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魔導物語 お茶の時間にお話を 後編



  hot

「ぬぅっ!」
 シェゾが空に跳ぶ。
 と、王はまるで体を膨張させたかの様にして迫り、あっさりとシェゾに追いすがった。
 瞬間、闇の剣が王の眉間を切り裂こうと刃を光らせる。
 王がその巨体からは想像できぬ動きで刃の間合いから逃れた。
 力ずくで動いたらしく、着地してなお、その体は後方に引きずられる。
 ゴムで弾いた様に襲いかかり、ゴムで弾いた様に下がる。
 反動を無視した動きだった。
「せいっ!」
 気合い一閃。
 シェゾも常識はずれなら負けてはいない。
 三十メートルは間合いを取った筈の距離。
 シェゾの剣は、もう王の目前だった。
「!」
 王の視界が赤く染まった。
 再び跳ね退くも、動きは既に緩慢。
 額から鮮血を滴らせながら王はシェゾを睨み付けた。
「こわっぱ…剣に、動きに魔力を…。どこまで自在に扱うというのじゃ…」
「なめるな。俺は利用できるなら、何でも利用する。ずぼらなんでな」
 闇の剣を地面に突き刺し、肩で息をしつつ呟く。
 言う事は尤もだが、その『利用』を行う為にどれ程の修行が必要な事か。
 シェゾが再び構えを取る。
「ふむ」
 王がぶん、と頭を一振りすると、それだけで頭の出血が止まった。
 毛に隠れていて解らなかったが、
 残るは、皮膚に付着した血痕のみ。
 それすらも、雨があっという間に流してしまう。
 王は、無傷となった。
「……」
 シェゾはこんにゃろ、と言った顔で王を睨み付けた。
「ほれ、どうした。これしきで終わりではあるまいに。ここまで相手が持つなど、一体何百年ぶりとなるのか解らんのだ」
 乾いた笑い。
 その顔の大きさにの割に細い顔は、どこか狼、と言うよりも狐に近いイメージがあった。
 シェゾは、先程とは少しだけ違う瞳で王を見ていた。
「…そうか」
 シェゾが剣を下げた。
「どうした? 諦める男ではあるまい」
「諦めが悪いののは、お前だろ」
 シェゾは、老人が渡してくれたアイドルを懐から取り出した。
「やべ」
 懐に入れた手に違和感を感じる。
 その像は先程までの戦闘で、胴体から二つに割れてしまっていた。恐らく、王に思い切り叩きつけられた時だろう。
 シェゾは助かった、と思った。
 割れた像を仕舞っていた場所。
 そこは膵臓。
 まともにその衝撃を受けていれば破裂を起こし、致命傷となっていたのかもしれない。
 少し感謝して、それを手に取る。
「これはに、見覚えがあるか?」
 シェゾは折れた神体を王の視界に突きつけた。
「…それは」
 王が反応した。
「面白い…面白い物を…どうりで、闇の魔導士だけでは理解出来ぬ気を感じる筈よ。どこで手に入れた?」
「大昔は神。今じゃ化け物、か」
「……」
「何の為に生きているのか、お前は解っている」
 シェゾは神体を宙に放り投げた。
「忘れているだけさ」
 闇の剣が縦一文字に天を切り裂く。
 同時に、神体も真っ二つとなった。
 二つの人外が宙を駈けた。
 乾いたクリスタルの音が響き、同時に閃光が激しく瞬く。
 周囲は雨による雑音にまみれているというのに、その声はやけにはっきりと周囲に響く。
 閃光も一瞬だが周囲を真っ白に照らす。
 近くで誰かがこれを見ていたら、失明してしまう程の光だった。
 どん、と地面で重々しい音が聞こえる。
 何か巨大なものが天から降ってきていた。
 岩の絨毯を押しのけて横臥するそれは周囲をじわじわと赤く染める。
 それは、王の前足だった。
 追って、宙から更に巨大な物体が落下し、先程と同じく地面の岩を押しのけて豪快に横たわった。
 それは胴体。
 ただし、頭のない胴体だった。
「…剣ばかりかと思っておったわ…」
 遙か頭上。
 首を串刺しにされた王が、それでも尚楽しげに、苦しげに呟いた。
「悟りなんぞとっくに開いたつもりだったが…儂もまだまだ、子わっぱかのう」
「死を司る神、か。どこぞの乾燥地帯ににた様な神をまつる国もあった」
 シェゾは額を割っていた。
 流れる血が視界を遮るが、一向に構わずシェゾ語りかけていた。
「もう眠れ。もう、誰もお前に魂を求めちゃいない。もう、魂を欲しがる奴はお前を必要としちゃいない。いや、出来ない」
「…我が主は死んだか? それすら儂には解らぬのだ…。それは…その像はただ一つ、儂と主をつなぐ…」
「生きているか、と言われるなら…そうだな、死んだも同じさ」
「……」
「あんだけの目にあわせられておいて、まだ主と呼ぶのか?」
「儂は主の為だけに生まれ、生きた。心を捨て、恥を捨て、赤子も女も、逃げまどう者すらも牙にかけた。そうして、主に命と力を給いながら、儂も共に生きてきた」
 シェゾは無表情で王の瞳を見つめ続けた。
「いくら主とは言え、『間違っていた』の一言で否定されてはたまらぬわ」
 王は乾いた笑い声と血泡を同時に口から吐く。
「命を喰らい、自らの寿命を継ぎ接ぎして生きながらえさせ、三千年以上を生き抜き、人外なる魔導力を蓄えた奴ってのは…そうか、目的はあいつだったのか」
「済まんな。儂はただのジョイントじゃよ」
「そうか」
「…儂は、眠れるのか? 魂をこの地に縛られ、動けず、それでも尚命が再びあるやも知れぬとあがき、生き続けていた儂は、眠る事を許されるのか?」
「俺が許す」
 王は瞳を閉じた。
 シェゾは突き刺さっていた剣をそのまま振り回し、抜けた首を宙に放りあげる。
 右手が黒い球を形作り、周囲の光を飲み込む。
 それを王の首に向け、黒い光線として放つ。
 王の首はそのまま黒い光線に飲み込まれ、音もなく消滅した。
 雲間で届いた黒い光は雲に穴を空け、周囲の雲を飲み込みつつ消滅する。
 シェゾは黒い光線が消滅しきってから、やっと地面に足を降ろした。
 鈍色の雲に空いた一点の穴から光が差し込み、横たわる王の体を照らす。
 すると、その体は氷が蒸発する様にして消えてしまった。
「……」
 今頃になって体中の痛みがシェゾを非難し始める。
 シェゾはそれを無視して周囲を見渡す。
 重々しくのしかかっていた空気が軽くなった気がする。
 まとわりつく様につきまとっていた念が消え去っている。
 シェゾはそれを確認すると、きびすを返して山を下り始める。
 もう、彼はこの場から興味を失せさせていた。
 雨は小降りになり、視界には少しずつ青い空が見え始めていた。

「あやつを、倒したか」
 山下りも中程に達した頃。
 シェゾの耳に聞き覚えのある響きがあった。
「まぁな」
 道とも言えぬ道の向こう。
 岩の陰から小さな人物が姿を現す。
 それは、球体から削りだした様な丸い背中の老人。
 他の誰でもない。
 シェゾが行きがけに出会った家族の老人だった。
「捨てる神あればって言うが、神が捨てられてちゃ世話無いぜ」
「まだ、忘れておらんかったか…」
「じいさん。お前は、どこから来た? なぜここに生き続けた?」
「この地には、三千年以上の昔に王国があった。美しい国じゃった…」
 今は荒涼とした荒れ野腹。
 だが、まるで、見えているかの様に語る老人の口調はどこか夢想的だった。
「家臣に、有能だと思っていた男が居た。そやつは魔に近い人間、いや、魔物が化けていた姿だった。その者は、よその国の、ある特殊な能力を持つ守護神を捕らえ、我々の王国発展の為に、その姿を、心を、まるで別のものに改造したのだ」
 老人は自分のシワまみれの手を見る。
「儂も命を得た。力を得た。そこらの魔導士など吹き飛ばしてしまう程の魔力も得た…。最強だと、思っておった」
 ふと、だらしなくゆるんでいた老人の口元が下がる。
「信じられるか? この川も緑も、動物も結構居たのだぞ。それが…あの日…」
「……」
 魔族が、それも上位の魔王が間違いななく絡んでいるとシェゾは考える。
「儂は赤獅子の力によって永遠の命を得たと思った。有頂天になり、そして同時に得た力を持って領土を広げた。この地域一帯、儂の物じゃった」
 しわに埋もれた瞳が輝いている。
 まるで、今目の前の光景の事を話しているかの様に。
「じゃが、幻想じゃった…」
 不意に老人の瞳が曇る。
 一体、老人は幾度歓喜と絶望を繰り返したのだろう。
「赤獅子はやがて言う事を聞かなくなった。あまりにも巨大化し、凶暴化し、暴走した赤獅子は面白いくらいあっけなくわが領土を滅ぼした。そして、入れ替わりに悪魔どもが退去して押し寄せ、人々から家畜、精霊達までもを食らい尽くした」
 アーマゲドン。
 シェゾは三千年程昔に起きた狂気の戦を思い出す。
「そうか…。ここは…悪魔のエサ場、か。肥大した国、人身の慢心してた心。血肉、それを喰らうダイニング、か」
 一体、世界には幾つ、こうしてとばっちりを受けて滅んだ土地があるのだろう。
 シェゾは幾つか知っている被害にあったその場所を思い出していた。
「赤獅子を倒そうとした。儂と、選りすぐりの兵士達で。だが…」
 老人は地べたに座り込む。
「儂は、腕を失い、力を失った。それでも、命だけは魂にへばりつき、生きながらえてしまった」
「あの狩りの話は、三千年前の話って訳ね」
 アーマゲドン終演の後、赤獅子の王はそのまま捨て置かれた。
 道具として生み出され、自ら消滅する事すら叶わぬままに王は生き続けた。
 一体、園の地にどれ程の命を喰らって来たのであろう。
 いつかまた、自分が役に立つときが来ると願い、いや、信じて。
「赤獅子は、何か儂の事を言っておったか?」
「お前さんの事なんざ忘れてたよ。奴が気にしていたのは、創造主の事だけだ。赤獅子が力を与える相手は誰でも良かった。たまたまその時にあんたが王だった。それだけだ」
「あの像を見せても、儂を思い出しはしなかったか…」
 口惜しそうに呟く。
 それは、ここまで痛めつけられて尚、万が一再び赤獅子から力を与えられれば権力を得られるかも知れないと言う想いだった。
「……」
 げに恐ろしきは人の欲望である。
 シェゾは命がけの戦いなどよりも、よっぽど背筋が凍る思いだった。
 老人が小さな体をなおも縮めて問う。
「儂も、殺せるのか?」
「あんたみたいな化けもんが死ぬかどうかは知らんが、闇に葬る事は出来る」
「間違いなくか?」
「家族かどうかは知らんが、一家には別れを言ったんだろうな?」
 死の宣告代わりに、シェゾが確認する。
「儂があの家の者ではないと何故分かった? 土地の者ですら気づけなかったのだが」
「あんた一人だけ、徹底的に古いんだよ。人間が、と言うか、魂がな」
「流石、命喰らいし者。闇魔導士よ」
「俺が喰うのは力だ。命なんざ要らないよ。それより、世話にはなった家族だ。別れぐらいちゃんと言ったんだろうな」
 もう、二度と戻れはしない。
 シェゾはそう言っているかのようだった。
「二十四年ものあいだ、世話になった。毛先ほどの僅かな瞬間じゃが、礼をするのは当然じゃ」
 そうか、と言いかけたシェゾ。
「こうして、再び歩く事が出来る程度の力にはなったのじゃからな」
 老人は懐から鈴を取り出す。
 それは、あの少女のものだった。
 瞬間、シェゾの瞳が魔のそれとなり、冷たく、おぞましく輝く。
 シェゾが跳んだ。
 岩の割れ目の様なしわの奥に埋もれた老人の瞳がクリスタルの輝きに反射し、次の瞬間には頭と胴が分かたれていた。
 異様に高く飛んだ首に向かい、シェゾは心底不機嫌に吐き捨てた。
「ゲスが…」
 シェゾの気が膨張し、落下してきた首に向かって両手で抱えるほどの大きさもあるまばゆい光球を放つ。
 それと頭がふれた瞬間、異常なエネルギーを放つ爆発が起こり、その爆風と膨張した光は放った本人のシェゾすらも飲み込んだ。
 数分後。
 むしり取ったパンの穴みたいに開いた大穴が地面に空いていた。
 その中心に立つはシェゾ。
 苦虫を噛み潰した様な顔で天を睨み付けていた。
 何故か、老人の魔導力を奪う気になれなかった。
 何故だろう。
 今回の事は、決して珍しい事ではない。
 弱者がいかなる理由であれ犠牲となる。
 それは、何一つ珍しい事ではない。
 自分も、それを経験してきた。
 自分が弱者となりねじ伏せられた事も。
 弱者を排他した事も。
 それなのに、胸を締め付けられる様な嫌な憤りが、激昂が押さえきれなかった。
 理由は、分からない。
 ただ、あの時の家族の顔が瞼に焼き付いて離れなかった。
 あの、菓子の味を忘れられなかった。
 空を見る。
 手を伸ばせば掴めそうな程に青い空。
 しばらく立ちつくし、そして、ふと目を伏せると、シェゾはそのまま一歩も止まらず山を下り始める。
 変わりやすい山の天気。
 冷たく、嫌な雨が再び降り始めたのは、それから少し後の事だった。

「…それで、どうしたの?」
 手に汗握る、と言う姿勢を絵に描いた様な姿でアルルが詰め寄る。
「それでお仕舞いだ」
 シェゾはコーヒーを一口飲んで呟いた。
「うそ! もっとあるでしょ? 本当にその子と家族って…その、その人の手にかかって…死ん…だの?」
 アルルは言いたくないと言う顔をしつつ辛そうに問いかける。
 場所は街の喫茶店。
 シェゾは、アルルに今回の話をせがまれ、話していた。
 無論、好んでなどではない。
 服をぼろぼろにして帰ってきたシェゾを見つけたアルルが無理矢理押し切ったからである。
「そのおじいさんって、一体なんだったの? 王と、つまりどういう関係だったの?」
 これはもう、てこでも引かないだろう。
「全てはペテンだ。そのじじいに力を与える存在を宛ったふりをして、事実はその地に悪魔の栄養を蓄えた。つまり、牧場だ。王は牛飼いの少年って訳だ。牛が肥えたらもう、用はない」
「……」
 アルルは言葉が出ない。
「なんで、そんな事出来るの…」
「人間なんてそんな存在だからだ」
 身も蓋もない。
「…シェゾ。そういうの、良くない」
 じと目で睨むアルル。
「事実だ。目、背けてどうする」
「事実なの?」
「だろ」
「…その割には、君だって受け入れていないじゃない。どうして怒ったの? どうしてその力をいただかなかったの?」
「気分が悪かっただけだ」
 苦い顔でコーヒーを飲むシェゾ。
 対照的にアルルの顔は明るくなった。
「んふふ」
「気色悪い笑い方するな」
 気にせずアルルは続ける。
「シェゾ、それをさ、きっと…きっと優しいって言うんだよ」
 アルルはさっとシェゾの隣に座り、マントの中に隠れていたものをつまむ。
「この鈴が、証拠」
 ひびが入った鈴が彼の腰にあった。
「……」
 シェゾは知らんぷりをしてコーヒーを飲み続ける。
 アルルはくすぐったそうに笑いながらその鈴をりん、と鳴らした。
「少し壊れているのに…不思議。すごく綺麗な音だね」
 アルルはさりげなくシェゾの肩に頭を添える。

 透明な鈴の音。

 それは彼への感謝を表す音色だったのかもしれない。


  お茶の時間にお話を 完
 

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