前編 Top 後編


魔導物語 Call me 中編



 中編

 脳内で変換されるその声は、聞き取るのもやっとのノイズだらけの声。
 だが、それだけに声に含まれる怒声は遺体程理解出来た。

『よくも、貴様らめが…!

 その声は憎々しげにアルルをののしる。
 え? えっ!?
 まるでアルルが悪いかの様なその口調。
 アルルは恐怖とパニックと戸惑いをごちゃまぜにして、この現状に直面しなくてはならなかった。
 ま、待って! よくもって…一体な…。
 喋る必要がない故に、アルルはかろうじて問う事が出来た。
 無論、相手の脳が返信を受け付けていればだが。
 しかし、答の替わりに、アルルのこめかみに突き立てられていた指がゆっくりと離れる。
 アルルには理由が分かる。
 止めを刺す気だ。
 アルルは先程からのあまりの恐怖感の連続に、もはやあがく気力すら残っていなかった。

 ボク、殺されるのかな…。

 そんな、呑気に物騒な事を考えられる程の放心状態。
 アルルの目に、爪は異様にゆっくりと額に迫って見えていた。
 次の瞬間。
 地面の下、モンスターの足下の土の下から眩いばかりの光線が突き出し、人間の足の太さ程の光の柱がそのままモンスターを股の下から頭のてっぺんまで貫いた。
 微塵の衝撃も、停滞もない。
 モンスターはまるで分厚いバームクーヘンの様に体の中心に穴を開けられる。
 頭を失ったモンスターは彫像の様に微動だにせず倒れ、そして砂の様に闇に同化しつつ崩壊した。
 命が助かった。
 その事実。
 だが、アルルが脳を再始動させるまでにはあと少しの時間。それと、きっかけが必要だった。
 数秒の後。
「何やってんだか」
 きっかけが現れた。
「…!」
 半ば息をする事すら忘れていたアルルは、正に飛び上がる様にして我を取り戻した。
「…っつ! …ぅあ…」
 両手が、いや、体中が震える。
 喉も、息をするのが精一杯でとても声を出せない。
 とつ、とつ、と青いミニスカートの上に紺色の染みが次から次へと生まれる。
 今のアルルに出来たのは、その大きな瞳から止めどなく涙をこぼす事だけだった。
 そんなアルルの側に、いつの間にか真っ黒な男が立っている。
「服が汚れるぞ」
 凄惨な現場に、激しく的はずれな言葉をかける男。
 アルルはその声に、その姿に見間違えようのない記憶を重ねた。
「う…うく…あ…あ…」
 苦しんでいるかの様な嗚咽。
 シェゾが顔を覗こうとしゃがみ込むと、アルルはばねで弾いたかの様にシェゾの胸に飛び込んだ。
「う…うわぁぁーーっ!」
 途端、かんしゃくを起こした赤ん坊の様に泣き出すアルル。
 こうなると、今の彼が出来る事はあまりない。
 とりあえずよしよし、と肩を抱き、泣きやむまでそのままにしておく。
 彼に出来るのはこれだけだった。

 少しの後。
 腰の抜けたアルルはシェゾにおんぶされたままで帰路につく事となる。
 洞窟を出て街に着く頃は、既に日が傾き始めていた。
 道中、うつらうつらとしていたアルルだが、やがてざわめきに目を覚ます。
「へ?」
 気が付けば見慣れた街中。
 そして知らぬ顔ではない知り合いの顔、顔、顔。
 こうして、二人は夕飯の買い出しに勤しむ街の人々と鉢合わせる事となるのだった。
 明日から、商店街歩けないよぉ…。
 あ、でも、これもいわゆる既成事実ってやつなのかな?
 あ、でもでもこれがウイッチとかブラックの耳に入ったらまた…。
 アルルはそんな事を考えつつ、シェゾの背中に留まるしかできなかった。

 その日の夜。
「シェゾのせいじゃないかぁっ!」
 落ち着いた後、改めてあの時の恐怖感を思い出したアルルは半泣き状態で怒鳴る。
 場所はアルルの家。
 ベッドに寝かせていたアルルが、居間で本を読んでいたシェゾの元へやって来る。
 それからまず言った一言がそれだった。
「えらい言いぐさだな。命の恩人に向かって」
「だってだって! あれって、シェゾがダンジョンで暴れたから…」
 アルルをおんぶで連れ帰っていたさなか、アルルは驚愕の事実を聞いていた。
 ただ、その時は放心状態が強く、聞き流すしかできなかった。
 そして今。
 脳がはっきりと動き始めたアルルは、まさしく目が覚めたかの様にシェゾにくってかかる事となる。
「治療までしてやったのに」
「でも、胸触られた…」
 包帯の上に手を置き、赤くなって俯くアルル。
「傷口に触れたと言え。第一胸じゃなく胸の真ん中だけだ」
「それって胸の谷間に手つっこんだって事だよう…」
 思い出し、真っ赤になりながら呟くアルル。
 だが。
「谷間ってのは、高低差がある程度無いと谷間と言わん」
「どーゆーことかな?」
 アルルはやり場のない憤りに悶絶する。
 腕と胸元の傷は、幸い血こそ出たが掠り傷の部類だった。
 ヒーリングに因る新陳代謝の活発化に因って、傷口は化膿も無くほぼふさがっていた。
 かさぶたが取れれば、傷口は跡形も無くなるだろう。
 これは確かに感謝以外の何者でもない。
 下手をすればもう、胸の開いた服や水着が着れなくなるところだったのだ。
 女の肌に傷が残るか残らないかの瀬戸際とも言えたのだから。
 そもそも何故シェゾがアルルを助ける事が出来たかと言えば、無論アルルを助ける為に飛んできたとかそういう事ではない。
「シェ、シェゾがあのダンジョンに住んでいたモンスターを虐殺したから怒って、ボクまで恨まれてぇえっ!」
「襲われたから返り討ちにしたまでだ。もう少し奴らの頭が良けりゃ、身を引くって賢い選択肢に気付いていたんだろうがな」
 あの文献を見つけたのはそもそもシェゾが一足先であり、何かめぼしい物はないかと先に出かけていたのだった。
 そもそも実は、アルルが見た文献と言うのも、シェゾが読んでからほったらかしにしていた物であったらしい。
 こうして、よりによってアルルは手負いのモンスターがうごめく洞窟につっこむ事となるのだった。
「でもでも、とにかくおかげでボク死にかけたぁっ!」
「災難だったな」
「ホカニイウコトハアリマセンカ?」
「んが」
 アルルがおでこをシェゾにこすりつけ、鼻をかすらせつつ頭をぐりぐりと回す。
「いたい」
「ぐるる…」
 本人としては精一杯凄味をきかせて唸っているのだが、シェゾにとってはあいにく猫が喉を鳴らしている様にしか見えない。

 やれやれ。

 ふぅ、とため息をつくと、シェゾは目前にあるアルルの瞳を見る。
 自分が瞳に映っていた。
 シェゾは不意にアルルと唇を重ねた。
 元より目の前に顔があったので、少し顔を上げるだけでいい。
「……」
 アルルは彫刻になったかの様にぴたりと硬直し、少しの間瞳をぱちくりと瞬かせた。
 少しの間、唇の感触を味わってからシェゾの唇が離れる。
 シェゾはわざと、軽く音を立てて唇を離した。
「シェ…い、いきな…」
 何か言おうとしたアルルの言葉を遮りつつシェゾは提案する。
「じゃ、一応迷惑をかけたらしいって事で一つサービスだ」
「な、何…」
 鼻をくっつけたままでアルルが問う。
「今後、お前が冒険の場で本気でピンチに陥ったら、無条件で一度助けてやる」
「一度?」
「その代わり場所は問わない。大盤振る舞いだ」
「…うーん」
「本当に望むなら、助けに行く」
「……」
 嬉しいけど、もっと率直な事でも良いのに、とアルルが考えていると、シェゾは再び顎を上げてアルルに唇を重ねた。
「!」
「依存がないって事で、決定」
 今度は唇をくっつけたままでシェゾが言う。
 その声は妙に頭に響く。
「だだ、だから何で勝手にそういう…お、女の子の気持ちを…こう…!」
 アルルは体温を急激に上昇させつつ非難した。
 顔が上気し、自分の声が何か遠くに聞こえる気がする。
「嫌なら顔を離せばいい事だろうが」
「う…」
「今日はもう寝ろ。ヒーリングってのは、怪我自体にこそ確かに効果があるが、体にとってはむしろ負担だ。体力温存しないと、明日が辛いぞ」
 シェゾはアルルの頭をぽん、と撫でて席を立つ。
「どこに…」
「帰る」
 シェゾはそう言うと、そのまま本当に家を出て、そのまま行ってしまった。
 アルルは一人取り残される。
「…もう遅いし、どうせなら泊まっていけばいいのに…ボクをこんなにして…」
 そう呟いてから、アルルははっと口を押さえる。
「カ、カーくん、もう寝よう!」
 アルルはたった今までその存在を忘れていたオレンジパンを呼ぶと、さっさと寝支度を整えて家の灯りを落としてしまった。
 だが。
「…う〜…」
 体が落ち着かない。
 ベッドに入っても、アルルはなかなか寝付けなかった。
 結局、その夜アルルが眠りにつけたのは東の空がうっすらと明るくなり始めた頃の事だった。
 
「…っていう約束は、今も有効なんだから!」
 あの時こそ意識しなかったが、何処にいても助けに来る、と言う言葉は考えてみるとかなり嬉しい言葉。

 お前が世界の果てに居ようとも、必ず俺はお前を助けに駆けつけ、そしてお前を全身全霊で守る。命に換えても。

「…イイカモ」
 何か言っている事が激しく誇張されている気もするが、アルルは顔を緩めつつ、兎にも角にもその言葉をひたむきに信じ、そして新たな冒険の場に身を投じていた。
「I have come back!」
 気合いを入れ、新たな冒険の場、巨大神殿遺跡が大口を開けている、その闇に突入する。
 おいでませモンスター!
 アルルは歩く様も勇ましく、そんな事を念じながら進んでいた。

「…えーと…いや、別にそんなサービスしなくてもぉ…」
 一刻程過ぎた頃。
 アルルは泣きたくなる様な状況に陥っていた。
 じりじりと後ろに歩を下げつつ、アルルは周囲をゆっくりと見渡す。
 神殿を守る為に作られた雄々しきマジックガーディアン、ゴーレム。
 同じく石に命吹き込まれし存在の美しくもまがまがしき彫刻、ガーゴイル。
 更に、アルルは後ろから聞こえる低いうなり声に身を竦ませ、その場に硬直すると恐る恐る後ろを振り向いた。
 目線の先に居たもの。
 それは全長5メートル程のドラゴンの幼生だった。
 無機質な生物には生半可な魔導は効果がない。
 加えて魔法生物中の魔法生物たるドラゴンに対しては、やはり生半可な魔導など効きはしない。
 つまり、絶体絶命。
 望んで得る事が出来た状況ではあるのだが、今のアルルには恐怖心だけが心を満たす。
 だが。
「やぁっ!」
 アルルは気合い一閃に両の手を頭上にかざし、その手から何本もの青白い稲妻を周囲に落とす。
 空気が甲高くはじける音を響かせ、視界は幾筋もの青い閃光で網膜を焼き付かせる。
 放電の筋は何本かがモンスターに落雷したが、誰もそれに怯んだ様子はない。
 静電気がぱちりときた。
 その程度と言う顔だった。
「やぁっ!」
 次の瞬間。
 アルルは更に気を練りつつ、今度は走り幅跳びの要領でダッシュし、地面を蹴る。
 足が地面を離れるのと同時に、アルルは続けてフライを発動した。
 高難度魔導、フライ。
 飛翔や重力制御系の魔導は高度であり魔導消費量も多いため、扱えるだけでもとりあえず称賛には値する。
 しかし、流石に今放ったそれは詠唱時間も短く、そもそもが、まだまだ未熟なレベルであったため、効果はアルルの跳躍を手助けするに過ぎない。
 だが、それで十分だった。
「えーいっ!」
 アルルの飛翔はまるで月面での飛翔の様に大きな弧を描き、少なめに見てもアルルの身長の三倍を超えるモンスターの頭頂を楽々と越えるに至った。
 やや古いフォームの走り高跳びの様な姿勢でK点を越え、放物線は下がり始める。
「よしっ!」
 着地時、重力の干渉がうまくいかずに転んでしまうも、アルルは目的を果たした。
 モンスター達は今も前後不覚となり、周囲を見渡す。
 土煙にまみれた周囲を。
 アルルは、サンダーによる衝撃で周囲に砂埃を巻き上げ、視界を奪った上で脱出に転じたのだった。
 功は奏され、アルルは見事戦闘地域からの脱出に成功する。
 次なる行動。
「DASH&AWAY!」
 アルルは一直線に戦線から離脱する。
 気配を追い、土煙の中から光線が迫る。
「うぅわっ!」
 良い意味でアルルが強くない事が幸いしたのか、モンスター達はテリトリーから離れる獲物を必要以上に追おうという事はしなかった。
 アルルは時折顔の横を掠る光線に目を焼き付かせながらも、辛うじて脱出する。

「…死ぬかと思った…」
「ゴフー」
 額の汗をぬぐいつつ一息つこうとするも、次の瞬間、アルルは再び背筋を凍らせる事となる。
 頭の上から息づかいが聞こえる。
 そして頭に何かなま暖かい物が落ちてはじけた感触。
「……」
 アルルは硬直しつつ、そっと頭上を仰ぎ見る。
 視線の先。
 と言うか頭上の先に、巨大な頭を据えた巨大な熊型モンスター、ポイズンベアが立っていた。
「うわー」
 一瞬、あまりにも非現実的な状況からか、他人事の様な抑揚の無い声が出る。
 まるで、喜劇で表現される滑稽な程の緊迫した場面。
 アルルはずっと前に見た喜劇舞台の一シーンを思い出していた。

「で?」
「もう笑うしかないっっ!」
 アルルは満身創痍と言った風の疲れ切った表情で怒鳴る。
 場所は街の喫茶店。
 一週間前と同じ席。
 一週間前と同じ二人…いや、アルルがややぼろぼろになっているという相違点を除いた上で同じ二人が、楽しく会話に花を咲かせていた。
「なんでボクの行くダンジョンって、こうも凶暴なモンスターしか居ない訳!? 不公平! えこひいきだぁっ!」
 何に対してえこひいきかは不明だが、とにかく憤慨している事は確か。
「落ち着け。未開のダンジョンなんて、下調べもせずに行った日には、何が居たっておかしくないだろうが」
「いい、いくら何でも、あんなの居るって思わないもん! そもそも何の為の結界なのさぁっ!」
「本当にそう思っていたのか?」
 少々呆れた顔でシェゾが問う。
「え?」
「ちっとやそっとの魔物が住めない。つまり、その結界を凌駕する力を持つ魔物なら住めるって事だ」
「あ」
 アルルはハニワみたいな顔で時を止める。
「だだ、だったら尚の事…」
「あのな、一言言っておくが、自殺願望のある奴なんざ、俺は遠慮無く止め指すぞ」
「誰がっ!」
「だろ? つまり、俺が助けるのはお前が自分で本当にどうしようもない危機に陥った時だ」
「だから…」
「よーく考えろ。お前がピンチになる時ってのが、どういう時か」
「…だって」
 アルルの声がどんどん小さくなってゆく。
 同じく、アルル自身も小さくなっていった。
「安心しろ。時間制限なんて無いから、いつでも構わない」
「…うん」
 アルルは結局子供の様に諭され、言われるがままに頷くしか出来なかった。
 子犬の様にうなだれるアルルの頭を、シェゾがぽんぽん、と撫でる。
 端からの見た目は、正直恋人云々と言うよりも親子の様に見えていたらしい。
 周囲の視線は二人の微笑ましい様な、滑稽な様な雰囲気に、どこか楽しげ。
 シェゾはそんな恥ずかしい世界に居る自分自身も恥ずかしいとは思ったが、これでアルルも少しは成長しただろう、と割り切る事で納得するのだった。



 

前編 Top 後編