魔導物語 当たるも八卦、当たらぬも八卦 第二話 難の二 地難 気が付くと、セリリの顔が隣にあった。 顔を横にすればくっついてしまいそうな至近距離。 手の平枕がいつの間にか腕枕にレベルアップしている理由は永遠の謎。 えーと…。 シェゾはこういう時の対処方法を知らなかった。 セリリの寝息が耳をくすぐる。 半開きのおちょぼ口。その無防備極まりなくあどけない寝顔。腕にかかるきめ細かな青い髪。シェゾは、剣でも突きつけられている方がよっぽど心臓にいいと思った。 しばらくの後。 「…あれ?」 セリリは目を覚ました。その時は丁度仰向けだったので、まず目に入ってきたのは青い空と、視界の端の木々の緑。 そして。 「?」 妙に頭の心地がいい。 地面に寝そべった時の感覚ではない気がする。 ふと、目を横に向ける。 「……」 シェゾがぼーっと空を見ていた。セリリに腕枕を提供したままで。 「!!!!!」 セリリは、がば、と起き上がる。 「え、ええ?? わ、私…」 セリリはおろおろと慌てふためく。顔は瞬間的に真っ赤だ。 「起きたか」 そんなセリリを見ながら、シェゾも起き上がる。 「…あ、ああ…あの、あの、わ、私…!?」 絵に描いたようにおろおろするセリリ。どんな仕草をしても可愛いと言うのは女の専売特許であろう。 「気にするな。ちょっと昼寝しただけさ」 そう言いつつも、シェゾもかすかに照れがある。もっとも、今のセリリがそんな些細な事に気付くほど冷静な筈は無かったが。 とりあえずシェゾは立ち上がる。もう、服も乾いている。服をばさばさとはためかせてから、再び彼はもとの服装に戻った。 「じゃ、俺は行く。世話になった」 「い、いえ、そんな…」 セリリは自動的に挨拶しているみたいだった。 シェゾが立ち去った暫くの後も、セリリは心ここにあらずの状態で、目に見えぬ幸せを噛み締めていた。 シェゾは歩き出した。 そう、俺は街へ行くんだった。 まだ日は高いが、けっこうな時間を食った。 …ちょっと急ぐか。 やがて彼は斜面に出た。視界の下には広い森。彼方には街が見える。 「……」 やや地面が露出した斜面を歩くシェゾ。 彼は今朝の本の事を忘れていた。 だから、再び事は起こった。 「必殺キーック!」 空から厄災が降ってくる。 「!」 シェゾは既の所でその襲撃を交わす。 真っ赤なチャイナドレスを纏った竜族の少女ドラコは、その踵を地面にめり込ませた。 「…よっと!」 軟らかい地面ゆえ、その反動を利用してその身を跳ねさせる。前方に二回転ほどして、華麗に着地した。 ドラコは、背中をワザと隙だらけにしたまま振り向いた。 「よ、シェゾ。久しぶり」 まるで悪びれる風もなく言うドラコ。 彼が、この程度の攻撃を避けられない訳が無い事も、それを怒らない事も、そして隙だらけの背中を狙う様なマネもしない事を知っているのだ。 「よう」 それを証明するかの様な、いつも通りの返事。 「あーあ。また外れた。たまには当たってよ」 そういうドラコはクンフーでも積んでいたのか、服がやや土に汚れている。所々に、切り傷も見えた。 「断る」 「えー? そういう甲斐性がないと…って、こら、無視するな!」 それが甲斐性かどうかはともかく、シェゾは既に歩き出していた。 「俺はお前に用がない」 振り返りもせず、ずかずかと先を歩くシェゾ。 ドラコは、小走りで追いかけてきた。 「急ぐのは賛成だけどさ、もうちょっと待ってよぉ」 「何で賛成なんだ?」 シェゾはやっと、少しだけ足を遅めにする。 ドラコは隣に並んて歩く。 「いやさ、ホントはすっごく助かったと思ってるんだなこれが」 「…?」 彼女の言葉はいまいち的を得ない。 「ほら、シェゾって魔導士で剣士でしょ?」 「…ああ」 「つまり、一人よりは心強い、と」 「だから…」 そう言いかけて、シェゾは異質な気配を感じる。 「あ、もう来た…」 ドラコは、珍しく本気で困った、と言う顔をする。 「おい、この気配って…」 「えーと、やっぱ分かる?」 背後から、微かに地鳴りの様な振動が伝わってきた。それは、一秒とかけずにはっきりと伝わるほど大きくなる。 「……」 シェゾは、うんざりした顔で後ろを見た。 「GUUUUOOOOOO!」 山の斜面を滑り降りるみたいに飛んで来るのは、巨大なファイヤードラゴン。 普段はああいった上級魔法生物は、温厚と言うか感情を露にしない筈なのだが、何か嫌な事でもあったのか、正気を無くした様な目で迫り来る。 「…ナニやった?」 シェゾはドラコに聞く。 「え、いやぁ、特に何も…」 シェゾは、わざと目に見える様にして転移しようとする。 「わわ! 分かった分かった! 置いていかないで!」 ドラコはシェゾの腕にしがみ付いて懇願する。 そんな漫才の間に、ドラゴンはもう頭上まで来ていた。 時折太陽を遮りながら、旋回して威嚇している。 あれだけの剣幕で迫っておきながら攻撃に移らないのは、彼のせいだろうか? 「…やっぱあんたがいて良かったわ」 「で、なにやった?」 「いやね、大した事じゃないんだよ。えーと、ミラクルキックの練習で地面を蹴っていたらね、その振動がうっかり山の中のドラゴンの巣に響いて、それで土やら岩やらが頭の上に落ちてきたらしいんだな。で、こうなったと…」 「アホだな」 シェゾはさらりと感想を述べる。 「だからさ、助けてくれない? あたし、このままじゃこの若い身空で永遠の眠りにつきかねないじゃん」 シェゾは、大きく溜息をついた。 「捕まれ」 「あたしと一緒に逃げてくれるの?」 誤解を招きそうな科白である。 「…そうだ。視界から居なくなれば諦めるだろう」 「お願い!」 ドラコが無造作にしがみ付く。 シェゾは、すう、と息を吸い念を込める。短距離の転移ならば、二人でも大した負担ではない。 ドラゴンは、地面から異質な波動を感知する。 下を見ると、二人は姿を消していた。 「っとぉ!」 ドラコが、地面に足をつけてよろけた。転移の感覚には流石に不慣れな様だ。 「…大丈夫かな?」 「多分な」 そこは、まだ森の中だった。先程の場所から数キロほど離れた場所。 「俺な、用があるんだ。もうこれ以上の面倒は起こさないでくれ」 そう言って再び歩き出そうとするシェゾ。 「あはは。ゴメンね。今度何か…」 そう言ってドラコが息を飲む。 シェゾも、神経をピリリと張り詰める。 「……」 「…うそ…」 二人は上空を見た。 青い空に白い雲が流れる普通の風景。 が、視界の中心がぐにゃりとゆがむ。陽炎のように空気が揺らぎ、それは靄となり少しづつ太陽を遮る。 だんだん濃度をあげて、何かの形を形成してゆく。 空気が今頃になって重い振動音を二人に伝えた。 木々が揺らぎ、鳥が逃げてゆく。 「…あいつ、もしかしてhigh dragonか…?」 なんでこんな人里近い山にそんなのがいるんだか…。 それは、この地域が普通とは違う事実を示していた。 「ひえ…」 ドラコは腰を抜かしそうだった。竜族とドラゴンは系列こそ根本は同じかも知れないが、生物としてはまったく別の進化を遂げている。むしろ、正常進化の末裔と言えるドラゴンにとっては人型の分際で角と尻尾を持つ竜族は、忌むべき粗悪な亜種とすら考えられているのだ。 空を劈く咆哮が響く。 二人の上空に、さっきと同じ位置関係で再びドラゴンが現れた。 転移を扱えるようなドラゴンと悪戯にやりあうのは愚行だ。 「ドラコ、本気で逃げるぞ」 「わああ! おいてかないで! 一人じゃ死んじゃう!」 ドラコは慌てて腕を取る。 こいつ、誤解を生みそうな言い方しか出来ないのか? シェゾは再び瞬発的な魔導発動を試みる。 しかし、遅かった。 地面が、空気が振動する。 余震などありはしない。地面を巨大なハンマーで打ちつけた様な衝撃が二人を襲う。 「く!」 「わああ!」 そして、強固な地盤は情けないほどあっさりと崩れ、シェゾの周りは木や草、岩ごと土石流となって流れ出す。 もはや魔導を発動するなど不可能。 high dragonは、人のそれより遥かに素早く、強大な魔導を発動できるのだ。 「うおお!」 「わああああーー!」 二人は、土の激流に飲み込まれた。 「…冗談!」 シェゾは左手にドラコを抱え、右手をとにかく前に突き出す。 土に押されて腕が折れそうだったが、瞬間的な土石流なので僅かな停滞があった。 それを見逃すシェゾではない。 「!」 シェゾは、普通なら意識を保つだけでも奇跡的なその状況下で、練れるだけの気を集中した。 そして、渾身のエクスプロージョンを放つ。 次の瞬間、閃光と爆音が響き、数百トンを超える土や岩が、砂の様に吹き飛んだ。 「うわお!」 場違いな声ではあったが、ドラコの正直な感嘆だった。 家みたな大きさの岩すら押し流す土石流が、Yの字、いや、Tの字に分かれた。 「ふん!」 気合一閃。今度は、緊急用の転移ではない。正式な詠唱と構築によるテレポーテーションを発動した。 同じ詠唱、魔導力の構築でも、上手い者が行えば省略したみたいに時間は短くなる。シェゾは、土石流を押しのけた僅かの間に、それをやってのけた。 二人が、本当に気配を引きずる事無く消える。 ドラゴンが忌々しそうに咆哮した。 慌てた転移、下手な転移は、移動のノイズが後を追えと言わんばかりに残留する。だが、正しいテレポートは正に瞬間的に全てを消すのだ。 出現場所を特定してサーチでもしない限り、もう、それを追跡するのは不可能だった。 |