魔導物語 闇に生きると言う事 第十九話 魔界 午後11時3分 とある土地。そこに二つの影が浮かび上がり、実体化した。 「ここでどれくらいだ?」 暗闇に立っていると言うのに、なお純粋な闇のシルエットを映し出す男。 「うむ、我が城からは1千キロ程度だな。あと半分くらいの距離を進めば、他の領地だ」 突然領地に踏み込む事は得策ではない。そのため、二人は用心して半分の距離で移動を止める。 「で、どこに向かっているんだ」 「まずはベールゼブブの領地へ行く。勢力で言えば、奴がこの中では一番小さい。勢力で言えば、だがな」 サタンは一応の説明を付け加える。 「…蟻に、リンゴと梨はどっちが小さいと言っているみたいなもんだな」 やや皮肉を込めてシェゾ。 「随分自虐的だな」 「だが、蟻にだって『それ』に穴を開ける事は出来るぜ」 「ふむ」 そんな言葉に納得した様な、安心した様な顔のサタン。 …だからこそ、この男なのだろう。 「なんか言ったか?」 シェゾが問う。 「何も言ってない。行くぞ」 サタンは、再び転移を開始した。 「へいへい」 シェゾもそれを追う。 一見普通のやり取りだが、転移した相手を転移で追う。 それが一体どれほどの芸当か。 −……。 男が目を開けた。 天を衝くような塔。その最上階で男は目を開けた。 この塔の高さをもってしてもその場の風は無風にして鉛の如く押し黙り、その空間はまるで岩の中のように息苦しく、そして重い。 この空間が美しいとはどうにも言えないが、例えるならばクリスタルに封じ込められた彫像、とでも言うべきであろうか。 −……。 それは、まるで巨大な神仏のようだった。 その瞳も、先程まで閉じていた等とは信じられない程無駄の無い線で固定されている。 一万年間このままだと言われても誰も疑わないであろうその男の姿であった。 「ここに…」 その部屋の闇から、使いが現れた。 男の念を感じたのだろうか。 −奴が、近づいている。 「…奴? …はい。確かにあ奴でございます」 −それともう一人。面白い奴を連れてな…。 「…それは? …はい、分かりました。…は。仰せのままに。直ちに向かいます」 闇に隠れていた男が、窓明かりの下に姿を現した。 それは、その場所には不似合や不釣合いと言う言葉などでは表現出来ないような少年だった。 月光に映える白い肌。濡れ烏色に艶やかに輝く長髪。唇は赤く燃え、その瞳は、金と青のオッドアイ。 霞のような布を纏った少年は、正しく霞の如くその場から消えた。 ここは魔界。ベールゼブブの城の中だった。 「そうえ言えばシェゾ。お前、最近随分と調子が悪かったそうだな」 「どっから仕入れる。そういう情報は…」 「別に逐一ではないが、何かの拍子に見られていると言う自覚位は持て。お前は一般市民ではないのだぞ」 二人は、前の場所から更に四百キロ程も城に近づいた場所に現れた。 そこは街だった。多少異形の者が多い事を除けば、人間界とあまり変わりは無い。 もっとも、それはシェゾの目から見ての事なので、他の人が見てそう思うかどうかは少々怪しいのだが。 そんな街、深夜の飲み屋で二人は席に座っていた。カウンターになっている席は、それでも結構広いスペースを提供している。 自分はともかく、サタンがこんな場末の酒場に居ていいのかと思ったのだが、意外にもサタンは角一つ隠さずに堂々と酒を飲んでいる。 もっとも、角だけで見れば水牛どころかサイやらシカやら、種類には事欠かない奴らがごろごろしている。 そういうのから見れば、スタンダードな分むしろサタンの角など大人しいものだ。 四大実力者の一人が安酒場で酒を飲んでいる。 シェゾは、そんな風に飾らないサタンは嫌いではなかった。 魔界の酒も悪くない。ここの酒場は、幸いいい味の酒を揃えていた。 そんな二人の酒量は期せずして増える。 「おやじ! ほっけ!」 サタンが大声でオーダーする。そうでもしないと誰にも気付いてもらえないくらいに店内は騒々しい。 「あとサイコロステーキ!」 シェゾが続く。 なんかもう、普通の飲みに来た男二人って感じだった。 ただ、単なる酔っ払いと違い二人とも食って飲むだけである。奇声を発したり、バカみたいに気持ちが大きくなって騒ぐ、と言う痴態を起こす事は無い。 大衆酒場だというのに、そこだけはバーの様な雰囲気だった。 そこへ一人の男、いや、少年が現れた。 深くローブを被ったその少年の姿は、普通ならば怪しいと思われそうなものである。 しかし、ここの世界において、しかもこの酒場では然したる特徴にはならなかった。 「……」 少年は静かに隣の席に座る。丁度、サタンとシェゾ、その男が並ぶ。 ローブの下、男はちらりと二人を見た。 「!」 少年は驚愕する。 サタン、そしてシェゾが男を見ていたのだ。 …まさか、私の気配を読めたと? サタンはともかく、この男までが!? 表情こそ眉一つ動かさないが、少年は戦き、混乱していた。 「お前…」 サタンはゆっくりと声をかける。 「……」 サタンの瞳が少年の瞳を捕らえる。脳の裏側まで見据えられそうな瞳だった。 「独りで来るとは寂しいやつ。飲め!」 サタンは、さっき来たばかりの水割りをテーブルに滑らせた。 「え?」 「飲めと言った。独りで飲むなど、さびしんぼうで暗くてぶっきらぼうで朴念仁で銀髪な奴のやる事だ」 「…銀髪ってのは何だ? おい?」 「細かい事を言うな。ほれ」 サタンは、戸惑っている少年にグラスを促した。 「…はい」 少年は従うしかなかった。 夜も更けた頃、三人はやっと店を出た。 まさか飲むとは思っていなかったし、何より二人の酒量が尋常ではなかった。酒ごときに酔う少年では無いのだが、二人に合わせて飲んだらフラフラになってしまった。 しかも、当の二人は殆どシラフである。 「わ、私は、これで…」 「ああ、よろしくな」 「……」 少年は、とりあえず二人から離れる事にした。 ふらふらしながらも、深夜の街に消えていく。 「……」 任務は失敗だ。何一つ調べられなかった。…いや、何か引っかかるのだが…。 「!」 『よろしく』、とサタンは言った? 「…私如き下賎の行動は、全てお見通しか…」 少年はがっくりと肩を落とした。 |