今回の事件、そして行動について。
 自分は出来るのか、と。
 センターの命は絶対である。
 何より、エグセルの行動は言わずもがな万死に値する。
 例え被害者の一人ではあるとしても。
 だが…。
 彼女は、誰もいないのをいい事に、声を押し殺してそっと泣いた。
「…私は、出来るの…? 黙って、殺されるのを…見て…いられ…」
 その涙は月夜に輝く。
 
 二日が過ぎた。
 教会からの新しい情報もなければ、ルーンも特に動きを見せない。
 流石に不安になったアーナルの心情を察したかのように、朝食の席でルーンは言う。
「静かですね。出来れば、このまま何事もなければ一番いいのですが」
「…そんな事、本気で思ってるのか?」
 それは、心の奥底でそっと彼女が思っている事だ。
 自分が弱音を吐くならまだしも、当のルーンが口に出すなど流石にぎょっとした。
「思うくらいはいいでしょう。多分、それはないのですから」
「……」
 その通り。
 目的である似非の勇者、エグセルには万に一つも生きる道は無いのだ。
 アーナルは、彼の言葉でむしろそれを改めて思い知らされる。
 ふと、ルーンが食事の手を止めた。
 やんわりと微笑んでいた口元が急に感情を失う。
「……」
 アーナルはそれだけで背筋を凍らせる。
「仕事です」
 軽く口を拭くと、ルーンは立ち上がった。
 静かな、優しげとすら言えるその物言い。
 だがそれは、エグセルよりもむしろ自分にとっての死刑宣告に聞こえた。
 
 場所は森に移る。
 ルーンは結界の張ってある場所を確認し、更に詳細に場所を詮索する。
「…ふむ」
 ルーンがかすかに眉をしかめる。
「……」
 アーナルは何故か問えなかった。
「いえ、どうもおかしいんですよ。彼の動き…と言うか反応が…」
 心を見透かされたかの様な言葉にアーナルは驚く。
「…どういう意味だ」
 辛うじて問い直す。
「結界内に居たらしいんです。らしいんですが…うーん…。これも弊害ってやつですかね? どうも腑に落ちない…。妙なノイズが混じっているんですよ」
 今までとは違う悩み方。
 アーナルはそんな彼を見て、そんな表情もするのか、と妙なところで感心していた。
「ま、考えても仕方ありません。行きましょう」
 彼は進み始める。
 と、その途端に彼らの周りで強烈な気が渦巻き始める。
「既にお待ちかねでしたか」
 ルーンがいつの間にか闇の剣を構えていた。
 アーナルも、周囲を渦巻く気の禍々しさに急激な頭痛を覚えた。
 ルーキーとは言え、それの区別を感じる程度のセンスは持ち合わせている様だ。
 不意に、ルーンがアーナルを突き飛ばした。
 次の瞬間、彼女が立っていたその場には、かまいたちみたいな気が飛来する。
 それは土を砂みたいにえぐり、破裂させた。
 そこらのエクスプロージョンでもこうはならないであろう強力な爆発。
「うっ!」
 受け身を取る暇もなく彼女はもんどり打って倒れ、その場から少し離れる。
 頭を上げた時、ルーンとその疾風は既に数十メートルも離れて走っていた。
「ルーン!」
 アーナルが叫ぶ。
「彼との決着にあなたは邪魔です。終わるまで引っ込んでいてください」
 かろうじて、アーナルの耳にそう声を残してルーンは消えた。
「…そんな…」
 その通りだ。
 アーナルは初めて情けない声を出した。
 
 森を、金属のぶつかり合う様な乾いた音が流れて響く。
 まるで疾風が音を鳴らしながら駆け抜けているみたいだった。
 ふと、金色の風から放電が起こり、白の疾風を包んだ。
 ばちん、と白の風が弾け、やっとその姿を残像無しで地に留める。
 少し離れた位置で金の風も実体を現した。
「りゃあっ!」
 黄金の剣が弾いたみたいな速度でルーンの脳天に襲いかかる。
 そのかけ声は、力強くもどこか不安定。
「むぅっ!」
 ルーンはその刃を横に受け止めた。
 ゴォン、と重々しい衝撃音が鳴り響き、合わさった刃から美しい火花が散る。
「強くなったものですね」
「貴様を…殺す」
「やってみなさい」
 ばん、と剣が弾けて二人は飛び退きながら離れる。
 エグセルは、その足が地に着く前に剣から眩い白の閃光を放つ。
 同時に、ルーンも青みかがった極太の雷撃みたいなエネルギーを放った。
 二つのエネルギーが寸分違わぬ直線でぶつかり合い、そのベクトルを全て衝撃に変換させる。
 それはエネルギーを倍加させて爆発した。
 森に隕石でも落ちたみたいな衝撃音が響き、周囲は勿論遙か遠くの鳥までもが一斉に飛び立つ。
「…これは、あの二人が…?」
 揺れた地面に足をもたつかせたアーナルが信じられない、と呟く。
 人外の力を持つ者同士とは言え、人が二人で出来る事とは思えないその衝撃。
 アーナルは足を速めた。
「闇よ! 消え去れ!」
 その言葉にもはや意味はない。
 かけ声代わりに言っている様なものだ。
 黄金の鎧を、今や傷と土塊、乾いて赤黒く変色した血痕で染めたそれは、凄惨の一言に尽きる。
 剣が唸り、その刃からは気の波動があふれ出た。
 只でさえ尋常ではない剣筋にそれが加わる事で、その一撃一撃は何かに当たる毎に破壊を巻き起こす。
 二人の周囲には、既にまともに立っている木々も無ければ平坦な地面もない。
 破裂した地面はくすぶり、無惨にへし折られた大木が屍の如く焦げた匂いをさせながら散乱していた。
 その恐るべき一撃が害をなさないのは、ルーンがそれを受け止めた時だけ。
 微塵もエネルギーの消耗を見せずにこれだけの攻撃を繰り返すその体力と精神力。
 ドーピング付きとは言え、それ自体には感心するルーンだった。
 だが。
 ルーンがそろそろか、と受け身から攻撃に転身し始める。
 いなし、受け止めるだけだったそれから一転し、いなし、そのまま己の剣をエグセルに襲わせ始める。
「!」
 突然の拮抗の崩れにエグセルは戸惑う。
 自らの攻撃はいなされ続けているにも関わらず、ルーンの刃は確実に自分を押し始めているのだ。
 攻撃の切り口を変えるもそれは変わらない。
 無駄です。
 ルーンが剣筋からそう語っている。
 エグセルのそれは、既に見切られていた。
 魔導も剣術も、人が繰り出す以上性質も癖もある。
 それを見切る事はそのまま圧倒的有利へと繋がるのだ。
 パワーで押していたそれも、圧倒的な技術の前には障壁とはなり得ない。
「くぅっ!」
 エグセルが初めて苦悶の声を上げた。
 狂気の瞳に曇りが生まれる。
「貰います」
 僅かな心情のぐらつき。
 それをルーンは見逃さない。
 ルーンは初めてパワーで剣を振る。
 元より幅広の闇の剣である。単純に質量で押せばその破壊力は絶大だ。
 勇者の腹に、鉛みたいに重々しい衝撃が横殴りで叩きつけられた。
「!」
 瞬間、鎧が破裂したみたいな火花を散らして発光した。
 その体が小石みたいに吹っ飛び、十メートルも飛んでから大木にまともにぶつかった。
 幹がみしりと音を立て、衝撃を与えたそれを邪魔だ、と蹴落とす。
 一瞬の停滞もなくその体は地面に転がった。
「…く…お…」
 エグセルは血の泡を吐いて仰向けに横たわった。
 剣の当たった鎧、その脇腹の部分が焼けこげ、一部は炭化していた。
「頑張った方ですね」
 ルーンはゆっくりとその剣を彼に向ける。
 それは、死の宣告。
 その時。
 エグセルの目がルーンの少し後ろを見た。
 ルーンは初めてその瞳に感情を見た気がする。
 その瞳の先。
 ルーンの遙か後方にそれは立っていた。
「……」
 エグセルはその視線を外せなかった。
 今目の前に死神が立っていると言うのに。
 その鎌が己を見据えていると言うのに。
 今の一撃で満身創痍となったエグセルを見て、そこに立っていた者は無意識に叫ぶ。
「…兄さん!」
 その声はアーナル。
 悲痛な声が森に木霊した。
 
 
 

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