魔導物語 BIRDCAGE 後編 Cage 「アゾルクラクにはその性質故、突然変異が多く見られる」 「うん」 その日。 そして少し前の時刻だった。 「シェゾが帰ってこないっ!」 朝からそれを繰り替えされ更にやっぱり内容が気になる、とさんざんアルルにごねられたサタンは、仕方なく街の喫茶店で事の経緯を説明していた。 「そこらの魔導関係のアイテム、生物なら、私がわざわざ出向く様な真似はせん」 「アゾルクラクでも?」 「そうだ。我が配下を舐めてもらっては困る。だが今回のアゾルクラクは違っていた」 「どんなふうに?」 「大人の事情があるから詳しい内容は省くが…」 「大人の事情ってキライ」 「じゃ止めるか?」 「続けて」 アルルは速やかに継続を要求する。 サタンもコーヒーを一口飲んでからゆっくりと話を始める。 「魔界にはな、色々な派閥がある」 「ふぅん」 「所謂穏健派もあれば強行派もな」 「なんの?」 「いろいろだ。魔界内での闘争もあれば、魔界以外に向けてのもな」 「それって、つまり人間界?」 「どちらかと言えば天界相手だな。天界とも一応は穏便に付き合おうという連中もいれば、天界の連中などさっさと滅ぼそうという連中もいると言う事だ」 「物騒だね」 「で、今回の事件は…」 「事件だったの?」 アルルがほえ、と驚いた顔を作る。 「アゾルクラクがあんな状態になるなど、何らかの人為的手段がなきゃあり得ぬわ」 気付けよ、とサタンが溜息をつく。 無論、そういった世界と無縁なアルルにそれは酷という物だが。 「うー。だってボクそんな世界、教科書の中でだって知らないもん」 確かに、普通教科書に魔界天界の話などありはしない。 魔導が、モンスターが実在する世界とは言え、次元を超えるとなるとそれは一般的にはまだまだ絵空事以外の何事でもないのだ。 「ま、それはいい。でだ、簡単に言えば、魔界の天界を嫌う連中の中に少数の大馬鹿共がいてだな、天界にゲリラ的な攻撃を起こそうとしおったのだ」 「…なんか、すっごい大それたお話に聞こえる」 人間の思想において天に槍を向けるなど、想像の範疇を超える。 アルルはもう、目の前で語られている事実が絵本の中のお話に思えていた。 そして、そんな絵本の中のお話としょっちゅう向き合うシェゾである。 アルルは深い意味も無く、極単純にすごいなぁ、と溜息をついた。 「そいつらが、アゾルクラクを手に入れた。そしてそいつを天界と接しやすいポイントに仕掛け、エネルギーを増大させ、そして天界と人間界に開いてはならぬ大穴を空けようとしたのだ」 「空くとどうなるの?」 「人間界に溢れる不純な障気が流れ込んで、結構なダメージを食らう事になる」 「……」 アルルが苦い顔をする。 「どうした?」 「あの…それじゃまるで、人間界がきっったない所みたいじゃない?」 自分の住む世界が障気渦巻くなどと言われては正直腹が立つとう言う物。 「天界からすればそんなものだ。魔界の者だって、免疫が弱いとそれに当てられて凶暴化する例は少なくないぞ」 モンスターがモンスターと呼ばれる所以は、実は人間界にある。 そんな事実を控えめに言われた気がしてアルルは気分を害する。 「むー…」 アルルは素直にますます渋い顔をする。 「ま、そう不機嫌になるな。言い換えれば、次元が違うのだから空気が肌に合わんと言うだけの話だ」 これ即ち、人間界が条約以前に天界、魔界いずれからも暗黙の了解で不可侵領域となっている有効な理由の一つである。 人間界はどちらの世界にとっても扱いにくい次元なのだ。 「最初からそう言ってよ…なんかすっきりしないけどぉ」 「んな事より続きだ」 「うー」 アルルの幼稚なうなり声も無視してサタンは話を続けた。 「何者だ、貴様」 アゾルクラクを宿りし狼。 彼は既にシェゾの足下で虫の息だった。 渾身の一撃で襲い来たその瞬間、彼は己の体に宿りし闇の力をほんの少しだけ解放し、闇の剣を通してその体に流し込んだ。 瞬間、狼の体からほんの僅かだが、臨界に達したアゾルクラクのパワーがシェゾに向けてお返しとばかりに爪と共に放出される。 「!」 右肩に激痛が走り、シェゾは吹き飛んだ。 同時に闇の剣がアゾルクラクごと突き通した眉間から引き抜かれ、狼は一声も発することなく倒れる。 勝負は決した。 二度と立ち上がる事は無い狼の元に、シェゾは少々足を引きずりながら近寄る。 肩の物理的な怪我の深さも去ることながら、彼の体にほんの少し流し込まれたアゾルクラクのパワー干渉が魔導力に変調を来している。 それは、彼に致死とは言わずともそれに近いダメージを与える結果となっていた。 「…ったく、最後の最後に…」 最後っ屁にしちゃ効き過ぎだ、と眉をひそめる。 最大限の浄化によって体内からルゾルクラクの素のエネルギーを変換、昇華する。 シェゾは霞む視界にかろうじて狼の姿をとどめつつ、気力で立っていた。 と、そこに変化が現れた。 それは気配を放出するや否や、湖面の上空に大仰な演出で現れた。 狙い澄まして現れたそれ。 シェゾはこれもまた思いきり嫌な顔をして呟いた。 「何者だ、貴様」 目映い光にそれは包まれている。 シェゾの方を見ているかどうかすら分からない。 だが、通りすがりではないと言う事だけは確かだ。 光の中から、努級の威力を思わしき白い稲妻が彼目掛けて飛来したから。 冗談だろう。 シェゾは他人事みたいに呟いた。 「実は、天界の連中と我々は昔っから仲が悪い」 「…知ってる」 古今東西、天使と仲の良い悪魔などお伽場話の中と言えども、そうそうお目にかかれるものではない。 なまじ目の前の男の様に魔界に、しかもその頂点に近い知り合いが居るだけに、彼女はその部分だけは自信を持って頷けた。 「そして天界の連中も、我々の隙につけ込んであわよくば亡き者にしようと画策している事が多い。ま、これは我々も無きにしもあらず、だが」 「…殺伐しすぎ」 天界。 一応、絵本や教科書、歴史的宗教的読本においては理想世界的に描かれている事が多い世界である。 そういった世界に関わっている当人が言うのだから事実なのだろうが、正直アルルは人間界と変わらないその世界に辟易していた。 「そういうものだ。ある意味、人間界とは魔界と天界をごっちゃにした縮図なのだぞ」 「…そゆこと言わないで。キミって人間界好きなんじゃなかっ…」 「でだ、何故私が直接出向けないかと言うとだな」 「放置?」 拗ねるアルルの相手も程々にサタンは続けた。 「うぉっ!」 鋭い雷が前後左右から何の前触れも無しに襲いかかる。 シェゾとは言え全てを避ける事は不可能なスピードと破壊力だった。 可能な限りは闇の剣で弾くも、背中や足に三発程の直撃をご馳走になる。 背中も痛いが臑に受けたのがまずかった。 シェゾはたまらず姿勢を崩し、俯せで地面に叩きつけられた。 「痛っ!」 言葉と共にバネの様に跳ね上がって姿勢を戻す。 本当なら痛みが引くまで寝ていたい所だが、たった今まで横になっていた地面が次の瞬間に轟音と共にえぐられた事実を考えるとその考えは賢くなかった、と確認できた。 「疲れたところをまとめて、なんざ浅ましいんだよ!」 シェゾは苛ついて言葉を吐く。 同時に闇の剣からお返しとばかりに白色の雷撃がほとばしり、今だ光に包まれた乱入者へと遠慮無く注がれた。 光球が不意にぐん、と歪んだ。 明らかに驚いた行動だ。 「舐めるな!」 シェゾはそう言って更に雷撃を追加オーダーし、遠慮するなとばかりに浴びせ続けた。 「!」 光球が、妙な悲鳴の様な音を上げて弾けた。 嫌味なほどに『神々しい』光だったそれはシャボン玉のように弾け、その中からなにか人型のものらしき姿の物体が遙か後方に吹き飛ばされた。 そして先程の狼同様湖面の端に墜落、そして水しぶきと湿った土煙を巻き上げる。 恐らく、この湖の地図は今後描き直す必要があるだろう。 泥の混じった波が湖面を慌ただしく濁らせる。 大きな波はシェゾの立つ湖面の反対側までやんわりと波紋を靡かせた。 「ふん」 とりあえず一矢報いたシェゾはざまあみろ、と今だ水面下に沈んでいるそれを蔑んだ目で見下ろしていた。 足には裂傷に近い怪我と出血がある。 背中にも、見た目より厚みのあるマントがある分、布一枚のレザーパンツよりも魔導拡散性呪術付与繊維の恩恵は強いが、それでも熊手で引っ掻かれた様な熱い痛みがざくざくと流れ続けている。 元々良い物など存在しないが、気分の悪い痛みをしこたま頂いたシェゾはすこぶる機嫌が悪かった。 「せぇっ!」 シェゾは相手の生死も何も確認せず、再び容赦のない攻撃を仕掛ける。 左手に闇の剣を握り、開いた右手を正面にかざすと瞬間的に右手がぐにゃりと歪む。 膨大な熱エネルギーが発生し、それは点の様な白から一気に白く眩く輝く光球となる。 ほんの小さな光。 だがそれは触れざるとも、近づいただけでその全てを焼きつくさんとし兼ねぬ、圧倒的な熱量を保つそれだった。 フレアストライク。 ファイヤーボール、エクスプロージョン、それら一般的魔導(扱えるのは充分上級魔導士だが)とは比較する事すら憚られる『superior magic』だった。 普段、扱えるそぶりすら見せぬそれを渾身の力で発する。 相手は、一体如何ほどの者なのか。 「消滅しやがれ!」 白い発光体が陽炎を従えて飛んだ。 弾けた様に飛ぶそれは、水面を通り過ぎるだけで湖面が瞬間蒸発を起こし、ソニックブームが湖面を削り取りながら飛翔する。 周囲は水蒸気で視界を失った。 言葉と同時に光球は対象に到達したらしい。 白よりも尚眩い爆発が空気を揺らす。 それとほぼ同時に、爆発源の遙か後方で何か固い物質が地面に叩きつけられた音が鳴り響く。 本体がたまらず吹き飛んだらしい。 音と同時にシェゾは未だ熱風吹きすさぶ炎の向こう側へ飛翔する。 煙の壁を突っ切り、クリスタルの剣が炎の壁を分断する。 「奴ね…」 シェゾは対岸の更に果てまで吹っ飛んだ目標の姿を、やっと肉眼で確認できた。 クレーターの様な穴が開いている。 その中心に、それは居た。 焼けこげ、ひしゃげた鎧。 重厚なフェイスマスク付きのヘルメットも殴ったやかんみたいに無惨。 恐らく、攻撃を受ける前は真っ白なそれであった事は、焦げたとは言え名残を残す塗装が控えめに明示している。 そして背中には残骸となった巨大な四枚羽根のフレームと溶解した羽の名残がある。 雄々しく、威圧的な鎧を纏った天使の姿だったのだろう。 鎧を纏ったそれは体を左右にぶれさせながら立ち上がる。 地面に突き刺さっていた羽のフレームの一本が、そこから抜けること無く、ぼきりと根本から折れた。 奇妙な機械音が聞こえ、鎧の下から赤い光が見える。 「機械、か」 関節から何やら液体らしきものが流れているのを見ると完全なそれでは無いようだが、どの道からくり仕掛けである事には変わりがない。 立ち上がったそれ。 それは全高五メートルを超える羽を持つ鎧の巨人だった。 「せこい奴だ」 シェゾと狼の戦闘後を狙って現れたのは火を見るより明らか。 シェゾは吐き捨てる様に呟く。 そしてその科白にはもう一つ意味がある。 「お前、見ていたな」 シェゾは空に羽を見た。 あの時、ここに来る途中の空。 こいつは自分が来る事を察知していた。 その上で相打ちを狙っていたのだ。 「せこいぞ。神…」 「相手が動いた。それが私が動けない最大の原因だ」 「…は?」 アルルは眉をひそめる。 「魔界の人が悪い事しているんでしょ? だったら、普通その人達が動いたらこっちも動くのが筋じゃないの?」 「いや、正直アゾルクラクの驚異なんぞ問題外なのだ。それだけなら中隊長程度の奴にでも行かせる。テロリスト気取りな餓鬼の悪戯なんぞに私が時間を割かんわ」 「ホンネ出た」 「どうせ言わなきゃ納得せんだろう」 サタンはぬるくなったコーヒーをぐい、と飲んで呟く。 アルルはうん、と勢いよく首を縦に振った。 「あ、すいませーん、ピーチティーおかわりくださーい。あと今日のタルトもー。ほら、サタンもコーヒーおかわりしたら」 「……」 幾らでも話せ、と言う事だろう。更にどうせ勘定は自分持ちだ。 サタンは何処まで話そうか、と天井を仰いだ。 「ちっ!」 シェゾが転がる様に真横に跳んだ。 瞬間、たった今まで彼が立っていた位置に白い光球が到着し、雷光を迸らせて地面を大胆にえぐる。 正直体が痛いどころではないのでアクロバティックな動きは勘弁したいのだが、生死に関わるのではそうもいかない。 満身創痍である筈の鎧の天使の胸が開き、生物的なモールドが掘られた大穴から強力なサンダー系らしき攻撃が息つく暇もなく連続で撃ち出される。 その体こそ既に一部は崩壊しかけているが、攻撃力は何も落ちていないらしい。 かなりのダメージ与えた筈だったのだが、とシェゾは舌打ちする。 正しく戦闘機械。 「流石、機械仕掛けだろうが腐っても天の使い、か」 ともあれ、何ともえげつない使者を寄こしてくる天界の連中の事である。 長丁場は危険極まりない。 シェゾは正直、あまり余裕の無い体でそれを相手にしなくてならなかった。 サタンの野郎、これがあると思ったから手前で動かなかったな…。 シェゾはサタンへの非難、及び何で償わせようかを頭の片隅で考えつつ、速やかに次の行動を開始した。 「あー、つまりな、動いたというのは天界の連中の事だ」 「え?」 アルルはますます眉をひそめ、そして先程の科白を思い出す。 「…不可侵って奴?」 サタンは頷く。 「もう少し早ければ部下を動かせた。だが、天界の方でも動きが出てしまった。奴らが先なら文句の一つも言えるが、馬鹿の所行とは言えこちらが先に動いた事になる。私が動く訳にはいかなくなった、と言う訳なのだ」 「…それ、最初から天界の人が出てくるって分かってシェゾに振ったの?」 「でなきゃ振らんわ。だから私は動けん、と言っただろう」 「アゾルクラク退治じゃなかったの?」 「だけで済めばいいけど、と言う希望的観測を含めた依頼事だ」 「…出て来たら、さ、相手…強いよね?」 「強いな。しかも闇の魔導士とは言え相手は天界の兵士。もしヴァーチャークラスが出て来た場合、正直五分と五分と言う所だろう」 「…ヴァーチャー以上だったら?」 「時の運…いや、逃げの一手で運が良ければ、だなふがっ!」 すぱん、と乾いた音が心地よく店内に響いた。 アルルが革張りのメニューで、サタンの頭をおもいっきりはたいた音。 「ボクを連れて行ってっ! 今すぐ!」 「いや、落ち着ふごっ!」 言葉を遮りもう一発快音が響く。 先程は頭頂だったが、今度は額にメニューがヒットこいた。 目から星が生まれる。 「早くっ! シェゾ助けてよ! 人でなし! 悪鬼! 牛! ハゲ! 間男!」 「そ、そこまで言うか!?」 「何でもいいから連れていけーっ!」 アルルは涙声でサタンの頭をすぱすぱとはたき続ける。 「だから不可侵だっつーの!」 サタンはメニューを振り上げるアルルの腕を掴んで言葉を返す。 「知るかーっ! 離してーっ! 助平! 痴漢! 女の敵ー!」 サタンは一切遠慮のない暴言の羅列にちょっと悲しくなるが、それでも言う事を聞く訳にはいかない、とアルルを無理矢理席に着かせ、興味津々でのぞき込んでいるギャラリーには聞こえない様にそっと呟く。 それに、これ以上騒ぐと何を呼ばれるか分からない。 魔王だというのに周囲に気遣い、なんでもないですよ、とスマイルする自分。 サタンは激しく複雑だった。 「とにかく聞け。数千、いや数万人の命を引き替えにしたいのか?」 「!」 アルルはその言葉にぴくりと身を固める。 「……」 思わぬ言葉にアルルは目を見開いたまま動きを止めた。 二の句が紡げない。 半ば息をする事も忘れる。 喉が鳴った。 アルルは気付く。 今、自分に与えられた選択肢は何も無いのだ、と。 やっとの事で静かになったアルルを見て、サタンはやれやれ、と腰を下ろす。 「…どういう…事?」 考えるより先に声が出た。 「天界と魔界がぶつかるとは、そう言う事だ」 サタンはコーヒーをぐい、と飲んでからゆっくりと呟く。 「人間界に置いて最小限の被害で食い止める方法。それがこれなのだ」 「……」 「分かるな? 闇の魔導士。不介入の世界に置いて唯一我々とタメを張れる人間だけが、この巫山戯た事件を解決できるのだ。意地悪でも嫌がらせでもない。奴にしか出来ぬ事だ」 「ラ…ラグナスなら…じゃなくて、ラグナスも一緒とか、駄目なの?」 一瞬酷い事を言いかけたアルルが、慌てて言葉を訂正しつつ問う。 「奴が天になぞ刃を向けるか」 サタンは言葉を一蹴して、もう話は終わりだ、と席を立つ。 「…ど、どこ行くの? 本当にシェゾ、一人で戦わせるの?」 「私は手を出さぬ。だが、助っ人は現れるかも知れないし、それは勝手だ。多分、シェゾに対してなら、手を貸すだろうな」 「…手、手を出しちゃだめって…言った…のに…なら、ボク」 「出していい奴がたった一人、いる。お前は駄目だ」 サタンはアルルの言葉も聞かずにきびすを返す。 「そうだ、奴の件に関しては多分、今日中に決着が着くだろう」 サタンはそう言い残して外に出てしまった。 一人残されたアルル。 分からない事だらけだが、今はもう、シェゾの無事の帰還を信じるしか出来る事は残されていなかった。 「…シェゾ」 夢にも思っていなかったとは言え、自分が彼を死地に送り出した。 アルルは後悔を噛みしめ、うなだれる。 日はまだまだ高く、今日という一日は半分以上も残っている。 一分一秒と言う時間がこれ程に長いなどと、アルルは感じた事がなかった。 戦うのが好き、等とは間違っても言わない。 しかし、了承しているとは言え自分とは関係ない筈の戦場で戦っている彼が居る。 それなのに自分は一体何をしているのだろう? 「……」 無事に帰ってきて欲しい。 早く帰ってきて欲しい。 自分は、そのとき出来る限りの事をして彼を迎えよう。 だから、どんな事をしてでもいい。 卑怯でも何でもいい。 無事に帰ってきて欲しい。 アルルは小さなその体を更に小さく縮めながら祈り続けた。 「ったく、神も仏も無いぜっ!」 シェゾは円を描く様に天使の周囲を移動した。 レイの餌食にはなりたくないから。 『いや、神が相手だが。 闇の剣が、思わずこけそうになる言葉を返す。 こいつは時々素ボケをかます事があるので厄介だ。 本人に言わせれば俺のせいだとか訳の分からん事を言うが。 「要らんつっこみするな!」 シェゾは軋む体に顔を歪めつつ言葉を返す。 『分かっているなら状況を改善しろ。 「やかましい!」 シェゾの視線は一時も天使から離れる事はない。 正直、瞬きすら危険だ。 シェゾはいまいましい、と舌打ちする。 あれだけダメージを与えた筈の相手は、今持ってシェゾが近寄れぬ程の攻撃をしかけ続けていた。 ヴァーチャークラス以上のパワーを付与された機械天使かも知れない。 こうなると生身であり、しかも怪我の重いシェゾは不利。 片や相手は外見こそスクラップ同然だが、内部のエネルギーは欠片も弱まってはいないらしい。 伊達に、『神の使い』じゃねぇってか。 シェゾはやや目眩を覚える頭を振って、既に数え切れない攻撃を避け続けた。 だが。 「つっ!」 左肩に鈍くも焼けこげる様な痛みが走る。 眩い閃光がシェゾの肩を掠める。 普段なら痛みも衝撃も無視して動き回るところだが、今の体にこの衝撃は辛かった。 「つあっ!」 足がもつれ、石がおろし金みたいに点在する地面をシェゾは転がる。 無情に体中を殴打する石が憎々しかった。 やっと体が止まる。 「……」 痛みを押し、片膝を着いて立つ。 と、シェゾは傍らに横たわる狼を見た。 こんな所まで逃げちまったか…。 苦しげに浅い息を繰り返すアゾルクラクの宿り主たる狼。 「お前も…被害者だな。こんな、馬鹿馬鹿しい茶番のな」 レイが飛来した。 シェゾは気合い一閃でシールドを張り巡らす。 レイは間一髪で防御壁に衝突、拡散され、見た目だけならば非常に美しい火花を滝の様に撒き散らす。 「く…」 出血、苦痛による体調の低下に加え、やむなしとは言え燃費の悪い防御魔導の発動。 状況はますます不利になる。 今だって、跳んで逃げれば良かった話だろ…。 ちらりと自分の後ろの巨大な狼を見た。 シェゾは自嘲する。 つくづく損な役回りだ。 シェゾはそれが分かっていても断らない自分を阿呆だ、と苦笑いする。 そして、一呼吸の後。 「ぬんっ!」 闇の剣を大上段の構えからシールドごと一閃する。 レイが折り曲げられたみたいにベクトルを変え、主に向かって飛ぶ。 瞬間、天使がその体を爆発と発光で大きく後退させた。 シェゾは飛ぶ。 「切り裂けえぇっ!」 信じられぬ速度で天使に近づき、その切っ先が右肩から袈裟懸けに斬りつける。 だが。 「!」 到底用を成さぬと思っていたぼろぼろの右手が上がり、闇の剣を無造作に掴む。 そのままシェゾの体は天に放り投げられた。 「くおっ!」 瞬間とはいえ、宙に舞った人間は完全に無防備となる。 天使がめきめきと不気味に体をのけぞらせ、砲口を空中のシェゾに向ける。 危い(やばい)。 本気でそう思った。 『禁呪を放て! 危険だ、主よ! 闇の剣がシェゾの脳に殴り掛かる様にして叫ぶ。 意識間の会話に時間の概念はないから。 しかし。 『断る』 シェゾは意外と言う他にない言葉を返す。 『ぽんぽん撃ったら安っぽくなるだろ』 『……。 闇の剣は呆れた。 『何とかする。相棒を舐めるな』 シェゾは今眼前に迫るレイを他人事の様に眺めながら、瞬間的に考えた。 ヘブンレイ自体は当たりさえしなければさほど驚異じゃない。 無論、当たれば冗談では済まないが。 だが、跳ね返すだけじゃ、負けはしないが勝てもしない。 持久戦になれば…っつうかなっているが、そうなると不利だ。 なら、攻撃を打ち消しつつ、更に貫けばいい。 シェゾには、ヘブンレイと対を成す事の出来る闇魔導魔法がある。 問題は…パワーか。 例の『禁呪』こそ、己の奥底にあるパワーから周囲のエネルギーまでを巻き込んで発動させられるというえこひいきに近い特例があるが、他の闇魔導はそうはいかない。 発動に関しては単純に己のキャパシティ、及び蓄積率に直結するのだ。 死ぬ気でいくか。 起死回生の一撃。 シェゾは少々分の悪い賭に出た。 …勝率、一割ってところか。 だが、シェゾは一片の躊躇もなく構える。 スローモーションで天使の胸の砲口が光り始めた。 その時。 突如、視界を灰色の何かが覆った。 「うおっ!」 全ての気を集中させていたシェゾは流石に一瞬戦く。 次の瞬間になってもヘブンレイが飛来しない所を見ると、感情を持たぬであろう機械天使も同じ状態らしい。 躊躇、と言うよりは状況判断をやり直していると言った方が正しいだろうが。 「お前…!」 シェゾは灰色の物体を確認した。 ルゾルクラク。 いや、ルゾルクラクの宿主たる狼が、シェゾと天使の間に割って入っていた。 その瞳はシェゾを見ている。 ほんの僅か、ほんの瞬きする程度すらあるかないかの時間。 二人はお互いの瞳を見た。 再び、ヘブンレイが放たれる。 狼はまるで盾となるかの様にそれの直撃を受けた。 「!」 今までで最大級の攻撃。 シェゾは目を見開く。 ヘブンレイは狼の体を分解させながらその身を撃ち貫き続けた。 シルバーグレイの体毛が瞬間的に焼けこげ、消滅し、みるみる狼の体のシルエットが変形しながら縮んでゆく。 やがて、あっけに取られていたシェゾにもヘブンレイの力は到達し、シェゾは狼の残骸と共にまともに力を受け、パワーの奔流で更に上空に吹き飛ばされる。 「うおあぁっ!」 シェゾも白い光に包まれ掛けたその時。 白い光の世界の中に、眩く輝く蒼い光が見えた。 「…!」 ルゾルクラク。 内容はどうあれ、まごう事なき純粋なる力の凝縮が物質化したそれ。 シェゾは反射的にそれを掴んだ。 瞬間、意志がシェゾに流れ込む。 「ぐあ…っ!」 シェゾはルゾルクラクを掴んだまま頭を抱える。 記憶が。 ルゾルクラクの記憶、意志が膨大な負荷となって流れ込んだ。 その中からシェゾは自分に向けて放たれたメッセージを見る。 音が消え、視界が色を失う。 俺を使え。 俺の力で、奴を倒せ。 でなきゃ、この怒り、収まらん。 利用されて生かされ続けたこの情けなさ、怒り、お前に託す。 お前…。 『いい度胸だ。 闇の剣も愉快そうに呟く。 分かった…狼。 俺はハティと呼ばれていた。 俺は、シェゾだ。 …俺が名乗るのはこれが最初で最後。 後は任せた。 シェゾ。 闇の魔導士よ。 瞬間、轟音と焼け付く様な肌の感覚、そして網膜を焼きつけんとする光の本流が時間を取り戻し、シェゾを包み込む。 まるで、火山の噴火に身を投じているかの様だった。 だが。 「せあっ!」 気合い一閃。 声と共にヘブンレイの光が四散した。 光の粒となって無力に飛び散るヘブンレイ。 光の渦まく中心に、闇の剣を振り下ろしたシェゾの姿があった。 マントも、服も、あちこちが焼けこげている。金属部分は一部など溶解し掛けていた。 シェゾは両手で闇の剣を構える。 その手の中に、アゾルクラクを一緒に握りしめながら。 躊躇無く二撃目がシェゾを襲う。 しかし再びレイは闇の剣の前に四散される。 更にシェゾは光線のベクトルに併せて落下を始める。 光を四散させながら降りて行くその様は、まるで光のエレベーターを降りているかの様な光景。 天使が、有り得ない行動に対して次の対処を戸惑う。 同時にジェネレーターがほんの僅かの間ではあるがオーバーヒートを起こす。 限界でヘブンレイを発射し過ぎたのだ。 シェゾは一気に自然落下を凌ぐ速度で刃を向ける。 まるで、黒い稲妻が剣を翳しているかの様だった。 刃が天使の眼前に迫る。 同時に天使の胸部装甲が吹き飛び、生物的な内装が火花を散らす。 ヘブンレイが、リミッターを外した最大威力で放たれた。 空気の分子すらも焼き尽くさんとするエネルギーの奔流。 瞬間的には太陽のエネルギーに匹敵するやもしれぬそれだった。 しかし。 それすらも同じ。 先程とまったく同じく、闇の剣の刃の前にそれは無力に霧散する。 いや、先程と違うものがある。 シェゾの刃からは黒の波動があふれ出ていた。 それが光の波動を飲み込み、締め付け、そして押しのける。 ヘブンレイとエネルギー的に対極を成す古代闇魔導。 スティンシェイド。 闇が、光を飲み込んでいた。 「潰れろぉっ!」 刃が、まるでハンマーの様に天使の頭上から襲いかかる。 天使の視界いっぱいに、刃が迫って見えた。 腕を動かす暇も、体を反らせる時間もない。 そして、距離を無くした刃は全ての意味を奪い、映像を奪う。 トールがそのハンマーを打ち下ろしたかの様な衝撃と轟音。 真っ二つどころか、切り裂いた切り口からそのまま天使は消滅してゆく。 刃はそのまま無加速で体を貫き、地面にその切っ先を打ち付けてやっと止まった。 光を吸い込み、そして闇の力を放つそれは未だエネルギーを持て余し、地面には隕石が落ちたかの如きクレーターと衝撃波、轟音を放つ。 音と、衝撃波が何重にもエコーを響かせてからやっと静まる。 そこには、既に天使は居ない。 残骸の一片すら残してはいなかった。 「……」 クレーターの底に、振り下ろしたままの体勢で動かぬシェゾが居た。 やがておぼつかぬ足取りで立ち上がるも、そのまま仰向けに倒れる。 闇の剣が手から離れると同時にその姿を自ら次元に仕舞い込み、続けて手からアゾルクラクが落ちる。 それは、地面に着く前に砂の様に崩壊して消えた。 満身創痍となったシェゾが天を仰ぐ。 おい、こんなんで、いいか…? 空は先程までの地獄など無かったかの様に青く、どこまでも広がる。 それは問いに対する是正の様な気がして、シェゾはかすかに笑いながら目を閉じる。 それきり、風も湖面も、一切の音を消す。 雲の流れ。 それだけが、時間の流れが今ここに確かにある、と証明していた。 「……」 次にシェゾが目覚めたとき。 そこは何故かベッドの上だった。 ふう、と溜息。 ここは見覚えがある。 無駄に巨大なベッド。 そして無駄に高い天井。 更に、趣味が悪いとまでは言わないがやはり無駄に華美な装飾。 無駄におおげさな花瓶と無駄に飾られた花。 無駄に…。 「いいかげんにしろ」 思考は遮られた。 シェゾは声のする方向を目線だけで確認する。 動かそうとすると、どうもまだ首がぎりぎりと痛むのだ。 「この詐欺師…」 「第一声がそれかい。命の恩人だぞ」 「嵌めたのもお前だ」 シェゾは視線を天井に戻す。 同じ様な模様が並ぶ天井は、一瞬シェゾの距離感を狂わせ、目眩が起きそうになる。 まだ本調子では無いせいでもあるだろう。 「で、なんで俺、ここにいる? 家に帰さなかったのか?」 「用件は終わったし、これくらいはサービスだ。…それに、約束させられたしな」 「ん?」 「ぜっっっっっったいに言わん」 「……」 シェゾは何故か理由が分かる様な分からない様な、そしてどんな会話があったかが目の前で話されたかの様に分かる気がして、笑いたい様な情けない様な気分になった。 そして阿呆くさい、と思考を一蹴する。 「しかし、多分とは思っていたがよく手懐けたものだ」 サタンが感心した、と言う顔で言う。 無論、狼の事。 「…そんなんじゃない」 「そうか」 それきり、会話は途切れる。 「もう、こんな事はない。こちら世界の首謀者は仕置きしてやった」 「…相手はいいのか?」 「向こうにしても、天界のどこぞの若造が勇み足しただけだ。これを機に、魔界に難癖付けよう、邪魔者のお前を、どうにかしてやろう、と思ったのだろう」 「……」 「今頃、上にたっぷり絞られている事だろう」 「奴が…」 「ん?」 「奴が…浮かばれないぜ。『お仕置き』で済む茶番で、一生涯の意味を潰されたんだぜ」 自分だってセンチではない。 そんな、利用し、利用される事など日常茶飯事と言う事実は知っている。 だが、どうしてもしこりが残っていた。 「はっきり言うが、そいつらにとっては奴の存在はその程度なのだ」 「…解っている」 もう一度、会話は途切れた。 「篭の鳥なのだよ」 「ん?」 「誰が、と言う事ではない。誰かが、誰かの思惑にはまれば…それはそう言う事だ。もう、逃げる事も止める事も出来ない。そして、終われば捨てられる」 「俺は御免だね」 「お前は…そうだな。万が一篭に収められる事があろうとも、きっと篭をぶった切って出て行くのだろうな」 「そのつもり…だ」 まだ疲れていたのだろう。 シェゾは目を瞑り、そのまま寝てしまった。 だろうな…。 だが、な。 サタンは無防備に眠りにつく闇の魔導士に向かい、そっと呟く。 「お前にも、決して逃げ出せない篭を持つ者が、居るのだぞ」 扉がノックされた。 控えめに顔を出した角付きの執事が、客人の来訪を告げる。 「うむ。通せ」 執事は恭しく頭を下げて扉を閉めた。 数分もすれば、きっとけたたましい声がこの部屋に響くだろう。 そして、こいつもきっとそれに対抗してやかましい、とか声を上げるのだろう。 「あと数分だが、ゆっくり寝ておけ」 サタンは微かに笑いながら呟く。 「『篭』が、お前を収めにやって来た。大層居心地のいい、全てを包み込む篭が、な」 廊下の向こうから小さな足音が近づいてくる。 サタンは、お菓子がもらえずがっかりしている子供の様だった顔をさっと戻す。 小さな足音。 扉までの距離は、もう十メートルを切っていたのだから。 BIRDCAGE 完 |