魔導物語 Dragon Heart 第二話 シェゾとしっぽ 今日の空は抜ける様に青い。 見上げれば、視界の所々に綺麗なアクセントとなって浮いている純白の雲。 それは、やや控えめながらも青空をより美しく飾る。 ここはとある山の頂に近い、開けた斜面の草原。 緩やかな斜面から裾野を向けば、視界には広大な森が周囲に広がる。そして、その向こうには街が見えた。 時間は午後になったばかりと言うところであろう。 太陽が、木々の影をほぼ真下に映し出していた。 そこではある男が、モンスターを相手に剣の修行を行っている最中だった。 修行といっても、実戦と同じである。 その方法とは、ある魔導器により次元に小さな歪を造る。そして、そこから湧き出たモンスターを相手にすると言う乱暴な方法であった。 双方向に出入りが可能な空間を開くのは割と大変だが、何処に繋がっているかも分からないような小さい亀裂みたいな穴ならば、ちょっとした魔導器(十分大変な代物だが)でも事足りる。 かくして、次々と異世界の気を感じて穴から這い出して来た異形のモンスター達は、出口で手厚い歓迎を受ける事になる。 元々小さな歪を利用してこちらの世界に実体化できる様なモンスターは頭がいいかどうかはともかく、ひどく手強いのが普通である。 そんな敵を相手にして、彼は既にその数で十匹を超えようとしていた。 剣の音が響く。それは、何か硬質な物体を切り刻んだ事を意味する。 その後、少しの間を置いてから静けさがゆるりと空間を支配する。 どうやら、空間の向こう側の近くには誰も居なくなった様だ。 「…ふぅ」 銀髪を掻き揚げ、額に浮いた汗を拭う。銀髪蒼眼の闇の魔導士、シェゾは呟くように呪文を詠唱し、魔導器を停止させた。 瞬間的に空間の歪は消え、その場はたった今までの死闘が嘘の様に静けさを取り戻す。 木陰に置いておいたサックからレモン水の入ったビンを取り出そうと歩き出した時。 「うおりゃあっ!」 「!」 シェゾは、突然背後から襲撃を受けた。ヤケに気合の入った掛け声と共に。 剣は既に仕舞っている。 振り向きざまに攻撃をいなし、反撃、または仕切り直そうと構える。 しかし。 「!?」 大げさな気合の声と共に襲い来る筈だった敵は、振り向いた視界から消えていた。 「…上っ!」 とっさに視界を空に向けた時、大きな翼を持つ人影とやけに大きく見える踵がシェゾの眼に映った。 「くらえーっ!」 襲撃者は、これまた大げさな声を上げて渾身の踵落しを繰り出す。 「む!」 シェゾは、反射的に右手で手刀を繰り出し、敵の右足踵を真横に掃った。 「わ!」 全てを踵に集中していたらしい。途端にバランスを崩し、敵は、今度は体ごとシェゾに向かって落ちてきた。 「なぁっ!?」 どこか緊張感のない襲撃と分かっていたせいか、シェゾはそれを避ける事を忘れ、思わず自分も同じ様に大げさな驚きの声を上げる。 「んぎゃ!」 そしてそれは悲鳴と共に尻から降って来た。 シェゾの胸の辺りに落下したそれは、そのままシェゾを重力の指し示すままの方向に押し倒す。 「ぐはっ!」 肺の臓が、降ってきた尻に押されて空気を吹き出す。 かくしてそれは、当初の目的とはやり方こそ違えど、彼に一撃加える事にとりあえず成功したのであった。 「…いて…」 「あいたぁ…」 もっとも、それは傷み分けに近かったが。 彼は、顔の前で頭を振っている彼女、ドラコを確認する。 第一声と羽のシルエット、攻撃のパターンで分かってはいたが、一応肉眼での確認も済んだ。 「おい、ドラコ…」 「…なによぉ」 襲撃されたシェゾも不機嫌だが、襲撃した本人、ドラコもそれに負けじと不機嫌そうに言った。 「退けよ」 「……」 先程の襲撃による結果。 現在シェゾは、ドラコの尻に敷かれて短い草の生い茂る斜面に横たわっていた。 簡単に言うと、馬乗りだ。 シェゾの頭は麓に向いているので、どうも寝心地が良くない。ドラコも、自然に体が前のめりになるので座りが悪そうだった。 ドラコは、シェゾの胸に乗っていた尻を腹に移動させ、そのまま無抵抗をいい事にシェゾの両肘の辺りを掴んで押さえ、彼の自由を奪う。 そして、低い声で言う。 「じゃ、ごめんなさいって言って」 彼女の顔が近づく。 「何でだよ? いきなり襲いやがって。それは俺の科白だろ」 手の自由を奪われた事、それ自体は別段気にもせず文句を言うシェゾ。 「いーから言いなさい。あんたのせいであたし、昨日一昨日と大変だったんだからね」 ぷう、とふくれた顔で命令するドラコ。 口調はきついし、その目も威嚇しているつもりなのだろうが、その膨れっ面と大きなくりくりした瞳で言われても今一つ迫力に欠ける。 「だから何でだっての」 シェゾは至ってクールに問う。 「…あんたのせいであたし、しょっちゅうひどい目に遭っているの!」 「だから、主語が抜けている」 「…あんたに言われたくないなぁ」 眉をしかめて非難するドラコ。 「知るか」 シェゾは、馬乗りになられたまま、少し体を起こす。 ややドラコと顔と顔の距離が近づくが、それはまだお互いに意識する程では無い。 「とりあえずどけ」 シェゾは肘から先の自由な手を動かし、すぐ近くにあったドラコのシッポを掴んだ。 別に何の気はなかった。 手を掴むのと同じ感覚で握ったのだったが。 「あっ!」 瞬間、ドラコは思いもかけない声を出し、体をびくりと反らせた。そしてその反動はバランスの悪かった上半身を容赦なく倒させ、体を起こしていたシェゾに自分の胸を押し付けたような恰好になる。 そして今頃、馬乗りの状況が周囲からどう見えるのかを彼女は意識した。 「……」 シェゾも、ドラコからそんな声を聞くとは露程も思っていなかった上、流石に胸を押しつけられては思わず固まる。 顔だって、鼻が触れるまであと数センチだ。 だが、それ以上に固まってしまったのがドラコである。 「…あ…」 気がつくと顔は真っ赤になり、恥かしさで体が震える。 大抵のモンスターとであっても震えなど起こさないドラコがいとも簡単に震えていた。 「ドラコ…?」 シェゾはどうして良いか分からず、とりあえず彼女の名を呼ぶ。 「バ…バカぁっ!」 ドラコは反射的に叫び、シェゾをひっぱたいた。 そして追加攻撃でシェゾを突き飛ばすと、半泣きで逃げる様に飛んで行ってしまった。 …何で? 何であたし、あんな声出したの? ドラコは混乱していた。 そして体の芯がかすかに火照っていた事実。 それはドラコにその理由こそ理解できないにせよ、何か自分をひどくいやらしい存在に思わせてしまう。 彼女は、今まで味わった事のない羞恥にまみれていた。 同時に、抗いがたい感覚も同時に呼び起こしつつ…。 「……」 後に残されたのは、呆然とするシェゾ 「ひっぱたかれたのはまぁ、ともかくとしても…。俺が、何か悪いのか?」 弾かれたみたいに飛んでゆくドラコの後ろ姿を見送りつつ、シェゾは何をどうしたものかと少しの間悩むのであった。 ついでに彼は豆知識を一つ覚える。 彼女はしっぽがウィークポイントだ、と。 |