魔導物語R Hot spring 前編 一夜 空は満点の星空ですわ。 無数の星々に、美しい猫の爪のお月様…。 湯気が、丁度いいアクセントになって星空を彩りますわ。 ああ…、幻想的でロマンチックな世界…。 乙女チックな、夢の様な…。 なのに…。 「それっ!」 無粋にお湯を波立たせる音。 「こら! 熱いよ!」 これも無粋な大声。 「……」 でも、わたくし、レディとして我慢していますわ…。 「いい月だね。こりゃー、お銚子が一本欲しいねぇ。月見酒したいなー」 「えー。ボク、お風呂上りの牛乳の方がいいなー。こう、腰に手を当てて、ぐいーっと一気飲みしてさ、ぷはーって…」 「オヤジかあんたは」 「ひっどーい! おいしいよ? あ、もしくは、やっぱり冷たいアイスクリームね」 「あ、それはいいね。呑んだ後のシャーベットって美味いもんね」 「呑んだは余計だよぉ…」 「あーそれにしてもさ、月が鰹節みたいで美味そうだね。冷奴で喰うと、ポン酒に合うんだなこれが」 「鰹って…。せめてさあ、メロンとか言ってよ。あ、生ハム付きは拒否権発動するけど」 ケタケタと、風情の欠片も無い笑い声が二つ…。 「…………」 が…我慢…、我慢ですわ。ここにいらっしゃるお二方には、汚れの無い女の子の純粋無垢な心を汲む事など、出来ないのですわ…。 「にしてもさー、あんた、胸無いねー。まるで成長前の女の子って感じ」 「し、失礼だなっ! 幾らなんでも、ウエストとあんまり変わらないような少女胸って程じゃないよ! ちゃんとアンダーとトップ違うもん!」 「………………」 が、がま…。 「ウイッチ、さっきから静かだね? 湯当たりでもした?」 「アイスでも食えば治るさ」 「いやいや、それこそ牛乳を」 「今からやっても大草原の小さな胸は大きくならないよ」 「なんでそうくるかなぁ…」 「…い…」 「い?」 「ん?」 「いっ…いい加減にしてくださいっ!」 わたくし、裸なのに恥じらいよりも怒りが先に立ってしまいました。がばっと湯船から立ち上がると、更にはしたなくも一際大きな声を出してしまいました。 「あ、あなた方、どうしてもっと大人しく出来ないんですの! 風流な景色があなた方の品の無い言動で台無しですわ! ここは公衆浴場ではありません! せっかく旅行に来れた伝統ある温泉宿ですのよ! この大きくて風流な山脈の連なりを一望できる自然の岩風呂を、落書きみたいな富士山の絵があるタイル張りの湯船といっしょにしないでくださいっ!」 …わたくし、溜まっていたものが一気に噴き出てしまいました。目の前では、アルルさんとブラックさんが目を点にしてわたくしを見ていらっしゃいます。 でも、謝りませんわ。どう考えても、悪いのはお二人です。 「…えっと、ウイッチ?」 「あんた、なに? のぼせてる?」 ああっ! 何と言う事でしょう! ここまで言ってもまだ、お二人は分かってくださいませんの? 頭が痛いですわ! 目眩がします! ホントに! 目眩が…。 めま…。 ……。 「…ちょ、ウイッチ? おい?」 「きゃあ! ちょっとぉ!」 …どこか遠くで、お二人がまた不躾に叫んでいる。そんな気がしました。 「…ん…」 涼しい風で、目が覚めました。 「…あ、ら…?」 「よう」 「!」 わたくし、はっきり目が覚めました。だって、声がするのですもの。 そう、あの人の。 …いたい。 ちょっと頭痛がしたので、まだ視界がぼやけていますわ。 でも、わかります。頭の上にあるのは、ウチワですわね。…ゆっくり、優しく、風を送ってくださっていますわ。 えっと、状況分析いたします。 …ここは、シェゾの部屋です。分かります。 少なくとも、アルルさんとブラックさんと一緒のわたくしのお部屋ではありません。わたくしには、天井を見ただけでも分かりますわ。 そして、この感触は浴衣。その布越し、背中に感じるのは井草で出来ているタタミと言うカーペット。頭の下には、同じく井草で作られた枕がありますわ。中身は…確か、そば殻と言う穀物の殻を使ったものの筈ですわね。 ちょっとうるさいですけど、その香りと感触はわたくし、結構気に入ってますわ。 部屋を映し出すのは、足元付近の行灯。優しい光で、部屋を照らしていますわ。 そして…。 そよそよと頭の上から肌を流れる風。その風を作り出しているウチワを持つ、大きな手。その手を動かす、あの人。 シェゾ…。 「わたくし、どうしたんですの?」 その問いに対して、まず聞こえたのは小さな含み笑い。 「……」 わたくし、普段なら人を小馬鹿にした様な態度をとる方は嫌いです。 でも、この人は、シェゾは特別ですわ。 だって、ただ馬鹿にするだけではないのですもの。 …ちょっとあるかもしれませんけど、でも、とにかくシェゾのする事ですもの。 いえ、別に、別に特別扱いしているのではありませんわ。ただ、シェゾだから、と言う、ただそれだけですわ…。 …ああ、何か、どう言いたいのかよく分かりませんわ! そんな風に混乱していたわたくしに。 「無理するな。しばらく横になっていれば、すぐ治る」 わたくしの気分が悪いと思われたのか、そうおっしゃいました。そんな優しいところが、わたくし…。 あ、えっと…。 「…あの、わたくしどれ位こうしていましたの?」 わたくし、天井を向いていた頭を、声のする方にそっと向けました。だって、まだ、頭痛が治まらないんですもの。 視界の端に、シェゾの足が見えました。 わたくしの頭の上でちょっと左に斜めになって、片足を立てながら座っていらっしゃいます。そして、立てた左足に腕を乗せて、右手でウチワを扇いでくださっています。 シェゾも浴衣ですわ。 立ち足の、少し白いすねが見えます。 わたくし、ちょっとドキッとしました。 べ、別に足だけにドキッとしたのではありませんわ。シェゾ、浴衣が似合いますもの。 やや薄めの藍色に、細い白のストライプ。よくある浴衣ですが、それをさらりと着流しているシェゾはカッコいいですわ。普段よりはだけた胸元が、男らしいと思いま…って、何を考えていますの? わたくしったら…。まだ、のぼせていますの? 「……」 静かですわ。 わたくし、先ほどあんな事言った割には、実はあんまり静かなのって好きではありませんの。だって、退屈しますもの。 でも、こんな静寂って、好きですわ。 やっぱり…それって…。 目を、離せませんでした。 だって、すぐ傍に、シェゾがいるんですもの。 …でも、何か話さなくてはなりませんわ。シェゾのことです。今はこうしてくださっていても、わたくしが目を覚ましてしまったのだから、もういいか、なんて何処かへ行ってしまうかもしれませんわ。 優しいけど、つれないお方ですもの。 「えー…。あの、シェゾ?」 「ん?」 彼の蒼い瞳に、わたくしが映りました。 「あの、この宿屋に来て二日目ですけど、本当に運が良かったですわね。福引で温泉旅行二泊三日の旅なんて…」 「そうだな…。まあ、なんかいきなり割り込んできた奴やら、引っ張られてきた奴やら、色々だがな」 「…そ、そうですわね…」 今回、温泉旅行の話を持ち出したのはアルルであった。 福引で当たったと皆には話しているが、実際はある日、サタンが秘湯の宿に水入らずで行こうとミュージカルみたいにスキップしながらやって来た。 そしてその時、アルルはペアチケットは勿論、万が一の為に予備で持っていたチケットを全部奪った。 その宿は予約が難しく、予約以外の客を泊める事は無い。苦労に苦労を重ねて手に入れたチケットを全て奪うと言う事は、つまりサタンはもはやそこに来られないと言う事実に他ならなかった。合わせて言うなら、サタンは他の客を締め出して、他人が居ない状況を作りたかったと言う事である。 その宿は、サタンの持つチケットの人数で泊まると、もはや満室で他の客は泊まれないと言う、貴重かつ高級な宿なのだ。周囲は大自然に囲まれ、部屋一つ一つが独立しているみたいに広く、優雅に造られている。そして宿の者は、基本的に食事以外は呼ばれた時しか来ない様になっている。 そんな状況で何をしようとしていたのかは、彼のみぞ知るところである。 大ちゃん泣きで号泣するサタンに、アルルは消えろ、とばかりにカーバンクルを人柱としてレンタルした。それでやっとの事で、その日は彼を追い返せたのである。 サタンが当初の目的とは違いつつも、十分に満足ゆく結果を得た事で意気揚揚と帰る際、彼の腕の中でキスマークにまみれて、魂が抜けた如くぐったりしたカーバンクルが、とても印象に残っていた。 後の研究者による文献では、この時カーバンクルは初めて憎いと言う感情を憶えたとか憶えないとか…。どうでもいいが。 そして最初、アルルは何はともあれシェゾを誘った。と言うか、彼だけの筈だった。 だが、街中と言うのがいけなかった。しかも、策を練られる様な彼女ではない。馬鹿正直に四枚ある、と大声で言ってしまったのだ。 そして、網でも張っていたかの様に二人が現れる。 押しに対してのアルルはめっぽう弱い。基本的に強気で通っている二人にして、アルルを言い負かせない筈が無かった。 こうして、方や引っ張られながら。方や押しかけで、今回のパーティが構成されたのである。 「…あの、そう言えば、わたくし、そもそも何故シェゾの部屋で寝ていますの?」 普通、こう言う場合はアルルさんかブラックさんが介抱されるのが筋な気がしますわ。 もちろん、シェゾに介抱される方が嬉しいですけど…。 「最初、ブラックがお前を背負って部屋に戻ろうとしていた。アルルも一緒にな」 「そうですわよね、やっぱり。それで、どうしましたの?」 「…で、俺がたまたま顔を出してどうしたって聞いたら、途端に何故か、俺の部屋になだれ込んできた」 「……」 「そして、お前がのぼせたから、介抱しろって言った」 「……」 「で、そうしていた。お前が目を覚ますちょっと前まで、二人ともここにいたぞ」 「そう、だったんですの?」 ウイッチは、ちょっと意外と言うか、二人っきりではなかった事実にガッカリする。 「えと、で、お二人は?」 「ああ、やつらなら飯を持ってくるって言って食堂に行った」 「そうでしたの。あの、いつ頃に?」 「お前が目覚める大体…七分くらい前か」 …一見、お二人ともわたくしを気遣ってくださった。そう思えますわ。 でも…。 「シェゾ」 「ん?」 「お二人とも、具体的にここで何かなさってました?」 「いや、俺がウチワ振っているから、あいつらがやる事は特に無い。まったく、わざわざ俺に扇がせる為に来たのかって感じだぜ。そのくせ、時々自分達も仰げ、とかお喋りしようとか言うんだからな」 いつもの事ながら、やれやれと言うお顔のシェゾですわ。 「……」 で、やっぱり確信しました。 あの方達、わたくしを『ダシ』にしただけですわ。 上手い事言って、シェゾの部屋で駄弁ってただけですわ…。 「……」 「どうした? 難しい顔して」 「…お気になさらないでください…」 すっきりしませんわ。 胸の辺りが嫌な感じですわ。 品がありませんけど、分かり易く言うならば、『ムカついた』ってところですわ。 で、その時わたくし、普段なら考えもしない様な事を思いつきました。 「…シェゾ」 「ん?」 わたくし、はしたないですがアシカみたいにずるずると動いて、立ち膝のシェゾの下まで移動しました。 彼の胸の下で、ぱたりと横になります。頭の真上にシェゾの顔がありますわ。 そしてわたくし、ウチワを持っている右手を掴んで、ぐい、とひっぱりました。何事かと思われていますが、抵抗はされませんわ。そして、そのまま手をタタミに着いていただき、そのまま手に噛り付く様な感じで頭をくっつけました。ぺったりと触れた唇と肌の感触が気持ちいいですわ。 「…ウイッチ?」 でも、シェゾは『?』なだけで何も警戒しません。 流石はわたくし、思った通りです。 シェゾってば、変に意識して行動すると、それに対してやたら敏感ですけど、何も考えずに行動するとチェックがぐんと甘くなりますわ。 失礼な例えですけど、野生動物に通ずるところがありますわね。 そんなシェゾってワイルドで素敵ですけど。 「おい…」 シェゾが、どう行動していいか分からなくって困惑しています。 やや前のめりになって、わたくしを覗き込む様な恰好のシェゾ。 …な、何か…何か可愛いですわ…。 「ふふ。気になさらないで」 仰向けになって、真下からシェゾの顔を仰ぎ見るわたくし。こう言うアングルって、普段無いですから貴重ですわね。 「な、何をだよ」 わたくし、ちょっと意地悪な笑みだったかもしれません。彼が戸惑います。 「ですから、何でもありませんわ。こちらの方が、窓から風が入って気持ちいいだけです。それより、シェゾこそもっと足を伸ばして、楽になさって」 「…別に、十分楽にしているが…」 そう言いつつも、寝そべっているわたくしに添う様な形で足を伸ばすシェゾ。 湯あたりでわたくしの気分が優れないと思っているせいか、普段より素直に優しいところもポイントですわ。 …それにしても。 ああっ! わたくしの言う事をこんなに素直に聞いてくださるシェゾってば! シェゾってばっ! こうして、足を伸ばして寛ぐシェゾと、その隣で横になるわたくしの絵画的に見事な構図が出来上がりましたわ。 ぴったり寄り添うわたくしがいますので、彼ったら動けなくなっています。 ホント、こう言う時の慌てた動作と困った顔って可愛いですわ。 そして…。 聞こえてきましたわ。 かしまし二人組の声が。 お料理を持ってきた様ですわね。 声はもう、すぐそこまで近づいています。 では…。 「…シェゾ」 「ん?」 わたくしの声に、シェゾが真上から覗き込んでこられます。 「えい!」 わたくしの頭の下、彼を支えていた右腕を、素早く、力いっぱいに体の向こう側に思いっきり押しました。 「!?」 と、くれば…。 「あんっ!」 次の瞬間。 「シェゾー。お夕飯持っ…」 アルルさんの声が、ふすまを開けた瞬間に止まりました。ブラックさんもその後ろで固まっていますわ。 「…シェゾ…はずかしい…」 お二人のあてつけの筈でしたのに、わたくし、この言葉、本気だった気がします。 「……」 「……」 わたくしの上に、シェゾが思いっきり覆い被さられています。 丁度、わたくしを押し倒した、そんな感じで。 彼の体重が圧し掛かっているので重いですけど、不思議と苦しくはありません。むしろ、心地よい圧迫感を感じてしまいます。 ちょっとはだけた浴衣の胸がシェゾの胸と密着して、何か不思議な気分…。 わたくしの両足も、シェゾの足で割られてしまっていますわ。男の人の足も、意外と触れた感触は良いですわね。 …ちょっとすね毛の感触がくすぐったいですけど。 でも、シェゾの少し高めの体温が、私の腿には暖かくて気持ちいいですわ。シェゾは、冷たくて気持ちいいと思ってくださっていますかしら? あ、それと、彼の心臓の音が、触れた部分から伝わります…。 トクトク、と少し早いその鼓動。 …シェゾ、わたくしを、こんなわたくしでも女と意識してくださっているの…? うれしい…すごく、すごくうれしい…。 「キ…キミ…な、何…ナニシテイルの…」 「シェゾっ! あ…あん、あんたねぇっ!」 お二人の声が聞こえます。…どこか、遠くで聞こえている様な感じですわ。 「ま、待て! 俺は…」 いや、離れないで。 シェゾったら、あっという間にわたくしから離れてしまいましたわ。 「とうとう、つるぺたの禁断領域にぃぃっ!」 「あんた、いくらなんでもこんなちんちくりんの幼子に…!」 なんか余計な科白が聞こえる気がしますけど、気分がいいので見逃しますわ…。 「だから誤解だっ!」 「嘘! ウイッチ、なんか『ふにゃっ』てなってる! ウイッチに、気持ちいいコトしてたんだぁっ!」 「き、危険な発言するな!」 「うるさぁい! 裏切り者おぉっ!」 「幼女愛好者っ!」 「落ち着けっ!」 三つ、駆けてゆく足音が遠のいてゆきます。 「…ん…」 遠くで爆音が聞こえた気がしました。 でも、わたくしには、それが勝利の祝砲に聞こえましたわ。 お二人に、わたくし、勝った気がしました。 「…ふふ…あふぅ…」 小さなあくびを一つ。 とても眠くなりました。どうやらわたくし、そのままシェゾの部屋で丸まって寝てしまったようですわ。 何か、ものを考える気が起きません。 とりあえず、おやすみなさい。 いい日でしたわ。 とっても…。 その日、静かな森にいくつかの爆音が響いたと言う。 宿屋の女将は語る。 まるで、この世の終わりかと思った、と。 少なくとも、誰かにとってはそれに近かったであろう夜だった。 |