魔導物語R Flower 後編 Main 四日後。 二人は、元の目的地であった遺跡から十数キロ離れた地点にある山間の崖下へ到達していた。 反り返る様な岩肌には、数千年を経て風が刻み込んだ風紋が描かれ、まるで壁を垂直に走る波の様にうねっている。 視界を埋め尽くす自然の芸術。 「ふわ…」 ウイッチは感嘆の溜息しか出なかった。 「あいつは、あの遺跡からこの辺りに移動した」 シェゾが周囲を見渡しながら言う。 よく見ると、岩肌は長い年月をかけて削られた風紋ばかりではなく、オーバーハングした絶壁はあちこちで風化による劣化から崩壊し、所々に地下水の通り道だったと思しき洞穴を空けていた。 「世界遺産に指定されていてもおかしくありませんわ」 感極まったと言った感じで周囲を見渡す。 偉大な自然の芸術。 まさにこれこそと言うべきだろうか。 「で…ここに、居ますの?」 「まず間違いなく、な」 「……」 「と言う訳だ。とりあえず、ドラゴンの魔法薬云々は、ドラゴンのキメラ化に寄る凶暴化、性質変化、っつうか変質したからそもそも使えない。俺は、情報を盗んだ事に関してはそもそもドラゴンの情報が間違っていたって事で反故。代わりに退治を手伝った。これでいいな? 余計な事言ったら、お前のおイタも一緒にバラすぞ」 「もも、も、もちろんですわ! わ、わたくしが責任を持っておばあちゃんにお話しします。シェゾとの事がばれた日にはわたくし……。で、で、あの…ドラゴンが…」 ここにいる。 つまり遭遇、戦闘の可能性が高い。 シェゾをしてまんまと逃げおおせたドラゴンとなればその強さは想像に難くない。 「ま、まぁシェゾが居ますし、そうそう危険は無いはずですわよね?」 ウイッチは全面的に任せた、と心の底からのお願い光線を出しつつシェゾに笑顔を送る。 「ああ、一度餌に食らいつきさえすれば、後は俺がやる」 「よろしくお願いしま…えさ?」 「餌だ」 「えさ…?」 ウイッチは何の事やら理解できず、眉を潜ませる。 「…し、信じて…ますけど…」 数刻後。 ウイッチはたった一人、洞窟の奥深くに立ち尽くしていた。 周囲の空気は冷たく、風も音もない。 かろうじて視界が闇に慣れた為にうっすらと周囲を確認できる以外は、何も得られる情報はない。 エサって、なにを? シェゾに向かって真面目に問うた時、逆に何が? と真面目に問いかけてきたシェゾの顔が印象的だった。 「え、ええええと…ライトとか、簡単な魔導を使って、ど、どどどらごんを…おおおおびき寄せて…」 効率よくする為、両の手にライトを灯そうと頭では考えられるのだが、体が人の物みたいに言う事を聞かない。 ウイッチは、そんな自分がもどかしいやら例えどんな理由があろうとも自分をさらりとエサ扱いするシェゾがさびし憎らしいやらで、少々混乱気味だった。 「何やってんだか」 天井に近いくぼみ。 シェゾは魔導の気配を絶ち、闇に慣れた視界のみで見張っていた。 灯り一つ無い筈の洞窟だが、岩の割れ目の所々に発光性の黴が生えているおかげで、うっすらと全体の輪郭が見える。 そこにウイッチのライトが加わればもう視界の問題は無い筈だが、肝心のウイッチがなかなか行動を起こそうとしない。 「まぁ、いいか」 どうやら努力はしているらしく、魔導を発動しようと気は練っている。 おかげで、結果的に魔導発動と変わらぬ波動が周囲に広がっていた。 「身を朽ちさせてまで、寿命以上の時間を生きようとするドラゴンか。どんな気分かね…」 シェゾはどこか似た境遇のドラゴンに、奇妙な感覚を覚えていた。 「ひっ…」 空気が重々しく振動する。 ウイッチが足をすくませた。 「……」 シェゾは、音もなく剣を構えた。 突然、鼓膜が押さえられた様な感じになり、聴覚が一瞬狂う。 気圧が変わった。 そんな風に思わせるそれは、濃密な魔導の充満による三半規管の戸惑い。 「…来たな」 光の届かぬ洞窟の奥、そこから、岩をすりあわせる様な唸り声が聞こえてきた。 慎重に身を構え、万全の体制で向かえるつもりだった。 だが。 「きゃああっ!」 鈍重な唸り声とは裏腹に、それは突如疾風の様に闇を駆け抜けた。 迫り来る圧倒的な気迫にウイッチは頭を抱え、転がる様に地面に伏せる。 闇を駆け抜けるそれは、ウイッチが立っていた場所のちょうど頭の辺りを通り抜けていった。 「はぁっ!」 天井付近から飛び降り、落下しつつ剣を横に薙ぐ。 その瞬間、剣から眩い火球が膨れ上がり、一メートル近くもの大きさになったと思った刹那、通り抜けたそれに向かって飛んだ。 洞窟は一気に昼間の明るさとなり、震えて蹲るウイッチ、炎を投げつけ今も尚落下途中のシェゾ、そして目的のドラゴンを映し出した。 「…同じドラゴン、か?」 久々の対面だが、その姿にシェゾは驚愕する。 シェゾの落下より先に火球、特大のファイアーボールがドラゴンの背中に当たる。 洞窟に、吐き気すら催しそうなおぞましい悲鳴が反響した。 「姿も姿なら、声も声だぜ」 当たって弾けた火球は飛び散った先でそのまま燃え上がる。 地面に足をついたシェゾが改めて見たその姿は、おおよそドラゴンとは言い難いものだった。 「シ…シェゾ…」 自分のすぐ近くに降りてくれたシェゾに向かい、おそるおそる声をかける。 「ウイッチ、見るな」 シェゾとしては的確に忠告したつもりだった。 だが。 「え?」 ウイッチはシェゾの目線の先を見てしまう。 「!」 一瞬引きつった様な声を上げ、ウイッチはそのまま失神した。 しまった、とシェゾは倒れ駆けたウイッチの背中を支え、頭を打たぬ様地面に横たえる。 「ちょっと刺激が強かったな」 シェゾは苦々しい目でドラゴンを、いや、ドラゴンだったモンスターを眺める。 背中を向いていたドラゴンは、ゆっくりとその体を回転させた。 「顔もか」 うんざりする様な口調。 見よ、その顔は蜘蛛の様に十以上のいびつな瞳が額周辺に目を剥き、口は下あごがさらに縦に割れ、そこから覗く舌は疣だらけで枝分かれし、背中まで舐められそうな程の長さ。 体皮は赤黒く爛れ、それでいて皮膚の下には今にも皮を突き破らんとばかりに、新たな皮膚がところどころ覗く。 足など、元の四肢以外に肋骨付近から、五対もの虫の様なそれが飛び出している。 他の所を見るとその新たな皮膚すら突き破り、醜く変形した鋭い鱗がいびつに生えては腐り落ちる様があった。 「腐っているのか再生しているのかわからん」 すう、と息を整えた。 突然ドラゴンが天井まで飛び上がり、投げつけられたかの様な速度でシェゾに向かって飛来した。 「うおっ!」 先程見たとはいえ、異形のその姿からは想像も出来ない迅速な動き。 シェゾは宙に跳び、かろうじてその突進を交わす。 最早ドラゴンと名乗る事すら憚られるその姿に相応しく、虫の様に身体を曲がりくねらせて動く。 これは材料にしない方がいいだろう。 シェゾは心底そう思い、お陰で遠慮しなくても済んだ。 滅ぼす事を。 百足の様な動きで振り向くドラゴン。 シェゾはそれに向かい走った。 ドラゴンの頭だけがこちらを向く。 無数の瞳がらんと光り、突如シェゾの周囲の空気が圧縮され、それは無数のかまいたちを生み出した。 一つがシェゾに向かって飛ぶ。 シェゾはまともに見えもしない空気の刃を既の所で交わす。 かまいたちは、硬質な岩に五十センチも食い込んでからやっと空気に戻る。 そんな凶器が無数にシェゾを襲う中、本人はまるでツバメが空を舞う様にしてドラゴンに突進した。 ドラゴンが目を見張る。 「せぇあっ!」 シェゾが身体を捻り、ぐるりと闇の剣を回転させて遠心力を加える。 ドラゴンは、自分の眉間に剣が突き刺さり、あまつさえそのまま頭を切り裂いたのだと理解出来ただろうか。 首の半ばまで切り裂き、シェゾはドラゴンの身体を蹴って宙に飛ぶ。 そのまま倒れたウイッチの元まで戻り、彼女を抱きかかえてから、振り向きざまにドラゴンに向かって手をかざすと、その手から再び火球が生まれる。 だがその火球は先程とは段違いに大きく、手から放たれたそれはそのままドラゴンを包み込む。 洞窟内に火球の圧力から風が生まれ、そこから数十メートル離れた小さな出口から一瞬火柱が吹き出し、次の瞬間周囲の岩盤ごと爆音と共に壁が吹き飛ぶ。 突風が収まった頃、シェゾは視界の向こうに太陽の光を見た。 「ちっと威力がでかかった、か?」 シェゾは、まあ問題無いだろう、と洞窟を出たのだが、その周囲一帯が崩壊するのは半日ほど後の事だった。 「……」 四日後。 ウイッチは一人ベッドの上で呆けていた。 いや、正確には一人になったベッド、と言うべきだろう。 見慣れた部屋、見慣れた天井。 だが、肝心の自分がまるで自分ではないかの様な感覚に支配されている。 重力を感じず、雲の上にでも浮いているかの様な、それでいて、躰の一部には鈍痛。 最も、その痛みを上回るドーパミンの大盤振る舞いにより、その痛みがむしろ快楽として、ウイッチの躰を寄せては返す波の様に断続的な快感を与え続けていた。 まるで今も自分の中にある。 そんな錯覚がウイッチの満足感と羞恥心を重ねて煽り、不意に大きな枕を抱きしめ、子供の様に身体を丸める。 「…お花畑…」 ウイッチは彼の残り香香る枕に顔を埋め、再び眠りについた。 「…あ、あの…わたくし、決してふしだらな気持ちで…あのあの…」 「言いたい事はそれだけですか?」 その後、ウイッシュの元に報告に行ったウイッチが挙動不審を見抜かれ、情報漏洩からあんな事やこんな事までを洗いざらい喋らされ、暫くの間完全外出禁止、及びシェゾの元へ特大メテオが落とされる事となったのは、ウイッチが花畑を体験した五日後だった。 Flower 完 |