魔導物語R D 最終話 灰 お弁当じゃなくて、『わたくし』を差し上げる事になるとは思いませんでしたわ…。 ふと思うと、とてつもなく大胆な事を考えている。 考えていると言うのに、何故かウイッチは冷静でいられた。 シェゾになら。 それだけが、そしてそれこそが彼女の平静を保たせる唯一の安心材料だった。 「……」 城の出来事で最後に覚えているのは、シェゾの唇の感触。 いや、正確にはその後の『感覚』も覚えているのだが、今は思い出したくない。 思い出すと、恥ずかしくて消えてしまいそうなるから。 とにかく今は、体中に染み渡った例えようのない充足感をむさぼるだけで十分だった。 「…ふぅ…」 その感覚には、一カ所の鈍い痛みも混じっているが、それすら幸福と変換出来るその感覚は正しく本物である。 多分、ユニコーンを捕まえる事は出来なくなってしまいましたわね…。 そう思うと、自然に口元が緩んだ。 ウイッチは窓の外を見る。 満月が煌々と部屋を照らす。 月明かりの下、ウイッチの透き通る様な金髪がミスリルの様に輝いている。 とある街の小さな宿の一室。 最後に記憶された背徳の快楽が白い闇に変わり、次に気付いた時には、ここの天井を見ていた。 シェゾは居ない。 ベッドの下にハーブの詰まったバスケットを残して、彼は何処かへと消えた。 ぼうっと月を眺めるウイッチ。 不思議と、置いていかれた寂しさも、シェゾのその後の不安も感じない。 だって、シェゾですもの。 この一言で全ては十分だった。 もちろん大丈夫と思っていたが、一応首筋を鏡で確認する。 そこにあるのは、牙の痕ではなく、うっすらと残るキスマーク。 「…シェゾ…」 ウイッチは心底満足げに微笑み、夢の世界へと旅立つ。 月は、まごう事無き祝福の灯りを小さな少女に送り続けていた。 魔界。 門の番人はとても驚いた。 それは当然、ある事にびっくりしたからだ。 魔界の、しかもかの魔神の城の番人たる猛者を驚かせるとは一体何事か。 「サタンに用がある」 その声は、番人の視界内から確かに聞こえる。 だが、問題なのは声の発生源が見当たらない事だ。 そこらの悪魔より優れているからこそ、門番を任されている。 石像の如き屈強な筋肉と雄々しい角を持つ大柄なミノタウロスは己の五感を、いや、六感まで総動員して周囲をサーチした。 目はグロテスクなまでに赤く光り、その体からは気が立ち上って周囲を陽炎みたいに揺らめかせる。 馬をも両断しそうな斧も敵の首を探して刺々しく輝いている。 人間界に住む、とある優しいミノタウロスとはまるで種族が違うと思わせる程に大きく、そして恐ろしい外見だった。 「ここだ」 しかし、彼の努力はまったく意味をなさなかった。 何故なら、もっともセンサーが濃い筈である彼の真正面に、その男は現れたから。 まるで、空気から生まれたかの様にその男は現れた。 驚き、そして驚愕する。 転移など珍しくも無いのに、何故かその男の出現方法は背中を冷たくするに充分な威圧感を持っていた。 「何者だっ!」 そして彼はもう一つ驚いた。 ここ数年、大声などあげた事の無い自分が出したその大声に。 ぶわり、と汗が噴き出る。 これも、この職に就いて以来初めてだ。 「闇の魔導士様だ。いいから通せ」 「…シェゾ・ウィグィィ!?」 門番は沸き上がる様だった気を解く。まるで、焼けた岩に冷水をかけたかの如く気が放出された。 人外の地に置いてこれ程の存在とは、如何ほどの男なのであろうか。 シェゾ・ウィグィィよ。 「主は…執務中だ」 ミノタウロスはぼそりと呟く。 威圧感こそ幾ばくも衰えぬその迫力だが、その声は明らかに帰れと言わんばかり憔悴を含んでいた。 「無理矢理通ってお前の信用落とすのと、通るの許して怒られるのどっちがいい?」 「……」 選択肢はない。 彼の背中の正門、その下の通用門が重々しく開いた。通用門とはいえそこらの小さな城の門よりよほど大きい。 シェゾは形ばかりに礼を言うと門の中へと消えていった。 「…あれでも、人間だというのか?」 ミノタウロスは、生まれて今まで一度も吐いた事のない重々しい溜息を一つ吐いた。 彼にとって今日は厄日だ。 「…何やっとる? お前は」 「解るか」 「解らいでか」 少しの後。 シェゾは執務中のサタンの前でソファーにふんぞり返っていた。 耳がとがったメイドがコーヒーを置き、そそくさと奥へ消える。 変に急いでいるのは、シェゾに色目を使おうとしてサタンに睨まれた為だ。 そして、コーヒーを飲みつつ彼はこうして会話を始めた。 「しかし、普段は暇大魔王のクセ、たまにはこういう事もしているんだな」 「…生物が言葉、文字を手に入れた瞬間からこの呪縛に囚われている。そういう意味では我が『サタン』の名など書類書きの代名詞に過ぎぬ」 「ご苦労さん」 「で、お前はお前でなんで『そんな』になっている?」 「その事で来たんだよな、俺」 サタンは羽ペンを止めた。 「そこらの蓮っ葉バンパイアの能力になど支配される貴様ではあるまい。どういう奴だ? そいつは」 「どうもな、強化型らしい。かなりの」 「そういう事をする奴が、貴様の世界にはちょっと多いぞ。良くないな」 やれやれ、と無意識に鼻の下をペン先でカリカリと掻くサタン。 「……」 シェゾは、鼻毛ぼーん状態となったサタンを笑うかどうかちょっと悩んだ。 「しかし…」 サタンは訝しげにシェゾを見る。 「その力を味わったなら分かるだろう? 奴らの行動原理は『欲求』だ。そこらの人間程度の場合はその異常とも言える欲望に精神を破壊され、吸血鬼のエキスは体を蝕み、そして低級なグールと化す」 「ああ」 「お前の十八番である吸収を妨げ、あまつさえ乗っ取りかける様な力であれば、その精神への攻撃もすさまじいものだった筈だな」 「確かに、な」 「貴様の神経の図太さは知っているが、良く持ちこたえたものだ」 その声には、わずかながら感心が含まれている。 「……」 シェゾは、ちょっと別の方法でそれを押さえた事はとりあえず言わないでおいた。 「いや、けっこうそれでも…むしろ、巧くやるのが大変だったけどな…」 「ん?」 「聞き流せ」 『……。 闇の剣に口があったなら、おそらく笑いを堪えるのに必死な事だろう。 「でだ、本題だが、頼みが二つある」 「お前にしては欲張りだ」 そもそも、サタンに頼み事をする事自体が大それているが。 「ひとつ。武器を貸して欲しい」 「…アレの事だな」 シェゾはそうそう、と口元を緩める。 「よく私の手元にあると分かったな」 「図書館で調べた」 「…あの街の図書館、ない本は無いのか?」 それは、探し方にも依るし、本も相手を選ぶ上での事だが。 「もうひとつ」 「それも分かる」 「物分かりがいいな」 サタンは立ち上がり、ローテーブルを挟んでシェゾの前に座った。自動的に彼の前にカプチーノが運ばれてくる。 「だが、我が力を持ってしても割と難儀だぞ。今回OKするのは、気まぐれくらいに思っておけ」 「二度と同じ事しねぇよ」 「うむ、それがいい。異物とは言え、同化したしたそれを剥がすのはお前にも負担だ」 サタンはゆっくりとシナモンの香りを鼻腔に染み渡らせた。 「…徹夜仕事が一段落した後のカプチーノは実に美味」「主、日付がずれております」 机の上の書類をチェックしていた一本角の秘書が淡々と告げる。 「……」 「徹夜はよろしいのですが、日付を確認していただきたかったですな」 「……」 サタンは頬を痙攣させながら机へと戻る。 シェゾはもう暫く、待ちぼうけを食らう事となった。 「シェゾ」 「ん?」 「…無理にとは言わぬが、形だけでも察してやれ」 「……」 シェゾは口の中の牙を舐めながら、やれやれ、と溜息を一つ吐いた。 まったく、どうして自分には、こうも関わりたくない感情に関する厄介毎ばかり舞い込むのだろうか、と。 街道。 どこの土地、どこへ通づる道とも知れぬそこに、小さなキャラバンがあった。 大陸中を渡り、古くは文字もない時代から語り継がれる詩を。新しければ、昨日今日に出来たばかりの季節の歌を歌い歩く一族。 そこに、彼は姿を現わした。 これで二度目だ。 キャラバンの一人、初老の老人がスコップを持って土を掘っていた。 老人は彼を目にとめると、愛想良く笑う。 息子が死んだ、と言って、笑う。 笑って、泣いていた。 そしてシェゾは、一人の老婆を呼んだ。 程なくして、小さな老婆が黒尽くめの若者の前に現れる。 「…来そうな気はしていたよ」 「……」 「いや、必ず、来ると思っていたよ」 二人はキャラバンを離れ、程なくして小高い丘の上に出る。 「俺は何人目だ?」 「そうさねぇ…。『あたし』になってから、もう…頼んだのは百人は下らないかね」 「一体それで、彼女をどれだけ苦しめたと思っている?」 「……」 老婆のしわくちゃの顔がいよいよ深い深い皺に埋もれた。 「仕方なかった。『俺』は…俺は…」 シェゾの声では無い。 目の前の老婆、だが、その声は若い男だった。 「彼女を、ずっとずっと、永遠に若いままで居させたかった…。そして、俺も彼女と共に…共に、居たかった…」 「だが、目論見は大はずれ、か」 「彼女の力はセーブがきかない! 全ての近付いた生命のエキスを喰らう! 俺も、そうだ…彼女は必死に抵抗した…だが…」 「そんなところだろうな」 目の前の老婆。それは、器に過ぎない。 城で、美しい王女が宮廷魔導師と恋に落ちた。 若き魔導師は己の力を過信し、有限たる人間の命を永遠に変え、共に生きてゆこうと誓い、傍に居るだけでいいと悲観する王女の意志を押し切って恐ろしき実験を始めた。 魔導師はそのモデルに、美しく、そして永遠の命を持つVampireを選んだ。 やがて、実験は最悪の形で成功する。 永遠の命は授かった。 だが、それは王女のみ。 そして、その代償は、他のあらゆる生命。 若き魔導師も命を落とし、その城はそれ以来沈黙した。 自らは死ぬ事もできぬ女王はこうして城に留まる事となる。 「彼女は、死を望んでいた」 「…分かっている。だから、だから、俺は億の恥を飲んで意識となり逃げ出し、そして、彼女を殺してくれる人間を捜した…。だが、今の今まで…。そう、お前が現れるまで…」 「いい迷惑だ」 「…だが、感謝する。これで、彼女は…アンヌは…」 「あの力はあまりに異質だ。あの力は、どこにもいけない。どこにもな」 「…?」 「そして、お前もあまりに大きい罪を背負い過ぎた。実験の代償として、お前も意識のみとは言え不死に近い力を手に入れ、こうして器に憑依しながら生きている。確か、このキャラバンは話だと数倍の人間が居た筈だ」 「……」 「さっき、突然衰弱したとか言って若い奴が葬られていた」 「…私も、死ねない…」 「死にたくない、だろ」 突然、老婆の体が砂の様に崩れ、崩壊した。 それと同時に空中に陽炎が浮き立つ。 シェゾは、風を凪ぐようにして見なれない鎌を横一線に薙いだ。 『…俺は…俺は…アンヌ…許してくれ…アン…』 声なき声はそよ風に消えた。 「死神の鎌ってか。本物だな、確かに…」 シェゾの借りの一つ。それは、サタンから借りた鎌。 「お前も、逝け」 『私は、どこに…?』 その声はどこから聞こえるのだろうか。 「魂は、どこにも行かない。ただ、消えるだけだ。闇の中へな…」 『あなたの中に居させてはくれないのね…』 「悪いな。こうして『お前』を離さないと、俺が二の舞いになる」 『それは、私も嫌です』 「そういう事だ」 『そうですね、『私』は、あなたと一体にはなれないのですね』 「そういう事、だ」 一瞬。いや、時が止まったかの様な永遠の一瞬の後。 彼は、鎌をそよ風の様に薙いだ。 そしてひとつ、小さな、純粋な、そして悲しき命が消滅した。 風が頬を撫でて通り過ぎる。 ここに居るのは彼一人だ。 彼は大きく息を吐くと、答えは無いと分かりきっている問答を繰り返す。 一体、何がどうなってこうなるのだろう。 人は何十回、何千回、何万回似た様な過ちを繰り返すのか? 生き方と言う点では人の事は言えないが、少なくとも答に近付くヒントは知っている。 Desire 人は、これを求めて生きている。 ならば、答を出すにはそれに近付かなければ良い。 だが、それは多分人には無理なのだろう。 だから、それが問題なのだ。 D 完 |