魔導物語 小説『王都復興記』

第一話 後の祭




 夜の酒場は何処も例外なく喧噪と笑い声、時折ガラスの割れる音と共に響く怒声を含みつつも、兎に角活気に満ち溢れている。
 王都ブレフティビラの城下町。
 都市の大きさを物語る、幾つものブロックで存在する繁華街。
 事実王都と言う名に恥じぬ人口を抱え、その数は三十万人を数える。
 複数の繁華街。
 その中でも指折りの規模の大きさを誇る大衆酒場ヴァッカスは、十年ぶりの新装開店という事もあり、普段以上に活気に満ち溢れていた。
 店の広さは一度に二百人は余裕で入れる広さを誇り、全面吹き抜けの店内は広い。
 元は劇場であったと言う事もあり、吹き抜け上部の二階は少人数向けの小さなテーブルが並べられている。
 このあたりが、只の大衆酒場とはひと味違った高級感を醸し出す。
 当然、こういったワンポイントは店の評判に一役も二役も買っている。
 天井からぶら下がる巨大なシャンデリアは自らの蝋燭の煤ですっかり黒くなっていたが、良い職人に作られたであろう堅牢で美しい細工はそれでも尚見た者にそれをみすぼらしいと思わせる事はなかった。
 あちこちから酒や食べ物を注文する大声が飛び交い、聞こえたものから順にウェイトレスが右へ左へと飛び回る。
 そんな喧噪のオンパレードの中、二階奥にひっそりと人目を憚る様な造りの個室がある。
 その一角、その個室の中だけは、墓場の様な静けさだった。
「ほう、そんな事は言ってないってか」
 琥珀色のワインがゆっくりと声の主の手の中で回る。
 銀髪の男、シェゾは溜息混じりで呟いた。
「いや、そう言う事では…」
 相手の男は、年の頃は五十を超えているであろう薄い頭の痩せ形。
 その割に裕福な髭がどことなくユーモラスでもあり、どこか威厳を感じさせもする。
「じゃ、素直に寄越せばいいだろ。国の転覆を救った英雄様のお願いだぜ」
 シェゾはワイングラスを空にする。
「だ、だが…。エフト金貨一千枚に国宝の魔導精製杯と言うのは、この度の活躍がいかに素晴らしいものであったとしても、いささか…。それに、すでに国宝の…」
 男は恐る恐る言いつつ、空のグラスにワインを注ぐ。
 六十年もののカビネット級ヴィンテージワインが安酒の様に減っていった。
「ありゃ前金だ。そう言う条件で受けたんだろうが。この国の政府は国璽レベルの約束事も破るのか」
「…いや、その…。そ、それでは…もう一日だけお待ちください。明日の夜には必ず、ご満足頂けるお答えを持って伺いますので…。それまでは、何卒何方様にも必ず部外秘で…」
 歯切れも悪ければ男の顔色も目つきも悪い。
 何かを外に漏らせば約束は守れないとでも言うのか。
 男の言葉が止むと、周囲の喧噪がより大きく耳に響く。
「……」
 シェゾの大きな溜息を返答として、その日はお仕舞いとなった。

 翌日の夜。
 街でも一二を争う三つ星ホテルのスウィートルームで、本を読みながらぼぉっとしていたシェゾの元に、昨日のメッセンジャーが現れた。
「お品物がご用意出来ました。どうぞご確認の為、ご足労をお願いします」
 昨日とは打って変わった饒舌で、人目を憚りつつ現れたメッセンジャーはシェゾに同行を願う。
「……」
 シェゾは本を閉じ、重い腰を上げた。
 月明かりのみが二人を照らす。
 建物の裏側ばかりを選んで通るその足取りは、今にも走り出しそうな程に早足。
「何処だよ」
「何分高価な物を扱います故、安全な場所に置いてございます。今しばしの辛抱を」
 そんな話を三度程繰り返した後に、男は建物の前で足を止めた。
 そこは街から外れた場所にあり、白には見えないが、兎に角頑丈そうな建物。
 要塞と言って良いであろう建物だった。
「この中にご用意してございます。どうぞ中へ。すぐ部屋がありますので、真っ直ぐお進みください。」
「お前は?」
 一人で入れと言う物言いに対してシェゾが問う。
「中に別の者が控えております。あとはその者達が」
「そうか」
 シェゾは分厚い木の扉を押し開ける。
 蝶番が軋んで悲鳴を上げる。
 扉の中は蝋燭の明かりこそあるが、どうにも薄暗かった。
「ご苦労さん」
 シェゾは振り返りもせずに中に入る。
「扉を閉めさせて頂きます」
 シェゾは背中越しに小さく手を挙げた。
「……」
 男はシェゾが廊下の奥に進んだ事を確認してから、重い扉を倒れる様に体をかしいで閉ざす。
 それだけで軽く息が上がる。
 扉が閉まった瞬間、何かが動く音が響き、扉が一瞬揺れる。
 男は取っ手を思い切り引っ張った。
 うんともすんとも言わぬ事を確認し、男は唇の端を歪めた。
「…闇の魔導士など言うが、所詮は夜盗。この程度の策にはまりおる」
 見下げた様な小さい嘲笑が、夜の闇に木霊した。

 中に居たミイラみたいに細身の男がか細い蝋燭一つを持ってシェゾを先導した。
 蝋燭の明かりはシェゾとそれを持つ男を辛うじて照らすのみ。
 男は一言も発せず、ただただシェゾを招く。
 道は奥に進むだけではなく、長い階段を一つ降りる。
 階段の数は多い。通常の階数にして三階分はあるだろう距離を降りると、更にその奥に、ようやく扉が見えてくる。
 男はこちらへ、と手で誘導し、そのまま壁に張り付くように後ずさる。
 入れ、と言う事だろう。
 シェゾはその扉に手をかけ、勢いのままに開く。
 扉の先は打って変わって壁や天井に飾られた豪奢なシャンデリアの灯りで充分過ぎる程に明るかった。
 部屋へ入ると、後ろの扉が音もなく閉まる。あまりにも静かに。
 大きなドーム状の石壁の部屋。
 威圧感すら感じる重厚な造り。
 その中央に大きな机があった。
 机の上にはこれでもかと言わんばかりの豪華な装飾の燭台。
 そしてその前に革袋が四つ置かれている。
 シェゾは部屋の中に入る。
 机の前まで来たその時。
 目の前の革袋が消えた。
 いや、革袋だけではない。
 机も、そして明かりも消えた。
「……」
 シェゾは小さく深呼吸する。
 その直後。
「声も出ぬ程に驚いたか。肝の小さい」
 妙に雄々しい男の声が響いた。
「聞け。我は神聖魔導騎士団第一隊長である」
 闇に声が木霊し、二重三重に声が重なる。
「無法者にお情けで与えられた仕事とも気付かず、恥知らずな見返りを求めおって。その様な傲慢なうつけ者、我が偉大なる王国を護りし、神聖にして強大なる王都神聖魔導騎士団が許してはおかぬ!」
 シェゾは眉一つ動かさずに周囲を『見る』。
「あまつさえ貴様の犯した大罪は国宝の藍水晶強奪! 動かぬ証拠を懐に持ったままで更に褒美を求めるなど恥知らずにも程がある! この大罪人めが!」
 隊長は剣の柄で床を叩いた。
「さぞ暗かろう。明るすぎる部屋に慣れた貴様の目、今は自分の手すら見えまい」
 鼻で笑うような耳につく笑い声が聞こえる。
「神の名の元、聖なる裁きによ…」
 オペラのような口ぶりで話していた男が、声を止める。
 今空間に満ちているのはただの闇ではない。
 ライト、フラッシュ等の通常光源魔導を無効とし、山のように積み上げたキャンプファイアーの炎を燃やしたとて蛍の光より弱く光らせる事しか出来ぬように築き上げられた、神聖魔導による結界だった。
 その中でかろうじて視界を確保出来るのは、同じ神聖魔導によりアンチフィールドを形成出来る騎士団のみ。
 自分からシェゾは辛うじて見えるが、シェゾからは何も見えない筈。
 だがその時、隊長は見た。
 寸分の狂い無く自分の目を睨み返す男の瞳を。
 兵士達以外は数センチ先すら墨の中の様な闇の筈だと言うのに。
「き、貴様…」
 漆黒の闇に青の瞳がらんと輝く。
 心臓に氷を押し当てられたみたいに体が強ばり、心臓が不規則に早まった。
 まさか、この聖魔導騎士団が所属の一級魔導士が三人がかりで作り出した絶対の闇が、この男にとっては無意味だと言うのか? 一人で済むところを、上の命令で仕方なしに三人に増やしたと言うのに。
「いや、その様な…」
 隊長は迷いを生み出した頭を振り、号令を発する。
「こやつは我が王国が博愛の精神を持って与えた仕事を愚弄し、あまつさえ法外な額の謝礼を共用した逆賊である。鷹の陣形!」
 闇の中に大勢の足音が響く。
 扉など無かったはずが、一体何処に隠れていたというのか。
 程なくして均整の採れた足音が止み、僅かに静寂が訪れる。
 相当に訓練された者達らしい。
「かかれ!」
 次の瞬間、中央に立つシェゾ目がけて四方から攻撃が襲う。
 サンダーは頭上から。
 周囲からはファイアーボールが、螺旋の渦を巻きながら竜巻の様に襲いかかった。
 それでも尚、複数の蝋燭が動いたとしか思えぬ闇。
 サンダーと炎の発する轟音だけが、ただ事ならぬ力がこの場に渦巻いている事を告げていた。
 盤石の陣形。
 そして強大な魔導力。
 かつてこの陣と攻撃が破られた事はない。
 号令を発した瞬間の勝利を確信していた隊長は、だがしかし信じられない光景を見る。
 指折りの魔導士が放つ攻撃魔導すら、うっすらとしか発光出来ぬこの結界の中。
 攻撃が向かう中心で、何かが光った。
 隊長はそれが何かを一瞬で理解する。
 瞳だ。
 またしてもシェゾの瞳が、己を一直線に見据えて光ったのだ。
 次の瞬間。
 瞳は視界から消えた。
 闇を張る為の結界以外に、万が一にもの備えとして敵の行動を制限する目的で張り巡らしていたエネルギーネットはこれも三人がかりのもの。だが、それはこよりでも千切るかのような手応えの無さでぶちぶちと切れたのを、魔導士達は感じる。
 続いて、中心から離れた位置で針鼠の様に水平から垂直まで構えられていた槍兵士達の陣形を何かが風の様にすり抜けた。
 そして、同じく結界によって閉じていた扉が開く音がする。
 蹴り破るでも爆破でもない。
 普通に開いた音がした。
「!?」
 隊長が声にならない声を上げる。
 風が通りすぎる際の、精神の奥底まで突き刺さるかと思えた気の刃。
 周囲の兵士や魔導士達は、『風』が脇を通り過ぎられただけでその気にあてられ、あえなく卒倒した者、泡を吹いた者、中には失禁している者すら何人もいた。
「逃げ…た…な…」
 信じられない。
 この自分の足が震えている。
 その事実を必死に否定しつつ、滝の様な冷や汗を流しながら、辛うじて隊長は勝利を宣言する。
 自分が生きている事の確認の様に。
 あの光る瞳が、瞼に焼き付いている。
 まるで凶暴な肉食獣のような、それでいて見た事はないが、冷徹で高潔なドラゴンの瞳を思わせたその蒼い瞳。
 今も目の前にいるかの様に、あの瞳の光が脳に、精神に焼き付いている。
 暫く呼吸をする事を忘れていたらしい。
 隊長は、酸素不足による視界の暗転とめまいでそれをやっと思い出し、慌ててむさぼる様に酸素を吸い込んだ。
「賊は…逃亡した」
 勝利だ。
 勝利だと思う。
 勝利だと、そう思いたい。
 その一心での宣言だった。
 事実、そこにいた兵士は皆、誰一人として勝ったなどとは思っていなかったのだから。
 助かった。
 その一言だけが頭の中を満たす。
 そして誰もが口に出すことなく、しかし誰もが心の中で同じ事を思っていた。
 触ってはいけないものを、触ってしまったのでは、と。
 それに彼らが気付いた時、それは後の祭りだった。



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