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魔導物語 errand devil 第三話



  おさらば

 手を握る。
「魔導力が、消えてい」
 全ての言葉を紡ぐ前に、シェゾの体が木っ端の様に空に吹き飛んだ。
「!」
 気が遠くなりかけたが、辛うじて戦士としての根性が視界を脳につなぎ止める。
 体中の痛みが神経と言う神経を掻きむしる中、シェゾはやっと自分が何かに殴りつけられ、空中に舞っている最中なのだと理解出来た。
「くあっ!」
 壁と思わしき平面が視界に迫る。
 次に、今の体に何らかの衝撃を受けたら本気で危い(やばい)。
 本能的にそれを察知したシェゾ、いやシェゾの体は、反射的に体を捻り、無理矢理足を壁に叩き付け、ようやく動きを止める。
 その瞬間だけを見れば、壁に重力があるかのごとき姿勢。
 だが、動きが止まると次に問題になるのがやはり現実の重力である。
 足を付いた場所は勿論床ではなく壁だった。
 体が停止した。そう思う間もなく、床に向かってその身は落下を始める。
 何の問題も無い。
 滝の上から落ちようとも問題は無い。
 普段ならば。
 だが今は、ただ一つ、そして最大の問題がある。
 今のシェゾは、重力に抗う術を何一つ持たないのだ。
 地面らしきものが見える。
 目測だが、地面までの距離はおよそ五十メートル。
 人が三度死んでもまだ釣りが来る程の高さだ。

 『人』では、どうにもならない。

「ちっ」
 シェゾはあまりに唐突な『最後の時』にしては、随分とあっけない悪態を付く。
 何の気は無しに瞬きをする。

 次の瞬間、シェゾは水の中にいた。
 落ちたのか、大量の水が降り注いだのかも分からない。
 とにかくシェゾは水の中にいた。
 平衡感覚が再び揺らぎ、下も上も分からなくなる。
 深い深い青。
 それのみが視界を埋め尽くす。
 だが、嫌な現実として水圧だけがその深さを否応なしに体に教え込む。
 体が、ぞうきんの様に握りしめられる。
 そんな不快極まる感覚に顔が歪む。
 脳が、針の束で突き刺されるかの様に痛かった。
 叫び声の代わりに、口から水泡が生まれた。
 水泡が上と思わしき方向へ動いた。
 上。
 それを認識したと思った時。

「つぅっ!」
 そしてまた次の瞬間、シェゾはその体を大理石の床に打ちつけていた。
 重く、鈍い音が響く。
「……」
 鈍痛と目眩に一頻り苦しんだ後、シェゾは状況と経過を理解し始める。
 とりあえず、命がある。
 そして今自分が横たわる床は先程自分が立っていた床。
 つまり、先程の視界で見た高さから落下し始めた瞬間よりは、低い位置で落ちたらしい。
 それだけはとりあえず理解した。
「おちょくっているのか?」
 恐らく、自分を殺せた。
 なのにこのような事をする。
 それ以外の何物でもない。
「…何者だ…」
 軋む体と突き刺す様な頭痛を引きずりながら、シェゾは揺れる様に立ち上がる。
 不意を突かれたとは言え、闇の魔導士たる己から魔導力を奪うなど、並大抵の術者に出来る事ではない。
 最低でも、自分と同等の力を携えた者でなければ出来ぬ芸当だ。
「……」
 左手に力を込める。
 手の周りに突如小さなつむじ風が回り、フラッシュの様に輝く。
 その手には、闇の剣が握られていた。
『主よ…我にはこれが限界だ…。これ以上、意識は保てぬ。力も、な…
「ここまで踏ん張ったなら上出来だ」
 畏るべき魔剣から単なる刃物と化した闇の剣を握りしめ、シェゾは自分なりの賛辞を贈った。
 魔導による傷の治癒も出来ぬままで立つシェゾも恐ろしいが、空間を越えて自らの意志のみで彼の元へ飛来した闇の剣も大変なものである。
「…ふむ、精神体以下の存在の筈が、この空間に飛び込む事が出来たとは…野卑なる存在とはいえ、闇の剣に対する評価を見直さなくてはならぬ」
 そんな闇の剣に対して、頭上に囁く様な声が響いた。
 人に言わせれば、心に響く静かな声。
 だが、シェゾに言わせればそれは背筋が寒くなる様な、足の裏に無数の虫を這わせているかの様な不快な声だった。
「お前がここまで俺を追ってきた黒幕か」
「我は企みなど持ってはおらぬ」
「目的は…あれだな」
「人間にとっては知らぬが、我はあの品物なぞどうでもよい」
「何?」
「今我がここにいる理由で大切なのは、お前があの品を奪ったという事実」
「嵌めたって訳かい」
「事実だ」
「そうしてまで、出てきたかったのか? この煉獄に」
 シェゾは手に握る剣を二、三回、軽やかに回転させる様に振り、風切り音を響かせる。 そして流れる様な動作のままに、闇の剣を中段に構えて静止させる。
「今更、そんなものでどうにかなる訳ではあるまい」
 諭す様な声だった。
「いいから姿くらい見せろ」
「良かろう」
 頭上の空間が眩く輝き、光の球を作り出す。
 大きな球は収縮を始め、その中からは真っ白なローブを羽織った老人の姿の男が現れた。
 彫刻の様に深い彫りの顔には、雪の様に白い顎髭が伸びる。
 頭髪も、白いながらも量は申し分ないウエーブがかった長髪。
 まるで、美術館にある神の彫像そこに持ってきた。
 そんな姿の男が、目の前に現れた。
「先程どうでもいいとは言ったが、あれもあれで大切な物。お前を滅ぼした証としてあれは返して貰う」
 男は押しつける様な口調で言う。
 声だけで、押しつぶされそうな重圧だった。
「返すも何も、あれは知識だろうが」
「ここに来てまだ巫山戯るか」
「熨斗つけてその言葉返す」
「…先程の証拠すら、知らぬと言うのか? 話は、無意味か」
「やかましい! 苛ついているのはこっちだ…。訳分からん弄び方しやがったくせに!」
 闇の剣の切っ先が、白い男の眉間に合わさる。
「どういう理由であれ、闇の魔導士に正面から手を出せる。これは望むところ。だが、そのきっかけを作るヘマをしでかした事自体は別だ。恥で済む恥ではない。だから、私は代表としてお前を滅ぼし、そしてあれを取り戻さなくてはならない」
「だから俺がいただいたのは魔法薬のスクロールだけだろうがっ!」
「まだ言うか!」
 男の髪の毛が怒りに逆立った。

 一ヶ月前。
 地図にも載らぬ荒涼とした地帯があった。
 名前こそあるが、誰も覚えようとはしない為に、それは特に意味を成さない。
 ある一団以外にとっては。
「まだ足取りは掴めぬのか!」
 静かな、しかし重々しい声と共に、乾いた大地をとげとげしい風が吹き抜けた。
 声の主は乾燥した大地を進む箱馬車の中から聞こえる。
 周囲には、声の聞こえた大きな馬車を囲んで、五、六人乗りの小さな幌馬車が十台程も併走していた。
「申し訳ありません。近付いてはいる筈なのですが、気配はまだ…」
 風と風に混じる砂を避ける為、全身に麻の布を巻き付けた御者が台座で呟く。
「その言葉はもう、二日前から聞いている。お前の『鼻』は本当に信用して良いのだな?」
「これだけが取り柄でございます」
 耳を澄ましてやっと聞き取れる声のやりとりだった。
 それは、轟音の響く馬車の上だと言うのに。
「あれは決して外に持ち出されてはならぬ物だ。いいか、あれの存在が連中に知れてみろ。我らは破滅だ!」
 馬車の外の一団にいっそうの緊張が走る。
「何としてでも我らが至宝を奪った者を探し出せ。腹を引き裂き、臓物をえぐり出せ。目玉を潰し、火箸を突き刺せ。四肢を石臼で磨り潰し、野良犬にくれてやれ。そして残った体は詫びの供物として神の前で炭になるまで燃やすのだ!」
 一団が雄叫びを上げる。
 異様な気の高ぶりが空気を揺らし、周囲を飛んでいた精霊を恐れおののかせ、全てが一団から逃げ出す。
 男の瞳は炎の様に燃え上がっていた。

 空気の流れ一つ感じられぬ暗闇の中だった。
 奈落の様な闇の中に、小さな小さな明かりが灯る。
 だが、灯ったと思った明かりは明かりではなかった。
 それはすぐに消えると、場所を変えて再び一瞬だけ灯る。
 明かりが近づいてくる。
 同時に、金属がぶつかり合う音も。
 それは、剣と剣が刃を合わせる火花だった。
 更に火花は近づき、剣戟の音も大きくなる。
 不意にくぐもった切り裂き音が聞こえ、それを追ってうめき声、さらに何か金属質な思い物が倒れる音が響いた。
 今度は遠くから突如火球が現れ、今しがた剣戟があったとおぼしき場所に向かって二つ、三つと連続で高速飛来する。
 火球、ファイアーボールが暗闇に飛び、次の瞬間に何かに当たってはじけ飛ぶ。
 弾けた炎で、わずかの間だが周囲が明るくなる。
 暗闇に浮かび上がったのは、剣を構えて向こうを睨むシェゾであった。
 ほぼ時間差無く飛来するファイアーボールをこれもまた見事な速度で剣を振るって斬り落とす。
 シェゾが小さな声で呪文を詠唱し、彼の手が小さな放電に包まれ、蒼い光が生まれる。
「しつこいんだよ!」
 声と共に手から複数の巨大な放電が生まれ、ファイアーボールが飛来した方向へ向かって稲妻が走る。
 鼓膜が破けそうな轟音が洞窟を揺らす。
 フラッシュを焚いた様に瞬間的に闇が照らされ、周囲の状況が初めて確認された。
 そこは洞窟の壁に岩壁を作り上げた回廊だった。
 シェゾの足下には、いかめしい甲冑に身を包んだままで寸断された剣士が倒れている。
 稲妻は瞬きする間もなく目標としていた相手に届く。
 先ほどファイアーボールを放ったのであろう二人のローブ姿の男がそこに居た。
 そして、二人の男は天から降ったかの様な巨大な稲妻の直撃を受け、衝撃で木っ端の様に吹き飛んだ。
 壁に音が反響し、遥か遠くへとエコーを運ぶ。
 周囲は再び闇に包まれ、音も再び消えた。
「まったく、出口はどっちだよ。待ちかまえていたみたいに敵が湧き出るし、おかげで獲物はスクロール一つだ」
 シェゾはぶちぶちと文句を垂れつつ闇の中を失踪した。
「!」
 闇の中、シェゾが進む先に、らん、と輝く赤い光が二つあった。
「……」
 シェゾは失踪を止め、光を睨む。
 それは、瞳の輝きだった。
「こそ泥めが。この地に、しかもあの場まで忍び込むと言うだけでも大罪だと言うのに、あまつさえ我らが至宝を奪うなど、万死をもってしても償いがたし罪に値する」
 闇の中で尚男のシルエットは目に焼き付く。
 怒りの気が、男の姿を映し出していた。
「そりゃ悪かったな。そろそろお暇(いとま)を頂くから、気にしないでくれ」
「貴様が暇するのは、奈落の底だ」
 男の気が、棘の様にシェゾに向かって飛ぶ。
「悪いがそこまで暇じゃない」
 闇の剣が袈裟懸けに振り下ろされ、赤く燃える気が四散する。
「せっ!」
 声と共に、男の周囲が闇に包まれた。
 明かりのあるなしで生まれる闇ではない。
 光を飲み込む漆黒の、いや、黒という言葉すら色あせる闇が男を包む。
「む!」
 視界から全てが消える。
 異常に気付いた男が何かを呟き、まとわりつく闇を霧散させる。
「…おのれ…」
 視界を取り戻した戦闘場所に立っているのは、すでに男だけだった。

「お前は、あの時の男じゃ無いよな?」
「あの無能などどうでも良い」
「…どうでもいい状態にしたって事か」
「だが、それでも爪の先程の役には立った。こうして、お前の足取りを追う事が出来たのだからな。それにしても、驚いたぞ。貴様が闇の魔導士という事にもだが、その様な男が恥も外聞もなくこそ泥の様なマネをして、あまつさえあのような畏れ多い場所に忍び込むなどとはな」
「…あの時もそうだが、なんか変なんだよな」
 何か違和感を感じる。
 喉の奥を羽でくすぐる様な、奇妙な不快感。それは只でさえ危険な状態を精神面から更に揺さぶる。
「何をぶつぶつと。時間稼ぎなど無駄だ。貴様の闇魔導力は消失している。勝ち目はない」
「あれはどうするんだ? 俺しか場所は知らないぜ」
「探すとも。貴様の脳の中を直接、な」
「えぐい奴だ」
 とりあえずのブラフもやはり意味はない。
 正直、万事休すと思える状態だった。
「闇魔導士は我らにとって元より厄介な存在。にしても、こうして出しゃばる真似をせねば睨まれる事もなかったろうに…」
 哀れみをかけている、とでも言いたげな口ぶりだった。
「そりゃどうも」
 言葉と同時にシェゾが跳ぶ。
 直接的に生死を分かつ圧倒的な不利すら、シェゾにとっては躊躇の枷とはならぬのか。
「愚か者!」
 いつ上げたとも分からぬ男の手から、白い光の矢が何の前触れもなく放たれる。
 光の矢は、闇の剣が放つ一刀の元に四散した。



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