魔導物語 小説『雲の下で』

プロローグ




 ボクが憶えているのはどこまでだったんだろう?

 今はこうして空を見ている。

 でも、もしかしたら、もうこの空を見る事なんて出来なかったかも知れない。

「……」
 アルルは、地平線までずっとずっと草原の続く場所に寝転がっていた。
 視界に見えるのは、覆い尽くさんばかりの青空と雲。
 そして、かすかに視界の端に見える背の高い森の木々。
 他に見えるといえば後は、時折視界を横切る鳥やら、淡く発光する精霊ばかりだった。
 今は真昼だというのに、森からはそうとう離れた場所にして精霊が浮遊する。
 この場所が、いかに精霊の恵みを預かっている場所かと言う事だ。
 春は草や木々が芽吹き、花を咲かせる。夏はそれらが力強く生い茂り、秋は小さな実や力尽きた植物が来年を迎える為に美しく散る。
 ここは、美しい場所だ。
 今でこそ、所々に陥没した穴や焼け跡があるが、それは僅か。
 それくらい美しい場所だった。
「…シェゾ?…。おーい…」
 空は青く見詰める。雲の下で、まだらの影を落とす緑の中に小さく小さくうずもれている少女を。
「…早く還って来ないと、ボク、忘れちゃうぞ…」
 有り得ない。
 例え全ての記憶を失おうともそれだけは忘れない。
 忘れる訳がない。
 分かっていて、少女は呟く。
 曇りのない深緑色の瞳から、空の青を映し出しそうな程に大粒の涙が零れる。
 想い故に生まれ出でたその涙だが、そんな涙を出したと言う事実が尚更少女の心を脆くする。
 青空が痛かった。
 瞳を瞑ると、両目から更に大粒の涙が二つ、三つと零れた。
「…ふ…うっ…」
 小さな嗚咽。
 声こそ一応は控えるが、誰も見ていないのをいい事に、アルルは子供の様に泣いた。
 …はや、はやく…シェゾ…。ボクが…最初に、おかえりって…。一番最初に、シェゾに…おかえりって、言うんだから…。
 アルルは自分の感情に絶えられなくなった。
 子猫の様に丸まり、自分を抱きしめる。
 今は抱きしめてくれない誰かの替わりに。
 足の長い草に、埋もれてしまいそうな程に小さくなるアルル。
 心地よいそよ風も、今の彼女には寒風でしかなかった。
 彼が守ったこの場所。
 それが今はとてつもなく寂しい場所に思え、アルルは泣いた。



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