魔導物語 The Harvest home 第一話 Graceful every day 朝は誰であろうと分け隔て無く、新鮮で真新しい陽の光を降り注いでくれる。 もっともそれは、その光が届く場所に対象が居る場合、の話だが。 その日の朝、彼はいつも通りに目を覚ました。 陽の光に起こされたのではない。 単なる体内時計の働きに因る生理現象だ。 場所は地下遺跡と思わしき、岩壁も半ば朽ちかけた洞窟の奥深く。 彼は、形ばかりのベッドから身を起こし、うん、と背伸びして首をならした。 『…気付いているか? 起きがけの彼に語りかけるは声にあらざる声。 「ええ、勿論。何なんでしょうねぇ? こうして静かに暮らしていると言うのに、不躾な連中もいるものですよ」 そう言って彼、ルーンはやんわりと優しげに、しかしどこか凄惨な笑みを浮かべる。 それは、その後に起きるのは悲劇以外にあり得ない、と確信させるに十分な氷の笑み。 「さぁ、久々に出番ですよ。楽しみましょう。…まぁ、楽しめる程の力量を持つ連中が来たのならば、ですがね」 ルーンはくすくすと無邪気に笑う。 だが、その手に持つ闇の剣に写るその笑みは、まごう事なき闇魔導士のそれだった。 小一時間後。 いずこかの国から派遣された闇の魔導士討伐一個小隊はあえなく壊滅する事となる。 壊滅を本部に伝える者すら残さない。 それを知る術は、だれも戻らないと言う結果のみでしかないのだ。 亡骸すら見つからずに帰らぬ者となる兵士や魔導士達。 それは、死亡の確認どころかそもそも遭ったのかすら確認出来ない為、尚の事残された者の恐怖を増幅させた。 この様にして、彼の根城となるこの洞窟は誰であろうともその懐に飛び込んだ人々を決して帰す事はない。 それを知る人は、いつしかその洞穴をこう呼ぶ様になる。 『奈落の穴』と。 時はそれから二年余りの歳月を重ねる。 「さて、そろそろここも潮時ですかねぇ」 『今頃言うか、主よ…。 闇の剣が、その身を異次元に収めたままで問う。 「物事にはそれ相応の時期があります。それが来たと言うだけですよ」 彼は実に楽しそうに語る。 「まぁ、流石に半年も人を見ないので人恋しくなった、と言うところでしょうか?」 『腹が減った、の間違いではないのか? 「ははは。あなたも言いますねぇ。では、どこへ行きましょうか?」 奈落の穴と呼ばれる彼の住居。 この周囲一体にここ半年足を踏み入れた者は居ない。 いや、居なかった。 「おや」 ルーンはぴくりと眉をひそめる。 「これは珍しい。お客様だ」 『主よ…これは…? 闇の剣が珍しく声に感情の色を含ませる。 「ええ…ですよ、ね。分かってますよ」 ルーンも同じだ。 平坦だった声に、わずかに起伏が生まれる。 それは、何かの始まりを意味する狼煙。 奈落の穴から二キロ先。 やや傾斜した草原が広がるその荒れ地。 そこに、一人の男が近づいていた。 「ここが、そうなのか…?」 男は大地を踏みしめつつ周囲を見渡す。 見た感じはまだ二十歳そこそこの青年。 そしてその体は、紺色のアンダーウェアの上に金色の派手な鎧で身を固めている。その手に持つ剣もゴージャスな金と銀、そして蒼の装飾に輝いていた。 その額には、これまた金色のサークレット。艶やかな黒髪に金が栄える。 ぱっと身では、まるでまともに戦闘が出来る格好には見えない。色にしても装飾にしても派手すぎるのだ。普通に見たら、舞台衣装と思われるのが良いところだろう。 だが、見る者が見れば解る。 その内に秘めたる奥深い力の鼓動を。 その瞳に秘められた確固たる意志を。 そして、それだけの気配は当然彼、ルーンにも感じられる事となる。 「こんにちは」 「!…」 その男は、突如現れたかに見えた。 目の前、二十メートル程の距離にその男は立っていた。 雪の様に白いローブに身を包んだ銀髪の男が、その場に立っていた。 「ここはとてもとても危険な場所。何のご用ですか?」 「……」 金の鎧の男は岩の様に固まりながら、その男を見据えた。 「お前が…闇の魔導士、か?」 「不躾な人だ。名乗りもせずに問い、しかもその言葉遣い。やれやれ、ですねぇ」 ルーンはまるで子供を優しく宥め賺すかの様にゆっくりと語る。 調子を狂わせたのは金の男だ。 正直、虎の巣穴に飛び込む気持ちで出向いて来ていたのだが、最初からあまりにも緊張感がない。 あまつさえ、自分の言葉遣いを窘められる始末である。 「…す、済まない」 そして事もあろうに自分の口から詫びの言葉が出てしまう。 「っ…!」 男は言って一呼吸もしてから、やっとそれに驚いた。 「では、聞きましょう。貴方は、何処のどなたですか?」 ルーンが問う。 だが、それは拒否を許さぬ威厳に満ちていた。 「俺は…」 金の男は覚悟を決めてゆっくりと語る。 「お前の…『天敵』だ」 次の瞬間、二人がその場から消えた。 いや、正確には恐ろしい程の加速で移動し、その位置を変えたのだ。 お互いがお互いの真っ正面に向かって。 恐らく、二人の空間の丁度真ん中当たりで二人はかち合ったのだろう。 その姿は見えないのに、空気だけが極端に圧縮されたあおりを食らい、ばん、と爆発したみたいな大きな音を立てた。 動いて衝撃波を起こすとは、何とも出鱈目な行動である。 だが、それは起こった。地面の草が悲しく宙を舞う。 二人は等の昔にその場には居ない。 二人は今、背中を向け合って優に百メートルは離れていた。 まるで、最初からその場にいるかの如く。 「…ほぉ。『本物』ですか?」 「お前も…なんだな?」 二人は確認した。 お互い、実に久し振りなのだ。 刃を出して、それを受ける者と出会うなど。 「あなたは、どこから依頼を受けたのですか?」 ルーンが背を向けたままで問う。 「依頼など…。俺は、俺の意志でお前を、闇の魔導士を倒しに来た!」 金の男はそう言って鋭く振り返る。 その瞳は揺らぎのない信念に輝いていた。 「ん〜。…若いですねぇ」 ルーンは、対照的にゆっくりと振り向く。 「私の名はルーン・ロード。人は、闇の魔導士と呼びます。覚えてソンはありませんよ」 片手には余る幅広のツーハンデッドソード。 その闇の剣を左手で中段に構えつつ、彼は名乗った。 忌むべき、その名を。 「俺は、光の戦士。名は…」 「名前はまだ結構。肩書きで充分」 ルーンがやんわりと、しかし厳と遮る。 「何!?」 「まだ、貴方が私に名乗る資格は無い、と言ったのですよ」 「…何だと?」 「私に名を覚えて欲しいならば、それ相応の腕を持っていただく。でないと、覚える価値はありません」 「…!」 金の男はあからさまに嫌悪感をつのらせる。 その気は荒々しく、そして雑だ。 やっぱり若い。 ルーンはわざと見える様にして鼻で笑った。 「…そうだな。俺の名前を、覚える必要は無いよな…」 「でしょう?」 「ここで、お前は倒れるんだ!」 金の男は剣を振りかぶって突進した。 驚くべき疾風が迫り来る。 神業とも呼べるそれは、普通ならばその刃に掛からぬ者はないだろう。 魔族とて、そうそうその刃を見切れる者は居まい鋭さ。 だが、それはそれなりの相手ならば、の話。 乾いた空気の草原に甲高い金属音が一つ響く。 光の剣がルーンの喉元に届いたと思った瞬間、その剣が虚空に跳ね飛んだのだ。 そして、次に何が起きたのかを金の男はまったく覚えていなかった。 数日後。 場所は奈落の穴と呼ばれた地帯から八十キロ程離れる。 そこにある開けた盆地は安定した生産を保証する農耕に向き、交通の便に適したその地理は都市としての機能の他に、交通の拠点として宿場町と言う顔を持っていた。 都市は生産の半分を農業、半分を観光や商業と言った商いで賄う。 その都市は、お陰で辺境としては平均よりやや上の生活レベルを保っていた。 良い土地だ。 たいていの人はそう思う。 住むにしても、働くにしても、遊ぶにしても、文句なく良い環境の都市なのだ。 そしてそれは、ある男にとっても同じ答を導き出させていた。 「ここはなかなかいい街ですねぇ?」 『……。 むすりと黙る闇の剣。 おやおや、とルーンは微笑み、小さなナップサック一つを背負って、そのまま街の雑踏の中に消えていく。 時刻は丁度昼時であった。 |