魔導物語 当たるも八卦、当たらぬも八卦 第一話 難の一 水難 『独り暮しの男性で、無口で魚座のあなた。お星さまのお告げだと、『水難』『地難』『火難』『風難』『魔難』『女難』に注意するように、ってコトだよ!』 「……」 シェゾ・ウィグィィ。彼はその日の朝、とある占い雑誌を暖炉に投げ捨てた。 普通なら微細な灰が舞い散る筈だが、それより先に黄金色の炎がその灰を煙突に押し上げる。 店で、タダで配布していたから暇つぶしと思って見てみたが…。 岩とレンガで出来ている暖炉は、再び何事も無かったかの様に燃え続けた。 ただの炎ではない様だ。 …水難や女難っつーのは聞くには聞くが、他のは何なんだ? シェゾは、やけに苦く感じるブラックコーヒーを飲みながら、どうにも答の出なさそうな疑問を頭に巡らせる。 考えるだけ無駄だ。くだらん当てずっぽうに振り回されてどうする。 降りかかってきたなら、掃えばいい話だ。 簡単な朝食の後、シェゾは支度する。 肌寒さは残るが、今の季節ならば薄手のセーターでも充分だ。シェゾは黒のソフトパンツと、薄手の紺のタートルネックセーターで準備を終えた。 「夜には帰る」 声の先にいるのは、とあるダンジョンで出会った使い魔。てのりぞう。 普通はこう言う手合いに対してシェゾは、闇の剣同様必要時以外は本来あるべき場所に仕舞っておく。のだが、てのりぞうだけは自宅に常駐させていた。 見た目ではとてもそうは見えないが彼の性格は猫に近く、主と言えども用も無いのに寄り添ったりはしない。 普段、シェゾの僕たる役目を果たす時以外は、彼は彼なりに自由に生活している。 そんな点がシェゾの性格に合っているのだろう。 「ぱお」 てのりぞうが一声鳴いてシェゾを見送る。 シェゾが視界から消えると、ガーディアンたる役目も果たすてのりぞうは、主の聖域を守るべくやや強めに結界を張った。 シェゾの家たる、遺跡を利用した住居は遺跡の名が示す通りに普段は人が近寄らぬ場所にある。 山の斜面を利用して作られた遺跡は、アンコールワットやマチュピチュと言った様々な遺跡を折り重ねてイメージさせる。 蔦が絡む岩壁、天を突かんばかりに聳え立つ柱の頂上には、巨鳥が巣を作っていた。 そんな遺跡の、半洞窟となった倉庫兼実験場、そして、斜面からせり出した多数の部屋になっている部分を居住区として彼は暮らしている。 それは、遠目から見ると、まるで山一つが彼の住処である様にも見える外見だった。 シェゾはふもとへ向かって歩いていた。 山の裾野には広大な森林が広がる。 それは、美しい自然には違いないのだが、その森の深さと徘徊する獣、モンスターの類によって、むしろ畏怖の対象となっている。 シェゾは沢に出た。 幾つもの湧き水が折り重なって源流となり、それは透き通った水で森を潤す。 川幅は三メートルほど。深さは四メートルと意外に深く、岩や大きな砂利で作られたそれが山の中の源流と言う荒々しさを表現している。流れもその名に相応しく速い。 そんな源流にかけられいてるのはただの丸木が一つ。 自然に倒れたものらしく、満遍なく苔むすその巨木だが、上部だけは細い道の様に苔が無い。 丸太は、シェゾを含めてここら一帯に住む生物達共有の橋となっていた。 橋がシェゾの視界に入ったときも、丁度一匹の狐が橋を渡る最中だった。狐が、途中で足を滑らせて大慌てで爪を立てる。そして、その後はおっかなびっくりと橋を渡り、そのまま森に消えた。 シェゾは、間抜けな奴、とちょっとだけ鼻で笑った。 そして、シェゾもその橋を何の事無く進む。 何十回、何百回と渡った橋だ。 だが、何故かその日は橋が異様に滑る気がした。 「うお!」 だから、ものすごく久しぶりに彼は冷たい川を味わった。 「……」 シェゾは目を覚ました。ぼんやりと空の青が目に入る。 と、視界の端に空の青よりもやや濃いめの青も確認出来た。 「あ、あの、大丈夫ですか…?」 おどおどと問い掛ける声。 まるでシェゾの視界の端が分かるかの様に、ぎりぎりの線でその青は揺れる。 「……」 シェゾは、雲の輪郭がハッキリしたのを確認してから、もう一つの青を見た。 「…セリリ」 「よかったぁ…」 心底ほっとした声で安堵するセリリ。既にひとしきり泣いた後なのか、目が少し赤い。 シェゾは、大分広くなった川の岸辺、足の長い草の上に横臥していた。 そんなシェゾを、セリリは半分川に浸かったままで見詰めている。 「大体の流れは予想が付くが…俺、どうしたんだ?」 シェゾは、濡れて顔に張り付いた髪を掻き揚げて質問する。 「あ、はい。あの、私がもう少し上流の方で泳いでいたとき、突然、水の中からシェゾさんの匂いがしたんです」 「匂い?」 「え、ええ。水の中って、あの、実はそういうのってかなり敏感に伝わるんです。それで、私、すごくビックリして…」 「で?」 「何かと思って、川を登ったら、あの、シェゾさんが流されて来たんです。わ、私…心臓が止まるかと思いました…」 セリリは、思い出しただけで顔を青ざめさせる。 「で、助けてくれたか…。世話になったな」 水に落ちて気を失うと言う愚行にこっちこそ顔を青ざめつつも、シェゾは体を起こして軽く頭を下げた。 ついでに、良く俺の匂いをそこまで覚えているな、と感心した。 「あ、い、いえ! 私、偶然ですから! そんなお礼を言われるような事、していませんから!」 今度は逆に顔を赤らめながら、ぶんぶんと頭を振る。 「いや、十二分に恩人だ」 シェゾは確認するかの様に言うと、かすかに微笑んだ。 「…そんな…」 彼の言葉と微笑は、セリリをいつでもどこでも天国に連行する。 それこそ泣きそうな顔で喜ぶセリリ。感動にむせび泣くとはこう言う事だ。 シェゾは、あぐらをかこうとして足を組む。 「なんか嫌な予感があったんだよな…」 愚痴を言ってから。 「いっ!」 シェゾは顔をゆがめた。ちょっと足首を動かしただけだが、裂ける様な痛みが脳天に突き刺さった。 「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」 セリリが再びおろおろと慌てる。思わずシェゾの袖を掴むと、泣きそうな瞳でシェゾを見上げた。 「…いや、たいした事じゃない」 シェゾは足を見る。さっきの痛みはまだ尾を引いていた。 どうやら、左足を思いっきりひねってしまったようだ。 多分、丸太から落ちた時だろう。 間抜けすぎる…。 シェゾは自分を呪った。 まさか、腱を痛めてないだろうな? そんな事になったら数週間単位で足を引きずる事になるし、最悪で完治が難しくなる。 「…やれやれ」 怪我の程度はともかく、困ったものだ、とシェゾは頭を掻いた。 足を滑らせた狐に笑われてはいなかったかと、おかしな不安が頭を過ぎる。 「少し、足を冷やさせてもらう」 シェゾは左の靴を脱ぎ始めた。 「あ、はい。あの、痛められたんですか?」 「ちょっとな。とりあえず冷やせば、良くなるだろ。と、それから…」 シェゾはタートルネックセーターを脱ぐ。その下から、シャツに遮られてはいるが細身にしては逞しい体が露になる。 「…!」 セリリが息を飲む。 「下はともかく、上着がずぶ濡れじゃ気持ちが悪い」 シェゾは足を引きずりながら、近くで日の当たるの岩の上にセーターを広げた。 「…どした?」 戻ってくるシェゾ。セリリはまだそのの上半身から目を離せなかった。 「…あ、い、いえ! 何でもないです!」 セリリは後ろを向いてわたわたと首を振る。 トロイ割には忙しい女だ。 そんなセリリの心情も知らず、シェゾは改めて川辺に座ると左足を流水に浸けた。 少しの間、静寂が二人を満たす。 セリリも、おずおずとだがシェゾの側に腰を下ろし、二人は丁度同じ格好で川に足を浸けていた。 耳が静寂に慣れ始める。 会話は無いが、決して気まずくも無く、険悪な雰囲気も無い。 二人の沈黙は、自然なそれだった。 そんな中、まず、先陣を切って川のせせらぎが静かに自己主張を始める。 細かな波がお互いを押し合い、複雑な波紋を川面に生み出す。だがそれは決して見苦しくはなく、フラクタルに構成される波の模様は楽しく目を刺激する。 そして、それとシンクロした小さな水音。 時折高く、時折低く、そして何層にも重なってハミングするその音は、鼓膜を絶え間なく、そして優しく刺激する。 シェゾは何となく目を瞑ってみた。 「……」 ちらちらと横目で見ていたセリリも、それを見て真似する。 すると、待ってましたとばかりに風が二人の周りに踊り出た。 ざあっと木々が揺れ、水音とはまた違う優しい音が耳に染み渡る。 木々の演奏に小鳥達の鳴き声のハーモニーが重なる。遠くで、近くで、小さくともはっきりと聞こえるその伴奏は風を美しく彩る。 そして、この演奏が途切れる事は無い。 二人は、軟らかく降りそそぐ太陽光の下、贅沢な演奏会を楽しんでいた。 「……」 セリリは先程から、耐えがたく心地よい眠気に襲われている。気絶しているシェゾを介抱していた時にかなり泣いてしまい、疲れていたせいもあるだろう。 普段の彼女なら考えられない。 人の前で眠くなる様な無防備な行動は。 それは、隣にいるのが誰でも無い、シェゾだからこそだろうか。 「ん?」 シェゾは不意を突かれた。 「……」 シェゾの右肩に、青い髪がそっと寄りかかる。そして少しずつ、ずるずると頭が下がってゆく。 「おっと」 シェゾは子供みたいに寝こけてしまったセリリを抱きかかえて、そっと横にした。 頭を支えていた手を外そうと思ったが、地面は流石に頭を預けるには向かない。 シェゾは右手をセリリの枕にしたまま、しばらくそのままにしていた。 セリリの手が、シェゾの腕を抱きかかえる様に掴んだのは偶然だろうか。 川のせせらぎと風の音、加えてセリリの控えめな寝息が不思議な三重奏となってシェゾを包み込んだ。 シェゾが続けて睡魔に屈服するのは、この僅か後だった。 |