魔導物語 小説『ついでの冒険』

第三話




「…どうしよう」
 アルルは途方に暮れていた。
 理由は極単純。
 道に迷ったのである。
「うう…まさか一本道で迷うなんて…」
 不可思議だった。
 確かに入り口からここに来るまでは間違いなく一本道だった。
 稼働しそうな切れ目、不自然なつなぎ目等は確認しながら進んだ。
 間違いなく一本道の、ただただ長い道だったのである。
 なのに、迷った。
 地下への入り口へ入ってから十分程した頃、左右にくねるばかりで部屋どころか分かれ道一本無い事に違和感を覚え、一旦外へ戻ろうとした。
 だが、振り返って同じ道を戻ろうとしたが、今度は二十分、三十分経っても外の光が見えてこない。
 間違いなく一本道だった。
 逆に歩けば、必ず出口に出る筈なのだ。
 なのに、出口を見失ってしまった。
「うそぉ…」
 アルルは小一時間程も来た道を戻って、これはまずい、と焦り出す。
 気持ち、小走りになるが状況は一向に改善せず、なんだか体温が上がってきた気がして、汗が出始める。
「…はは、なんか暑いねぇ。おかしいな、地下なのにね」
 アルルはあえて自分は焦っている。焦っては駄目だ、落ち着け、と言い聞かせる。
 だが、アルルはまだ気付いていなかった。
 前に進んでも後ろに進んでも、どちらにしてもその道は少しずつ地下へ地下へと下がり続けている事に。
 地上の熱を遮断して気温が涼しくなる限度を超え、地熱によって逆に温度が上昇し始める程の地下へと進んでいる事に。
 ふと、アルルの耳に何かが聞こえた気がする。
 既に無風状態であり、自分の衣擦れの音すら大仰に聞こえるこの世界で、聞き間違えと言う事はあり得ない。
 つまり。
「…な、何?」
 ライトを前に向け、闇の先をじっと見据える。
 照射範囲ぎりぎりの所に、動く物が見えた。
「……」
 ごくりと喉が鳴った。
「…よろ……い?」
 そこには、鎧を着込んでいるにもかかわらず、ほとんど音も立てずに四つんばいで近づいてくる何かがいた。
「あきゃーーー!」
 アルルは半泣きで走り出す。
 だが、最初の一歩が踏み出せなかった。
 何故なら、踏み締めるはずの地面が、たった今歩いていた岩の地面が無かったから。
「え?」
 はっと気づき、息を呑む。
 足の下は闇。
 黒より暗い闇。
 やだなぁ、ご冗談を。
 アルルは引きつった笑みを浮かべる。
 そして。
「うきゃーーー!」
 非常事態にしては脳天気な叫び声を上げ、アルルは闇の中へと吸い込まれていった。
 筈だった。
「…ぅぅうりゃああぁーーーっ!」
 闇の穴の中からアルルが飛び出す。
 足下の闇が途切れ、普通の地面に戻っている場所まで跳び、アルルは転がるようにして着地した。
「た…助かった…」
 アルルは心臓をばくばくいわせながら、両肩で激しく息をする。
 その後では、アルルの足下からすぅ、と闇への入り口が波が引くように消えていった。
「…あいつがやったんだね」
 闇の穴は、大きさは変えずにそのまま四つんばいの鎧の足下へと収まり、そのまま鎧の影となる。
 今、この闇の中で光源はアルルのライトだけの筈なのに、それを無視した影とその動き。
 アルルはちょっとすりむいてしまった足を押さえながら立ち上がる。
「ふ、ふん! どんなもんだい! あんたが何やったか分かんないし何者かも分かんないけど、こちとら穴に落ちたり罠に引っかかったりなんて日常茶飯事なんだよ! 今回は絶対に失敗出来ない冒険なの! 窮鼠猫を噛むって覚えておきなさい!」
 自慢出来ない理由をえっへんと胸を張りつつ言うと、アルルは服の中から鳩サブレのような形の木彫りを取り出す。
「へーんだ! 虎の子のへそくりで買った自己発動型魔導器、その名も『ひゅーぽん』! これがあれば、重力変化が起きた瞬間から一秒間、フライを無詠唱発動出来るんだもんねーだ! 今日のボクはひと味ち…」
 言いかけてアルルの言葉が止まる。
 感心した、と言う訳でもなかろうが、四つんばいだった鎧が、ひもで引っ張られるように起きあがる。
 ようやく見えた兜の下の顔は、乾涸らびたミイラ。
 だが、表情の分からない干物のような顔の下、節穴のようにくぼんだ目からは、憎悪を滲ませた視線をありありと感じる。
「!」
 アルルは身構えた。
 鎧のミイラから、ぞわりと背筋を舐めるような、不気味な魔導力の錬成波を感じる。
 しかも、ものすごい速度で。
 何かをしようとしている。
 だが、この勢いに対抗して魔力を錬成しても間に合わない。
「せいやぁっ!」
 それを感じたアルルは、ひゅーぽんを思いっきり投げつけた。
 鎧のミイラの一メートル程手前でひゅーぽんが眩い光を放ち、そして轟音と共に爆発した。
 突風のあおりを受けたアルルが二回転程も転がる。
「あたた…お、思ったよりすごかった」
 スカートを押さえつつアルルは立ち上がり、まだ煙の向こうに居るであろう鎧のミイラから少しでも距離を置こうと下がる。
「分かって買ったけど、物騒な魔導器だよねぇ。使った後は爆弾代わり、なんて」
 流石は掘り出し物、とアルルはその性能に感謝しつつ、土煙の向こうに視線を懲らす。
「…崩れちゃったかな?」
 考えてみれば洞窟同然の細い通路で爆弾を使うなど危険極まりない行為である。
 生き埋めにならなくて良かった、とアルルは呑気すぎる考えで胸をなで下ろした。
 もっとも、その悩みは杞憂に終わる。
 土煙が晴れると、ひゅーぽんが爆発した周囲の壁は崩れるどころか特に壊れる事もなく、そのままの姿だったから。
「…あれ?」
 おかしい。
 流石に違和感がある。
 敵と思われる鎧のミイラの生死も不明。
 アルルは魔力を練りつつも、思わず側に近寄ってしまう。
 その時、周囲の岩壁から煙のように何か白いものが生え始める。
「え」
 アルルはそれの正体に気付く。そしてその答があり得ない筈のものだという事にも。
 大小様々な大きさの岩で組まれた岩壁。
 小指一本入る隙間もない。
 だが、その隙間から生えだしているもの。
 それは骨。
 ありえない。
 壁の隙間と幅が違い過ぎる。
 ありえない。
 だが、ありとあらゆる形の人骨が、じわじわと壁から床から天井から、まるで根っこが生えるかのように姿を露わにしていた。
 アルルは声を出せず、足を竦ませてそれを凝視するしか出来ない。
 生えた骨が壁から出きると、更にその先から骨が生え始める。骨同士が磁力でもあるかのようにして、まったく部位の違う骨がチェーンのように絡み合い、繋がりあって、みるみる空間を埋め尽くしてゆく。
 骨はあっという間に通路を埋め、壁のようにみっしりと絡まり合って動きを止めた。
 アルルの目前に、骨のオブジェが鎮座する。
 骨のオブジェはやがて全体でぞわぞわと動き出す。
 指の骨が触手のように動き、幾つあるか知れない頭蓋骨が音もなく顎をせわしなく動かし続ける。
 異様に滑らかな、しかし不気味なその動きに、アルルは思わず吐き気すら覚えた。
「…ダイアキュート、ダイアキュート、ダイアキュート…」
 アルルは無意識に魔力倍化呪文を唱える。
 体から静電気のような輝きが起き、周囲の空気が静かに、ゆっくりと振動し始める。
 これは、何か、いけないものだ。
 その恐怖感が、アルルを意識させずに最大魔力発動へと導いていた。
 魔導力の高まり、マナの錬成によるアドレナリン放出はアルルを一種のトランス状態に導いている。
 今のアルルの魔導力ならそうそう敵う者は居ないだろう。
 だが。
 肝心のアルルの精神力が、その波動の高まり、負荷についていけない。
 既に半分意識を失った状態となったアルルは、自分の周囲がどうなるか、そして自分自身がどうなるかも考えられなくなったままで、自分に出来る最大出力の魔導を発動しようとしていた。
「……」
 アルルの瞳から意志の光が消えかける。
 感情の高まりが神経を刺激し、意味もなく涙腺が緩み、涙がこぼれる。
 アルルの意識は飛びかけていた。
「…じゅげ…」
 半気絶状態のままで禁断の呪文を言いかけたアルルの口が、そっと誰かの手で塞がれた。
 うっかり詠唱を完成させない為に、そっと指が口に入った。
 この感触を自分の唇は知っている。
「やめとけ」
 聞いた事のある声が耳元で聞こえた。
 はっと瞳が見開かれ、急激に周囲から魔導力が消滅して行く。
 もう片方、首筋を鷲掴みにしていた手に、アルルの体から何かが小さな発光体と共に流れ込んでく。
「シェ…」
 言いかけ、アルルは気を失った。

 約一時間前。
 晴天の空から、人の頭程もある雹が降り注ぐ。
 矢継ぎ早に地面に落下するそれは、明らかに何かを狙っていた。
 落下する先に居たのはシェゾ。
 ジグザグに走り、それでも尚先を読んで落下してくる雹を闇の剣で払い落とし、シェゾは進んでいた。
「ったく! しつこいってんだよ!」
 切り取った闇が走っているかのようだった。
 シェゾは闇の剣を、無造作に見える動作で天に放り投げる。
 雲にでも投げつけたかと思われたそれはシェゾの十メートル程上空で何かにざくりと当たった。
 急に空気が揺らぎ、透明な空気にじわりと赤色が滲む。
それは人型となり、だらりと弛緩して地面に向かい落下する。
 胸の真ん中に突き刺さっていた闇の剣が自分で抜け、シェゾの手元に戻るのと、透明な衣を纏っていたかのようであったそれが地面に落ちたのは同時だった。
 落下したそれを見ると、人には違いないが半分程もミイラになったものだった。
 シェゾはやれやれ、と軽く溜息をついて、更に先へと進み出す。
 先程から、このような調子で幾度となく邪魔が入っている。
 目的地が明確なだけに避けようが無く、面倒な戦闘を繰り返さなければならないのが苦痛だった。
「面倒な契約しちまったぜ」
 シェゾはぼやいた。

「マジックアイテム、魔導器の便利さはご存じですね?」
 とある一室。
 木造の大きな部屋だった。
 飴色の壁には様々なハーブ、薬草が所狭しと並び、棚を見れば様々な形の瓶がひしめいている。
 天井を見れば、今は階段がしまわれているが大きな開口部があり、屋根裏部屋があるのがわかる。
 視界から見える範囲だけでも、この部屋より更に多くの薬剤、鉱物が並んでいた。
「そして、その危険さも」
 大きな机を挟み、声の主はもう一人に語りかけていた。
 声の主はウイッシュ。
 伝説と謳われる大魔女。ウイッチの祖母である。
 もっとも、祖母と言ってもその容姿は年の離れた姉程度にしか見えない。
 魔女であれば、本来の容姿を隠して仮の姿をとっているのは決して珍しくないが、ウイッシュが決定的に異なるのは、これが本当の姿だという事である。
 彼女はある時期より、自らの外観的成長を極端に遅らせているのだ。
 つまり、実際彼女は今見ている姿以上に年を取った姿になった事がない。
 これが他の魔女達との決定的な違いであった。
「聞いてますか? シェゾ」
 ウイッシュは対面できょろきょろと周囲を見渡す話し相手に向かって言う。
 その言葉に怒っているとかイライラしている風はまったくなく、むしろ早く遊ぼうよ、みたいな含みすら感じる。
「聞いてるよ。あの瓶、なかなかいいな」
 シェゾは立ち上がって、許可も問わずに棚の瓶の一つを手にとって眺めた。
 ウイッシュはそんなシェゾを見て、話す場所を間違えたかしら、と小さく溜息をつく。
 そして。
「それは幻虫。三百年程前のものよ。カラカラだけど、『生きて』いるわ」
「三百年分の幻想か」
「酔の丸薬に混ぜれば覚醒効果、鳳凰眼に練り込めば一時的にマナ錬成能力が上がるわ。この子達がどんな幻想を詰め込んでいるのかは分からないのが残念だけど」
「考えてみりゃ無粋な事しているな。無理矢理起こして夢吸い出してんだから」
 シェゾは瓶の中でダンゴムシのように丸まっている二ミリ程の虫を見て呟く。
「夢を吸い出して…面白い喩えね。幻虫に無粋、なんて言う人も初めてだわ」
 ウイッシュはくすりと微笑む。
「流石は闇の魔導士、シェゾさんね」
「さんなんて付けるな。お前の方が年上だ」
「ふふ。それは見た目の話、でしょ? 私、実際貴方より年下よ?」
 ウイッシュが首をかしげて言う。
「…かもな」
 シェゾもやんわり微笑み、二人はそのまま暫く魔法薬談義に花を咲かせる。
 部屋の外では、赤面してむずがゆくなるような、もしくは後ろから殴り倒したくなるような、妙な雰囲気に包まれた二人を見てしまい、お茶を出すタイミングを逸したメイドが入りあぐね、悶えていた。
「それじゃ、今度はお仕事以外で…。あ! そうそう! 今日のお仕事のお話を忘れていたわ」
 シェゾのくせっ毛を小指でいじっていたウイッシュがあら、と用件を思い出す。
「…そういや、仕事で来てんだったな」
「お喋りはお終い。さ、そこの貴女、もう入ってきていいわよ」
 元の席に戻ったウイッシュがメイドを呼ぶ。
「! は、はいっ!」
 気付かれていた。
 それを知ったメイドは大慌てでティーセットを部屋に運び込み、お茶菓子とカップを並べ、真鍮のポットをテーブルの端に置く。
「し、失礼します」
 メイドは小さくむにゃむにゃと唱えるとポットを両手で包み込んだ。
 数秒後、ポットの口から湯気が沸き始める。
「では、失礼して…」
 メイドはシェゾとウイッシュのカップに適温の紅茶を煎れると、失礼します、と言い残し、流れるような動作で部屋の外に消えた。
「メイドも魔女か」
「初歩の初歩よ。あの子にその気と才能があれば、もう少し先を教えてもいいわ」
 ウイッシュは楽しそうに言う。
「さて、話せ」
 シェゾは紅茶を一口飲んで、話を促した。
「あら、この後何か用事でもあるの?」
「用は無いが、進まない話も好きじゃないんだよ」
「はいはい、せっかちさんね」
 ウイッシュも一口紅茶を飲み、静かな、さざ波のような口調で話を始めた。

 最後の戦闘から二十分程後。
 遺跡らし遺跡が姿を消し、見た目には単なる荒れ地にしか見えない場所へとシェゾは移動していた。
 地平線まで続きそうな、なだらかな丘陵地帯に、不意に異変が生えている。
 小さな丘を一つ越えた場所。
 そこから先に、突然巨大な円形のくぼみが姿を現していた。
 直径四百メートル、深さ六十メートル。
 底には水がたまり、湖のようになっていた。
 上空から見ればこれが何か分かるだろう。
 それは巨大なクレーターだった。
 シェゾが周囲を見渡して呟く。
「一つの魔導器でこれか」
 呆れるように言い、縁から底へ向かって降りようとする。
 その時、鏡のようにしん、と静まりかえっていた湖面が真円の波紋を浮かべた。
 中央からぽん、と何かが浮かび上がる。
 シェゾの位置から二百メートル。
 とても視認出来るものではない。
 だが、シェゾには分かっていた。
 いや、感じていた。
「来やがったな」
 湖の真ん中、クレーターの真ん中に浮かび上がった小さな二センチ程度の球体。
 それは眼球。
 天を仰いでいた茶色の眼球がぐるりと回り、像の真ん中にシェゾを捕らえた。
 それを合図に再び湖面が揺らぐ。
 今度は不規則に、ひっきりなしに。
 水面が波立ち、水の中から何か白い物がわらわらと浮かび上がってくる。
 骨だ。
 無数の、ありとあらゆる部位の人の骨が水面から顔を出し、眼球の周りに集まり始めた。
 かちかちと硬質な音を響かせながら小さな眼球の周囲に球状に集まる骨。
 水の中から無尽蔵に浮かび上がる骨がどんどん集まり、球状の骨の固まりは既に直径で二メートルを超えている。
 核となっていた眼球もいつの間にかその大きさを百倍くらいにも増やしている。
 だが、それは眼球が巨大化した訳ではない。
 それも全て眼球。
 骨と一緒に水の中から浮かび上がってきた様々な色の眼球が集まり、隻眼のようになって、一つの瞳孔に見えていたのだ。
 程なくして骨と眼球の集合体は、それがそのまま巨大な眼球と化す。
 直径四メートルの眼球。
 うぞうぞとうごめいていたそれはやがて動きを鎮め、一点を凝視する。
 他の何でも、他の誰でもない。
 シェゾ・ウィグィィを凝視していた。
「そんな見つめるなよ、照れるぜ」
 シェゾは闇の剣を抜いた。



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