魔導物語 闇に生きると言う事 第十七話 森 午後4時19分 森に湧き出る泉。木々から降りそそぐ木漏れ日が軟らかく水面を輝かせる。 光の粒子の中に、その水鏡はもう一つの世界を映していた。 鏡が揺らぐ。 そこに、ざぶざぶと水に足を進める男が居た。 男は泉の真ん中まで歩を進めると、ごく普通の動作で手を水に突っ込み、肘まで水につけると何かを掴んだ。 「……」 ざば、と水から手が上がる。 その手に握られていたのは、透き通った刀身を持つ剣。闇の剣だった。 男、シェゾは無言で剣の剣をぶん、と一払いする。水滴を飛ばす為に。 特に力を込めた訳でも無いが、その一振りだけで刀身には、水滴一つ残ってはいない。曇り一つ無く、透き通った刀身は七色に太陽光を煌かせる。 シェゾは軽く念を込め、闇の剣を異空間に仕舞った。 再びシェゾは歩き出す。 久々の再開だというのに、会話一つ無い。 それが、闇の剣と、主たる闇の魔導士の正しい関係だ。 彼らは『友達』ではないのだから。 同時刻。 「いや、だからさぁ」 「そうじゃありませんわ!」 「どっちも違うと思うけどね…」 ウイッチの家。 ウイッチ、アルル、ブラックの三人娘は、台所で肩を並べて夕食の用意をしながら、楽しく(?)談義に花を咲かせていた。 「アルルさんが五月蝿いから、シェゾが出て行っちゃったんですわ!」 ジャガイモを剥きながらウイッチ。踏み台に乗って料理しているので、目線は二人と変わらない。 「だーから、どこをどー見るとそうなるのかな?」 マジョラムやコリアンダー等のスパイスを調合しながら、アルルも口をとんがらせる。 「……」 ブラックは米を砥ぎながら、お子様同士のちゃちな痴話喧嘩を眺めていた。 「だって、その前まではシェゾ、わたくしの看病で充分に満足していましたわ!」 「そんなの分かんないじゃん。看病してくれているから申し訳なくて、不満を言えなかったとかさぁ」 「…そ、そういう失礼な事をおっしゃいますか? 並の看病も出来ない方に言われたくありませんわ! シェゾはわたくしの看病だからこそ、、元気になりかけていたんですわ!」 「ボ、ボクだって看病くらい出来るもん! ご飯だってシーツの取替えだって出来るし、その気になれば、し…」 言いかけて、料理中だけにその世話言葉は飲み込む。 「なんですの? シェゾがどうかしました?」 「い、いいでしょ! とにかく、一通りは出来るよって言いたいの!」 「そーんなの、出来て『当り前』ですわ。わたくしは、薬を一から作れますのよ。あなたに出来まして? 出来合いのお薬しかあげられませんでしょう? もしかしたらそれも、わたくしが作った薬かもしれませんわねぇ? シェゾ、薬も料理も、わたくしが作ったものならためらわずに食べてくださりますわ」 ウイッチは台の上でふんぞり返る。熱くなった時のウイッチは饒舌ではあるのだが、行動自体はかなり子供っぽくなる。 ふん! と無い胸(余計)を突き出してアルルを威嚇していた。 「…く、薬を調合出来る人なんて元々一握りだもん。そ、それにボクは癒…」「お腹痛いのは笑顔では治りませんわ! そんな状況限定の効果なんて、わたくしやっぱり認めません!」 「うぐぅ…」 結局のところ、口ではウイッチに勝てないアルルだった。 「そ、そーいえばさ、ウイッチって、なんでシェゾの事だけ呼び捨てなの? 年下だってさん付けが多いのに…」 それでも何か返さないと気が済まないアルル。 「わ、悪いですか? えと…し、親愛の印です。お互いに信用している証拠ですわ。アルルさんみたいに、誰彼かまわず呼び捨てするのとは訳が違います」 「だから何それ? ボクが礼儀知らずみたいじゃない! 確かにさん付けとかはよっぽどじゃないとしていないけど、ボク、普段失礼な言い方はしてないよ? シェゾだって、ボクの事は他の人よりは遥かに身近に感じてる筈だもん!」 今までの思い当たる節を総動員しての発言。 「あら? それではアルルさん、シェゾに押し倒された事がありまして?」 こちらもこちらで、思い当たる事を片っ端から喋り出すウイッチ。どんなに些細でも、僅かでも、アルルより優位に立ちたかった。 「…へ!?」 目が点になるアルル。ブラックも、それに関してはぴくりとする。 「あ、あ…あるわけないでしょ!! キミだって…」 「わたくし、ありましてよ」 「…え…」 「どいてって言っても、暫くどいてくださいませんでしたわ」 挑発的に含み笑いするウイッチ。嘘ではないが、行動の真意は闇の彼方だ。 「まあ、アルルさんのボーイッシュな体型よりは感触がいいのですわね?」 「ウ、ウイッチに言われたく…」 ショックが二重に重なる。 「……」 ブラックも、その言葉には静観できない。冷ややかに、静かにその瞳は眼光を増す。 「ですから、まあ言葉の癒しも抱擁も、わたくし一人で充分ですわね?」 つん、と向こうを向いてふんぞりかえる。 と、天井を見上げたウイッチは一瞬びくりと息を飲む。 「…なん、なんで? ウイッチ…」 無性に悲しかった。意識しないでおきたかった感情が、悲しみと一緒に嫌な情動を湧きあがらせる。 アルルは、その意識無くも、嫉妬と怒りでウイッチを睨みつけようとする。だが、彼女はすでにうなだれていた。 「…ウイッチ?」 「おい? どした?」 二人は意外な反応のウイッチを見る。 「…いた…痛い…」 ごとり、と剥きかけのジャガイモが左手から流しに落ちた。 「!」 アルルが息を飲む。 そのジャガイモは真っ赤だった。 「ウイッチ! あんた手!」 続けて包丁も落ちる。ジャガイモと同じく真っ赤な鋼の刃が、石の流し台に乾いた音を響かせ、続けて赤い筋を排水溝に向けて流す。 「ウイッチ! 手…手見せて!!」 アルルが慌ててウイッチの左手を取る。 「いたい…」 ウイッチは涙声でしゃがみこみ、うずくまる。 「うわ! ひどいねこりゃ…」 左手親指と人差し指の間の手の平。そのやわらかい部分にざっくりと包丁が刺さってしまっていた。鋭い傷口が鮮血を溢れさせている。 一気にまくし立てていた時に、手元が留守になっていたのだろう。 「ひん…」 情けない声で泣き出すウイッチ。青い袖にぽたぽたと涙のしずくが落ち、そこを深い紺色に変えた。 「アルル! 包帯と薬、あと必要なの何か持って来い!」 ブラックがウイッチの肩を抱きながら言う。そして、素早く手首の根元にある止血点を押さえた。 「う、うん!」 アルルが家の中から店に走って行った。あそこなら必要な物は存分にある。 「ひっひっ…。いたい…。うっ…」 嗚咽を洩らしながら痛がるウイッチ。だが、痛いのは当然だが泣き方が何かおかしい。 「…手が痛いだけじゃ、ないね?」 ブラックは手首を布で縛り、傷口付近の血を拭いながらボソリと言う 「! う…く…ふ…ふええ…」 図星。 ウイッチは堰を切ったみたいに、子供みたいにくしゃくしゃに泣き出す。子供だけど。 「だ、だって、だって、だって…。さっきの…ひっく…わた、わたくし、馬鹿みたいで、情けなくて…。うっく…て、天罰ですかしら…」 ウイッチはほろほろと涙をこぼしながら懺悔する。 傷を負ったショックで、途端に冷静さと幼稚さを目覚めさせた様だ。 「いーからいーから。気付いたならそれで良し。アルルもそれくらいは許してくれるよ」 「…あ、謝りますわ…。でないと、気が済みません…」 「後でね。それと、どーしてシェゾに『押し倒された』か、ちゃんと理由言ってね」 「…は、はい…」 幼い魔女の、他愛の無い優越感はあっさりと崩される。 「ウイッチウイッチ! 包帯と血止めとチンキとガーゼと消毒とテープ!! …あ、ハサミがなーい!」 アルルが両手に治療道具を抱えて走って来た。と思ったら、足りないものを思い付き、置いて行けばいいのにまた全部抱えたままで、どたどたと戻ってゆく。 そんな一生懸命なアルルを見て、ウイッチは今一度泣き出した。 「い、痛いの? 待って! 今…」 戻って来たアルルはわたわたと道具を用意する。慌てすぎて、ハサミが危うくアルルの手に刺さりそうになった。 「いーよ。後は俺がするから。あんたまで怪我したら誰が飯作るのさ。ハサミ貸しな」 ブラックは至って飄々と語り、ウイッチを抱きかかえて居間に向かう。 「アルル、道具置いたら、後はあんた飯作ってて」 「え、う、うん…」 「終わったら手伝うから」 「わ、分かった。…ウイッチ、大丈夫? 後は無理しないでね?」 居間に着くと道具を置き、アルルは心配そうにしながら台所に戻った。 「あーゆうヤツだからさ」 ブラックは手際よく治療する。 「……」 ウイッチはハンカチで顔を押さえつつ、黙って手当てを受けていた。 でも、でも、負けないですわ…。 それでも譲らないところは譲らないのがウイッチだった。 目の前の黒メイドも、更には今料理を作っている彼女もそれは同じだと、少女は知っているだろうか。 こんな、どうでもいいと言えばどうでもいいやり取りが、森の一方で行われていた。 |