魔導物語 どこにでもいっしょ 第九話 第九話 輪舞。 その言葉を聞けば、きっと美しい舞いを想像する者が殆どだろう。 だが、同じ動きであったとしてもその踊りを舞う者がどの様な容姿をしているかにより、そのステージの雰囲気は天界の光溢れる楽園にも、血飛沫撒き散らす地獄にもなる。 「…参ったなこりゃ」 ラグナスが軽い口調ながらも心底気分悪そうに言う。 「だな」 シェゾも、一応顔は崩さないがその眉間にありありと嫌悪感が滲み出ている。 彼らの前には、シェゾが一日前、森に描いていた線がある。 それは、この森の半分近い面積を囲っていた円の一部であった。 あまりに大きな円周であった為に、有視界では直線に見えたのだ。 そして、実はアルル達は当然馬車なので誰も気付かなかったが、サタンランドへ続く林道でアルル一行はこの線をまたいでいた。 つまり、シェゾが描いた線は、広大な敷地を有するサタンランドをすっぽりと覆っていたのである。 今や、その線はまるで火のついた導火線の如くバチバチと火花を散らしている。 そして、その線を境にした内側では、外に出せ、と言わんばかりに有象無象の魑魅魍魎が踊り狂っていた。 さて『外』とはどちらの事か。 時は昨晩の深夜に遡る。 「…シェゾ」 「ん?」 「こういう場合、俺らはどう言う行動をとればいい?」 「…すぐ撒けると思ったが、意外に粘るな」 「一応、巫女として感じたのか?」 「あいつ、そんな立派な巫女だったか?」 「本人の前では言うなよ…」 「っつーか否定しないのな、お前」 シェゾがくっと笑う。 「…いや、別に俺は…」 二人の後方二十メートル程の位置、木々に隠れつつ、二人を追う影があった。 そしてそれはその名の通り、影が丸見えである。 あいにく、彼らの横から月は輝いていた。追跡者が二人の振り向きを察知して木に隠れるも、その影はくっきりと地面に影を落としていた。 無論、視覚に頼る前に気付いては居るのだが、その健気とすらいえる行動に二人はつい気を許してしまっていた。 「ところで、規模はどれくらいだ?」 「阿呆の施設丸々一個分だ」 「…ヘヴィだ」 「まさしくな」 ふと、ラグナスは嫌な風を感じた。生暖かく、まるでゼリーで撫ぜているかの様なその感触は、普通なら吐き気すら催すに充分だった。 「…これか」 「そうだ、これだ。ラインまでまだ一キロくらいあるんだぜ」 「…さすが、質量の桁が違うと凄まじいな」 「ラグナス、そろそろガキには帰ってもらえ。そろそろ洒落にならん」 少し前から、チコは視界から消えている。 素直に帰っているならいいが、そうでない場合がやっかいだ。 念のため、とシェゾはチコをラグナスに送らせようとする。 「俺が言うのか?」 「紳士の役目だ」 「……」 仕方ない。そう思ったとき。 「!」 二人の間を、一筋の影が通り過ぎた。 「ちぃっ!」 「もう!?」 「きゃあぁっ!」 二人が振り向くのと悲鳴は同時だった。 「チコ!」 ラグナスが振り向き様に走る。その素早さや賞賛に値するだろう。 光の剣が鞘から溢れんばかりに閃光を噴出し、瞬間、その場所は昼間の様に明るくなる。魔物なら縮み上がって恐れるそれは、聖なる閃光。 だが。 「!」 チコが二人を見失ってからの距離は三百メートル。そして、再びチコを視界に入れるまでの三百メートルの距離をあっという間にゼロにしたラグナスのその脚力をもってしても、その切っ先は間に合わなかった。 チコに絡みついたミスト状の霊体が、彼女ごと上空に浮かび上がる。 「いやあああぁっ!」 その声は恐怖はもちろん、嫌悪感から来る悲鳴も混ざっている。 霊体の感触はそれに慣れているシェゾやラグナスとて未だに苦手だ。 それが、チコの様に霊体の感触を味わった経験がある訳の無い体、しかも全体に絡まったとなればその気色悪さは想像を越える。 「ラインを超えてあれだけ元気となると…」 「やばいな、シェゾ」 そう言いつつも二人の行動は疾風の様だった。中に浮かび上がった彼女だと言うのに、その距離は目に見えて縮まる。 たいしたことはしていない。二人とも一度跳躍した。 ただそれだけ。 そして、次の行動も至って簡単でわかりやすい。 かすかに前を飛んでいたシェゾが羽でもあるかの加速し、次の瞬間にチコと纏わりつくゴーストの上に出た。 顔すらないゴーストが驚愕して見えた。 そして、撫でる様にして闇の剣を一振りする。 ゴーストは、その瞬間に煙の如く四散した。 気は保っていたので、チコはいまの一部始終を見ることが出来た。その神業に驚いたあまり、落下する自分に気付かなかったのは幸いと言うべきだろう。 そして。 「よ、と」 ラグナスがチコを抱えた。 「災難だったな」 まるで普通に言うので、チコも思わずはい、と普通に答える事しか出来ない。 三人が地に足をつけるのは、それから二秒ほど後だった。 「で、チコ。お前がなんでここにいる?」 なぜ尾行した、とは言わない。 「あの…えっと…」 幼少の頃、家宝の皿を一枚フリスビーにしてしまった後でも、ここまで言い訳する返答には困らなかった。たった今の行動で分かったとは言え、モンスターを退治する為に出かけた二人に対して、森での情事を爪の先程でも期待した等とは間違っても言えない。 「……」 黙る事しか出来ない。 「まぁいい。それよりチコ、ここは危険だ。今ので分かったと思うが、すぐに帰った方がいいぞ」 ラグナスがチコを促す。 「……」 だが、チコはラグナスの袖を掴んで離さない。 「おい?」 「…あ…あの…」 その目は、二人を見ていない。 「後ろ?」 ラグナスが振り返る。 その時、既にシェゾは現状を理解していた。 「…マジか?」 ラグナスも気付く。 「こっちが落ちちまった」 シェゾは溜息をつく。その時、背後どころか既に三人の周囲は見知らぬ風景に変わっていた。 「…ここ、どこだ?」 「多分、本来サタンランドが建つ前の森。そして、合わせて言うならその状態での平行世界のどこか、だな」 「…俺、あちこちに飛ばされるのって生理的に好きじゃないな」 「好きな奴がいてたまるか」 「……」 チコはもう、ただ黙っているしかできなかった。 三人は少し森を歩く。 「ラグナス、お前、飛ばされるの得意だろ? 何とかしろ」 「…それは、自分の意志で飛べる奴に言ってくれ。俺はどっかの偉い意志様に動かされているだけさ」 「随分皮肉だな」 「神様の言う事に盲従するほど落ちぶれてない」 「……」 チコは二人の背中を見ながら付いてゆく。そして、シェゾはともかく、世間一般に光の勇者としてあがめられる彼が今言ったその言葉に驚きを隠せない。そして、どこか心の奥でそんな彼に頷く自分が居る気がした。 「シェゾ。で、お前こそどうなんだ? 次元を自分の意志で越える転移が出来るのは、それこそお前とサタンくらいだぞ」 「移動先が分かるなら、な。道に迷うのとは訳が違う。下手すりゃ、一方通行の世界にはまる事もあるそうだ。行き当たりばったりでいいなら、やってやるが?」 「…分かった」 「あの…」 チコがおずおずと手を挙げる。 「ん?」 「どうした? チコ」 「あの…私が言う事じゃないとは思うんですが…」 「言って見ろよ」 「お…お二人とも、もう、もうちょっと、困ってください〜…」 チコはそれだけ言うと、ぺたんと座り込んで泣き出した。 「……」 「…それも、そうか」 ここは異世界。 このままでは、元の世界には死んでも帰れないのだ。 |