魔導物語 小説『ついでの冒険』

第一話




 この大陸に戦争らしい戦争の名を聞かなくなってから何世紀かが経っている。
 単発的な小競り合い、人間以外の生物、人間外同士の争いこそ単発的に発生してはいるが、それでも国同士や大陸をまたにかけるような大規模な戦争は起きていない。
 だが、その爪痕、戦争があったという証は、大陸のそこかしこに確かに残っている。
 治水権を賭けて争いが起こり、あげくの果て、奪うべき川を潰してしまった、元大河だった湖。
 貿易航路の有利な税金利の駆け引きから始まり、その地方の海岸に何十隻という船、何千人と言う人間が沈んだままとなった人気のない廃港。
 森の奥、モンスター同士の部族争いが勃発し、そのあおりで消滅してしまった森は、今やサバンナのような平原となり、森の名残は土の中に残る、焼けこげた大木の破片だけだ。
 それらのように、物理的な戦争の爪痕ならば単なる痕跡で済むが、その争いに魔法が絡んでいるとなると、少々話が違ってくる。
 魔法は、術の内容に因るが、自然な揮発という物があまり望めない代物だからだ。
「となれば、当然魔法を使った戦争が行われていた跡地には、なんらかの魔法の痕跡が今も残っている可能性が高いんだよね?」
 魔法使い見習い少女、アルル・ナジャはとある地方のガイドブックを片手にふむふむ、と頷く。
 場所はとある地方都市、ライガ。
 街道沿いにある小さな都市は貿易路の交差地であり、規模の割に人の出入りは多く、都市の経済はあちこちから入ってくる物資とその売買で潤っていた。
 今の時期は秋の収穫祭が行われる期間であり、観光目的の客を呼び寄せるキャンペーンとして行われるその祭りは二週間程も続く。
 今日は収穫祭が始まって一週間目の折り返しとなり、賑わいが最も大きくなる数日だった。
 そんな貿易都市、ライガの一角にある食事所。
 そこに、銀髪の闇の魔導士と栗色の髪の魔導士見習いが向かい合って座っていた。
 店内は収穫祭に合わせて装飾がなされ、観光客相手のやや高めの値段設定ながらもそれに見合うボリュームの特別メニューがずらりと並んでいる。
「……」
「ねー、どしたの?」
 ワクワクした目で周囲を見渡していたアルルが、浮かない顔のシェゾを見て問いかける。
「…何でもない」
 シェゾはため息混じりに返答し、カプチーノを口に含んだ。
「…なんで一緒に飯食ってんだろうな…」
 シェゾはアルルをちらりと見て呟く。
「なんでって失礼だなぁ君は。君の行動はお見通し。ボクの情報網だって、こう見えてけっこうなモノなんだよ? 第一ウチから一緒に旅してきて、今更何で? はないでしょ。運命だよ。運命。いわゆる英語で言う所のdistance!」
「destiny」
「…そうとも言うかもね」
 アルルが目を泳がせながらレモンティーを飲む。
「お前の情報網って言葉に、旅行パンフレットの豆知識が含まれるなら、な。第一お前、最初俺の行く先知らなかったくせに」
「そ、それはまぁ、それはそれ、と言う事で…。それに、ふ、含まれていると思うよ、多分」
 アルルは目を泳がせる。
「おまたせしました」
 そこへウェイトレスが料理を持ってやってくる。
「わぉ! 来た来た! これ楽しみにしていたんだよね?! ライガ名物、クロルハムライクのステーキ感謝祭風!」
 アルルの前に、巨大な鉄の皿が置かれる。
 その上に載っているのは、見た目はロースハムの親玉に見える太く分厚いハム。それが、香ばしい湯気と食欲をそそる油の撥ねる音を立てて鎮座していた。
 周囲には特産の野菜とポテトがソテーされて添えられており、それなりに青物も摂取できるように配慮されているらしい。
「う?ん! い?いにおい! パンフレット見てからこれは絶対食べなくちゃって思ってたんだよね! ボク!」
 アルルは子供のように目を輝かせ、体全体で食欲のわき上がりを表していた。
「…それを食いたかったのか?」
 対してシェゾの前に置かれたのは、ボリュームこそあるが普通の魚介のパスタ。
 見た目では、男女逆の料理内容、と言えた。
「そだよ! あ、ちゃんとシェゾにもあげるからね! だからそのパスタちょっと頂戴」
「いらん」
「えー? ケチー!」
「パスタはやる。それはいらん」
 シェゾは冷めるぞ、と食事を始めた。
「あれー? お肉嫌いじゃないよね? 変なのー」
 そういつつ、アルルはクロルハムライクを切り分け、もう一度鼻腔に香ばしい湯気を思いっきり吸い込んでからあむ、と頬張った。
「……」
 シェゾがそれを見る。
「…!!!」
 アルルがくわっ! と目を剥いた。
 恐いぞおい。
 シェゾが顔を引きつらせる。
「お…おお、おいしい! これ! おいしいよ! シェゾ! すごい! 何これ? 何のお肉なの? 柔らかいなんてもんじゃないよ! 繊維っぽいのが殆ど無い! 例えじゃなくってお口の中でとろけちゃう! うわー! びび、びっくり! うひゃ?! しあわせぇ???…」
 アルルがうっすらと涙を浮かべて感動に打ち震えている。
 こんだけ嬉しい顔してくれりゃ、店のコックも満足だろうな。
 シェゾは年相応には見えぬ素振りで嬉しがるアルルを見て笑った。
「この、バターが溶けてちょっと焦げた味とお肉の旨味がまるでダイアキュート三連がけのような至福を幸福に…はふぅ…ドラコやチコも来られれば良かったのにぃ…ヘブンってものが脳幹を貫く危険な快感はここにあるよ…」
「落ちつけ。言動があちこち不明瞭になってきたぞ」
「ああ…ごめんねカーくん。これは君を連れてこなくて正解だったよ…。こんなもの食べさせたら、もう他のお肉食べてくれなくなっちゃうかも…ふにゃああぁ…」
 アルルが本格的にとろけ始める。
「シェゾ! 例の所を探索し終わったら後、またここに来ようね! ボク、もう一回食べる!!」
「…そうだな」
 シェゾはそんなアルルを見て、何故か、僅かに哀れみを含んだ目で微笑んでいた。
 事の起こりは一週間前に遡る。
「気をつけていってらっしゃいまし」
 ウイッチの薬剤店。
 そこで買い物をしたシェゾを、ウイッチが外まで出て見送る。
「ああ」
「怪我や生水には気をつけてくださいね」
「ああ」
「近道と思って道を外れては駄目ですわ。盗賊やモンスターに遭う確率が増えますから」
「…ああ」
「日差しが強かったらきちんと木陰で休んでくださいね。お水は常に二袋は持ってくださいね」
「…ウイッチ」
「はい?」
 ウイッチが首をかしげる。
「俺は初めて小旅行に出る子供か?」
「いえ、そんな。ただ、今回は大変そうですから、出来るだけ旅の途中で体力を無駄に減らさないようにと思ったんですわ」
「その、心遣いは貰っておく」
「…お気を付けください」
 一転、ウイッチが真摯な表情でシェゾを見詰める。
「そうする」
「……」
 ウイッチは五十センチは差のあるシェゾを見上げて続け。
「シェゾシェゾ」
 そしてちょいちょい、と手招きして彼を呼ぶ。
「何だ?」
 何となくしゃがんだシェゾに、ウイッチが抱きついた。
「おまじないですわ。無事に帰って来られますように…」
 そう言ってシェゾの頬にそっと口づけし、少しの間そのまま時が過ぎる。
 やがてウイッチは、ふっと身を離した。
「…効きそうですか?」
 ウイッチはじっとシェゾを見詰める。
「いいお守りを貰った」
 シェゾは微かにと微笑み、店を後にした。
 シェゾが雑踏に消えるまで見送ったウイッチは、密かに高鳴っていた心臓を押さえてすぅ、と深呼吸する。
「もう。けっこう勇気出したのに…淡泊ですわ」
 ウイッチはぷい、と振り返ってむくれる。
「……」
 だが、むくれるつもりが、どうしても弛んでしまう口元のせいで、むくれる事が出来ない。
「おまじない、ぜったい効きますわ」
 ウイッチはふにゃふにゃに顔を弛ませながら、店へと戻っていった。

「う?ん…どうしようかなぁ」
 街の一角の遊歩道。
 アルルはとぼとぼと歩いていた。
「一人っていうのもアレだし…。でも、第一の目的がアレでもそれだけっていうのもつまんないし…」
 はぁ、と大きなため息をついて顔を見上げる。
「!」
 その視線の先にシェゾをみつけた事は幸いだった。
 主に彼女にとってのみだが。
「シェゾー!」
 気がつけばアルルは走り出し、あっという間にシェゾの目の前に辿り着いていた。
「……」
 目をキラキラさせてわんこのように走ってくるアルルを見たシェゾは、これは何かある、と天を仰いでため息をついた。
「どっか行くんだよね? そうだよね?」
 しっぽがあったら絶対にちぎれそうな勢いで振っているな。この顔は。
「…そうだ」
「んっふっふ。当てて見せましょう」
 不敵に微笑むアルル。
「ズバリ! ライガ!」
 その言葉に、シェゾは流石にぎょっとする。
「…あれ?」
 対してアルルは逆に不思議そうな顔。
「あれ? 当たった?」
「当てずっぽだったのかよ!」
 シェゾは訳が分からん、と頭を掻いた。
「あ、ううん! 違うよ! えっとね、ほら、シェゾ、その恰好はどう見てもこれからちょっとどこかに遠征するって恰好でしょ? ね?」
「まぁ、そうだ」
 シェゾは普段の黒っぽい服装こそ変わりはしないが、足もとの靴は厚手のブーツ、同じく厚手のマントを羽織り、背中には分厚い革製のリュックを背負っている。
 明らかにどこかへ出かける恰好である。
「でね、でね、今の時期、一つ大きな、有名なお祭りが開かれている最中でしょ?」
「…ライガの収穫祭」
「そそ! つまり、最近はギルドにもたいした依頼は無いでしょ? だからシェゾがわざわざ動くとしたら、今はお祭りを見に行こう、って動機くらいしか無いと思ったわけ!」
「まぁ、筋は通っていなくは無いな」
「でしょ? えへへー」
 アルルはどうだ、と無い胸を張る。
「で、何でギルドに仕事が無い事知ってる? お前登録者じゃないだろ」
「友達居るから良く遊びに行くもん。暇だーって言ってたから」
「ギルドのくせにオープンすぎるだろ…」
 シェゾは今に始まった事ではないとは言え、この街の緊張感の無さが心配になった。
「で?」
 シェゾが、結局何の用だ、と問う
「一緒にいこ」
「…あ?」
「ボクもねそこに行く予定なの」
「おいおい」
「旅は道連れ。よろしくねー! 荷造りは済んでいるから、すぐ持ってくるよ! 馬車の時間には充分間に合うね! えへへっ」
 ひまわりを連想させる満面の笑みで事を決定事項にしてしまったアルル。
「……」
 ライガの途中まで向かう馬車は今日を逃せば五日後になる。
 シェゾに選択肢はなかった。
「ところでシェゾ」
 不意に、いつの間にか顔を胸の前まで近づけていたアルルが上目づかいで呟く。
 その目は笑っていない。
「…何だ?」
「君から、オンナの匂いがするっぽいんだけど?」
「知らん! さっさと荷物もってこい!」
「ぶー!」
 アルルはぷぅ、と頬を膨らませながらも、待っててね、と釘を刺して荷物を取りに一旦離れた。
「…警察犬になれるな」
 シェゾは一応シャツの匂いを嗅ぐ。
 何も臭わない。
 シェゾはアルルの嗅覚に、もっと役に立つ能力を身につけろ、と呆れる。
 その後の道中、シェゾはアルルから本来の旅の目的を聞かされる。
 実際の所アルルがライガに行くのはまったくの偶然であり、更に本当はドラコやチコと一緒に行く予定だったらしい。
 だがドラコは先の予定だった武闘大会の日程が早まった為に修行をせねばならず離脱。チコも家畜の流行病が発生した為、祈祷の為に実家へ行く事になってしまった。
 そしてのこされたアルルは途方に暮れる。
「しかも、元々の理由はお前の補習じゃねぇか。来られなくても文句言える立場じゃ無いぞ」
「う…。そ、それはそう、なんだけど…。でもでも、それを込みにしても、みんなお祭りを楽しみにしてくれていたんだよ! だから、ボクもせめて手配とか、宿のお代はボク持ちにして…」
 馬車の中、丁度二人しか客は居ない為貸し切り状態。
 そこでアルルは事の顛末を話していた。
「えらく殊勝だな」
「いや、この追試落とすとボク、本気でやばいから…」
 アルルが変な汗を掻きながらあはは、と笑う。
 お前、魔導力自体は大層なモノを秘めているくせに…。
 シェゾやサタンも一目置く程の魔力の源を塩漬けにして蓋をして封をして重しを置いてそのまま忘れている状態のダイヤの原石を見て、シェゾはため息をついた。
「で、でね、ライガの近郊には昔魔導戦争があった古戦場が残っていて、そこから何かマジックアイテムかそれに等しい物を安全に封印した状態で持ち帰るって言うのがボクの追試内容なの」
「えらく具体的だな。場所指定までしてくれたのか」
「ウチの街から一番近くて、間違いなくマジックアイテムが眠っている場所がライガなの。先生や園長が、ボクが留年しないように必死に考えてくれたみたい」
「…あの園長がお前を留年させるとは思えんがな」
 シェゾは立派な角が頭から生えた、アルルの通う学園の某園長を思い浮かべる。
「だって、留年したらみっともないから、それなら后になるか? なんて言うんだもん」
「一種の脅しだなそりゃ」
 遠慮のない物言いに思わず感心しそうになる。
「…ボクが后になってもいいの?」
 アルルが本気で目を潤ませ、すがるような瞳を向ける。
「応援はする。だが手は貸さないぞ。お前の追試だ」
「うん! 応援して! お礼にシェゾ、宿は気にしなくていいよ!」
 アルルはぱぁっと笑顔を取り戻した。
「あ?」
「ボクの予約した宿があるから、そこに一緒に泊まればいいよ!」
「…別部屋?」
「ううん、一緒」
「…いいのか?」
「ん?」
 何が、と言うアルル。
「…分かった」
「やったぁ!」
 その無垢な瞳にシェゾはこれ以上突っ込むのは無粋と諦めた。
 それから翌日に馬車を降り、一日の野宿の後、目的地のライガに到着する。
 時間は昼前。まだ昼食には早いが、街の食堂はどこも人で一杯だった。
「そう言えば感謝祭真っ最中か」
「そだよ。楽しみだよね?! ももものイカ焼きとかのほほのシャーベットが人気みたい。シェゾ、ベリーとパインどっちがいい?」
「何しに来たんだお前は」
「それはそれ! これはこれ!」
 満面の笑みで答えるアルル。
 そんな会話をしていた二人の側を、ふと妙齢の女性が通り過ぎる。
 清楚なグリーンのドレスに、ふわりとした優しげな香水の香り。
 アルルは素敵、とうっとり見惚れると同時に、はっとして今の自分を見る。
「…で、宿は?」
 つっこみは諦めてシェゾが振り向くと、アルルは丁度自分のシャツを鼻に付けてなにやら匂いを嗅いでいた。
「アルル?」
「ちっ、近寄らないで!」
「は?」
「こ、こっち! 行こう! すぐ行こう! でもあんまり近寄っちゃダメ!」
 そう言ってアルルは走り出す。
「おい! アルル!」
 シェゾの制止も聞かずにアルルはそのまま宿へ駆け込み、シェゾにお風呂から出るまで近づかないで、と言い残して部屋の風呂場へ籠もってしまう。
「…何となく理由は分かるけどよ」
 よくそれで冒険やろうなんて気になるもんだ。
 シェゾはやれやれ、とため息をつき、ひとまずソファに腰掛けた。
 一呼吸を置き、シェゾは突然右手を天井に向けて伸ばす。
 すぅ、と呼吸をすると、右手の周りがぐにゃりと陽炎のように歪み、次の瞬間にはその手に剣が握られていた。
 闇の剣。
 鋼よりも固く、水のように透き通ったクリスタルの剣。
「ふわぁっ!」
 突然風呂場から声が響き、大きな水音が聞こえる。
「…どした?」
「あたたた…。あ、えっと、あの、今、何か変な気配がしなかった?」
 扉の向こうからアルルが訪ねる。
 時々鋭い奴だ。
「気にするな。ちょっと気を練っただけだ」
「あ、そうなんだ。お仕事? わかったー」
 再びシャワーの音が聞こえ始める。
「さて。どうだ?」
 シェゾが闇の剣に語りかけた。
「…そうか」
 少しの間を置き、シェゾは闇の剣を軽く一振りする。
 その瞬間、闇の剣はまるで影か何かのように消えてしまった。
「わひゃぁ!」
 またアルルの声。
「ま、また何かしたの?」
 思わずアルルが扉を開けてこちらをのぞき込んできた。
 タオルを羽織り、下ろした髪からは水が滴っている。
「お前、そんだけ敏感なのに何で赤点ばっかりなんだよ」
 シェゾは逆に問う。
 闇の剣は出現、消失の際に異空間への干渉を起こす為にどうしても波動を生む。
 だが、それは極微量。
 普通、そこらの魔導士では気付けるような量では無い筈なのだ。
「だ、だってしょうがないじゃない! 授業で習うのとは全然違うところで感じちゃうんだもん…」
「そうだな。それより、風邪引くぞ」
「…あ。う、うん。もうちょっとだから。…覗いちゃ、困るかもだからね?」
 アルルはそっと扉を閉めた。
「困るってなんだ困るって」
 シェゾは今に始まった事ではないアルルの理解に苦しむ言動に悩んだ。
 それから少しの後。
「アルル」
「なーにー?」
「ちょっと出てくる」
「えー? もうちょっとでボク出るのにー」
「すぐ戻る」
「はーい。帰ったらシェゾもお風呂入ってね。エチケットだよー?」
「…分かった」
「いってらっしゃーい」
 シェゾは身支度を調え、部屋を後にする。
「…何しに来たと思ってんだか」
 追試の事を覚えているか怪しいアルルを思い、シェゾは溜息をついた。
 さて、俺は俺のやる事やるか。
 シェゾは街の雑踏に消えていく。
 その時、雑踏の中に明らかにシェゾの背中を追って動く何者かが居た。
 目立たぬ、ねずみ色のローブを被って幽鬼のようにふらふらとシェゾを追う何かが。



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