魔導物語 当たるも八卦、当たらぬも八卦 第六話 難の六 女難 ほんの少し前まで、街にはいつも通りの平和な時間が流れていた。 そして、平和な時が終わるのはいつも突然となる。 天から、二つの流れ星が来襲するその時まで、街は平和だった。 耳を劈く轟音が街の中央、噴水の流れる広場に轟く。土煙と水しぶきがぶちまけられ、辺り一帯にあった出店の食べ物関連は全てダメになる。 見る者が見れば分かるのだが、それは不思議な光景だった。 見えた流れ星は二つ。しかし、一つ目は、何故か音も無く地面に落ちたのだ。 それが人の形だったので、さらに驚いていたのは言うに及ばぬ事。 そして、その一つ目の代わりとでも言わんばかりに二つ目は凶悪に、強力に、凶暴に降り立った。 本当の隕石が落ちてもここまではならないだろう。 だが、幸いにも街の中央にして『それ』の直撃を受けた者はいなかった。被害らしい被害と言えば公共物の破損、出店の商品を除いては、広場外れのベンチで寝ていた老人が腰を抜かして、尻から地面に落ちたくらいだ。 そして、煙の様にもうもうと湧き上がる土煙の中から笑いが聞こえる。地獄の唄と言っても差し支えないだろうその笑い声は、誰でも無い、只一人の男にささげられる鎮魂曲だったのかも知れない。 「くはははは…ははははは……シェゾよ…シェゾよ…」 自分のこめかみを、爪が食い込むのも気にせずぎりぎりと握るサタン。頬に、涙の様な赤い線がつつ、と流れる。 酔っているかの如くふらつきながら近づくその様は、どこか前衛芸術的な舞台演技を連想させる。 「…サタン…」 シェゾもその動作、精神状態にやや神妙になる。 せっかく出来るだけ静かに降りたというのに、もう服はあちこちに大穴を開けていた。 奴、本気でやるのか? 彼の眼光がすう、と冷たく輝く。 それが表すのは諦めでも悲しみでも無い。 ただ、確認しただけ。 シェゾの体から、今始めて人のものならざる気が陽炎の如く沸き立ち始めていた。 「ふ…遺言があれば聞いておくぞ」 サタンが笑ってない目で笑う。 「そうだな…」 シェゾは考える。 「アルルに、後を追うなよって言っておけ」 「…言うかあああぁぁぁっ!!」 理性をたった今、あっちに捨て去ったサタンが肉食獣の如く飛び掛る。 かくして、最初の作戦は成功する。 彼はもう、冷静な判断は出来ない。 いつの間にやら右手に握り締めていたサタンソードが兜割りの構えで襲い来る。当たれば、岩すらもチーズの如く切り裂くであろう太刀筋と、その切れ味だ。 「!」 肺に空気を推進力とばかりに思い切り吸い込み、直後にシェゾは闇の剣を下段から思いっきり振り上げる。 二つの名剣は一瞬、直角に交わった。 だが、シェゾのそれは、襲い来るベクトルに対してほぼ水平だ。 刃をまともにかち合わせては正直部が悪い。 彼は、熊より強力な力で振り下ろされる剣を最高の技で受け流した。 闇の剣の刃を滑るサタンソード。マグネシウムを燃やしたみたいに白い火花が散った。 「くっ!」 だが、その技をもってしても尚、ベクトルをほぼ全ていなしたと言うのに尚、それでも腕には骨が折れそうな程の衝撃が襲い掛かってきた。 刃がぶつかり合った時間はわずかにコンマ02秒。 それでも、シェゾに流れた余力は彼を七メートルも吹き飛ばした。 「…っ!」 靴が悲鳴をあげて地面を削る。 倒れなかった事自体神業だ。本来なら、頭から地面にめり込んでもおかしくないその衝撃と速度だった。 そして、そんな光景を目の当たりにした人々はたまったものではない。 知っている人は、またあのにーちゃん達だ、とか言ってなんとか平静を保っているが、知らない人はモンスターの来襲か、この世の終わりか、と蜘蛛の子を散らす様にして広場から姿を消した。 ここは街のど真ん中、迷惑極まりない事である。 「…痛ぅ…」 痺れる腕は、僅かの間だが両腕から握力を奪っていた。何とかふんばって、闇の剣を水平に保つ。 闇の剣も、声こそ出さないが痛い、と怒っている様子だ。だが、同情する前に、それだけの衝撃に耐え切る剣をまず誉めるべきだろう。 そして、当のサタンは未だ、振り下ろした剣を地面に叩きつける直前の恰好で静止していた。その姿は石像の如き力強さ。 とにかく、何と言う力、何と言う技か。 あれだけの力で剣を振り下ろしたと言うのに、切っ先を地面に着けぬとは。 シェゾは、気を抜かずにゆっくりと息を吐いた。 剣をサタンの眉間にぴたりと定める。 足の踏ん張りが命だ。腰がぐらついたりしら、今の奴なら本気で俺の首を体から離別させるだろう。 だが。 力を込めたその時、足に激痛が走る。 …そう言えば俺、足痛めていたな。 ヤバイ。 正直、冷や汗が出た。 それ自体も致命的だが、更にそれを悟られるのはもっと危険だ。 スポーツマンシップっつっても通用しないだろうな…。 こんな状態でも、どこかトボけた事を考えてしまう。こんなだから、あいつに怒られるんだな。 「……」 俺、何であいつの事を今考える? そう思うと、こんな状態でも口元が歪む。 サタンはそんな男に改めて腹を立てた。 「貴様…。この期に及んで尚ふざけるか…。これだけ、これだけ多くの警告をくれてやったと言うのに…ここまでのこのこ来ただけでも許すまじき愚行だと言うのに…」 「何?」 『…あ、主…。この男…まさか…。 耐えかねた闇の剣が呟く。恐れではない。呆れだ。 「サタン…。お前か? あの本、今までの災難…お前、なのか…」 「それがどうした! とうとうここまで来おってからに! 川に落ちて風邪ひいて寝てしまえばよかったものを!」 シェゾは、立ちくらみにも似た目眩、そしてそれと同時にふつふつと湧く怒りを心に覚え始める。 「てめぇ…。どこまでヒマなのか知らねぇが…おかげで、俺が今どれだけ困って…」 シェゾはじり、と間合いを詰める。 「やかましいっ! 貴様をこれ以上近づける訳にはいかんのだぁっ!」 「だから何でだよっ!」 的を得ない問答にいい加減苛々するシェゾ。 「…Gold silkwormを知っているか?」 「あ?」 「名前こそ金だが、それは突然変異で体色素が美しい茄子紺色に変化した貴重な蚕でな、天然の上に劣性遺伝なのでいつ、どこでどれだけ生まれるかは誰にも分からない。欲しいと思っても金で買えるものではない。然るに、その蚕一匹が同じ重さの金より価値がある、と言う意味でその名が付いた」 「あ、ああ…」 思わぬ講釈にシェゾは調子を狂わせる。 「その蚕の繭から作られたシルク糸の美しさは、染めたシルクには決して真似の出来ない美しさを持つ極上の糸となる。最初に発見された当時には、金どころかプラチナやダイヤ、奴隷まで使って交換する者も居たそうだ。とある博物館には、王族が着たマフラーとして保存されている所すらある」 「……」 ここまで喋って、多少落ち着いたサタン。先程の烈火の如き口調から打って代わり、今度は、切々と語る。 「一ヶ月前、私の元にアルルが来た…」 「? 良かったじゃないか」 「…そして、アルルは私に言った。編み物をしたいから、私の力でこのシルクを探してくれないか? とな。…大方、ルルーの家で何かの本を見て、たまたまその蚕の事を知ったと言うところだろう」 「へ、へぇ…」 シェゾの顔がわずかに曇る。 「私は正直困った! それは自然からの賜り物! 金でも権力でも思い通りに手に入るものではない。だがしかし、そんな顔は出来ない…。無下には出来ない…。と、アルルは不意に私の周りを歩いて何やら目測をしていた」 「……」 「私は気付いた! まさか、もしかして、いいや間違いない! アルルは、アルルは私の為に最高級のセーターを編んでくれようとしているのだああっ! …とな。多分…恐らく…」 「何で最後は弱気なんだよ?」 正直、今聞くべきではない気もしたが、彼は聞いてみた。 「…まあ、続きを聞け」 不思議と冷静に答えるサタン。 「つまりな、アルルはいかにもな行動をしつつも、私自身にはひとっこともそれらに間する言葉を語ってはくれなかったのだ。替わりに言った。自分にそれを探して来てくれたら、カーくんを探している間ずーっと貸してあげる、とな…」 「…そう、か」 なんだか、その気も無いのに彼に憐れみを覚えるシェゾだった。 「まぁ、私は決心した。アルルを信じて、そして、カーくんが久し振りに我が腕の中に帰って来るのなら、決して悪い話ではない、とな。アルルが渡してくれたカーくんも、我が腕の中で久し振りの抱擁に大喜びしてくれていたし…」 それは単に暴れていただけだろう、とシェゾは思う。 「そして、私は自らも含めて家臣達に指令を出した。速やかに、しかし決して力を使わず、平和的な方法で繭を集めよ、とな」 「苦労しただろうな…」 「したとも!」 斜め上を見ながら話していたサタンが、ぐるりと振り返って両手を広げる。 「季節の問題もある。在庫など、無に等しい。職人気質の生産家となると、下手をすれば友となったら譲るなどと言い出す始末だ!」 だんだん芝居がかってきているその仕草だった。 「ああ、そうだ。したとも! ああ。これだけの苦労をな! アルルに釘を刺されていたからな! 本当に偉い人なんだから、暴力なしだよね? とな。そうとも、私はそれを守り、そして達成した!」 シェゾの目の前では、今やオペラの寸劇が開かれていた。 「二週間前だった。アルルに、セーターにはぴったりのヤーンに仕上げた、歴史的にも貴重とすら言えるその茄子紺色のシルクを渡したのだ、私は」 倒置法まで入ってきたぞ…。 「…だが、だが…」 サタンは両手で頭を抱え、ふらりふらりと片膝を地面に落とした。 「待てど暮らせど、我が元には何の音沙汰もない…。普通なら、セーターを二着は作って尚余りある時間が過ぎた。だが、私の元にはアルル本人も、使いすら来ない…」 アルルに使いは居ないだろ。 シェゾは冷静に心でつっこむ。 「そして、私は気付いた」 「何に?」 「…要は、アルルが編み物を完成させて誰かに渡すとして、その時に対象となりうる相手が他に居なければ良い、とな」 「…おい」 既に彼の論理は支離滅裂だ。 「そうとも! それならば、アルルは私にそれを渡してくれるに違いない! とな」 そこまで言って、再びサタンの眼光がぎらりと輝き、シェゾを捉えた。 恐怖とは別の意味で、シェゾは背中に冷たいものを感じた。 「…私の見たところ、この界隈で対象となりうるのは…百歩譲って候補に入れてやったのは…シェゾ、貴様と、ラグナスだ」 びしり、とサタンソードがシェゾの眉間を捉える。 「……。何?」 シェゾはハッとした。 「…さっき、ラグナスは…」 「そうだ、今頃、またドラゴンとフルマラソンしているだろう」 あ、哀れな…。 シェゾはとばっちりも良いところの目に遭った男に心から同情した。 「奴は片づいた。つまり、分かるな?」 「…俺、か?」 「っくはははははは…」 顔が口になった気がした。乱杭歯と血のように赤い唇だけが見える。 「シェゾ…二ヶ月寝たきりと半年車椅子、どっちがいい…?」 サタンがそう死の宣告をした時、しかしシェゾは何故か、今までで一番不敵な笑みを浮かべていた。 「あーーーーっ!」 サタンの背中から、緊張感を解きほぐすその声が響いた。 「!?」 サタンがバネで弾いたみたいに振り向いた。 「あ、何ぃ…!」 サタンは、逢えて嬉しい様な、何故彼女がここにいるのか分からない様な気がして、一気に頭を混乱させる。 「ゲームセットだ」 シェゾがぼそりと呟いた。 「アルル…」 そこに現れたのはその通り、アルル。 紺のセーターと白いミニスカートを身につけていた。 彼女が着ているセーターは、その色合いは、そう、間違いなく金蚕のシルク。 「な、何故アルルが…」 「あのな、街のど真ん中であんな轟音出して、あいつが興味を持たないと思うか?」 かくして、勝利の女神は降臨した。 「…シェゾ! な…!」 と、アルルは呆けたサタンを無視してシェゾに駆け寄る。 「…な、何これ!?」 アルルは彼の格好を見て驚く。 大穴の空いた土だらけのそれを、土色になったそれを見て驚き、そして肩を落とす。 「奴に聞いてくれ」 シェゾは冷たい瞳でサタンを見る。 「…まさか、サタン?」 アルルはシェゾの服を掴んだままでサタンを睨む。 立場は正しく逆転した。 「い、いや、私は…」 「キミ…キミ…何で…こんなコトするの? ボクが、一所懸命作ったセーターを…」 土色と化したセーターから、ぽろりと千切れた糸が落ちた。表面こそぼろ切れ同然だが、毛糸の断面は未だ、美しい茄子紺色だった。 「は!?」 サタンが阿呆みたいに呆けた顔をする。 「…え? あの、アルル? えーと、君の着ているのはそうだが…シェゾ?」 「そうだ、そうだよ、サタン。お前のおかげで見る影もないが、俺の着ているのは、そう、一昨日アルルに貰った、その金蚕の、金蚕のセーターだったものなんだよ…」 今度はシェゾが芝居がかった科白を流す。 お手上げだ、とばかりにあげた右手の向こうに太陽が輝いてる。 「……!!!!!」 今度はサタンの顔色が土気色になる。 「今日、初めて着た。最初は、アルルのと同じ綺麗な紺色だった。だが、お前がこうしたんだぜ。だから、お前はさっき俺の姿を見てもそうだとは微塵も思わなかったのさ」 「あ、あう…」 「お前は…、全くの無駄な努力を重ね、そして最悪の結果を招いた。その責任、どう取るつもりだ? 金蚕はもう無いだろう?」 「…サタン、キミ…何考えているの? ホントは、ボクに金蚕探してって言われたの嫌だったの? だったら、だったら…そう言ってよ…。作ってからこんな事するなんて…」 「っわわ、私は…私は…」 もう、自我崩壊寸前のサタン。ムンクの叫びを連想させる彼だった。 そして、尚も彼には追い打ちがかかる。 アルルは背中の小さなリュックからもう一つ、美しい紺色の編み物を取り出した。 「…これ、マフラー」 アルルは悲しそうに言う。 「ボク、サタンならと思ってお願いしたけど、勿論大変だって分かっていたから、お礼はって思っていたの。で、このマフラー、作ったの…ちゃんと、Sの頭文字入れて…フサフサもつけて…。今、寒くなっているから、会えた時にいつでも渡せる様にって、こうやって、持ち歩いていた…」 「ア…アルル…!」 「でも…でも…」 アルルは打ち震える。 「シェゾにあげたセーターを、こんなにするなんて…。あげた時は着てくれなかったから、だから、今日、着て逢いに来てくれるって約束だったのに…別れた後から、今日を楽しみにして…」 シェゾはアルルの肩に手を置く。 「悪いな。お前に、作ったお前に、見せられなかった…」 「ううん…。それでも、シェゾ、ボクに逢いに来てくれた…。そんなぼろぼろの格好でも、帰らずに、ボクに逢いに、来てくれた…」 サタンを無視して、アルルは土だらけでボロボロのシェゾのセーターに顔を埋めた。 「ああ…あああ…」 最早、自分の立場どころか生存すら否定された感のあるサタン。 「…サタン」 アルルは、そんな彼に不気味な程にっこりと微笑む。 「……」 恐怖でもう、冷や汗すら出ない。 アルルは、そんな彼を最早『見て』いるのか見ていないのかは分からないが、ゆっくりと両手を向ける。 そして、優しさすら感じる落ち着いた呪文詠唱は、サタンの耳にはやけにスローに聞こえた。 一秒とも、一時間とも分からない静寂の後。 「じゅげむーーーーっ!」 街に、その日二度目の轟音が鳴り響いた。 その後、数日後に分かる事だが、某金色の勇者は実に三つ先の山脈まで離れてやっと逃れたと言う事が判明する。シェゾは、この時ばかりは疲労困憊で帰ってきた彼を優しく迎えたという。 ついでに、更に遠く離れた大陸端の海岸に、世捨て人の如き姿の角付きの男が石像の様に微動だにせず海を眺めていると言う噂がこの街に流れるのは、もう少し先の話だった。 川に始まり土石流、炎、風属性、サタンときたが、最後の『女難』。これだけは、計画を目論んだ彼自身に降りかかった厄災、いや、自業自得の罰であった。 これを世では、人を呪わば穴三つと言うとか言わないとか…。 |