魔導物語 葉桜 後編 子守歌 「まるで、塔だな」 似ているかも知れません。 ハーピーは笑う。 それは、木々と蔦が無数に絡まり合った自然の芸術だった。 幾本もの樹木が天に向かって力強く生え、その木々の間を太いものから細いものまで様々な蔦が縦横に張り巡っている。 ほぼ円形に構成されたそれは、端から見ると木で出来ている自然の塔だった。 普段は、少し上の入り口から入るんですけど、下にもあります。 ハーピーが指さした方向には、確かに縦に裂けた様な入り口があった。 「中は、どうなっている?」 ふふ…。きっと、見たら驚くと思いますよ。 珍しくやんちゃに笑うハーピー。 自分の胸の中でそんな笑い方をされると、彼としては戸惑ってしまう。 「…入るか」 シェゾは、入り口をくぐった。 「…これは…!」 そして彼はやはり驚く。 樹木と蔦の塔。 その内部は、内に生えている木々と蔦が内部でも絡まり合い、何層もの階を作り上げていた。 しかも、中心付近は上手い具合に吹き抜けになっており、上空からは葉と葉の間を縫っていい具合に採光出来る様になっている。 「…一見すると、自然物には見えないな」 驚かれました? 「ああ」 ここ、直径で三十メートルくらいあるんですよ。上に行くと、流石に十メートルくらいに狭まりますけど。 「いや、すごい…」 上を見上げて呆気にとられるシェゾを見上げて、ハーピーはもう一度笑った。 「あ、それで、お前はどこに…」 その時、無数の羽音が上空から聞こえた。 「!?」 音のした方向を見る。 すると、その方向では無数の小鳥が塔内を飛び回っていた。 「…鳥」 あ、そうです。ここって、私以外にも、沢山の鳥と、あと小さいですけど動物も住んでいるんですよ。 飛んでいた小鳥が互いにさえずり、数羽が二人に近づく。 ただいま。 ハーピーがそういうと、鳥は一声泣いて群に戻った。 お帰りって言ってます。 「…お前達の、共同住宅って訳か」 そんなところです。 「で、お前の住んでいる部屋はどこだ?」 …ちょっと、いえ、だいぶ上なんですが…。 「足場、あるか?」 シェゾはその後、塔内の斜めに絡まって生える蔦を利用して上に登る。 「…成る程。鳥から小動物まで、様々なのが居る」 穴の開いた壁の様になっている場所に住む鳥、狭い棚状になっているところに住む小動物等、彼女の部屋に向かう途中途中でシェゾは実に様々な種類の動物を見る事が出来た。 大抵の動物は二人、と言うかシェゾを見ると奥へ引っ込んでしまったが、それでも中には臆せずに近づいたり、下手をすればシェゾの頭にとまったり、肩によじ登ってくる小動物もいた。 彼は不用心な奴、とうざがったが、ハーピーはそんな彼を見て嬉しそうに笑った。 やがて、頂上に近い場所に来た。 ここです。 彼女が、塔をほぼ登り切ったところで言う。 「…ここ?」 そこだけは、階下の様相とは少し違っていた。 今まで、流石に水平や垂直になっている場所は無かったのに、ここはかなり正確に四角い部屋っぽくなっていた。 しかも、意外にも部屋には簡素だが家具がある。 一瞬、ナチュラルな屋根裏部屋かと錯覚した程だ。 降ろしていただけますか? 「あ、ああ」 シェゾは、ハーピーをベッドに降ろした。 「……」 シェゾは物珍しげに辺りを見回す。 珍しいですか? 「あ、ああ。何て言うか…意外だ。どう意外かって言われると上手く言えないが…」 そうですか? 「…うーん…」 悩んでいるところへ、更に追い打ちがかかる。 「もももー!」 「何ぃ!?」 彼は今度こそ心底驚いた。 「ももも!?」 「あー、どうも毎度なのー。こんなところでお得意さんに会うとは思わなかったのー」 「お、お前、こんな所に行商に来ているのか?」 「そうだけど、今回はちょっと違うのー」 「は?」 そして、ハーピーに向き直ると改めて挨拶するももも。 ハーピーも、ぺこりとお辞儀した。 「それで、用意はどうなのー?」 もももがハーピーに問う。 彼女は、こくりと頷いて先程の薬草と他に、先に採ってあったらしい乾燥した実をいくつか取り出す。 「うーん、これはいいものなのー」 …売買? シェゾは、ハーピーって意外に俗世付いているのか? と思った。 「じゃあ、これであの子を無事に病院から引き取れるのー。様子を見て、明日にでも連れてくるのー」 ハーピーはまた、こくりと頷いて嬉しそうに笑った。 「良かったのー」 「おい」 シェゾが話に入って来る。 「なんなのー?」 「こっちの科白だ。何の話だ?」 「あー、この事なの? これはー、ハーピーさんから羽を折った鳥を預かったから、これを買い取って治療費に充てるって事になっているのー」 「…治療費稼ぎ?」 「この前ー、森を歩いてた時にー、ハーピーさんに会ったのー。何か、羽を折った小鳥を持っていてー、ぼくにー、小鳥とー、薬草を渡してー何かお願いしたそうだったのー」 「……」 「で、ジェスチャーで分かったのー。薬草を集めてぼくに売るからー、そのお金で飛べる様に治して欲しいって言いたいんだってー」 「そういう事か…。しかし、ジェスチャーってお前、普通に喋れば…」 「えー? ハーピーさんは『喋れない』のー。シェゾさん知らないのー?」 「…!」 シェゾはハッとした。 「あ、そうだ、な…」 「しっかりするのー」 そう。 彼女は『喋れない』。 いや、『喋らない』。 その声は、美しさ故に人を狂わせる。美という名の凶器だから。 話さない彼女と普通に会話出来る自分の方がおかしいのだ、と思い出した。 「そうか、お前、怪我をした鳥の治療費を…」 ええ、それと、時々ですけど今みたいな感じで服とかをいただいたりします。街の方みたいにまでする気は無いんですけど、流石に着るもの位は綺麗にしていたいんです。 ハーピーが年頃の女の子らしい笑顔で笑った。 成る程…。深く考えた事が無かったが、どうりで見る度にちゃんと服が違うし、俺の家で飯を食った時も一通りの事が出来た訳だ。 流石に、調理器具の扱いとなると悩んでいたが。 「それじゃー、完治したら連れてくるのー。もももー」 もももは帰っていった。 良かった。あの子、また飛べる様になるみたい…。 安心したハーピーは、ちょっとふらついてベッドに座る。 「おっと」 シェゾは肩を抱いて支えた。 すいません。 「…そうか」 え? 運動らしい運動が似合う彼女ではない。熱を出してまで土いじりに熱心だったのはこの為か…。 シェゾは、人どころか小鳥一羽の為に自分の体調を崩した事に疑問一つ感じていない彼女に、らしさと愛おしさを感じた。 「良かったな」 シェゾはハーピーの座るベッドの横に座った。 一瞬どきりとした彼女だが、すぐ笑顔に戻ってはい、と微笑む。 一時、言葉が途切れる。 すると、塔は風のざわめきと鳥達のさえずりの静かな合唱に包み込まれる。 何百羽と言う鳥の声なのに、何故か五月蠅いという気は一切無い。 木々と蔦が、適度に防音の役目を果たすのだろうか。それとも、元々鳥の声はどれだけ集まっても五月蠅くは無いものなのか。 私、ここでだと時々、声を出して歌ってしまう事があるんです。 「それは羨ましいな。ここの動物達は喜ぶだろう」 喜んでくれているでしょうか? 「喜ばない奴なんて居ない」 至って真面目に正面切って言う彼。 ハーピーは、彼のその言葉と瞳にぼっと頬を染めた。 「なぁ、そう言えば、最近聞いて無かったな…」 え、えぇっ!? ハーピーは、彼女にしてはギャグみたいに慌てる。 「面白い動きするな…」 い、いえ、だって、いきなり…。 「今はいい。お前、熱があるだろう」 あ…そうでした。 「忘れるなよ。自分の事だろ」 だって、ご一緒していると、そんな事どこかへいってしまいます。 「……」 こいつ、いつも無意識に恥ずかしい事を言う。自分だって何かと恥ずかしがるくせに、人には言うから困る…。 そう言いつつも、彼女を恥ずかしがらせる事を言うのはそもそも自分だと彼自身も分かっていない。 ハーピーをベッドに寝かせたが、彼女は上半身を起こして話をせがむ。 どうやら、話している方が調子が良いらしい。 「そうだ、忘れないうちに…」 シェゾは残した薬草を煎じて飲ませる。 苦そうな顔のハーピーは、おっとり顔のせいもあるのか普段より童顔に見えた。 その後、二人は暫くの間何の事はない雑談をしていた。 ふと。 あの…。 「ん?」 もう、遅いですし、泊まっていかれませんか? 「遅いか?」 ほら、お月様が。 ハーピーが部屋の外側を指さす。 「…いつの間に」 外には既に月明かりが輝いていた。 だが、別に彼は夜だろうがなんだろうが歩いて困る事は無い。 そう言いかけて。 あ、このベッド、一応セミダブルって言うんですよ。 「おい…」 はい? 「……」 頼むから、もう少し警戒心ってやつを持っている女は居ないのか? 彼は単純に自分に対して警戒心を解かれているからなのだと気付く事は無かった。 あ、ちょっとだけ、子守歌、『歌わせて』いただきます。それでどうですか? 「どうって…」 どうやら、ハーピーはシェゾがうんと言わないのは、まだ眠りたくないからでは、と思ったらしい。 変なところで子供扱いされているシェゾであった。 だが、彼女の『歌』を聞けるとなればそれはあまりにも魅力的な条件。 …まぁ、そうだな。本当に、歌を聴きながら眠ればいいだけだ。 「どんな歌なんだ?」 ふふ。聞いてからのお楽しみです。 珍しくもったいぶるハーピー。 だが、彼女の歌となればどんなものでも期待を持って余りあるもの。 シェゾは素直にお楽しみを待つ事にした。 ベッドに身を横たわらせる。 「寝心地はいいな」 そのベッドは草の香りがした。 壁際にハーピーが寄り、シェゾはシェゾでベッドの端に横になる。 僅かの間の沈黙。 …なんか、ベッドの真ん中が開いちゃってますね。 ハーピーが彼の横顔をじっと見詰めながら言う。 「そうだな。それより、子守歌を聴かせてくれ」 ええ。あの、そっと歌いますから。ですから、シェゾさんなら大丈夫だと思います。 やはり、『声』を出す事に抵抗だけは感じている。 「歌ってくれ」 シェゾはハーピーを見る。その瞳で、ハーピーを見る。 …はい。 彼女は微笑んだ。 すう、と深呼吸するハーピー。 そして。 『私が、子供の頃に聞いた歌です…』 一言の声。 これだけでシェゾは半ば夢心地になる。 彼は、またも至上の歌姫を独り占め出来るのだ。 シェゾは瞳を瞑った。 静かな、幸せそうなシェゾの表情を見て、ハーピーはこれもまた幸福そうに微笑む。 彼女も嬉しいのだ。 『歌える』事が。 何より、彼に歌を聴いてもらえる事が。 時折ざわめいていた塔内の鳥達が一斉に息を潜める。 葉を揺らしていた外吹く風も、ゆらりと風を止めた。 塔のあらゆる動物達が、空気が、しんとして静聴する。 始まるのだ。 星すら揺さぶる歌声が、空に響くのだ。 それはどんな歌詞だったのだろう。 母と子の歌だったかも、恋人同士の愛の歌だったかもしれない。 それとも、生命の歌だったかも。 彼は、その歌にいつも以上の魅力を感じた。心の奥底まで、いや、魂まで洗われそうなその、体全てに染み渡るその歌。 何故か、涙していた様な気もする。 そして、その涙が優しく拭われた様な気も。 汚れた俺にも、歌で流せる涙なんて残っていたのか? そんな事を思った気がする。 いつしか、彼は例えようの無い暖かさに包まれて眠った。 朝日。 窓からの光が彼の頬を叩く。 だが、それより先に彼の目を覚ましたのは、半身全体に感じる、やや暖かな、柔らかな感触だった。 「む…」 肩口から首にかけての柔らかな感触と、かすかな甘い香り。 そして、寝息。 「…寝息?」 シェゾは、半ば予測していた気のする現実で目を覚ます。 彼の横には、いつの間にかシェゾの腕を枕にしてすうすうと寝息を立てているハーピーが居た。 シェゾは、ふう、と軽く息を吐くと隣に眠るハーピーを見詰めた。 そんな彼女を見ていると、不思議と胸が高鳴るのではなく、逆に心地よい安堵感が彼を襲う。 『…ん』 ひたすら幸せそうな微笑を浮かべて眠るハーピー。そんな彼女がかすかに体をよじり、彼に更にぴったりと寄り添う。 胸の上の手が、彼の服の胸の辺りをきゅっと掴んだ。 おだやかな寝顔が更に緩やかな安堵の表情をつくる。 心から安心している。そういう寝顔だ。 「……」 シェゾは、それに抗う気は起きなかった。 腕枕の方の手を動かし、ハーピーの頭をそっと撫で、彼女の額にキスする。 白い羽の歌姫がくすぐったそうに微笑んだ気がする。 「可愛い奴だ…」 勝てないな。 何に、と言う事も無いが、彼はそう思った。 そこへ。 「もももー」 もももがやって来た。 「しっ」 シェゾは素早くもももにだまれ、とアクションする。 「も?」 彼は名残惜しさこそあるものの、するりと素早く、彼女を起こさないようにベッドから起き上がった。 「もしかして、治ったのか? 持ってきたのか?」 「も」 もももが小さなゲージを差し出す。 「…また随分小さな鳥だ」 それは、スズメより尚一回り小さい小鳥だった。 「あんまり小さいから、治療に時間が掛かったの。だから治療費も余計に掛かったのー」 「そうだな。…ハーピーはまだ寝ている。疲れている筈だから、俺が預かる」 「も」 もももは頷いた。 「…あと、飲みやすい熱冷まし、あるか? 甘めなの」 「も?」 少しの後。 彼女の眠るベッドの脇に、小さなゲージと小さな薬が置かれていた。 彼女はもう少し後で、小鳥の声を目覚ましに起きる事になる。 そして、小鳥と薬に喜ぶ。だが同時に、居なくなってしまった彼にがっかりする事にもなる。 明け方の森。 目は覚めているが、何となく風景を見ていると夢うつつになる。そんな中、彼はある意味誘惑だらけの周囲の状況を呪った。 まったく、俺はそんな気は無いのに、抗えない状況が多すぎる。おかげで、硬派の自分が軟派に見られるぜ。 そう思いながら、森を歩いていた。 もっとも、世間ではこれを単なる浮気者と言う。 葉桜 完 |