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魔導物語 errand devil 第二話



  べっぴんさん

「え!? な、何ですの? それ?」
「? 何それ?」
 アルルもその不思議物体に興味を示す。
 シェゾは溜息を付いてその毛玉を机の上に乱暴に置いた。
 と。
「ぁいてっ!」
 毛玉が悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
「わぁっ!」
 ウイッチとアルルは、同時に飛び上がった。
 二人はシェゾの両脇にしがみつき、もぞもぞと動き出す毛玉を凝視する。
「いてて…もうちょっと丁寧に扱えよな」
 毛玉は、ほどける様に球形から姿を変え、ひょっこりと立ち上がった。
 その頭には、シェゾにとって見覚えのある帽子が鎮座し、短い指がぱんぱんと体を祓う。
「…えーと、ここは何処だ?」
 向こうを向いていた顔が、くるりとこちらを向く。
「おや!」
 その顔には見覚えがあった。
「何しているか、食い逃げ」
「こりゃまたご挨拶だなぁ。忠実なる僕(しもべ)対してさ」
「事実だ」
「そりゃ誤解誤解」
 あの日、街中でシェゾに飯をたかった猫型使い魔は、あの日より毛並みに艶のある手でまぁまぁ、と諫める。
「…知り合いですの?」
「誰?」
 ある程度上級の魔導士であれば魔物を従える、つまり使い魔の存在も知っているし、何よりそのフレンドリーな雰囲気に緊張が和らぐ。
 二人はようやくシェゾから離れ、興味津々で猫に近付いた。
 よく見れば、何とも愛嬌のある顔である。
「かわいー」
「かわいいですわ」
 二人は顔を近づけて頬を緩める。
「ほうほう、こりゃまたぺっぴんでかわいいお嬢さん達だ。こんな可憐なお花とお友達とは、隅に置けないねぇ、シェゾのだ・ん・な」
 猫は机の上をすすっと歩き、シェゾにこのこの、と肘打ちする。
「え? 可憐なんてそんなぁ」
「お花だなんて…もう、お上手ですわ」
 二人はきゃいきゃいとはしゃいで、周囲に甘い空気と花を振りまく。
「……」
 シェゾは軽くめまいを起こす。
「で、シェゾの旦那」
「…何処の世界に、主人を旦那っつう使い魔が居るか」
「って事は使い魔Okね」
「…まぁな」
「んじゃ改めて、我はヴァプラ。コンゴトモヨロシク」
「そりゃ72魔王の一人の名前だ」
「あ、知ってた?」
「…どうでもいいがな」
 本名など、最早問いただす気も失せていた。
「で、何の用だ?」
「身も蓋も無いねぇ」
「特に使い魔の用はない。家にはもう使い魔が居る」
「でも、これから作ろうとしている魔法薬、それはちょいとてのりぞうにゃあ、荷が重い筈だよね? そもそも、その為においらと契約OKしたんだよね?」
 シェゾは眉間に皺を寄せる。
「何者だ? お前は」
「忠実なる使い魔だよ。ちょっと早耳のね」
「…来い。薬品を精製する」
 早々に事を済ませた方が良さそうだ。
 そう考え、シェゾは席を立つ。
「あいよ」
「行っちゃうの?」
「お名残惜しいですわ」
 シェゾは振り返らず、手だけを振ってその場を後にした。
「そんじゃ、お花のようなお嬢さん達、また今度」
 演劇の様に丁寧な会釈をしてから、ヴァプラはシェゾの後ろを追った。

 シェゾが家に戻ってから二日程が経過する。
 最初こそ新たな使い魔と聞いてヴァプラを警戒していたてのりぞうも、自分とは異なる仕事タイプの使い魔だと分かった事に安心したのか、すっかりいつも通りの行動に戻っていた。
「ぱお」
 魔法薬精製中のラボに、てのりぞうが食事を運ぶ。
 シェゾとヴァプラは、帰ってから今までラボに籠もりっきりだった。
「おう」
 シェゾは山盛りのオープンサンドと飲み物をてのりから受け取ると、断続的に唱えている詠唱の合間を縫って食事を口に運んだ。
「おいらにもくれよ」
 巨大な釜の後ろから顔を出したヴァプラがせがむ。
 シェゾはサンドイッチを一つ、釜の向こうに放り投げた。
「よっと」
 ヴァプラは短い指で器用にサンドイッチを掴み、まってましたとばかりに食べ始める。
「がっつくな」
「これが普通」
 ヴァプラはあっという間に平らげ、更におかわりを求めて手を振る。
「しかし、よく働くな。感心する」
「使い魔となったからにはね。それにおいら、旦那の事好きだもん」
「何だそりゃ?」
「飯奢ってくれた」
「……」
「それにしても、てのりくんの作る飯は美味いねぇ。そこらの下手なコックよりよっぽど美味いや」
「それは認める」
 シェゾはサンドイッチをもう一つ放り投げた。
 デミグラスソースがたっぷりと染みこんだローストビーフと、リーフサラダの挟まったサンドイッチが釜の上を通り過ぎようとしたその時。
 ぐつぐつと黄金色に煮立っていた表面が、突如日の出の様に眩く輝いた。
 そして突如、鉱物か何かで出来ているのかと思わせる鋭く、巨大な右手が現れる。
 手は、鉄を溶かした様な輝きの薬品を滴らせながらサンドイッチを握りしめ、火薬に火を付けたみたいに一瞬で炎に包み、そして消し炭も残さぬ程に燃え尽きさせた。
 シェゾは弾ける様に後ろに下がる。
 地面に足をつけた瞬間には、既にその左手に闇の剣を出現させていた。
「ぱ、ぱお!?」
 てのりぞうが問う。
「阿呆! 誰がこんなもん鍛錬するか!」
 声を合図に、手が蛇の様にしなやかに伸び、シェゾに向かって蛇の様な動きで飛来する。
 辛うじて手の形を取っていたそれは、あっという間に無数の長い棘の塊と化していた。
 シェゾは状況を把握していないてのりぞうをひっつかみ、そして部屋の外に遠慮無く放り投げる。
 餅が壁にひっついた様な脱力する音が聞こえたが、まぁ大丈夫だろう。この部屋にいるよりは。
 シェゾは更に後ろに下がる。
 シェゾが立っていた場所には、岩の床だというのに軽々と大穴が開き、周囲に魔法薬の煮汁と岩の破片が飛び散る。
 床に穴を開けた手は、突き刺さったままの本体が抜けるのも待てぬ、とばかりに周囲の小さな棘を、ゴムの様に弾かせて再びシェゾに襲いかかる。
「ぬっ!」
 その指は解けた蔓の様に伸び、変幻自在とばかりに、上下左右から牙を剥く。
 シェゾは鈍く光る爪を寸でで交わしながら、更に奥へと下がった。
「なんだこいつは…」
魔法薬精製中とは言え、家の中故にシャツにズボンと、シェゾは至って軽装である。
 服には既に無数の切り傷と、魔法薬に因る変色があちこちにあった。
「!」
 シェゾの背中が、壁に当たる。
 我が家とは言え、突然の攻撃に間取りの間隔が狂った。
 動きを停止したシェゾに棘が雨の様に降り注ぐ。
「旦那っ!」
 目前に棘が迫ったその時、声と共にシェゾの体が重力を失った。
「!」
 視界が黒く 染まる。いや、黒と言う色すら失い、シェゾの体は転移した。

「うおっ!」
 次に意識を確認したその時。
 それまでの時間は、瞬きする間もない程の一瞬にも、数時間以上にも思えた。
 だが、それを確認する事も出来ぬままにシェゾは体を地面に叩き付ける。
 どうやら落下の衝撃から考えると四〜五メートルはある位置から落ちたらしい。
 只でさえ無傷では済まぬであろう高さにして、その床が岩とあってはたまらない。
 打ちつけた右肩に激痛が走った。
「…ったく…」
 強引な転移時特有の嫌な頭痛と、内臓をかき回した様な気持ち悪さが不快感を倍増させる。
 シェゾはゆっくりと深呼吸をしならが、周囲を見渡した。
「何だ…? ここは」
 岩と思っていた床は、磨き上げられた大理石で埋め尽くされていた。
 表面はガラスの様に輝き、苦虫を噛み潰した自分の表情がありありと映し出されている。
 そこは、信じられない程に広大な部屋だった。
 周囲は、巨大な円筒の内部を思わせる壁に囲まれている。
 窓一つ無く、天を突く様な高さを思わせる天井は、床と全く同じ大理石の一枚岩。
 一つの岩の塊をくり抜いた、そんなイメージの部屋。
 それでいて、内部は昼の様に明るかった。
「何だってんだよ…まったく」
 思わず繰り返してしまう。
 自分の体を一通りチェックしながら、周囲を用心深く見回す。
 希望は持てぬが扉の一つでもあればもっけの幸いだ。
 だが、視界は元より精神波を周囲に張り巡らせて空間の状態を探知するも、微弱な魔導波一つ存在しなかった。
「違う…」
 シェゾの額に大粒の汗が浮かぶ。
 珍しくも、あからさまな狼狽の表情。
「無いんじゃ、ない…感知出来ない…」
 
 
 
 

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