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魔導物語 小説『雲の下で』 第三話 Picnic 空は抜ける様に青く、薄い雲が細かい蜘蛛糸の如く空を駆け抜ける。 普段であれば、恰好のピクニック日よりであろうその天気。 そんな中を、三人は歩いている。 「うーむ、実にいい天気だ。こんな日に、二人っきりで誰も居ない湖にでも行ったら、さぞ楽しかろうな…。そうだ、知っているか? 魔界にも魔界の箱根と呼ばれる温泉地があってだな、そこでは今足湯が流行っているのだ。素足をさらしてゆっくりくつろぐ…いいなぁ」 サタンはうんうんと頷いて悦に入る。 「カーくんと行って来たら。いくらでも貸すよ?」 アルルはあっさりと愛想無く返す。 「う、うむ」 シェゾの横に着いて歩くアルルを見て、サタンは肩を落とした。 だが実は密かに。 カーくんと二人っきりで足湯もいいなぁ…。 仲良くカーくんと芸者遊び…う、イイカモ…。 夜はカーくんのあのふかふかの体躯と触れ合い…。 むふふ…。 等とヤバイ事を本気で考えていたのが知られなかったのは幸いだろう。 その後は暫く、平和な行進が続く。 魔王と闇の魔導士が並んで歩く事が平和かどうかはさておきだが。 しかし、その平和な散歩は程なくして終わりを告げた。 「成る程な」 シェゾが呟く。 「ん?」 アルルは何? と顔を覗き込むが、その時既にシェゾの顔はサタンに向いていた。 「そうだ。あれだ」 サタンも至って真面目な顔だった。その横顔は、帝王のそれ。 「…?」 アルルだけが蚊帳の外。 シェゾの目は、遠くの空を見上げていた。 「…!」 一歩どころか三歩か四歩遅れて、それを見たアルルも気付く。 薄い雲が網の様に広がる空。そんな雲の一部が、まるで天空に吸い込まれているかの様に忙しなく集まっていた。 「な、何…?」 無論、見た目だけではない。異質な気もようやく感じていた。 「…き、気持ち悪い…何? これ…」 認識さえすればアルルも敏感である。 一歩進むごとに、その気配が濃厚になるのを全身で感じていた。 腐敗した空気の臭気が熱風により運ばれる。そんな表現がしたくなる様な嫌な気。 魔導士ならずとも、常人でも気付くかと思われるほどのその異様な気。 これがリンボの気なのだろうか。 「ね、ねえ? 帰らない?」 「……」 そうくると思ったから連れて来たくなかった。 シェゾは、当たらなくていい予感が当たり、やれやれ、と溜息をついた。 「『盾』がある。問題無いだろ。お前は」 「ボクはそうだけど…」 「そうだ。この私がお前を守る! だから、何の心配もいらないぞ!」 盾がふんぞり返っている。 「…じゃなくて、シェゾは平気なの? こんな見るからに危険そうなのに」 「放って置く方が、俺の精神衛生的によっぽど悪い」 「ん?」 「こっちの話だ」 シェゾは、自ら哀れみを乞う様な科白は絶対に吐かない。 アルルに慰められた記憶を繰り返したくはなかった。 あの夜も、結局訳は言わなかったのでアルルは最後までふくれていたが。 「意地っ張りめが…」 ぼそりと言うサタン。何も二人を認めた訳ではないし、そんな気は毛頭無い。 が、こうも頑なな男を見ていると流石にサタンでも気をもみたくなる。 次元を揺るがす大事を目の前にして、会話自体は至って呑気に振舞う三人であった。 それから十分程も再び歩く。 三人は、次元の割れ目の端まで来ていた。見上げると、一体どの高さにそれがあると言うのか分からないが、真上に暗い針先程の穴が見える。 そして、空気の振動がおかしい。 細かく揺れている様な、それでいて、ゆっくりゆっくりと揺れている様な、なんとも形容し難いその振動。 体を巨大なゆりかごに乗せられ、気付かないような振動で縦横無尽に揺り動かされている。 そんな不可解な揺れが内蔵を刺激した。 「…ヤな感じ…」 アルルはげんなりしている。 こう言う、感情的な感覚に敏感と言うのは、誉めていいだろう。敏感すぎるのは良し悪しだが。 「そういう奴が、来ようとしているのさ」 シェゾは、少し前を進みながら言う。 空気が重くなっていた。 一歩進む毎に歩みが重くなる。 空気に何かねっとりしたモノが混ざっている。 「…きてるな。これ」 「うむ、シェゾ。実際、そろそろ来るぞ。ここからはマジでいけ」 そう言ったサタンの目は、空間のねじれとは違うどこかの一点を凝視していた。 天界の者よ。 私は一切の手を出さぬ。 あくまでも、人の手で決着をつけさせる。 その者は、我らの愚行の尻ぬぐいをしようと言う勇敢なる人間だ。 これでも尚文句があるなどと言うならば、私も少々行動を考えねばならぬ。 それだけは、憶えておけ。 サタンは、誰にも聞こえない言葉でそれを呟く。 それと、異変の始まりは同時だった。 シェゾは、闇の剣を滑らかな動作で呼び出し、右手に携える。 空を見詰める瞳は、戦士のそれ。 魔導士のそれ。 闇魔導士のそれだった。 「シェ…」 アルルが無意識に駆け寄ろうとして、左手をサタンに掴まれる。 「サタン!」 あからさまな非難の声と、怒りの視線を向ける。 「私は奴と約束したのでな。お前を守ると」 「…サタン?」 アルルは、今までに見た事の無い真剣な瞳のサタンを見た。 「国どころのレベルではない。世界、いや、次元レベルの戦いだ。お前は、下がれ。でなければ、本気でお前の命の保証は出来ない。黙って私に従え」 有無を言わせない高圧的な物言い。 それは、帝王のそれだった。 普段の呑気な顔は微塵もない。 アルルは誰か別の人と話しているような圧倒的違和感を感じ、思わず従う。 「…う、うん…でも…」 「奴を信じろ。信じているなら、だがな」 「し、信じているに決まっているよ!」 「なら、黙っていろ」 「……」 アルルは、すっかり丸め込まれて黙ってしまった。 とても普段のサタンからは想像出来ない声と覇気。 アルルはどうにもならず、とにかくシェゾを見守るしか出来なかった。 振り向くと、シェゾが居ない。 「シェゾ…。え? シェゾ?」 いや、居た。はるか彼方に。 転移でもつかったのかと思った。 いつの間にか二人から既に一キロ以上も離れているシェゾ。 サタンに言わせれば、本当はもう五倍は離れたいのだが、アルルの事も気遣い、これで良しとする。 視界一杯に広がる草原に立つ彼。 不気味に吹く風と異様な色に染まり始めた空に囲まれて尚、その存在感をまるで薄めはしない存在であった。 やがて、粘ついたインクをどっぷりと混ぜたような雲が湧き上がる。 いや、雲と言うにはあまりにも生物的質感。 「来た」 サタンは静かに、そして力を込めて言う。 空気がそこから吹きすさぶ。 『どけ。寄るな』 それは、そう叫んでいるかの様に非友好的な『風』だった。 そして、そんな感覚を『奴』に起こさせたシェゾにサタンは正直驚く。 あの阿呆の気が、まさか、ここまで奴らの意識を揺さぶるとはな…。 サタンは静かに驚く。 普通なら、崖崩れみたいな勢いで、近寄るもの全てを喰らおうとする筈なのだ。 奴らは。 それが、獲物である筈の相手に対して、『寄るな』と言うとは何と言う事。 サタンはほんの僅か驚愕の表情をした後、不敵に唇を歪めていた。 まったく、人間と言う奴は。 闇の魔導士と言う奴は。 シェゾと言う奴は。 哀れなる存在、不可解なる存在、そして、畏怖すべき存在。 サタンをしてそう思わせる存在など、数える程しか居ない。 だが、魔界、天界をして尚恐るるべきそれは確かに存在する。 事実、今目の前にそれは居る。 サタンは声を上げて笑いそうだった。 「…サタン?」 アルルも感じた。その特異な感情に魂を打ち震えさせる彼の喜びを。 普段なら、シェゾを危険に晒しておいてほくそえんでいるなどと分かった日には、魔導力つきるまでじゅげむを連射してサタンを粉みじんにする所だ。 だが、今の彼の喜び方はそんな考えをあっけなく押し潰してしまう程に崇高な、そして邪悪な感情に見えた。 悪魔のそれ。 人であるアルルは、そんなサタンに対して怒りの感情をぶつける事など、とても出来なかった。 「…シェゾ」 そしてアルルは、ただただ、シェゾを見守るしか出来ず、唇を噛んだ。 アルル達の遙か彼方に立つシェゾ。 見上げた空の真上に切り取ったみたいな真っ黒な点が見える。 「…来たか」 呟きと同時に、どう、と見えない水が降りかかる。 あまりにも濃密すぎる気の固まりだ。 物質ではない筈なのに本当に水が落ちているみたいに髪が押さえつけられ、息苦しさすら感じる。 そして何より、正直気持ちが悪い。 『何ともおぞましい、嫌な念だ。酷く不快だぞ。主よ。 例え溶岩に落とされようとも不満を言わぬであろう闇の剣が文句を吐いた。 「俺もだよ」 だから、とシェゾは剣を天に向け、そして呟いた。 「さっさと片付けようぜ」 第二話 Top 最終話 |
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