魔導物語R Baby face 前編
前編
「えいやぁっ!」
陽光差し込む乾いた空気の漂う林の奥から、元気に満ち溢れた声が響いた。
続いて、どん、と空気を振動させる何かが地面にめり込んだ音。
「ち…もう一発ぅ!」
やや焦りを含む声もセットで聞こえる。
そして再び、分厚い布を太鼓の撥で叩いた様な振動が、更に何度か林に響いた。
「ああもう! 今度こそっ!」
何度目かの振動音の後、しびれを切らした様な大声が響く。
「甘い」
初めて他の声が聞こえた。
続けて。
「んきゃっ!」
ややすっとんきょうな悲鳴と、先程より遙かに甲高い金属の様な振動音がほぼ同時に響く。
更に続いて、何か重い物が地面に落ちる音が聞こえた。
「あいたぁっ!」
どうやら声の主が地面に落ちた、と言うところらしい。
「いたたぁ…」
先程から、この場所には不釣り合いなにぎやかな音が響く林の奥。
そこには、緑と土色を基調としたこの世界とは対照的な、鮮やかな色彩の紅いチャイナドレスに身を包んだ少女が尻餅をついていた。
彼女はなすすべもない、といった表情で地面に座り込んでいる。
「ドラコ。何度も言うが隙がでかすぎる。今の攻撃を当てるんじゃなく、その次の攻撃を想像して討て」
ドラコと呼ばれた少女の視線の先には、これもまた林には不釣り合いな色合いの真っ白な衣装に身を固めた男が立っていた。
その手には薄氷を思わせる透明な剣があり、男の髪もまた透き通る様に白い銀髪だった。
一瞬、天から降りてきたかと思わせる程に。
ドラコが腰をさすりつつ、不満げに漏らす。
「シェゾ〜もうちょっと手加減してよぉ。女は腰を大事にしないといけないんだぞ」
「勝手にこけたのはお前だ」
「むー」
シェゾがほら、と手をさしのべる。
ドラコはその手を見詰めつつ、少々考えてからその手を取って立ち上がった。
「……」
林の中。
たまたま木々が育たず草ばかりが育った開けた場所。
枝こそ少ないが背の高い樹木が多い中で、彼女の背中にある巨大な樹木は特に目立っていた。
大木を背に立ち上がるも、ドラコはその手をそのまま離さない。
ドラコの大きな、整ったアーモンドアイはじっとシェゾの顔を、瞳をを見詰め続けていた。
「何だ?」
「別に」
そう言いつつも、ドラコは尚もその手を握り続ける。
シェゾは少し引っ張ってみたが、指が離れる気配は無かった。
「だから何だよ」
訳が分からない、と憮然とした表情で問う。
対してドラコは。
「…シェゾなんて、なーんにも修行の役に立たないもん」
「あ?」
「こーんな実力差のある相手にさ、手加減もしないしさぁ。大人げなーい」
子供の様にぶーたれるドラコ。
「朝早くからわざわざお前の修行に付き合ってやっているのに、挙げ句に言う事がそれかい」
シェゾは怒ると言うより呆れた様に言った。
「…そうだから、そう言っているだけだよ」
ドラコはそんなシェゾに対して、妙に子供じみた口調で反論する。
「なら放せ」
「やだ」
ドラコは瞳を逸らさず、そのままシェゾを見つめ続けた。
「ちゃんと…手加減するくせに…」
「あ?」
「あの子の時は、ちゃんと相手していた…」
「あの子って…」
ふとシェゾは頭に一人の少女を思い浮かべる。
そしてすぐさまそれを頭の中からかき消し、反論する。
「あのな、それと今と、何の関係がある? むしろ手加減せずに手合わせしてやっているんだから、自分が上だとか思わないのか?」
「上とかそんなの…あたしだって…! あたし…だって…」
「変に女扱いされるよりいいだろ。格闘家としては」
「そんな…思わないよ! バカっ!」
ドラコは握っていた手をいきなり離し、その勢いでシェゾの頬をひっぱたいた。
林に乾いた音が響く。
「…!」
瞬間、ドラコが心臓を止めそうな程に驚いた表情で固まる。
「あ…ご、ごめ…ごめん…!」
あわあわと両手と瞳を泳がせ、シェゾの目の前で右往左往するドラコ。
右手が熱く、そしてじんじんと痛かった。
彼の方が何倍も痛いだろう。
それでも、自分の手が酷く痛かった。
鳴きたくなる程に。
対してシェゾは異様な程に無表情だった。
「…あの、シェゾ…」
ドラコは怒られた子供の様な表情で、上目遣いにシェゾの顔をのぞき見る。
ドラコは背がある。
対した差は無い筈なのに、縮こまった今の彼女は驚く程小さく見えた。
「えっと…ごめんなさい…。ね? ね?」
小動物の様な瞳でドラコが許しを請う。
普段が勝ち気なだけにその気迫の落差は激しい。
そんな彼女の弱々しげなオーラは何とも不思議だった。
「何で謝る?」
え? とドラコが目を丸くする。
「だって…」
「文句言ってきている奴が手を挙げても、可笑しくはないだろ」
「か、かもしれないけど…! そん、そんな事したくないよ!」
「格闘家のくせに」
シェゾは鼻で笑う。
「違う! 戦うのと暴力は違うよ!」
一端の格闘家としての誇りがある。
ドラコは頭を振って強く否定した。
「一方的に撲ちたくなんてない! ただ…シェゾなら避けるか受け止めるか、出来ると…自然に思って…だから、ごめんなさい…」
普段のハキハキとした大きな声が、どんどんか細く、小さくなってゆく。
最後の方は蚊の鳴く様な声だった。
「だから…許してほしいの…」
ふと見ると、ドラコのとんがった耳が少し垂れている。
それは彼女の心情を表しているかの様だった。
まったく、アルルといいこいつといい、勝ち気な時と弱気な時の差が激しすぎる。
こう言うのを、猫の目の様にって言うのかね?
シェゾはそんなどうでもいい筈の事をぼんやりと考えた。
「じゃ、一体、どう扱えば満足するんだ?」
シェゾはふう、とため息混じりに呟く。
「……」
ドラコは何も言えない。
「要望あるなら言ってみろ。留意してやってもいいぞ」
思わぬ言葉にドラコが耳をぴんと立てた。
「え…」
「何か不満があるから不快なんだろ」
「ふ、不満って言うか…」
上目遣いの瞳。
その瞳は、言葉以上に訴えている。
「だから…えっと…わぁぁ」
表現の難しい力の抜ける声。
シェゾが、返答を待たずにドラコの背を樹木に押しつけた。
肩を押さえている左手はそのままに、右腕をドラコの顔の横に立てる。
これで退路は塞がれた。
二人は樹木を背に向かい合う形となる。
「ん?」
返答を促しつつ、肩に置いた手をドラコのうなじに滑らせ、ほつれ毛をいじる。
ドラコの顔は絵に描いた様に赤みを増し、普段があまり色気とは縁のない爽やか系美女であるだけに、その色気は艶めかしい。
何よりその艶めかしさは、彼女自身も気付かぬうちに、出そうとして出している色香。
つまりは。
「そ、その…」
指が首筋に触れた。
「ひゃ…」
ドラコは再び間抜けな悲鳴を上げる。
頬は更に真っ赤に染まり、心なし瞳も潤みはじめていた。
心臓が早鐘のように打たれ、破裂しそうだった。
瞳が求めている。
「どうした?」
「シェ…シェゾがそんな事するから…」
必死に睨んで非難しようと頭で考えるも、その表情は脱力して頬を上気させているだけ。
声も幾分、ろれつが廻らなくなっている。
「そんなって、こんな事か」
シェゾの指が首筋を撫で、そのまま襟に進入する。
指が、滑らかな肩口をなぞる。
「んぅ…」
体がぴくりと波打ち、その身を縮ませた。
「やぁ…」
緩慢な動きで身を捩るドラコ。
樹木についていたシェゾの腕に頭が当たるとドラコはそのまま頭を腕に預け、そのまま無意識に頬をこすりつける。
彼の腕の感触が異常に心地よく、ドラコは心の片隅ではしたない、と何とか気を張ろうとするも、体が既に無我夢中で頬をすり寄せていた。
その間もシェゾの指はドラコの襟の中を弄り続ける。
ふと、指先だけではなく、手の平までが襟口に進入する。
ドラコは大きな手の平の感触を、その熱を肩に感じた。
「あぅん…」
紛れもない喘ぎ声。
ドラコは上気した肌でシェゾを見上げた。
「だめ…だめだよ…」
浅い息に交じって言葉で拒否するも、その声は到底用を成すとは思えない程にか細い。
むしろ、聞かれたくないと思える程に。
シェゾはそのまま首筋を撫でながら、顔を近づけてきた。
吸い込まれる様な蒼い瞳が目前に迫る。
「や…」
ドラコは怯える様な顔でシェゾを見つめる。
既に、瞳に映る自分を確認出来る程にシェゾは近付いていた。
「目、瞑れ」
「……」
ドラコは哀願する様な目で小さく首を横に振り、シェゾを見つめる。
素直に、恐かったのだ。
彼に溺れる事が。
最初からろくに無いとは言え、全ての優先順位を奪われる事が怖かった。
全てを許してしまう自分が怖かった。。
シェゾの手が触れている肩は更に熱を増し、じっとりと汗ばんでいる。
汗の香りは微かに女の香りを含み、ドラコは自分で分かるそれに、何故か得も言われぬ羞恥心を覚えた。
シェゾに自分の『におい』を嗅がれる事が恐かった。
自分は、きっともう止まらなくなる。
そして、彼も、多分。
自分が泣いて頼んだとしても、きっと…。
それは分かっている。
でも、だからこそ、せめて目を瞑りたくなかった。
拒否ではない。
恐かったから。
しかし。
「悪い子だ。でないと、目玉舐めるぞ」
「!」
予想だにしなかった最後通告が、申し訳程度に張り巡らされていたドラコの薄皮の様な防壁を跡形もなく突き破る。
「…め…目!?」
それがどんな行為なのか想像もつかず、ドラコは予測不可能という純粋な不安にあっけなく屈服する。
「う、うん…」
ドラコは恐る恐る瞳を閉じ、シェゾが行うであろう行為をしやすい様に、そっと顎を上に上げた。
化粧っけの無い、しかし魅力的なピンクの唇がかすかに震えている。
「いい子だ」
シェゾはそんなドラコを見てやや意地悪げに笑った。
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