魔導物語 小説『ついでの冒険』

最終話




「マジックアイテムはご存じよね」
 ウイッシュが当然のことを問いかける。
「ごく普通の意味でならな」
「では、その危険性もご存じ?」
「一般的な範囲でか? それとも、上級の話か?」
「最上級の場合」
 二人きりだというのに、ウイッシュが耳打ちするような仕草でそっと囁く。
「…その場合は、発動から経過した時間にもよるな」
 シェゾはどうやら厄介な話らしい、と溜息をついて紅茶を口に含んだ。
「とある古戦場に、非常に危険なマジックアイテムが眠っているの」
 ウイッシュが地図を広げて指さす。
「どこだ? そこは」
「ライガと言う街よ。正確にはライガから少し離れた場所にある古戦場跡地」
「戦場跡ね。魔法が関わった戦争か?」
「関わった、と言うよりも殆どが魔法によって行われた珍しい戦争だったわ」
「そりゃ珍しいな」
 戦争に魔法が導入される場合、基本的に補助や奇襲のみとして使われる場合が多い。
 一つ一つの威力は大きくとも、使える人数に限りがあり、かつ無尽蔵に扱える訳でもない。
 他の事ならいざ知らず、魔法自体は大戦には向いているとは言い難い存在だ。
 戦争は結局の所、数によるごり押しが殆どであり、一発一発が高性能でも、数の津波には敵わない面が多い。
 それ故、魔法が戦争において前面に立つことはまれなのである。
「何故だ?」
「戦争自体には、それほどの意味は無かったからよ」
 シェゾの顔が曇る。
「……」
「大体分かった。そんな感じかしら?」
「大体、な」
「そう言う事よ。貴方なら分かると思ったわ」
 そこまで言い、ウイッシュは目を伏せる。
「…そして、その戦争の原因の一端は私達にあるの」
「そう来たか」
 特に驚いたそぶりも見せぬシェゾ。
「だから、本来は貴方にお願いするのは筋違いもいいところなの」
「じゃ、お前がやれ」
 無体な物言い。
「…分かっているのでしょう? やらないのではなく、やれないの」
「分からん」
「言わせる気なの?」
 切なげな瞳でウイッシュがシェゾを見つめる。
「人にモノを頼むなら自分もそれ相応のリスクを負え。命に関わるなら尚更な」
 大魔女ウイッシュが闇の魔導士に物を頼む。
 それはお使いなどではあり得ないのだから。
 ウイッシュは悲しげにうつむき、静かに語り始めた。
「私達一族の先祖が、ある時期にある二つの国と、取引をしていたの。珍しい事じゃないわ。私達魔女の一族は中立だったけど、依頼があれば薬を作ったり幾人かを派遣する事くらいはしていたから」
「大陸に住んでて、その中で完全に独立って訳にゃいかないしな」
「でも…今回の件は…違ったわ。文献を見てこの事実を知った時は、私も背筋が凍った。二百年前、私の何代か前に、こんな事があったなんて…って」
「二百年前のライガ周辺にあった国っつーと、一つが魔法国家だったサタールと、もう一つが宗教国家だったボルギニだな」
「その通りよ。よく知っているわね」
「ボルギニは、確か滅んだ国だ。ある戦争が原因でな。話じゃ、ある魔導器の暴発で敵味方関係なく全滅状態になり、自国が元から壊滅状態だったボルギニだけがそこを狙われて、他の国に滅ぼされたって話だったな。王族皆殺しで」
「…外見上は、その通りよ」
「外見上、ね」
「結果は同じ。その経緯が、違うの」
「大した文献も残ってないから話半分だったが、どうやら魔導関係については本当のようだな。だとすると…その魔導器を渡したのは」
「私の先祖の魔女」
 ウイッシュは頭を抱えてうな垂れた。
 二百年前。
 宗教国家ボルギニが当時の魔女一族の雇い主だった。
 宗教国家と周囲に謳ってはいたが実質独裁政権を敷いていた国は周囲からの圧力に常に晒されていた。
 それでも、王の一族のみが数少ない国の糧を全て吸い上げ腹をふくらませ、国は周辺地域と比べても国民の平均寿命、出生児の生存率、識字率、食料自給率等、あらゆる数値が劣っていた。
 それでも王族は一族を更に神聖化し、更に国民からの搾取を強化し、誰が聞くとも知れない王族の尊さ、素晴らしさを吹聴し続けた。
 そんな折、ボルギニからより自国の力を高める為に、縁もゆかりもない魔女一族へ高慢そのものの要求を、しかも無償に近い条件で高圧的に求めてくる。
「聞いたのか? そんな阿呆な要求を」
「聞いたわ。表面上は」
 ウイッシュが愚かにもね、と続ける。
「当時のボルギニの悪評は周囲の国の誰もが知る所だったわ。援助はよこせ、干渉はするな、国の個々の人間に手をさしのべようとすれば内部干渉だと激怒して戦争を仕掛けるとわめき散らし、それが嫌なら、こちらが何をした訳でもないのに、荒唐無稽な内容で被害者面して賠償をよこせと叫ぶ。殆ど…いいえ、ただの、子供の我が儘だった」
「…それ、国か?」
 シェゾが眉をひそめて問う。
「国よ。信じられないけど。で、結局の所外に仕掛けられる戦力なんてある訳無いから、周囲の国同士も、干渉は百害あって一利無し、とボルギニ国民には申し訳ないけど極力無視を決め込むと言う条約を結んだの」
「賢明だ」
「で、流石にジリ貧になった頃にボルギニから先祖の魔女に話があったの。力があると分かれば周囲の国が言うことを聞くとでも思ったのね。それと、恐らく私達、舐められていたのよ。脅せばものを聞くだろう、と」
「……」
 シェゾは言葉を失っている。
 ただ、その瞳は語っていた。
 阿呆だ。と。
「私達の先祖にその話があったことはすぐ周囲に知れ渡ったわ。情報の保護もあってないようなものだったから」
「…で?」
「その時、サタールから提案があったの。正確にはサタールを通して、中央国家から」
「その当時の?」
「その当時のよ。今の中央国家はまだ新しいから」
「そういやそんなもんあったな。遠すぎて忘れてた」
「ふふ。私も今言うまで忘れてたわ。名前思い出せないくらいだし」
「おいおい」
「じゃ、分かる?」
「…なんだっけ?」
「ね? そんなものよ。で、とにかくそれくらい遠い存在だった中央国家を通してサタールに特別親書が来ていたの。辺境の田舎国家とは言え、そんな悪質な国は流石に放っておけない、と重い腰を上げたらしいわ」
「自分でやらないところが奥ゆかしいね」
 シェゾは皮肉を込めていった。
「おかげで今でもあんまり仲の良くないサタールの連中と組む事になったわ。当時の記録を見るとそうとう嫌だったみたいよ。ものすごい感情的に描写されているから」
「エレガントな魔女一族とは思えないな」
「あら、女って嫌いな奴はとことん嫌うのが当然よ」
 ウイッシュが当然よ、と微笑む。
「……」
 こわ、とシェゾは紅茶を飲んだ。
「でも、好きな人は、とことん愛するから、安心して」
「何を?」
「でも…、その感情が、正しい判断を誤った元かもしれない」
 ウイッシュがちらり、とシェゾを見て言う。
「…何だよ」
「貴方は、絶対にそう言う事させないでね」
「何をだ?」
「その後、程なくしてサタールとボルギニは戦争状態に入ったわ」
「だか何をだよ!?」
 サタールにも無償で魔導器、および魔導士の常駐を要求していたボルギニに対し、サタールは形ばかりだった安全、平等条約を破棄する。
 それに対してボルギニは、条約破棄をしただけだと言うのに、一方的な侵略宣言、宣戦布告であり自国の平和と利益、名誉の為にボルギニは全国民が一致団結して鬼神の如き働きでサタール国民全て火の海と化し、悪しき国を滅ぼすだろうと大仰に声明を発表する。
 だが、今回はサタールどころか周囲の国も声明発表以降一切の援助を完全に打ち切る。
 その後、宣戦布告に対しては無慈悲を持って徹底的に殲滅すると高らかに言い放った後だと言うのに、ボルギニは今まで通り周囲の国に援助を執拗に、傲慢に要求し続ける。
 だが、どこの国もそれに対し返答すら出さなかった為、四ヶ月後、ボルギニはようやくサタールに対して実際の戦闘行為を仕掛けようとする。
 ウイッチ一族が渡した魔導器を使って。
「それが罠か」
 シェゾが成る程な、と呟く。
「魔導器はボルギニの王族が直接扱うことで威力を発揮するようになっていた。そうするように言われていたからだけどね。だから、王族の力を魔導器発動によって精神力を減退させ、無気力化させて王族を一網打尽にしようという作戦になった。でも…甘かったのよ」
「充分いい作戦に思えるがな」
「人間を…甘く見ていた、という事よ。当時の長がね。それと、イレギュラーを考えていなかった」
「ほう」
「王族は、邪悪すぎた。それに、王族が利用しようとしていたのは私達だけじゃなかった。魔族にも力を求めていたの」
「…魔族にもか。命知らずだな」
 そこまで言って、あまりにもフレンドリーな某魔王を思い出し、シェゾが苦笑する。
「普通なら絵空事よ。たとえ呼び出せたとしても、願いを聞き入れるどころかその場で食い殺されて終わりの筈」
「だが、違った」
「魔族は、王族の邪悪な魂に興味を持ってしまったの。退屈しのぎ代わりに。そして、魔導器の存在に気付き、それに細工をしたのよ。自分達にとって『楽しく』なるように」
「…結局遊ばれているだけか」
「悪魔すらも従順な手下にしたと狂喜した王族は怖いものがなくなった、と自ら戦地に赴いたわ。まるで、神々の戦いの先頭に立つ騎士気取りで。そして、まずはサタールを滅ぼして領土を拡大する、と意気揚々と躍り出た」
「そして、魔導器を使った」
「…魔導器は王族の兄弟が持つ四つがあった。王の持つ一番強力なそれが発動した時、戦場は地獄に変わったわ」

 巨大な目玉がシェゾに向かって転がるように走る。
 寿メートルまで迫った時、目玉から根が生えるようにして骨の鞭が唸り、シェゾの頭上をかすめた。
 だが、避けた鞭から更に骨が生え、避けた先のシェゾに向かう。
 シェゾは闇の剣を振るい、最初に飛んできた骨の鞭ごと切り払う。
「どんだけ強欲だよ」
 シェゾは街に入ってきた瞬間に自分を付けていたローブの者を思い出す。
「最初は強そうな奴が来たと追い払おうとして、ちょっと力を見せると今度は取り込もうとして来やがる」
 目玉は四方八方から鞭を生やし、蜘蛛の糸のように絡まり合いながらシェゾを捕まえようとめくらめっぽうに打ち付け続けた。
「そんなんになっても力が欲しいか、王様よ」
 シェゾを襲う巨大な目玉。
 その正体、中心にあるのはボルギニの王だった。
 戦争が始まり、魔導器を解放した王は、その瞬間に地獄の業火に包まれる。
 周囲の者も一人残らず。
 魔族が仕掛けた遊びだった。
 魔導器に精神吸収とは逆の精神増大の効果を、しかも無尽蔵に増大させる力を付加させ、体を失い、精神体と化し、自我を失い幽鬼となって暴れ回る人間の姿を見て楽しむ気だった。
 だが、意外な事が起きる。
 最初こそ精神の爆発的な増強を炎の姿で具現化し、周囲を敵味方問わず骨まで焼き尽くして暴れ回っていた王だが、それがやがて大人しくなる。
 己の精神に他人の精神が融合していくうちに、力が増強する刺激を理解し始めた王の精神がもっと力が欲しい、と意識を取り戻し始めたのだ。
 悪魔は驚くどころか、これは愉快だ、と大はしゃぎして喜ぶ。
 人の欲望と愚かさが底なしである事を大いに楽しみ、悪魔はついでに魂を刈りまくる。
 魂を失った精神はますます暴走を強め、地獄絵図は凄惨さを増していった。
 異常事態に気付いたサタールとウイッチの派遣していた魔女達は、力を結集して暴走を止めようとした。
 その結果、暴走は止まり、一応、王の意志は元の魔導器に収まる。
 ただし、その場にいた者達殆どの死と引き替えに。
 そこらの魔導士では近寄ることも敵わぬ危険な魔導器となったそれを葬る為、当時の魔女の長が禁忌レベルのメテオを発動し、魔導器を熱と圧力、そして一族の主要な者総動員で唱えた魔力拡散術によって葬った。
 それが、シェゾが見たクレーターである。
 だが、葬ったはずの魔導器は地中深くで生きていた。
 それ以来、王は力を求めるが為に力を蓄え、力を得んがためだけに精神体として生き続け、力の為だけに息を潜め続けた。
 自らに危険が及ぶことを恐れ、力の一端を放出して見張りを周囲に泳がせること以外をせず。
「だが、欲深はいつまで経っても欲深ってか」
 シェゾがウイッシュから依頼を受け、そしてウイッシュが依頼を頼むきっかけとなった事件が半年前に起きた。
 ライガに住んでいたウイッシュの弟子の魔女が、突如行方不明となったのである。
 優秀な、手塩にかけた弟子だった。
 ウイッシュは個人的にも気にかけていたし、彼女程の魔女に何か出来る相手となれば放っては置けない、と両方の意味で里の魔女数名に探索の命を与える。
 だが、帰って来たのは血まみれの小さな水晶のペンダントが一つであった。
 メッセージを託して絶命した魔女の残したメッセージは、ウイッシュを驚かせる。
 そして、半ば闇に埋もれようとしていた過去の事件が明らかになったのだった。
 ウイッシュは冷静に事を判断し、自分の力では到底及ばぬと認め、そしてシェゾを頼った。
 王を倒すことは、それは、シェゾにしか出来ない、と。
「…まぁ出来るけどよ、やった事はねぇんだがな」
 シェゾは呟き、そして闇の剣を上段に構えて腰を落とす。
 目玉の本体が眼前に迫る。
「せあっ!」
 気合いと共にシェゾの体から黒い風が沸き上がり、途端、目玉の動きが鈍った。
 黒い風は刃物のように目玉に向かって飛び、生えていた骨の鞭を片っ端から斬り落とし、そして目玉本体をも、ゴボウのそぎ切りのごとき様相で削り落として行く。
 堪らぬ、と目玉が『叫び』、がむしゃらに力を放つ。
 レーザーのような光を四方八方に放ちながら、目玉がごり押しで前に進む。
 黒い風の刃はレーザーで焼き落とされ、いくつか自分に当たりそうになった光を紙一重で避けながらシェゾは下がる。
 己の進行を妨げるものが無くなった目玉は瞳孔を開いてシェゾに襲いかかる。
 目玉の中に無数の牙がサボテンのように生え、そして中心がぐしゃりと潰れるようにして開いた。まるで、八目鰻の口のように。
 食らおうと言うのか。シェゾを。
 常人なら、そこらの悪魔ですら足が竦みそうなグロテスクなオブジェがシェゾに迫る。
 だが、シェゾは真正面からそれを見据え、先程の上段の構えのままで?い大穴が襲いかかるのをじっと見据えている。
「しくじるなよ」
『雑魚相手に馬鹿を言うな。
 シェゾの呟きに、何かが応えた。
「せあぁっっ!」
 闇の剣が振られた。
 どう見てもシェゾを食らおうとする穴の方が大きいのに、闇の剣が振るわれた軌跡より数メートル以上遠い場所から目玉に線が走り、その線は目玉を真っ二つに分けて目玉を通り抜けた。
 四メートルの目玉がばっくりと真っ二つに裂ける。
 眼球から細かな骨などがぼろぼろと落ち、切り口が避けた瞬間からじわじわと崩れている。
 だが、目玉自体は形を保ち、崩れるどころか逆に勢いよく動き出し、シェゾを挟み込んでそのまま押しつぶそうとしはじめた。
 シェゾは見るのもおぞましい骨の目玉の切り口両側に手を突き出し、大の字の格好で目玉を手刀で串刺した。
 両手の先に万の虫が這いずり回るようなおぞましい感触を感じる。
 物理的なものではない。
「…吸い込まれた精神のうごめきか」
 シェゾは理解した。
 知らぬ感覚では無いから。
 さて、うまくいけよ。
 すぅ、と息を吸い込むようにして、シェゾは両の手から吸い始めた。
 力、精神、魔力、ありとあらゆる『力』を。
 目玉が痙攣し始め、今度はシェゾの手から遠い位置から骨が砕けるようにして崩壊し始める。
 異質な力の濁流が流れ込む。
 シェゾは苦痛に顔をゆがめる。
『主よ、耐えろ。
「…ちっと、かゆいだけだ」
 シェゾは歯を食いしばりつつ応えた。
 その間も、目玉は既になすすべ無くぼろぼろと崩壊し続けている。
 大きさはもう二メートルを割っていた。
 地面には白い砂のような骨の欠片が積まれては風で流される。
 それは既に何の力も持たぬ、言わば出し殻。
 シェゾは全てを吸い尽くそうとしていた。
 ウイッシュからの依頼は元凶となる王の意識を完全に消滅させること。
 それには、魔族の秘術にて肥大化し、魂を抜かれて尚生きる不確実な精神体となった王の精神を元の器となっている魔導器から完全に抜き消す事しか無いと言う。
 魔力を吸うだけなら、探せば居ない事は無いだろう。
 だが、ウイッシュには、いや、世界中何処を探しても、『それ』が出来る力を持つ魔女、魔導師はいない。
 人の世を離れ、神や魔族に範囲を広げても、それを完璧にこなせる者は滅多には居ないだろう。
 だからこそ、先祖も力押しで滅ぼそうとする事しか出来なかったのだ。
 シェゾだけなのだ。
 『それ』が出来るのは。
 闇の魔導士だけなのだ。
 命、精神、魔力、あらゆる波動を物質として感知し、そして他の物質に変換出来るのは。
 だが、魔力はともかく精神や命といった生物の根本に関わるエネルギーは闇の魔導士どころか神や魔族すら解明はやぶさかではない。
 そんなものをまともに取り込んだ日には己の精神が崩壊を起こすのは自明の理であり、事実過去にはそれにより命を落とした魔導士、魔族、天界の者が居る。
 ウイッシュもシェゾを危険な目に遭わせる気は毛頭無い。
 シェゾが、それを完全に出来る筈と信じているからこその、苦渋の決断の依頼である。
 だからこそ、彼女は依頼を受ける条件の一つに普通なら考えられない条件を付け加えた。
 危険だと思ったら逃げること、と。
「…何でもかんでも吸うのまではいいけどよ、『それ』が出来なかったら、俺がやばいんだよな」
『やばいどころではないぞ。ルーンのように自我を残す事すら危うくなる。我はまだ、主を完璧な闇の魔導士と認めてはおらぬ。その前に消滅する事など許さぬからな。
「…ありがとよ」
 シェゾは最後の気合いを込め、とうとうスイカ程の大きさになっていた目玉に残っていたありとあらゆる力を一気に吸い取った。
 両手の骨が、その瞬間たんぽぽの綿毛のように風に流されて消え去る。
 シェゾは両手をついて四つん這いになり、体の中に渦巻く経験したことのない感覚に翻弄される。
 精神の濁流で体が爆発しそうだ。
 目が血走り、食いしばった歯が軋む。
 耳から、一筋の血が流れた。
「くお…!」
 どれほどの苦痛が襲っているのか。
 想像など及ばぬそれだった。
 一呼吸する度に自分が自分以外の何者かになった気がする。
 その一瞬一瞬の間に、経験したことのない人生が、感情が何十年分も流れ込んでくる。
 自分が単なる器に成り下がり、精神の入れ物になってしまいそうになる。
 気が遠くなりかけたその時。
『シェゾ!』
 何人かの女の声が重なる。
 井戸の底から引き上げられたみたいに、シェゾの意識がじわじわと厚みを増していった。
「き…! き…消え去れぇっ!」
 叫び声と同時に、シェゾの体の中を無数の虫のように蠢いていた精神の濁流が弾け、消えた。
「…出来た、か」
 仰向けに転がったシェゾが呟く。
『主が『それ』を出来るとは、感心したぞ。
「そんだけかよ」
 シェゾはやれやれ、と呟いて空を仰いだ。
「…女を思い出して気を取り戻すなんざ、俺もまだまだか」
 しかも浮かんだのは一人ではない。
 シェゾは苦笑した。
 『それ』。
 取り込んだ精神、意志、力、それらを一切自我と癒着させることなく、『無』と化して放出させる能力。
 あらゆるエネルギーを吸い取るだけなら闇の魔導士に限らない。
 だが、それが出来るのは、少なくとも現世に置いては闇の魔導士以外に存在しなかった。
「そういえば、気になったんだが…」
 シェゾは独り言のように呟く。
「意識の中に、王様っぽいのは、無かったぞ」
 そこまで言い、シェゾはやべ、と起き上がった。
 腕に付けているブレスレッドを見る。
 赤い小さな宝石がじんわりと黒くなっていた。
「やっぱあっちか」
 ブレスレッドを軽くこすり、小さく何かを詠唱する。
 次の瞬間、シェゾの体はもうそこから消えていた。

「…シェ…」
 シェゾの名を言いかけ、アルルは気を失った。
 洞窟の中、気を失ったアルルを抱き抱えたシェゾと、その視線の先にうごめく骨の壁が退治する。
「精神の中にお前が居なかった。となると、俺を諦めて他に目標を変えたと見たんだが…。やっぱりこいつだったな」
 王は臆病だが狡猾だった。
 シェゾの力が圧倒的と見るや、己は先に脱出し、次に手を出せそうな力、アルルへと目標を変えたのである。
 尻尾切りの要領でシェゾに力の殆どを退治させ、己はその隙に新たな力を手に入れ、再び力を蓄える。
 最早見事とすら言える力への執着だった。
 完全なる闇の中。
 その中に置いても王にはシェゾの眼光が見えていた。
 獲物を見る目でも、敵を見る目でもない。
 くだらない、つまらないものを見る目だった。
「最速で消す」
 一瞬とて、こんなくだらない奴の記憶など経験したくはない。
 シェゾはそれに手を向ける。
 一瞬。
 ほんの一瞬、闇の中に悲鳴が聞こえた気がした。



第三話 Top エピローグ