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魔導物語R D 第二話



  牙
 
「…シェ、シェゾ…!」
 彼は、ウイッチのボートより一回り大きな、一目見て新品と分かるボートですぐ後ろに着いていた。
 どれほど取り乱していたと言うのか。
 魔導力を使用したならいざ知らず、自分と同じ様にボートでやって来た彼に声をかけられるまで気がつかなかったとは。
「……」
 ウイッチは口をぱくぱくさせて、ただおろおろするばかりだ。
 思いがけぬ、まさしくその名の通りに助け舟が来たその事実が、まだ頭で整理できないのだ。
「沈むぞ?」
 悠々とボートに座ったままで、彼がさらりと問う。
 確かにウイッチのボートは既に半分程浸水していた。靴に水がかかる。
「!」
 ウイッチは次の瞬間、どうやったと言うのか無我夢中で宙を駆け、シェゾのボート、と言うかシェゾに飛び込んだ。
「む」
 流石のシェゾと言えど人一人に全力で突っ込まれては平然とはしていられない。
 軽く肺に息を吸い込み、両足をボートの両脇に押し付けてボート上でのバランスを固定する。
 そこへ躊躇い無くと言うか、ジャンプの際にバランスを崩したのでむしろ加速して突っ込むウイッチ。
「ふぎゅ!」
 こけた際の速度が早すぎ、自分の加速に自分の体が耐えられなかった。妙な声をだしてウイッチがシェゾの胸に突っ込む。
「っと」
 シェゾの頭の下に、柔らかな金髪がやや乱れつつ張り付いた。
 直前までの運動で汗ばんだウイッチの体からは、少女特有の甘い香りがしている。その香りはシェゾの嗅覚にやや複雑な刺激を与える。
「おい」
「…た、たすかりましたわ…」
 両足をボートの縁に押し付け、斜めにかしいだままの姿勢でウイッチを抱きとめているのは流石に腰に負担がかかる。
 早い所どいて欲しいのだが、ウイッチはすっかり安心したのか、ぐったりと身を任せて弛緩していた。
 その光景は、どことなく親ラッコの腹に乗る子ラッコを想像させる。
「で、どうする?」
 その態勢になってから十秒も過ぎた頃、いい加減動こうとしないウイッチに向かってシェゾは問う。
「…え? あ!」
 ウイッチは目が覚めたみたいに飛び上がる。
 そして、いそいそとシェゾの前に座るとかるく咳払いする。
「んん…。えっと、シェゾ。助かりましたわ。感謝します」
「……」
 真っ赤な顔のまま、芝居みたいな礼儀正しい動作で礼を言うウイッチ。
 だが、彼の前にちょこんと腰を下ろしてすました顔は小動物を連想させる。
 シェゾは必死で声を抑えたものの、体が思いっきり笑っていた。
「な、なんですの! 人がこうやって素直にお礼を…シェゾ!」
「…く、くく…いや、わる…く…ははははっ!」
「シェゾっ! いいかげんになさいまし!」
 ウイッチはずい、とシェゾに顔を寄せる。怒っているのだが、その童顔で凄まれても臆するには程遠い。
 それに、ウイッチはその表情のどこかで嬉しがってもいた。
 助けられた事実、そして、彼が自分の前でこうも露骨に笑っている事実に。彼の朴念仁振りは周知の事実だ。
 ウイッチはなんとなく頭の片隅で、とある誰かに対して1ポイント差を付けた、と計算していた。
「分かった分かった。もう笑わない」
「なら、よろしいのですけど…」
 そう言いつつもウイッチの顔はなかなか離れない。
 真っ直ぐに見詰め合うその瞳には、互いの顔が映っていた。
「……」
 今、ウイッチに尻尾があったなら、ちぎれんばかりに振っていただろう。
 子犬がご褒美を求めている。そんな瞳のウイッチ。
「ん?」
 にやりと唇の端をあげ、眩しそうににやりと笑うシェゾ。
 瞬間、心の奥底まで見透かされた気がして、何かからだがむずがゆくなる。だが、それでもウイッチはその瞳を動かさなかった。
「……」
 何かを求める瞳。実に素直にそれを求めるその瞳。
「す、少しは…危なかったな、とか声をかけてもいいのではありませんこと…?」
 だが、別にそんな言葉が欲しい訳ではない、とシェゾには分かる。
「……」
 もどかしくて…。言いたいのに言えない…。気付いて欲しい…。あらん限りのサインをその瞳に浮かべるウイッチ。
 その一途さは賞賛に値する。
「ふ…」
 シェゾは、ウイッチの腰に手を当てた。
 元から華奢なその体である。腰に至っては人形の様に細い。
「乗れ」
「あ…でも…」
 なんとも大胆な命令なのに、その返事は拒否ではなかった。
「そして、目、瞑れ」
「……」
 逆らうことは出来なかった。いや、その気は無かった。
 ウイッチはシェゾの膝の上にだっこされる形で座る。布越しとは言え、彼の腿とくっつく自分の腿が恥ずかしかった。
「また、こんな恥かしい恰好…」
 向かい合って抱っこされたので足は開き、ロングスカートも腿まであがってしまう。
「嫌か?」
「……」
 分かっているのに、言わせないで。そんな無言の目の抗議を最後に、ウイッチはかすかに怯えつつも瞳を閉じる。
 今まさに望みが叶ったのに、その行為自体はまだ恐いのだ。
 ウイッチはぎゅっとシェゾに抱きつき、顔を胸に埋める。中途半端にくっついていいると恥かしさばかりが先にきてしまうが、こうすると安心感が勝る。
「ん…」
 その行為はそんな不安をよそに進行する。
 しっかりと抱き寄せられるその細身の体。
 顔を上げるのが恐くて胸にかみついていたが、彼の指が彼女の顎をあっさりと持ち上げてしまう。
「力抜け」
 無理、と言いたい所だが、彼に言われたのだからそうしてしまう。人は、時として体の本能的機能をも制御する事ができるものだ。
 そして、ご褒美とばかりにウイッチの唇がシェゾと重なる。
 彼の唇は、誰の言葉とは言わないが男にしてはやわらかいといわれる。しかし、ウイッチの唇はなお軟らかく、そして甘噛みしたくなる程心地よい弾力を持っていた。
 とてもゆっくりな、とても柔らかなキス。
 それ自体は、時間こそ長いがそっと触れ合うだけのキス。
 少々周囲の雰囲気が悪いが、ウイッチはいとも容易く天に昇る気持ちを味わった。
 
「…はぁ」
 そっと唇が離れる。
 力が抜けた。そのままウイッチの顔はシェゾの胸に納まる。
 そんなウイッチの透き通る金髪をシェゾが撫でる。
 髪を梳き、指がうなじに触れる。かすかに汗ばんだうなじに冷たい感触を感じ、ウイッチはその身をぴくりと震わせた。
「シェゾ…」
 腕力が無いながらもウイッチがシェゾの腰に手を回す。ゆっくりとした呼吸が彼女の満足感を代弁していた。
 
 いつからだろう。
 
 ウイッチに唇を許す様になったのは。
 もちろんそれだけだし、キスにしても先程の様な軽いキスだが、それでもウイッチにしては幾ばくかの進展といえるのだろう。
 今キスをレベルアップしたら、多分驚きで飛び上がってしまうような彼女だ。
 なのに、何故自分はそんな事をしてしまうのか。
 
 いつからだろう。
 
 シェゾは、視界の下、ウイッチの頭の上に広がる空を見ながら何となく考え、そしてすぐ考えを切り替えた。
「ウイッチ。それで、このまま城に行っていいのか?」
 僅かの空白の後、胸の上からやや眠たげな声でウイッチが答える。
「…も、勿論ですわ。この先のお城にあると言われる秘薬とその材料。わたくし、必ず手に入れて見せますわ」
 成る程。こいつはやっぱりそっち関係の情報でここに来ていたか。
 そしてシェゾは、全く別の情報と目的で来ていた。
「シェゾ、そう言えばあなたは、あなたは何の目的でここに?」
 その問いに、シェゾは一拍置いて答える。
「不老不死って信じるか?」
 
 
 

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