魔導物語 errand devil 最終話 ありがとね 男が目を見開く。 だが。 砕けた光はその場に留まり、きびすを返して無数の光球となり、今剣を振り降ろさんとするシェゾの胴体を貫いた。 シェゾの体が正反対の加速度を得て、宙に血の線を描きながら後ろに吹き飛ぶ。 鈍い落下音が響き、その手から闇の剣が離れ、乾いた音を立てて遠くへと滑り落ちる。 「…化け物が」 血が口から滴る。 如何に細いとは言え、胴体を何本もの矢に貫かれて尚、悪態を吐く。 「正直、お前の方が化け物に見える」 男は恐れ、と言うより心底呆れかえった口調で呟いた。 「これが闇の魔導士、いや、シェゾと言う男だと言うのか…惜しい」 男の手が上がる。 もう一度あの光の矢を放とうと言うのか。 「貴様の魂が、せめて幾度かの転生と償いを繰り返した後に、我らの盾とならん事を願おう」 「…盾かよ。それに、命は一度だ」 男の手がシェゾに伸び、光の矢が放たれた。 その光の矢は心臓を貫き、聖なる光と熱で心臓を焼き尽くす、筈の矢が、何故か自分の胸から突き抜けた。 「!?」 男は自分の目が、現象が信じられなかった。 たった今放った必殺の矢が、シェゾの体に到達する直前に消えたのだ。 そして、自分の胸から生えている。 「…こ、これは…まさか…」 男の口から滝の様に血が吹き出され、仰向けに倒れる。 「……」 シェゾは何が起きたのか分からない。 「大丈夫かい? シェゾの旦那」 視界に現れた顔は、近頃見慣れた毛むくじゃらだった。 「…何してる?」 「助けに来たに決まっているだろ。これでも、役に立つんだぜ」 飄々とした声、明るい瞳だった。 だが、シェゾは何か違和感を覚える。 それは臭い。 「お前、怪我しているのか?」 「分かる?」 「それだけ血の臭いさせて、分かる? もないだろ…。お前、一体何者だ?」 「それはここを逃げてから。まだ奴らを撒いてないんだ」 使い魔、ヴァプラは浮遊魔導でシェゾを風船の様に浮かび上がらせ、シャツの袖を掴んで二三歩駆ける。 すると、たった今までシェゾが倒れていた場所は、突如晴天も眩しい空の下に変わっていた。 「っつ」 浮遊魔導が急に消失し、シェゾは尻餅を着いてそのまま横臥する。 「乱暴だな」 「ごめんね、ちょっと…ね…」 ヴァプラの息が荒い。 周囲を見渡すと、ここは遺跡の様だった。 シェゾからは見えなかったが、二人が転移したそこは、階段ピラミッド型の遺跡最上部、所謂祭壇であった。 通常であれば観光にいいのかも知れないが、生憎二人にその余裕はない。 「おい」 日の下で見るヴァプラは、つややかな毛皮のあちこちが無惨に裂け、赤黒いものがどこそこを構わずに塗りたくられていた。 シェゾは重い体を起こし、何度かの深呼吸をしてからようやくあぐらをかいて座った。 ヴァプラも、それに合わせる様にへなへなと座り込み、入れ替わりで横臥する。 「お前、大丈夫か?」 「へへ、おいらなら平気。悪魔だからね」 「…今一理由になっていないぞ」 お互い、満身創痍だった。 しかも、あれだけの目に遭ったシェゾをして、ヴァプラの傷の方が危険に見える。 「お前、一体何の目的で俺に近づいた?」 「ええとね…」 言いかけた時。 突如、横臥していたヴァプラの胸から黄金色の剣が生え、ヴァプラを持ち上げる。 背中の下、石造りの床を割り、それは現れた。 「おい!」 きしむ体を押してシェゾが飛び退き、同時に闇の剣を掴もうとしてその手が空を握る。 「!」 未だ、シェゾの体からは魔導力が消失していた。 ヴァプラを貫く剣はまるで竿か何かの様に延々と長い刃を地面から生え続けさせ、その体は既に十メートルを超える高さにある。 「くっ! おい! ヴァプラ!」 声と同時に、床から鎧に包まれた腕が意志床を割って現れた。 「巫山戯おって!」 聞きたくない聞き覚えのある声。 シェゾは後ろを振り向いた刹那、背中に熱い衝撃を受けて吹き飛ぶ。 熱波と服の焦げる臭い、焼ける肌の感触を感じた。 そのままシェゾは祭壇から階段を転げ落ち、高さにして二十メートルを超える階段ピラミッドの半分程まで落ち、ようやくその体を止めた。 ヴァプラを貫いたあまりにも長い剣を持つ手はそのまま床から姿を現し、やがて純白と黄金に彩られた鎧の兵士が完全に姿を現した。 両手を頭上に添え、剣を天に向けて構えたまま現れた黄金の兵士は切っ先に刺さったままのヴァプラを、滴でも払うかの様に剣を振ってその身を抜いた。 宙を舞うヴァプラは、石ころの様にシェゾの前に落下、そして動かない。 「貴様ら…」 自分とて満身創痍の万事休すな状態には違いないと言うのに、シェゾの胸には言い表しようのない怒りがこみ上げる。 「闇の魔導士よ。お前に怒る資格はないぞ」 「資格とかじゃねぇ! そのやり口だ!」 「あれは天界のもの。それを取り戻す為の正しき行いだ」 「だからあれのどこが…」 「だんな…」 その時、足下のヴァプラがすり切れる様な声で呼びかけた。 「! おい! 喋るな!」 「聞いてよ…。これ…使ってみ」 震える手で懐から何かを取り出す。 それは、直径五センチ足らずの血にまみれた金属の円形プレートだった。 「! それは!」 シェゾより先に男が声を荒げる。 「…分かってきた」 続けてシェゾも呟く。 「これか。これを、探していたのか」 ヴァプラの震える手からそれを受け取る。 途端、シェゾの体に何かが流れ込んできた。 間違え様の無い感触。 魔導の力の流入だった。 「…足りる?」 ヴァプラが問う。 シェゾは無言で左手を前にかざすと、何処の空間に忘れたとも知れなかった闇の剣をその手に召還した。 「おおー…かっこいいねぇ」 弱々しくヴァプラが笑う。 「旦那…巻き込んで、ごめんね…」 ヴァプラはごとりと頭を床に落とした。 「大体、分かってきた…」 シェゾが苦い顔で呟く。 「闇の魔導士よ! それを渡せ!」 頭上で男が叫ぶ。 「これが、引っかかっていたそれか」 シェゾはプレートを握りしめる。 一体、どの様な魔導器だと言うのか。 そもそも魔導吸収力も失った筈のシェゾをして魔導力を復活させるその力。 純粋に、感嘆に値する。 「それは我の物だ!」 鎧の兵士が、その鈍重そうな外見を無視した敏捷さで飛び、物干し竿の様に長い剣を振りかぶる。 刃は、その早さにそれこそ釣り竿の様にしなって見えた。 「ふっ!」 シェゾは闇の剣を上段に構え、体の質量も重力に加え、岩をも斬り裂く勢いで振り下ろされる剣を受け止めた。 だが、次の瞬間シェゾはその手から再び闇の剣を弾き落とされ、刃の餌食こそ免れたが、勢いのままにとうとう階段ピラミッドの下まで落下する。 満身創痍となった肉体的ダメージも去る事ながら、魔導器による魔導力の復活は決して完全ではなかった。 その様子を見た男は正直安堵する。 「やはり、使いこなした訳ではなかったか。紛らわしい真似をしおって。いかに貴様らが組もうとも、それはそうそう扱える物ではない。諦めて我が手に掛かるがよい」 「…お前も一つ、分かってないようだな…」 腰から下を持ち上げる事が出来ないまま、シェゾが男を睨み付けた。 「こいつと俺は何も組んじゃいない。こいつが何をしたのか、俺は何も知らないぜ」 「まだその様な…。もう良い。何も喋らずとも良い。正しき判断は全て我の手に委ねればな」 やれやれ、と男の手が上がる。 鎧の兵士はそれに合わせて剣を構えた。 とどめの合図だ。 「……」 今の今まで、全てを諦めた事はない。 だが、正直絶体絶命と言う状況は痛い程に分かる。 悪態の一つも出なかった。 恐れではない。 悔やみだった。 男の手が下ろされようとしたその瞬間。 男の背後から、突如眩い閃光と共に白い稲妻が現れ、鎧の兵士を包み込む。 「な!」 男が目を剥く中、鎧の兵士は鎧の継ぎ目から青白い炎を吹き上げ、数秒と経たぬ間に中身を失い、装甲のみを残して崩れ落ちた。 「こ、これは……」 男の声が、これ以上無いと分かる程に狼狽する。 『どうやら、その者が正しかったか。 光の中、いや光そのものから声が聞こえたかの様だった。 「また何かお出ましか」 助かった。 その事実すらどうでもいいと、シェゾはうんざりした口調で言う。 「だから言っただろう。魔界の者と言うだけで嘘つき呼ばわりはやめてもらおう」 「!?」 シェゾは今度こそ仰天した。 「その…声…」 「へへ、お役に立ちましたか? サタン様…」 ヴァプラが焦点の定まらぬままの瞳で呟いた。 一陣の風が吹き、シェゾの横に黒いもやと共に現れる影。 それが人型を取った時、シェゾは見間違え様もない角と緑の長髪を見た。 「…サタン」 「私のあずかり知らぬところで、とんだ迷惑をかけた様だ。済まぬな」 今の状況を見ればあまりにも軽い詫びの言葉。 だが、シェゾはおかげで今度こそ大体の事の経緯を予想できた。 「ヴァプラは、お前の命令で…」 「そうだ」 「おかげで、奴は死にかけているぜ」 嫌なもやが胸の中に溜まっていた。 「命を賭しても、が条件でな。魔王が命を下す。その意味、知っているだろう?」 「…ああ」 「お役に立てれば、光栄です…。でも、申し訳ありません、つい、寄り道しちゃって…」 「気にするな。おかげで、見ていて面白い奴がこうして元気だ」 「てめぇ…」 まるで駒のやり取りが一つの様に揶揄された様で、シェゾは一気に不快になる。 例え、魔王が駒と認めるにはどれ程の実力が必要か計り知れないとしても。 「さて、ミカエルよ。これで今後この場で何が起ころうとも、天界、魔界双方与り知らぬ事となる。良いな? 『受け入れましょう。あなたが正しかったのだから。 「お、お待ちを! 天使長様!」 男が思わず口を挟む。 「これは、天界の為を思い、ついつい思いあまって行った所行にございます! あのような力、魔界に置いておくなど…」 『なれど、お前はその神器たる遠空の白銀をその手中のままとしていた。最近、書庫より本が幾つか消えているのを確認したが、それはどのように説明する? 「そ、それは…」 『そこな使い魔が遠空の白銀を奪ったとお前から進言があり、追撃を許した。火急の事、ヴァーチャー一部隊の指揮権と第二級武装の使用を許したが、まさか奪った者ではなく、取り戻しに来ていた者だったとはな。 「そして更にまさか、その時お前がその場に居たとはな」 ミカエルに続き、サタンが運の悪い奴、と肩をすくめる。 「……」 どうやら、自分があの時潜り込んだ場所は偶然にもヴァプラが天界から地上界に降りてきた場所だったらしい。 「…つまり、あの野郎、俺が手に入れたスクロールに、その神器を『忍ばせ』やがった…って事か」 「そして、一時奴らの目を引きつつ逃げ、後になってお前の元へやってきた。神器が融合された魔導書から目的の物を分離する為にな」 「……」 「怒らないでやれ。申し訳ないと思った奴は、お前の手元にあった神器を奪いに来た奴らから、本当なら神器を取り戻したのだから、そのまま逃げ帰って良かったのだ。だが、追撃される危険を冒してお前を守ったのだぞ」 そういわれてシェゾは思い出す。 あのとき、墜落死やマジックミサイルの危機から救われた事になる次元移動を。 そして、その為に逃げる機械を失い、傷つき、今目の前で息も絶え絶えの状態となったヴァプラを見下ろす。 「さぁ、長話はここまでだ。どうする? このまま帰るか?」 「冗談だろう」 シェゾは大きく息を吸い、闇の剣を中段に構える。 「こんな事は滅多にないぞ。天界の者と魔界の者が公認の一騎打ちだ」 その言葉に、男の顔色が得も言われぬ色に変わる。 光に包まれたままの天使長、ミカエルも無言の肯定を許していた。 「その前に色々喰らっているぜ…」 今の自分が、まるで釈迦無むに尊者の手の平で踊る斉天大聖の様な気がして気分が悪い。 「今回ばかりは悪いと思っているのだ。私の用事に、お前をすっかり巻き込んでしまった のだからな」 「…その報酬がサシの決闘かよ」 しかもシェゾと相手のコンディションを見比べれば、明らかに分が悪い。 「その方がやりがいがあるだろう」 「無責任な事言うな」 そういいつつ、シェゾは既に剣を構えている。 「では全ての制限を取り払う。後の事は一切干渉無用」 『……。 天使長が光の消滅と共に去る。 同時に、鎧の兵士も影の様に消えた。 「ミカエル様!」 光は消えた。 「く…こんな事が…」 男が歯ぎしりする。 「遠空の白銀、あれは膨大なエネルギーこそ必要とするが、発動に成功すれば右手と左手を合わせるが如く、遠く距たれた空間を繋ぎ合わせられるものだ。何をしようとしていた?」 サタンが男に問う。 「おいら、見ましたよ…。こいつ、天に仕える神官のくせして、天界の書庫の本をくすねて…」 息絶えたかの様に黙っていたヴァプラが、ざまぁみろ、と言いたげに言う。 「黙れ!」 男が悲鳴に近い叫び声を上げる。 「…どのみち、お前に先はないな」 サタンは、どこか哀れみを含んだ目で呟く。 「正直、俺がお前をどうこう言う筋合いは無かったが、まぁ成り行きと思え」 シェゾは切っ先を男に向けて言う。 その言葉に、男の顔がみるみる色を変える。 「貴様が居なければ…貴様さえ…」 男から殺気が沸き立つ。 「偶然だな」 剣から冷たい波動がわき上がる。 「俺も同じ様な気分だ」 シェゾの言葉が男の心臓を凍り付かせた。 突如、男の体が膨張する。 水を吸った綿の様に不格好に膨れ上がったそれは全てが筋肉で、膨れ上がるにつれて表皮からは虫の足の様な細く鋭い触手が無数に沸き上がる。 男は、数秒と経たずに人の姿をやめた。 「既に、己に奇っ怪な処置を施しておったか」 サタンはやれやれ、と肩をすくめる。 男の体が浮かび上がり、シェゾに向かって弾ける様に飛ぶ。 触手は栗の毬のように姿を変え、三百六十度全方向に禍々しく黒光りする針となる。 シェゾが後ろに飛び、同時にシェゾの立っていた場所に黒い針の塊が突き刺さる。 見た目は小枝程度の太さの針だが、岩の床にはプリンをフォークで撫でた様な溝が無数に掘られていた。 「これは決闘だ! なれば貴様さえ、貴様さえ倒せば、私は不問となる! 生き延びるチャンスがある!」 針山の奥から、赤黒く光る眼が見える。 針の塊は再びシェゾに襲いかかる。 シェゾは紙一重の距離で針から身を反らし、闇の剣を横に一閃する。 火花が散り、振った剣が掴んで引っ張られたかのようにベクトルを逆転させ、シェゾは振りかぶったモーションのまま逆に体をひねる。 刃は完全に跳ね返された。 「剣でこの体が切れると思うたか。愚か者」 サタンが現場から目を背け、そのまま振り返る。 「見捨てられたな」 男は圧倒的有利に見る価値さえ失ったと勝利を確信し、その体を渾身の力で再び跳ばす。 その時、シェゾは何をしたか。 いつの間にか、右手が男に向けて挙げられていた。 男にはその理由が皆目分からず、絶望から来るあがきと決めつける。 針が挙げた手に迫る。 あと数センチ。 男は見ただろうか。 シェゾの手に、穴でも開いたかの様な黒い気が渦を巻いた事実を。 針はそれに触れる。 右手に浮かんだ黒い気、闇の波動はそのまま針を飲み込み、シェゾの手はどんどん針山の中に入ってゆく。 腕や足に、他の針が突き刺さる。 針の一本が心臓に突き刺さろうとした瞬間、針の動きが止まった。 「…貴様…」 力は戻っていた。 憎々しげな男のうめき声が聞こえる。 声はシェゾの手の中。 男は、シェゾの右手が針を飲み込みながら、とうとう自分の頭を掴んだのだと理解できたかどうか。 「せぇっ!」 シェゾが初めて声を上げた。 同時に、漆黒の闇だった右手が今度は太陽の様に輝く。 光は爆音を生み、禍々しい棘の塊を今度は微塵の様に崩壊させ、吹き飛ばした。 光が消え、爆音の耳鳴りが残り、巻きあがった砂埃の中からようやくシェゾの姿が見える。 全ては終わっていた。 右手を挙げたまま、肩で息をするシェゾ。 「迷惑をかけたな。今度、飯でも奢ろう」 サタンは結局、そのまま一度も振り返る事無く陽炎の様に揺らぎ、次元に穴を開けて消えていった。 「……」 シェゾはそれを見届け、ようやく仰向けに倒れた。 視界に、真っ青な空が見える。 たった今までの死闘など、嘘であったかの様に。 「…だんな」 少し遠くから声が聞こえる。 「ああ」 「ありがとうね」 「なにが、だよ」 「さぁ? でも…何となく嬉しいんだ。だから…ね」 「そうか」 「俺、魔王様よりも、あのまま、シェゾの旦那の使い魔でいられたら良かったな…」 「なればいいさ」 「そう…だね」 弱々しい笑い声が聞こえた。 「なっていいのかな?」 「いいって言ったぜ」 「…ほんとに…あり…」 声が途絶えた。 青い瞳が、眠る様に閉じられる。 「……」 死闘を終えた空間に、おそるおそる風が吹き始めた。 冷たく、寂しい風。 上を向く。 もう、シェゾの視界には空しか見えない。 しばらく、横を向きたくなかった。 使い魔とは、確かにこうなる事もあり得る存在だ。 だが…。 やはり、独りがいい。 蒼い瞳は、小さな雲が流れる空を見続けていた。 Errand Devil 完 |