魔導物語 小説『雲の下で』

第二話 Leak




「…恐らくは、時空崩壊によるエネルギーが、通常の霊的憑依以上の力をその楽器に与えたのだな。楽器の意思と言うより、その村の人々の意思が篭っていたのだろう。それだけ、特異な戦争なのだ。アレはな」
 シェゾは、以前の出来事を話していた。
 悲しい村の記憶の物語を。
「…おかげで、嫌な目にあったぜ」
「本当に、嫌だと思ったのか? しかも、その後ちゃっかりあいつに癒されおって」
 サタンがからかう様に言う。
「……」
 シェゾは居心地悪そうに空を見上げた。
 そして。
「どんな奴だ? リンボ情報のリークくらいはいいだろう」
「うむ、まず、今回の次元境界崩壊の規模から言っておこう」
 二人は、街を歩いていた。
 向かう場所は、街から西へ四十キロ程先に広がる草原地帯。
 そこは街道からも外れ、農業などに使うにも遠すぎるので手付かずの土地だ。
「そうだな、別に距離とかそんなのは測っている訳でもないし、第一曖昧だ。…うむ、強いて言うならば、丁度お前らの住む街一つ分の大きさ、と言うところだな」
「……」
 シェゾはそれを聞いて、ちょっと帰りたくなった。
「そんな大穴から、何が出るんだ?」
「うむ、恐らくは、こちらの世界に出た時は重力や外圧が違う。その為、実体系…つまり、肉体を持つ奴はあまり出たがらないだろうな」
「そういうもんか?」
「リンボはどちらかと言えば精神世界に近い。物質も実在こそするが…そうだな、その存在が希薄なのだ」
「希薄、ね」
「想像し辛いかも知れんが、だから重力とかそういう概念があまりない。それに、そもそも肉体的に滅んだり、肉体を剥奪された奴が送られたりと言う難儀な場所だからな」
「嫌な場所だ」
 シェゾは溜息をつく。
「当たり前だ。私とてリンボはそうそう行きたい場所ではない。お前みたいな、まだまだ修行の足りん奴が行った日には、その瞬間に向こうのエーテルに同化されてお仕舞いだ」
「……」
 嫌味が入りつつも多分正論だ。
 そう言う物言いには反論し辛い性格をシェゾは自分でも厄介に思っていた。
 最も、正論に歯を剥く事こそ愚行だが。
「そんな訳で、出てくる奴は恐らくエーテル体だろう。『重力』のあるこの世界では、精神だけでは自分を固定するのは難しい。エクトプラズムなどを構成して、半霊体となって実体化するだろうな」
「この世界も、結構精神体のみって奴、居るぞ」
 闇の魔導士たるシェゾも、とても身近にそんな男を一人知っている。
「そりゃここで生まれたからだ。他の世界ではそうはいかない」
「…ところで、転移を使わせないのは僅かでも魔導力の温存の為ってのはわかるが、ならお前が俺を現場まで連れて行ってくれてもいいんじゃないのか?」
 シェゾは恩着せがましく言う。
「言ったろうが。手を貸すのはタブーだと」
「そんなのもダメか」
「ダメ」
「なら、何くれる?」
 彼は笑った。
「…お前な」
「命賭けてんだ。安働きってのも気が引けるだろ?」
「さっきのステーキとワイン、計算したらけっこう高かったんだが」
「小遣い足りない学生みたいな事言うな。どうせ終わったらお前の魔導器コレクションが良い物順に片っ端からがらくたになるんだ。こんなもんの値段、些末な事だ」
「お前、ほんっとに遠慮ないな! この前もせっかく集めた至高の魔導器をあれだけの数! あれだけの数をがらくたにしたばっかりだろうが! あれ、正直泣いたぞ私は! マジで!」
「んじゃ、ハンカチを用意しておけ」
「…時々、お前が私ら魔族よりよっぽど『わるもの』に見えるわ」
「んなこと分かり切っているくせに」
 シェゾが当然だ、と笑う。
 サタンはそんなあっけらかんとしたシェゾを見てため息をついた。
「ま、まぁそれはいいとして、シェゾ、間違っても今回の相手から魔導力を奪おうなどと思うな。大変な事になるぞ。いや、これもマジで」
 その目は本気だった。
「それに関しては、何となく解る。安心しろ。俺も、そんな訳解らない奴の力はちょっと遠慮するさ。マジで」
「それが懸命だ」
 サタンは、一先ず彼の言葉に安心した。
「で、多分ミスト状だろう。形は無い」
 二人は住宅街から少し外れ、目に付くのは街道と遠くに広がる森。そして、更に遠くの山脈ばかりになった。
「そして、山の様に大きいってか」
「そうだ。やっかいだぞ。しかもエーテル、エクトプラズム体故に、それがある限り実体化も可能だ。意志と言う命令さえ届けば、どんな形にも、そして同時に何体にでも分裂出来るな。更に言うと、奴らに対してまともに魔導力で対抗しても効き目は多分三割減、と言うところだろう。奴らにとってこちらの魔導力は相性悪くない限り栄養だからな。多分、お前の得意方面の魔導はしっかりコーティングせんと、ただの栄養剤になるぞ」
 シェゾはそんなハンデだらけの相手にげんなりして言う。
「…分かってはいたけどよ、激しく不利じゃねえか、俺?」
「うん、シェゾ、これじゃ大変だよね」
 脳天気な声が後ろから聞こえた。
「……」
 二人は、深く後悔した。
 安全な領域とは言え、こんなパカみたいに気配おっぴろげの丸出しで近づく間抜けに後ろを取られるなど、自他共に認める実力者として言い訳が出来るものではない。
 たとえそれが知った気配だとしてもだ。
 かくして、二人が振り向くとそこにはアルルがいた。
「……」
 と、アルルは何故かふくれていた。
「なんだよ」
 ふくれたいのはむしろシェゾだ。
「なんかさ…今、二人ともボクに対して激しく失礼な事考えなかった?」
 どきりとする二人。
「なんでだ?」
「そういう目だった気がする」
 抜けているくせに鋭い。
 二人が更にそんな失礼な事を考えていたと、彼女は分かっただろうか。
「で、お前、いつから聞いていた?」
「んーとね、山の様に大きいってあたりから」
「アルルよ、何故こんな街外れにいるのだ?」
 サタンも質問を投げかける。
「セリリのところに遊びに行って来た帰りだもん。これから待ちに帰る途中だったの」
「そうか、じゃ、このまま帰れ」
 シェゾは当然の様に言う。
「やだ」
「邪魔だ。消えろ」
「…どーしてキミってそういう失礼な事をハッキリ言えるかな?」
 慣れっことは言え、その言葉自体にはやはり、正直腹が立つ。
 アルルは、これ見よがしに不満を露わにした。
 特に、今回は何か彼の言葉に妙なトゲを感じる。
 そう言う時は大抵何か裏がある時だ。
 つっけんどんな時こそ引いてはいけない。
 アルルは既に絶対帰らない、と心に決めていた。
「ま、まぁまぁアルルよ。今回、シェゾに頼んでいる事は、おおっぴらには言えない秘密事項なのだ。邪魔とかそういうのではなく、あまり人目につきたくないのだ。な?」
 一応説得力はある説明だ。
「それに、お前を危険な目に合わせるなどこの私が出来る訳無いではないか。一体、何処の世界に己の后を死ぬ確率の方が高い仕事に付き合わせる愚か者が居ると言うのだ! マイスウィートアルルよ!」
 後半の科白が芝居がかるサタン。そして、同時にでっかい墓穴も掘る。
「サタン…」
「キミ…」
 サタンが固まった。
「あ」
「まぁ、どうせ危険に違いないとは思っていたけどな」
 シェゾは分かっちゃいたが、とサタンを睨む。
「サタン…。シェゾを一体どうする気だったの? 返答によってはボク…大変な事をするからね?」
「あうぅ…」
 シェゾの視線はともかく、アルルの視線がガラスのハートに痛い。
「い、いや、希望としては、お前を大切にしていると言う点をクローズアップして欲しかったのだが…」
「うるさい。シェゾをどうする気なのって聞いているんだよボクは?」
 聞く耳持たないアルル。
 だが。
「アルル。それはともかく、俺はどうせ行く気なんだ。さっきも言ったが、邪魔するな」
「シェゾ…?」
 アルルが、思いがけない科白に声を詰まらせる。
 さっきのサタンの事でやっと息が合ったと安心していた矢先だった。
 息さえ合えば、後はいつもの様に一緒に行動出来ると思っていた。
「…ボク、シェゾをこんなに心配して、思っているのに…」
 普段、いがみ合う事こそあれ、いざと言う時は声が揃うと思っているアルル。
 だが今回のシェゾは、まるで息を合わせてはくれなかった。
 自分と一緒にサタンを非難してくれると思って憚らなかった。
 その確信があった。
 そんなアルルのダメージは大きい。
 スカートを握るアルルの手が震える。
「どうして…!? ボク、こんなに…」
 アルルは大泣き一歩手前。
 ついでにあっという間に蚊帳の外のサタンも、別の意味で泣きそうだ。
 まずいな…。
 泣き出したアルルは子供の様にやっかいだ。
 シェゾは、冷静にそこを見抜いて思案する。
「シェゾ…お前、無関心に振る舞うくせにそういうコトは知っているのな…」
 そんなシェゾの心情を察知したサタンは、心底うらやましそうに言った。
 シェゾは、震えるアルルの頭に大きな手を置いた。そして、軟らかい栗色の髪を優しく撫でる。
「……」
 アルルは、目に涙を一杯に溜めたまま、そっとシェゾを見上げた。
 意識している訳でもないのに、切なくなる程優しい表情のシェゾ。
 そんな表情の彼が、自分の頭を撫でている。
 アルルはそれだけでもう、別の意味で涙が溢れる。
 普段なら抱きつくところだが、サタンの前なので堪える。
 遠慮とかではない。
 サタンの嫉妬がシェゾに害を及ぼす事を恐れて、である。
「俺は大丈夫だ。死ねって言われて死ぬ様なタマじゃないし、俺もいらん危険をお前に負わせる気はない。だから、帰れ」
 アルルは、胸を絞め付けられる様な嬉しさと共に、同じくらいの不満も沸かせた。

 どうして一言、『来い』って言ってくれないんだよう…。

 ここで殊勝な彼女なら涙を溜めつつも頷いて、素直に彼の帰りを待つところだろう。
 だが、生憎アルルは一途ではあるが、だからといって何でもかんでも言われたことに頷くような性格でもない。
 アルルの頭の中は、いかにすればシェゾについて行けるかで一杯となり、そして珍しくフル回転した頭はピン、と一つの案を閃いた。
「…サタンと一緒に行くんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、サタンに盾になってもらうから…連れて行ってよ」
 アルルは、頭を撫でていた手を取り、両手で握り締める。
 行きたいのだ。
 理屈も、理由もない。
 シェゾが危険と知ってそこから去るなど、アルルの行動パターンには有り得ないのだ。
 ここまで言っても食い下がるとなると、これは厄介だ。
 シェゾはアルルの行動パターンから推測する。
「サタン、どうする?」
 シェゾが珍しくサタンに意見を求めた。
「…ま、まぁ、直に手を出すのではないし、周囲と言えるから、アルルを守るとか言うのだったら一応、問題は無い筈だが…」
「守れよ」
 静かだが、厳とした声だった。
「う、うむ!」
 連れて行く事自体にはまだ抵抗が残るが、アルルの命が自分の行動にかかっているとなれば俄然気合が入る。
「任せるが良い!」
 サタンは自信満々にどっしりと応えた。
「むふー!」
 サタンの鼻息がイノシシの様に荒くなる。
 やはり、アルルは后として、たくましい私に守って欲しいのだな!
 気分一新で鼻息も荒いサタン。
 だが。
 当のアルルは、先程言った通り、サタンを勝手に動く便利な盾代わりとしか考えていないと言う実事を、サタン本人が知る由は無かった。
 元から知りたいとも思ってなかったが。



第一話 Top 第三話