魔導物語 Summer Ghost 最終話 最終話 少しの後、二人は回廊の奥に辿り着く。 巨大で、しかも細工の美しい扉が二人を迎える。 「ここは王族の玄室。ご先祖様が眠っている」 「モルグね」 「ここに、彼が…」 アルルの顔でリズがシェゾを見つめる。 と、突然周囲の気が再び不安定にある。 シェゾは慌てる事もなく、しかし速やかな動作で防御魔導を発動する。 同時に大層高価な価値を持つ扉がベニヤ板みたいに軽々と吹き飛び、ダムが決壊したみたいに強力な気が流れ出す。 シェゾは気の奔流に腰を落として耐えた。 「やるな。精神のみだってのに、なかなか『濃い』ぜ」 ニヤリとするシェゾ。 「ディーン…」 シェゾに抱きかかえられたままのリズが切なく呟く。 「希望を言え。でないと、俺は俺のやり方で奴を沈めるぜ」 容赦のない言葉にアルルはびくりと身を竦める。 アルルは闇から吹きすさぶ気をちらりと見てから、覚悟を決めた。 「シェゾ、本当は、彼を助けたかった…。でも、もう…彼の気は、意識を無くしているのかもしれない…」 「ただのエネルギーになっちまったって事か」 確かに今の気には、所謂霊体から発する意識特有のノイズを感じない。 それは純粋なエネルギーの塊と言っていいだろう。 シェゾにとっては正直ご馳走だ。 魔導力吸収の際は、それが純粋であればある程交換率がいい。 しかもそのエネルギーは莫大。 黄色い熊が蜂蜜に惹かれる様に、シェゾもまたそのエネルギーに興味を覚えざるを得なくなっていた。 「って訳にもいかないか…」 あいにく、厄介な人質が居る。 だがリズは意外な事を言った。 「彼を、彼のエネルギーを宿して欲しいの」 それはつまり、このエネルギーを吸収しろ、と言う事。 「マジか? 意味解っているか?」 「こうなる事は…覚悟していた。でもね、殺してとか、そういうのじゃないよ。彼も、一応はベテランの魔導士で強い魂の持ち主。貴方が協力してくれれば、一時的にでも意志を取り戻せるかも知れない」 「俺を触媒に、か」 「お願い…。もう一度、もう一度、彼の声を、彼を感じたい…」 頬を真珠の粒が伝う。 シェゾはいつも後悔する。 こういう場面に遭遇するたび、なぜ自分は『男』なのか、と。 「姫の頼みだ」 シェゾは見えざる力の塊をその瞳に焼き付ける。 彼の目には、その波動すら物の様に見えるのだろうか。 シェゾが動き出す。 突風の様に吹き付ける気をものともせず、シェゾはそのコアに向かう。 彼はそれを『見て』感じた。 「成る程、たしかに、殆ど純粋な気の塊だ」 「……」 リズがそれを改めて確認し、力無くうつむいた。 シェゾの左手がそれに向けられる。 闇の魔導士たるシェゾだ。 その気で行動を起こせば気の放出による行動の妨害など物の数ではない。 シェゾはコーヒーを飲むみたいに普通に、その気を押さえつけ、そして吸収を始める。 「む」 軽く感電した様な感覚が左手に伝わり、それが血管を伝って腕から肩、胴体、頭へと鈍い振動の様な感覚を流れさせる。 同時に、そこにあったエネルギーは崩壊した様な揺らぎで消えてゆき、それはシェゾの体へと流れてゆく。 熱い様な、重い様な独特な感覚が彼の体を満たす。 闇の魔導士だけが知る感覚だ。 この上ない充足感があると言えばあるし、恐ろしい感覚があると言えばある。 無数に繰り返したこの感覚だが、多分これからも慣れる事はないのだろう。シェゾは。 普通なら速効で自分の形の魔導力に変換するところだが、今回はそういう訳には行かない。 逆に自分の力を使って取り込んだ気を増幅しなくてはならない。 「上手くいくかどうか…」 理論的には解るが、無論実行した事はない。やった事があるのはせいぜい、それを留める事に努力した程度だ。 リズがひたすらそれを見守る。 少しの後。 「…リズ」 シェゾが、瞑っていた目を開く。少しふらりと体をよろめかせながらも、その瞳はリズを見つめた。 「! ディーン!」 アルルの、リズの瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。 「貴方ね…貴方の…『声』がまた聞けるなんて…」 リズはディーンに抱きついた。 外見はアルルとシェゾだ。 だが、そこにいる二人は今、確かに七世紀の時を超えて再開した二人だった。 「リズ!」 その体に、小さなからだがすっぽりと収まる。 「小さく、なったね…」 シェゾの顔で彼は笑う。 「貴方が大きいのよ…」 アルルの顔で、彼女も笑う。 「でも、君は間違いなく、君だ」 「貴方も、貴方よ」 二人の瞳に、お互いの瞳が移る。 それはこぼれそうな瞳同士で、万華鏡の様に美しく潤んでいた。 包容が時を止め、そして二人の顔が近づく。 『待ておい。 突然シェゾの顔がぐん、と離れた。 『人の体でどこまでやる気だ。 「あ、シェゾ…」 「す、すまない。うれしくて…つい」 意識を吹き返したディーンがシェゾに詫びる。 「だめ?」 『…気持ちはわからんでもないが…。 「この子と、した事ないの?」 『それくらいあるわ! 「じゃ、許して。ここまで協力してくれたじゃない」 「…僕からも頼む。これが、本当に最後だろう」 『……。 シェゾの意識が希薄になった。 「ありがとう」 七世紀ぶりの口づけは二人を幸せで包み込む。 「ディーン、最後に踊ったのは…いつだっけ?」 「昔過ぎて覚えてないけど…君のスカートを踏んだのは覚えている」 「上達、した?」 「どうだろう」 二人は城のダンスホールに来ていた。 「変わらない…。ちょっとよれているけど、変わっていない…」 ディーンが感慨深げに呟く。 「踊って…。一緒に」 リズがディーンの手を取る。 「覚えているよ。あの日踊った曲…」 「じゃあ、ステップは大丈夫ね」 二人はゆっくりと踊り始める。 瞬間、光の波と共に廃墟と化したダンスホールが当時の姿に戻る。 シャンデリアの光。 ビロードのカーテン。 顔の映りそうな大理石の床。 時が、七世紀前に戻っていた。 「貴方に逢えて、良かった…」 「僕も、君に逢えて良かった」 二人はもう一度口づけを交わす。 暖かく、そして悲しいそれは長く長く続く。 やがて名残惜しそうに唇が離れた時、リズは先程とは違う涙を流した。 「貴方が…」 「限界の様だ」 ディーンが微笑む。 「彼の力をもってしても、燃えかすみたいに弱まっていた僕の意識を固定するのはもう限界みたいだね…」 『そういう事だ。 「シェゾ、ありがとう…」 「彼に、逢わせてくれて、本当にありがとう…」 『ああ。 「最後に、お願いしていい?」 『おいおい。 「聞いて。私も、あげる」 シェゾの顔が、ん? となる。 「彼の気を宿した様に、私の気も貴方にあげる。そして、一緒に吸収して。そうすれば、私達、一緒になれる。永遠に…」 『…いいのか? 旦那。 「これ以上の願いはないよ」 『そう、か。 シェゾの手が上がる。 それはディーンではない。もう、シェゾのそれだった。 アルルの喉元に手がかざされ、それを見てリズも目を瞑る。 シェゾはもう一度、体に熱いそれを宿した。 同時にアルルが倒れる。 素早くアルルを受け止め、シェゾはアルルの気をチェックする。 もう、いつも通りのアルルだった。 ありがとう、シェゾ。 感謝する、シェゾ。 「仲良くな」 すぅ、と息を整え、彼は体内に宿した二つの気を昇華させた。 何かが弾けて消え、そして入れ替わりで体にぼうっと熱がこもり、すぐに消える。 それは暖かく、しかしどこか狂おしい。 シェゾは大きく溜息をついた。 「ん…」 シェゾの胸の中、アルルが眠そうに目を開けた。 「…シェゾ」 アルルがきょとんとした顔で目前のシェゾを見つめる。 「終わった。帰るぞ」 「…ドキドキしてた」 「ん?」 「久し振りだって言うから、一体ボク、何をさせられるのかと思って…。でも、キスで済んで良かった…かな?」 アルルが顔を赤らめて言う。 そして逆にシェゾは目を丸くする。 「お前、意識あったのか?」 「なんとなく…。だから、あのキスも、ぎゅーってしたのも覚えてるよ。幸せそうだったなぁ…ホント」 うっとりした顔のアルル。 七世紀を超えたロマンスである。 ロマンチストならずとも恍惚となるのは無理もないだろう。 しかも、自分の体を使って、しかも意識があるのだからたまらない。 アルルは、まるで自分がそういう体験をしたみたいにうっとりしていた。 「そう、か」 彼自身、ダンスしてキスするなど恥ずかしいの極みだったと言うのに、更にアルルの意識もあったとなるとその恥ずかしさは二乗では済まない。 自分の顔の体温が上がるのが、手に取る様に解った。 「でもさぁ、ボク達はボク達で、ちゃんと自分の意志でやらないとね」 「何を?」 「キスして。ボク、公認の『彼女』なんでしょ?」 「……」 乗り移った直後から意識はあったらしい。 アルルは目を瞑った。 考えてみればそもそも、憑依が解けた事で体が疲労し、足が笑っているアルルを抱きかかえている状態である。 元より顔と顔の距離は十センチあるかないかだった。 「……」 シェゾも、ここで雰囲気を無視する事もなかろう、と珍しく素直に折れる。 もう一度、二人の影が重なった。 二人の意志で。 二人の想いで。 城の外。 二人を強い日射しが照りつける。 「暑いねぇ」 「ああ」 「戻ったらさ、泳ごうよ! もう、気を張らなくていいでしょ?」 「そうだな」 「思い出、作ろうね!」 「ああ」 アルルはにっこりと、いや、実はにやりと笑ったのをシェゾは知らない。 彼は、彼女の言った思い出の意味を知らない。 そしてこの後、様々な意味で結局、彼の気が休まる事は無いと、知る筈がない。 そんな事も知らず、シェゾはのんびりと帰路を行く。 時はまだ午後。 二人の影は寄り添う様に並んで歩いていた。 Summer ghost 完 |