Top 中編


魔導物語 Call me 前編



 前編

 キミは確かに言ったよね。
 必要な時に呼べば来てくれるって。
 それなのに…。

「わぁっ!」
 薄闇に少女の声が響いた。
 声の主はアルル・ナジャ。
 彼女は今、街の図書館で見つけた文献の情報から探し当て、運良く発見出来た未開の洞窟に足を踏み入れていた。
 場所は街から徒歩で一日と意外に近く、入り口は街道から脇に逸れた、今は通る者も居ない山道近くだった事も幸いする。
 文献に因れば、そこは十世紀程昔に栄えていた文明が崇拝していた神を祀る祭壇だったらしい。
 入り口こそ草や木の蔓にまみれた自然洞窟だったが、その内部には筋交いや、壁を整えて装飾されていた跡が残っており、文献が正しいらしいと推測出来る。
 何より、ここには魔導士ならば間違いなく感じる事の出来る特別な気配が充満している。
 久々の冒険。
 アルルは何かの発見を期待して、意気揚々と足を踏み入れた。
 そして。
「うわぁっ!」
 壁に甲高い悲鳴が反響する。
 クレーターの様に穴を開けた下り通路。
 建物にたとえると地下二階分程降りた頃、周囲の状況は一変した。
 それは想像を遙かに超える攻撃的モンスターの来襲。
 主に照明目的で使用される簡易魔導、ライトの光が届かぬ安穏とした闇の向こうから、突如黒い鞭の様なものが飛来する。
 風きり音が右耳のすぐ横を通過し、同じタイミングで右足を鞭にすくわれ、仰向けに転んだ事で初めて複数の鞭だったと理解する。
「くっ!」
 鞭は来た時と同じ早さで闇に消える。
 右足に何も異常がない事を確認すると、腰の痛みを味わう暇無く、アルルは立ち上がる。
「灯りっ!」
 アルルはバイライト(ライトの上位魔導)を発動し、視界を広げる。
 そして光の類は闇を住処とする魔物にとって多少なりとも牽制程度の効果は発揮する筈。
 だが、それはむしろ災いした。
 相手にとってこそ、アルルが予想した通りの効果はあった。
 だが、闇に隠れていた敵が光に照らされ、その異形の姿を曝した事で、アルル自身も足を竦ませてしまったのだ。
 ゼリー状の体。
 薄墨の様に透き通った表皮の下には、青黒い臓器が見え隠れしていた。
 まるで、溶けかけた人体標本に餡をかけた様な魔物が、そこにいた。
 波立つ表皮が盛り上がり、気泡の様に膨れあがる。
 見なければ良かった。
 アルルは鳥肌を立たせながら足を竦ませる。
 次の瞬間、その内部から水鉄砲の様に赤黒い液体が飛び、アルルの左肩をかすめた。
 魔法付与された金と青のアーマーに液体が掠り、その部分が瞬間的に黒く変色、そして溶解しつつ煙を噴いた。
「きゃあぁっ!」
 アルルの悲鳴と共にかざした両の手が発光し、手と手の間に火球が生まれる。
 それは回転しながら瞬時に大きさを増し、熱量を増強させた。
「あっちいけぇっ!」
 次の瞬間、気合一閃、炎の魔法、ファイアーは放たれた。
 熱の軌跡が陽炎を引きずりながら、光の道筋となってモンスターに衝突する。
 衝突の瞬間、重々しい衝撃音と、温度差による水蒸気爆発の音が同時に響いた。
 続いて、異質な悲鳴が洞窟に響く。
 体の表面を火の付いた油の様に燃え上がらせ、黒い煙を噴き上げ、もがきながら叫ぶ。
 モンスターはその体を人型から正体不明に変形させつつ、もがき続けた。
 たまたま炎に弱かったらしいというのもあるが、とっさのファイアーではここまでの燃焼効果は得られない筈。
 アルルの緊張の高まりが生み出した産物らしい。
 胸の真ん中に炎のかたまりを植え付けられた魔物は、苦しそうにもがきつつも、やがて力尽き、その言葉の通り崩れ落ちた。
 続けて、奇妙な臭いの焦げた芳香が周囲に漂い、それは刺激臭となり鼻につく。
「!」
 アルルはこみ上げる不快感に慌てて口と鼻を押さえ、眉をひそめた。
「……」
 不快極まりない煙と臭いから、たまらず涙がこぼれる。
 ずきずきと頭が痛み、視界が心持ちゆがんでいた。
 すぐさまこの場から離れるに限るが、アルルはしばらくその場を動けなかった。
 煙に、有毒成分があったのかも知れない。
 アルルは腰の小さなポーチから小瓶の魔導酒入り解毒剤を飲む。
 気付けの成分が効いた。
 アルルは、おぼつかない足取りながらも臭いを感じない場所まで移動することに成功する。
「ふぅ」
 粘つく様だった空気が、洞窟特有の乾いた冷たい空気に戻る。
 少しの後、頭痛と視界の揺らぎは収まった。
 予防の為に飲んだ解毒剤も功を奏したらしい。
 アルルは足早にその場を立ち去り、更に奥へと進む。
 先程の戦闘を思い出し、アルルは大きなため息を漏らした。
 アルルは戦闘という一連の行動に、モンスターと対峙する空間に存在する事に、未だに慣れる事が出来ない。
 声を出さずに絶命してくれるモンスターもいるが、中には耳を塞ぎたくなる悲痛な叫び声を上げ、もがき苦しみながら、しかも恨めしそうに自分を睨み付けたまま絶命するモンスターも多い。
 アルルは何度胃をひっくり返しそうになったか分からない。
 だが、それでも彼女は修行を、冒険を止める気は無かった。
 最初のうちは両親の様な立派な魔導士になりたいと言う夢や、単純に冒険自体が好きだからと言い聞かせ、それに伴うどうしようもないリスクと割り切っていた。
 そしてそれは今も変わらない。
 だが、もうだいぶ前からになるが理由の一つに、そして最も大切な新しい項目が加わっている。
 それは、意識こそしていなかったがいわば恐怖の感情に近いものだった。

 それは、『独り』になる恐ろしさ。

 彼が、目の前から居なくなってしまう恐ろしさだった。
 ボク、一体いつ頃から目的が変わっちゃったんだろう…。
「ああもう!」
 アルルは頭を振り、思い浮かべたあの朴念仁の顔を吹き飛ばす。
 半ばヤケっぱちで、アルルはずんずんと奥へ進んだ。
「ボクは強くなるんだから! 沢山修行して、置いてけぼりなんてならないんだから!」
 今も闇の中から肌を刺す、隠れ潜むモンスターからの殺気。
 アルルは震える手を憎々しげに握りしめながら、その歩を進めた。
 今は名も無き洞窟。
 文献に因れば、ここの洞窟は地下水脈の枯渇によって出来た元水脈が空洞化したものであり、それ故に細かく枝分かれする道が多々ある。
 考え無しに進めば迷うのは必至。
 アルルは慎重に進んだ。
 つもりだった。
「誰かぁ〜…」
 一刻程の後。
「たすけて〜…」
 泣きべそをかきながら闇を彷徨う迷子が一人、出来上がっていた。

 翌日。
「死ぬかと思った! リアルで!」
 街のカフェ。
 その端のテーブルから怒声が響く。
「倒置法で言われても知らん」
「知らんって事無いじゃない! 知らんって事は!」
 アルルは興奮冷めやらぬと言った表情で包帯を巻いた両の手をこれでもかと見せつける。
「しかもあの後何とかかんとか奥まで行けたけど、結局盗掘後で壊れた陶器とかしか無かったし…」
「何だ、財宝目当てだったのか?」
「違うもん! ただ、到達したって言う目的は欲しかったの!」
「修行目的なら自分自身が一番の戦利品だろ」
「だけどぉ…」
 シェゾはぶつくさ言いながらこねくるアルルの指に絆創膏を見つけて呟く。
「せめてカー公つれて行けばいいものを…」
 シェゾはそんなアルルの隣でタライに山盛りのカーバンクル専用スペシャルランチ(残り物の特盛りとも言う)を貪り食うカーバンクルを、目線でつついた。
「あ、いや、途中までは居たんだケドね…」
「……」
 お前、見失ったな。
 シェゾは目の前で途端にばつが悪そうに萎縮するお子様を見て溜息をついた。
「と、とにかく、この前の約束は有効なんだからね! それなのに助けに来てくれないなんて契約違反! 魂食べるよ!」
「食えるもんなら食ってみろ。第一、違反はしていない」
 コーヒーをすすりつつ、シェゾは至ってクールに非難を突っぱねた。
「Where is going?」
 アルルは巻き舌で問いつめる。
「言った通りだ」
「うそだぁー!」
 アルルがだだっ子の様に腕を振る。
 こいつは本当に十代後半か?
「本当だ。本当にお前が危ないと思ったなら、まぁ助けに行ってやる」
「昨日来て欲しかった…」
「だがこうして今ここにいるだろうが」
「来る事が出来なかったらどう責任取ってくれるの!」
「だからその時は助ける」
「だから昨日来てほしかった!」
 その日、シェゾとの話はどこまでも平行線だった。

 一週間後。
「I have come back!」
 仁王立ちし、何かの演説の様に片手を上げて宣言するアルル。
 その声は山中に大きく木霊していた。
 その日、アルルは場所を変え、とある遺跡に立っていた。
 山の中腹に位置するその遺跡は、地表に出た部分を岩や土壁で整え、それより下の建造物を、土中をくり貫いて作られてある。
 神殿として作られていたと言われるそれは、今となっては浸食が進み、根を伸ばした植物や自然崩壊によって半ば土に埋もれていた。
 が、それでも尚奥深くへと続くその通路は巨大であり、正しくダンジョンと呼ぶに相応しい様相。
 辛うじて照らし合わせる事が出来た文献に因れば、過去は神聖な場所としてかなり崇高に祀られていたらしく、神聖魔導の加護は厚かったと書かれている。
 つまり、廃墟となってからもその効果は残留するはずであり、そうそう危険な魔物は潜まぬと言える。
「よし! ここなら条件もバッチリ! 間違いなく死ぬ程の危険性は無いけど、安全でもないのだ! 正にシェゾ引っ張り出す冒険の場にぴったり!」
 何か冒険の趣旨がずれ始めている様な気がしていたが、敢えて気にせず冒険の扉を開くアルル。
「絶対に一度は危険な目に遭って、そんでもって飛んで来させるんだから!」
 既に行動の目的も理由も破綻している。
 アルルは千載一遇のチャンスを得た、一ヶ月前のあの日を回想していた。

 一ヶ月前。
 夕方の商店街。
「まったく、俺がたまたま通りかからなかったらどうなっていた事か…」
 シェゾがやれやれ、とため息をつきながら通りを歩く。
 ふと周囲を見ると、道行く若い女性がいぶかしげな、と言うかじっとりと睨む様な目つきでシェゾを見ていた。
 普段、顔をあわせた途端に茹で蛸と化す普段とは正反対の行動。
 それは、シェゾのせいではない。
 視線の先にあるのは、正確にはシェゾではなく、シェゾの背中に張り付いている、ある物だった。
「あの…えーと…なんか、視線が…痛い視線を感じるんですけど…」
 声は彼の背中から聞こえる。
「知らん」
「そんなぁ」
 恥ずかしげな声。
 シェゾは人の通りも多い街中の往来を、アルルをおんぶしながら歩いていた。
 ちらりと周囲を見ると、今度はアルルの母親くらいの年齢らしき女性があらあら、と妙に微笑ましげにこちらを見ている。
 アルルは、そんな微笑みが冷やかされるより遙かに恥ずかしかった。
「あ、あの…は…はずかし…」
「なら歩けるのか?」
 アルルの腕と胸元には、何かの処置らしき布が巻かれている。
 多分、背中から胸をずらせば、そこはあられもない恰好になるであろう事が予想出来た。
「にゃうう…」
 アルルは心底情けない声で鳴いた。

 アルルがシェゾにおんぶされる事となる一日前。
 アルルは、とある遺跡ですっかり途方に暮れていた。
 そこは街からは歩いて一日程度の距離であり、街道からもそうそう離れていない場所の遺跡であった。
 その為、装備よりも動きやすさを重視した事が災いする。
「うそぉっ!」
 それは一瞬だった。
 只の影にしては妙に黒いと思っていた。
 それを怪しいと思うべきだった。
 突如、墨で塗った様な影から同じく真っ黒なモンスターが湧き出し、正面切ってアルルに襲いかかる。
 熊より大きな骨張った熊を連想させるモンスターがアルルを襲う。
 実戦には慣れている筈のアルルだが、悪魔という存在の本能的な恐怖感がその奇襲と重なり、すっかり足を竦ませていた。
多分、出現から次の動作まで0.5秒も無かった筈だ。
 頭上に掲げられた爪が、二階から落ちてくる様な勢いでアルルの頭をかすり、頭蓋こそ致命傷を免れたが、胸の真ん中と左腕に切り傷を受けてしまう。
 音も聞こえなくなる程ゆっくりとそれを確認したアルルは、やっと痛みを感じてから声を出す事が出来た。
「きゃあぁっ!」
 鋭い爪は、軽装とは言え通常より遙かに刃物に強い布で作られている上着を、薄紙の様に切り裂く。
 大きく開いた胸元には、白い肌と対照的な赤い線が滴っていた。
「うぐっ!」
 とっさに体を守ろうとしていた腕のウォーマーも同じく切り裂かれ、青い布地の裂け目からは赤い染みが滲み出す。
 痺れた様な感覚と熱い痛みを脳に満たしながら、アルルは人形の様に勢いよく倒れた。
「シェゾ…」
 無意識に声が漏れる。
 だが、耳に聞こえるのは返事の代わりに響く、モンスターの咆哮のみ。
「カーくん…」
 アルルはやっとの事で、連れてきていた相棒の事を思い出し、その名を呟いた。
「ぐー!」
 アルルの遙か後方。
 世界を切り取ったかの様な暗闇に一閃のオレンジ色が輝いた。
 それはモンスターの胸を貫き、尚もその後方に光を伸ばす。
 影から生まれたかのごときその体はインクの様に闇に溶け、置きみやげとばかりに吐き気を催す様なグロテスクな悲鳴が響いた。
「カーくん!」
 アルルは身を起こし、傷の痛みも構わず歓喜の声を上げた。
 だが。
「!?」
 闇の向こうから駈けてくるオレンジ色が、突然闇にかき消えた。
「カーくん!?」
 カーバンクルの身に何かが起きた。
 そして、同時に頼みの綱が切れた事実をアルルが襲う。
 急に胸や腕の傷が痛みを増す。
 わき起こる恐怖が体の感覚を鋭敏にしていたのだ。
 カーバンクルの安否も去る事ながら、自分も絶体絶命。
 アルルは汗もかけぬ程に神経を尖らせ、心臓を早鐘と化させていた。
 闇から、再び悪魔が姿を現す。
 立ち上がったそれは血の様に赤い瞳でアルルを睨み付け、再び巨大な熊手を思わせる手をアルルの頭上にかざそうとした。
「ひ…」
 動く事もままならぬまま、アルルの額に杭の様な爪が触る。

『よくも…

「!?」
 アルルの脳に声が響いた。



 


Top 中編