魔導物語R D 第三話 霧 ボートは程なくして城に辿り着く。 水の色とその臭いさえなければ水上デートとしゃれ込めたのに、とウイッチは少々不満顔だった。 「シェゾ」 「ん?」 「本当ですの? その話…」 その話。 この城は、表向きはよくある小国の王が住んでいた場所であるとされている。 隣国とのせめぎ合いに負け、吸収という形で消滅、城はカラになった、とそれらしい伝記も残されており、小さな劇場では時々その芝居もされる事がある。 だが、知識として知っていたそれと、シェゾから聞いた話はあまりにもかけ離れていた。何と言ってもここに住んでいたのは魔物だったと言うのだ。そして、誰も寄せ付けないのは謎だが、今も居ると言うのだ。 嘘を簡単につく男ではない。 ウイッチは冷静に話すその口調もあって、背筋に寒いものを走らせた。 「…でも、普通のそれなら、一応知らない事はありませんわ。なのに、あなたが来ると言う事は、やっぱり普通では無いと言う事ですの?」 「普通のそいつらなんて雑魚だ」 「あなたにとっては、そうですわよね」 「で、そいつの力が何かいいらしい。それを頂きに来た」 「…何か? ですか?」 「唄い語りのばあさん、そこらだけもごもご言って聞き取れなかった。たぶん、忘れているな、あれは」 「…ず、ずいぶんアナクロな情報収集方法ですわね」 「だが、時として何より真実に近い事もままある」 「ですわね」 語り部は単なる伝説や叙事詩の唄い手ではない。本より正確な情報をもたらす事も多いと二人は理解していた。 「で、安心しろ。お前の薬草とやらの情報は正しい。ばあさんの唄にもあった」 「そうですか! それは重畳ですわ! わたくし、この為にここまで一人旅をしてきましたもの!」 シェゾの情報ならば、と確信を持ったのかそれを見つけたみたいにはしゃぐウイッチ。 「それでシェゾ、あなたのその目的はどこにいますの。その、『特別』なDraculaさんは」 「分かっていたら苦労はない」 「…ですわね」 「そういう事だ。俺は行く。お前も、あんまりうろうろして俺より先にそいつに見つかるなよ。知らん場所の事故はどうにもならん」 「え? あ…そ、そうですわね。ええ。…別に、一緒に行動なんて、一言も約束してませんわよね…」 「何か言ったか?」 「何でもありません!」 非難するかのような声が含まれるその返答。 「…?」 彼は時折、この様な理解し難い非難にさらされる。 最も、それを特に気にも止めないのも彼であり、それが不満と疑問の永久機関の原動力だとも、さらさら気づかない彼であった。 「じゃな」 まるで街で会って別れるかの様な挨拶。 「…あの、いくらなんでも、もう少し気遣っていただけません? 仮にも、何があるか分からない場所ですわよ? 女の子一人をそんな素っ気なく突き放しますの?」 素直に不満をもらし、ぷう、と頬を膨らませるウイッチであった。 「そう言われてもな…」 軽く溜息をつくシェゾ。 だが、ウイッチは一向に諦めようとはしなかった。大きな瞳がシェゾを放さない。 「……」 シェゾはウイッチの顎をくい、と引く。 「ほれ」 どう考えてもロマンチックな科白ではないのだが、その言葉にウイッチははい、と瞳を閉じる。 そして、おもむろに唇が重ねられた。 ウイッチは特に抵抗もなくそれを受け入れる。僅かの間だが、その場の時が止まった。 古今東西において、こういう時の定番は決まっているのだ。 そっと、唇が離れる。 ふわりと瞳を開けたウイッチの顔はとても満足げであった。 「油断、するなよ」 「はい!」 ウイッチはスキップする様にしてシェゾとは反対の方へ走って行った。 そしてこれが、ある意味で『シェゾ』との最後の別れであったとは本人すら思ってはいなかった事である。 「…盗み見じゃないだろうな」 『……。 その原因が無言で答えた。 シェゾが虚空を仰ぎ見る。 そこには、確かに何かが存在し、そして存在しないまなざしで彼を凝視していた。 ほんの僅か前までの甘い空気が吹き飛び、今は氷すら凍えそうな気が充満している。 具体的には、殺気だ。 シェゾだけではない。 そこにいる何かも、それを半分ほど受け持っていた。いや、むしろその気迫はシェゾのそれをじわじわと上回る。 「殺る気まんまん、か」 シェゾが左手を掲げた。 次の瞬間、眩いばかりに手が輝き、その光は横一線に伸びると次の瞬間には剣を実体化させていた。 闇の剣。 シェゾの名刺だ。 「…お弁当、思い切って誘うべきでしたかしら…」 城の中庭。 別れてからしばらくの後。 ウイッチが、お目当てのハーブを籠に納めつつ一人で愚痴っていた。 気が抜けているのも無理は無い。 そもそもある方がおかしいくらい珍しいモノを、博打同然の確率で探しに来たのだ。 三、四日分の食料と最低限の着替え、魔導力の補給の為の薬品も持って万全の態勢でやって来ていた。 なのに、城についてシェゾと別れてから約一時間。 いかにもガーデンな雰囲気の中庭に出たら、なんとそこは一面のハーブ園だった。 しかも、紛れもなく目的の物が惜しげもなく生い茂っている。 手入れこそされていないが、野性味を増したそれはむしろ最高の状態だ。 おまけに予定外の貴重なハーブまでもがそれこそ雑草みたいに群生していた。 しばしの間、歓喜にむせぶどころか呆れてしまった程に。 「…馬鹿にされているかと思いましたわ、本当…」 正直、ありがたみが薄れてしまったハーブを少々乱暴に摘みつつ、ウイッチは周囲を見渡す。目の前に広がる城の岩壁には、歴史を代弁するが如く蔦が生い茂り、無機質な城の岩壁を青々と塗り固めていた。 「目的、見つけられましたかしら…」 ウイッチは、その一言と同時に自分の中にむくむくとお節介な感情が沸き上がっていた。 いや、お節介と訳されると怒るだろうが、とにかく彼の役に立ちたいという感情が沸き上がっていた。 |