Top 第二話


魔導物語R D 第一話
 
 
 
  鏡
 
 夜は好きだ。
 特に深い理由はなかった。
 落ち着くし、何か自分に似合う気がする。
 それに、突き当たりと言うものの無い無限の広さを持つ空を見ていると、色々と昼間考えていた事がすべて他愛のない事に思えたりする。
 こんな感覚も、まぁ嫌いじゃない。
 地面に体を預け、視界を星空で埋め尽くす。
 気分によっては、それだけで自分が夜空に、いや、宇宙に漂っている様な気になる事もある。
 ふと、抗い様の無い存在に自分が見透かされている気にならなくも無いが、そんな感覚は許容範囲内だ。
 むしろ、俺って奴の腹の中はどんなだ? と問いたくすらなる。
 シェゾは、そこまでひとしきり考えてから、自分を見つめる月を見て何となく笑った。
 
 だが、夜で無くては『生きられない』となると話は別になる。
 月灯りをそこに宿したかの様に輝く銀髪を持つその男は、深い溜息をついて眩しそうに夜空を眺めた。
 彼が居るのは緑の草木生い茂る川縁。
 そして、そこに座る彼の服は所々がほころびている。
 戦った後。まさしくそう言った感じだった。
「いて…」
 頬の切り傷が少し痛む。
 彼はどれ、と川面に姿を映そうとする。
 
 無かった。
 そこには何も無かった。
 
 水面に映るのは、煌々と夜の世界を照らす満月のみ。
 影すらもそこには無い。
「……」
 彼はがっかりした様な、予想していた様な顔で空を仰ぐ。
「不便だな、これ」
 彼はつまらなそうに言う。
 と、どこからか、彼にのみ聞こえる声が彼を叱咤する。
『馬鹿な事を言っている場合か。主よ、どうする気だ?
 苛ついた様子も無いが、その声には確かに現状を嘆いている節がある。
 声の主。
 それは剣。
 闇の剣と呼ばれ、闇の魔導士の代名詞と称される魔剣。
 そして主と呼ばれた男。
 シェゾ・ウィグィィ。
 闇の魔導士たるその男だった。
「そうだな…餃子は、苦手になるかもな」
『……。
 闇の剣はいちいちボケに突っ込む程お人好しではない。
 シェゾは笑うところだと思ったのだが、スベったみたいでバツが悪そうに頭をかいた。
「分かったよ。ちゃんと考える」
『最初からそうしろ。主のはもう、肝が据わっているとかそういう問題ではない。あの少女に良くない影響を受けすぎだ。
「へいへい」
『で、どうする?
「まず、夜明け前までにどこか日の当たらない場所まで移動する」
『まったく正論だ。で、何処へ?
「街の図書館が良いだろう。あそこは、奥になると屋根が外れてもまだ光が射さない。しかも、資料はそれこそ山の様にある。いい方法が見つかるだろ」
『うむ、最初からそうやって素直に話を進めれば良いのだ。
「んじゃ、行くか。只でさえ離れた場所だ。急がないとな」
 そういうと、シェゾは闇の剣を仕舞って立ち上がる。
 そしてすう、と息を吸う。
 転移かと思われたが、違った。
 シェゾの体はゆらりと霧の様に揺らぎ、影の様に黒くなったかと思うと、次の瞬間、無数の蝙蝠となって夜空に小さな集団を作る。
 そして、蝙蝠の群はとある場所へと向かって進み始めた。
 目的地は他の何処でもない。
 図書館へ向かって。
 満月をまだらに遮る蝙蝠の群は、無秩序かつ、完璧な秩序に統率され、リーダーも居ないままに一点目指して飛び続けた。
 
 奇妙なモンスターがこの世には居る。
 高貴にして残虐なる怪物。
 不老不死にして様々な能力を持つ怪物。
 しかし、陽光により容易く消滅する怪物。
 美女の生き血を好み、にんにくを嫌う。
 
 その名を、Vanpaiaと言う。
 
 時は二日前に遡る。
 とある古城。
 そこは、二世紀程前に城主が狂気の実験を行い、それによりそこに住む者全員と、更に外からやって来た防衛の為の兵達、合計六百数十名を犠牲にして沈黙したと文献にある、呪われた古城である。
 シェゾ、そしてウイッチは、まったく別の情報網とまったく別の目的で、まったく同じ時間にまったく同じ場所から進入を開始しようとしていた。
「…見るからにおぞましいお城ですわ」
 人の来訪を阻まんとばかりに、城に通ずる唯一の橋はとうの昔に朽ち果てていた。
 今は、水面から生えた柱の列だけが橋の面影を残している。
 城をぐるりと取り囲む湖の水は、いつ頃から流れが悪くなったのか、どんよりとした緑色になっている。
 城までの距離は大よそで百七十メートル程もあり、城のある島が視覚的に小さく見えるせいか、城はまるで湖の上に浮かんでいるかの様な錯覚を見る者に与える。
「これで、水が綺麗でしたら絵になりますのに…」
 ウイッチは、時折そよぐ風と一緒に流れてくる匂いに顔をしかめた。
 藻は大量のプランクトンより生み出され、そして藻は更にプランクトンを生み出す。魚よりも微生物の生存に適したその水は、到底絵心を揺らすものではなかった。
「まったく、上から入れれば、箒が使えればこんな濁り水に船を浮かべる必要などありませんのに…」
 ウイッチは不機嫌全開で不満を漏らす。
 城は、いわゆる結界に包まれていた。
 それは魔導を無力化する様な強力なものではないが、効果に波があった。
 ふっと風が吹くかの如く結界が強まる時もあれば、細波の如く気にならない程度に弱まる事もある。しかも、その波は至って不定期。
 始めにここに来た時は、ウイッチはその波をもろに受けて、うっかり緑色の水の中に落ちそうになった。
 そして、仕方無しに周囲をぐるりと回り、やっとの事で朽ち果てる寸前の手漕ぎの舟を城の裏手で発見したのだった。
 気を取り直してウイッチは水の上、船を進める。
 本来なら、二本ある筈のオールは一本しか無く、ウイッチはベネチアのゴンドラ漕ぎの如き方法でボードを進めるしか手がなかった。
「もう! ただでさえボートは苦手ですのに、よりによってオール一本で漕ぐなんて!」
 実際、ウイッチの漕ぐ船は藻の絡まる水上と言う事実、本来は二本のオールで漕ぐ舟だと言う事実を考慮しても遅かった。
 漕いでいるつもりの手も、傍から見れば手をオールに添わせて揺らしている程度にしか見えず、その速度は赤ん坊のハイハイよりも遅い。
 しかも、生来腕力とは到底縁の無い生活をしている為に、繰り返しの胸筋運動に強い訳も無い。
 舟を浮かべてから既に三十分が経過している。うんうん言いながら、二メートルに約一分を掛けて進み、五〜六メートル進む度に数分休む、と言う実に効率の悪い進み方を余儀なくされているウイッチだった。
 小一時間も過ぎた頃。
 機械の様に、疲れに無縁で進める訳も無い。三分の一ほど進んだあたりで、ウイッチは既にグロッキーだった。
「……」
 かと言って、この湖の濁った水では渇いた喉を潤す事も、汗ばんだ顔を洗う事も出来はしない。
 色に加え、更に清々しいとは到底言えないこの匂いである。
 ご丁寧にも、苛々したその気を更に逆立てるが如く、濃度が特に濃いらしき遠くの湖面では、ねっとりとした気泡がふくらみ、割れていた。
 一体何が発酵しているのやら、実にグロテスクだった。
「……」
 ウイッチは、だんだんむかむかしてくる自分を感じた。
 この様な、行き場の無い怒り程厄介なものはない。
 誰も悪くないうえに、そもそも全てを決めたのは自分だ。ストレス発散が主な目的となる怒りの捌け口が自分とあっては、それは自分の愚かさを攻める以外の何物でも無く、したがってそれは相乗効果となり余計に腹を立たせるだけとなる。
「…うぅ〜〜…」
 ウイッチは頭では理解しつつも、体のうずうずを押さえきれなくなってきた。狭い船上で地団太を踏み、体をよじる。
「…ばかーーーーっ!」
 そして、最も端的、かつ効果のある方法を無意識に選んだ。
 空に木霊する幼稚な大声は、少女特有の甲高い声を遠くまで響かせた。
 遠い湖面を泳いでいた水鳥が数羽飛び上がる。
 少しスッキリした。
 と、息を吐くのは少々早計だった。
「!」
 船底がじわりとその色を変える。
 罪の無い空をなじった天罰、とでも言いたげに、船底から水が漏れ出した。
「…う、うそっ!」
 ウイッチは慌てる。
 飛んで逃げようにも、そもそも飛べないからこんな苦労をしているのだ。
 それならば泳げばいい話だが、無論こんな水に体を浸ける気こそさらさら無い。
 大げさに言えば、こんな水に体を晒すくらいなら死んだ方がマシと言うものだ。
「〜〜〜〜!!!」
 さて、水は考えている間にも一時として勢いを緩めず、いや、勢いを強めつつボートを侵食している。
 その水が透明ではなく緑色をしているのが尚更彼女の恐怖感、と言うか嫌悪感を増す。
 …ああ、せめて、せめて今だけでも魔導干渉が無くなれば…。
 ウイッチは何でもいいから都合の良い展開が舞い込まないかと願う。
 贅沢は言いません。せめて、せめてこの汚らしい水にわたくしの体をつけなくて済むのなら、それだけで…それだけでも…。
「困っているのか」
「え!?」
 贅沢でないどころか、最高の贅沢が舞い込んできた。
 
 
 

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