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魔導物語 久遠なる理想郷 エピローグ



 epilogue

 立てなかった。
 ほんの先程まであんなにはしゃいでいた子供達。
 そしてその子供達を守り、あんな屈託のない笑顔を与えていたサマの女神。
 だが今、ここには誰も居ない。
 そんな世界にもう一人踏み込んだ男が居る。
「シェゾさん…」
 先程、あれだけの死闘を繰り広げた男だが、それでも服には埃程度の汚れしか無く、乱れもない。
 息すら上がっていなかった。
「正直、迷ったがな」
 シェゾはぼそりと呟いた。
 多分、彼女が、巫女があれだけの意識を保っていた事実に対してだろう。
「……」
 キキは俯いていた顔を上げてシェゾを見る。
 泣きはらし、赤くなった瞳は、不謹慎だが蠱惑的な魅力があった。
「シェゾさん…。あの人は、子供達は…一体なんだったんですか…? サマ遺跡って、一体なんだったんですか…?」
「幻だ」
「幻…」
「一人の巫女が夢を追い求めて、そして辿り着いた、一つの幻だ」
「でも…でも…あの、子供達は…サマの女神は…それに、あのローパーは…あのローパーこそ、間違いなく実…実在して…い、いましたっ!」
 涙声で訴える。
 それは否定へのすがりと、事実を拒否したいが為の問いかけ。
「サマの巫女は、存在していた。何世紀も昔にな」
「昔…」
「彼女は、ローパーを媒体として選んだ。それが始まりでもあり、そして誤り、更には終わりへの始まりだった」
 キキは追いすがる瞳でシェゾを見詰めていた。
 答を求めている。

 サマ。
 その地は元々遺跡と呼ばれる様な巨大建造物所か、丸太小屋一つ無い森林地帯だった。
 森には有史より遥か太古から土着した一体のモンスターが住んでいた。
 それがローパー。
 ローパーは元からその場に居着き、攻撃的な事さえしなければむしろ大人しい部類といっても差し支えのないモンスターだった。
 だが、その能力は一級。
 サマの巫女は、そんなローパーにある願いを託した。
「この世界には…決して恐くはないのに、人ではないと言うだけで迫害され、そして命を落とすモンスターが沢山居ます。私は、せめて自分の出来る範囲内でだけでもそんなモンスターを守りたい…」
 巫女は祈った。
「お願いです。あなたの、その力を、私に…。その力を…」

「……」
 キキは言葉が出ない。
「巫女は自分の持つシャーマンとしての能力を触媒として、ローパーの豊富な魔導力をコントロールする事に成功した。それから、ここは『聖域』になった」

 それ以来、確かにこの場所はか弱きモンスターにとっての聖域となる。
 しかし、それは決して永遠の営みとはならなかった。
 ローパーの成長につれて肥大してゆく魔導力は、やがて巫女のコントロールを凌駕するものになっていたのだ。
 しかし、それでも巫女は必死にローパーを押さえた。
 協力者も出ていた。
 そこはやがて数棟の建物が建ち並ぶ村程度の大きさとなり、巫女の望み通りの楽園となっていた。
 だが。

「ローパーは、手を出さなきゃ無害に近いとは言え古代種のモンスターだ。その知力、魔導力はとうとう巫女の力に余るものになった」

 神殿で祈り詰めだった巫女が本当に久しぶりに子供達に会おうとしてそこを離れた。
 悲劇はそこから始まる。
 ローパーを押さえていた精神支配の境界線は本当に水際だったのだ。
 巫女が外に出た時、そこは半ば地獄と化していた。
 住んでいた者達は、老若男女、人間、魔物を問わず九割方が命を落とした。
 巫女は悲しみ、決心する。
 良い方向に進むかは正直自信は無いが、己の意志をそのままローパーに融合させる方法に出たのだ。
 肉体という呪縛から離れれば、力さえあれば己の力を倍加以上に高められる。
 それを全て使い、ローパーを制御しよう、と。
 もう一度楽園としてやり直そう、と。
 生き残った者達は巫女に全てを託した。

「そして、それは成功した」
「あの人は…ローパーと融合…していたのですか?」
「ああ。だが、それも長い間は保たなかったのさ」

 それから二世紀程は、強力無比な結界とその時代の生き残り、そして新たに集まったモンスターや同士によってそこは栄える事となる。
 所謂霊体となった巫女はその名の通り生き神として湛えられ、子供達からは『お母さん』と呼ばれ、親しまれた。
 無尽蔵のローパーの魔導力を制御できていたおかげで彼女自身も実体に近い姿を保てていた。
 それも、彼女を生き神や巫女としてではなく母として身近に感じられた要因だ。
 その時代は平和だった。

「だが、それもやはり付け焼き刃だ」
「とうとう…制御が…できなくなったのですね…」
「その日を最後に、ここは遺跡になった」
 どのように、かは遺跡の破壊具合が物語る。
「でも…」
 キキは大粒の涙をこぼし続ける。
「でも、あのひとは守ろうとしてくれました! あのひとはここに居ました!」
 顔を向けた先に、絶命したアウルベアが横臥している。
「あのひとは…本当に居ました…私を乗せて…あの子達を乗せて…あのベンヌだって本物でしたよね…!? どうして…。本当に、夢なんですか!?」
「モンスターだって、守りたい夢くらいあるさ」
 シェゾは淡々と語る。
「…夢…」
 キキは力無く立ち上がると、壁にうっすらと残る落書きの後を撫でた。
 みんなで輪になり、口が顔からはみ出して笑っているその絵。
 キキの瞳から涙が止めどなくこぼれる。
「俺は、肥大しすぎたローパーを止める為に来た。まぁ、半分はその魔導力を戴く為に、だがな」
「ここは…」
 俯いた顔。
 肩が震える。
「悪夢…なのですか? シェゾさんは、それを、止めに来たのですか…?」
「そんな殊勝なんじゃない。だが…」
 言葉を途切らせ、シェゾはふっと微かに笑う。
「まさか、彼女がまだ頑張っているとは思わなかったんでな」
 シェゾはキキにこれを見ろ、と手をかざす。
「あ…」
 瞬間、眩い光に包まれる。
 思わず目を閉じ、そして恐る恐るその瞼を開けた。
「あなたは…」
 天も地も定かでない白銀色の世界。
 そこに、彼女は立っていた。
 安らかに、心から安心している様な静かな表情で。
「私が、一番子供だったんです」
 巫女がふっと悲しそうに微笑む。
「私が、終わった事を認めたくなくて、それで、僅かに残った思念で…子供達を、このサマを、夢現の世界を、繰り返していたのです…。こんな姿になってもまだ、ローパーを…微かに押さえて…」
 消え入りそうな声。
 だが、その声はキキの心に深く刻み込まれた。
 この巫女は、正しく己の命、精神すら犠牲にしてモンスターにとってのエルドラド、理想郷を夢見ていたのだ。
「素晴らしい夢だと…思います。私なんかが言っても何のお慰めにもならないと…思いますが…でも…あの子達は、夢の中でも…それでも、あなたを、お母さんと呼んで、誰よりも…愛していました」
 キキの心にはあのときの笑顔が深く刻み込まれている。
 掛け値なしの幸せな笑顔が。
「忘れないでください…。ここを…」
 巫女がキキの瞳を見て、震えながら涙を流す。
「忘れ…忘れません、私、ここを、忘れません…!」
 二人はそっと抱き合う。その姿はまるで生来の親友の様だった。
 彼女の肩がふるえる。
「私は…愚かではなかったのですか?」
「そんな…そんな事…絶対…」
「…遺跡は、遺跡だ」
 いつの間にか、その世界にもう一人立っていた。
「……」
 彼女がびくりと身を震わせる。
 冷たい氷の如く現実がのしかかった。
「シェゾさん!」
 キキが思わず睨み付ける。
「遺跡ってのは何で遺跡なのか、解っているのか?」
「え…」
 彼は至って真面目に彼女に問う。
「知る者が、そこを必要とする者が居なくなった場所が遺跡になる。忘れないだけじゃだめだ。来る者が、ここを必要とする者が居る」
「……」
「シェゾさん…」
「来い。お前の口で、ここの存在を示せ。歌でも詩でもなんでもやれ。見放された者達の世界を残したいのならな…」
「存在を…」
「『そこ』が生きていること。それが、忘れられない為の条件だ。古いだけの遺跡なら、いくらでも地面にも、地面の下にも転がって居るんだぜ」
「それ、それは…」
「受け継ぐ者がいなければ、どんなものでも滅びる。御託も理由も不要だ。受け継ぐ者を探せ。それだけだ」
「シェゾさん、お優しいですね」
「単なるありきたりな助言だ」
 キキは、そうですか? と微笑む。
 世界が白く輝き、キキは意識が遠のいた。

「…シェゾさん」
 彼が何かを喋っている気がして、キキは目が覚めた。
 そこは冷たい石の床の上だったが、頭にはリュックが置かれていた。
「お目覚めか」
 視界の端に彼が立っている。
 そして、その右手にはやや大きめな尾の長い鳥が留まっていた。
 シェゾ自身もそうだが、銀色の月の光を受け、その鳥はやや浅黄色の羽を月夜に輝かせている。
 そしてその瞳は塗った様に濃く、そして艶やかなダークブラウン。
 キキははっと気付いた。
 少しふらつく足をもたつかせつつ、シェゾの元へ走る。
「シェゾさん、その、鳥は…」
 鳥がキキを見る。
 キキは確信した。
「唄い続ける…為ですか?」
「聞こえる者だけに聞こえる詩だ。だが、何よりも響く。心に、な」
「…素敵ですね」
 鳥が鈴を鳴らす様な声で鳴き、シェゾの腕から空に飛び立った。
「あ」
 キキは何か言いたかった気がしたが、言わなかった方が良かった気もして口をつぐむ。
 上空。
 空を何度か旋回してから、その鳥は森の奥へと消えていった。
「さようなら…」
 こぼれ続ける涙も押さえず、彼女に別れを告げる。
 キキは今、一つの歴史の終わりを見届けたのだ。
 月が静寂を支配する。
「帰るぜ」
 少しの静寂の後、シェゾはぼそりと呟く。
「今からですか?」
「用は無くなっただろ。それに、ここに居て平気か?」
「…お優しいですね」
 キキは彼の飾らない優しさに頬を染めた。
 どんな美辞麗句よりも、その言葉が嬉しかった。
 だから。
「夜は…眠るものですよ。ここは、忘れられない思い出の場所になりますから…」
「思い出、か」
「思い出の場所に、させてください」
 キキがシェゾの胸に、ちょっと広いおでこを預けた。
「顔、見ないでください。きっと、目元ぼろぼろですから…」
「そうか」
 シェゾの手がキキの頭をそっと抱きかかえる。
「キキ」
「はい」
 そのままの姿勢でキキが応える。
「唄だ」
「え?」
 キキははっと顔を上げる。
 瞳の側にシェゾの瞳がある。
 彼の瞳は静かに、と語っていた。
「あ…」

 唄。
 唄が聞こえる。
 夜の森に、唄が聞こえた。
 声でもない。
 音でもない。
 だが、確かに聞こえるその唄。

「忘れ、ませんよね」
 もう一度キキはシェゾの胸に身を預ける。
「ああ」
「忘れさせないで、くださいね」
 キキの両腕がそっと彼の体に回る。
「ああ」
 何の飾り気もないその応え。
 だが、キキはその言葉に全てをまかせる事が出来ると思えた。
 来て良かった。
 ここに今、立つ事が出来て良かった。
 彼が今ここに居てくれて良かった。
 後悔など無い。
 全てが、良い事に思えた。
「シェゾさん…」

 森に唄が響く
 銀の月明かり。
 影は一つだった。



  久遠なる理想郷 完


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