魔導物語 小説『年の初めの馬鹿話』

全一話




「さてお正月です」
 アルルが意気揚々と目を輝かせて元気に言う。
「…そうだな」
 対して、眠そうな目のシェゾは力なく呟いた。
 場所はシェゾの家。
 そして時間は元旦の朝。
 更に詳細な場所はシェゾのベッドルーム。
 アルルは重しを付けたみたいに重い動きで布団の中でうごめくシェゾに向かってまくし立てていた。
「お正月はめでたいのです」
「…かもな」
「めでたいときには、人は他の人にも優しくなっちゃうものなのです」
「…人に因ってはな」
「きっとキミもそんな気分の筈なのです」
「……」
「ね?」
 アルルが首をかしげて微笑む。
「寝る」
 シェゾは辛うじてこっちを見ていた視線を布団の中に戻し、再び布団の中で夢の世界へ旅立とうとしていた。
「待って待って待って! お願い! 一緒に初詣行こうようっ! 行こうよぅっ! 初詣! 英語でニューイヤープレイング!」
 アルルがミキサーみたいにシェゾを揺らす。
「嘘くせぇ! っつうか今考えただろそれ! そんなもん一人で行って来い! 勝手に家入りやがってあげくに初詣行こうなんざ、俺の知った事か! 正月から神様にお願い事する闇の魔導士なんて聞いた事もねぇっ! つぅかいつもの事だが男の家に朝晩関係なく入って来るんじゃねぇ!」
 怒りを爆発させて飛び起きたシェゾが怒鳴る。
 突然の事に固まったアルルだが、飛び起きたシェゾのパジャマがうさぎの柄だったため、驚きよりもおかしさが勝る。
 思わず噴き出しそうになっているアルルを見て、シェゾはしまった、と頭を掻いた。
「ぷぷ…シェゾ…うさぎさんのパジャマ…」
「……」
 シェゾはどうしよう、と窓の外を見ている。
 既に日は高く、時計は十時を指している。
 あー、確かに寝過ぎたか。
 頭を掻き、さてどうしたものか、と思案する。
「アルル」
「ふふ、なぁに?」
 既に勝ち誇った表情のアルルを見る。
「これについては言うと長くなるから言わんが…つまり、初詣に行こうって事か?」
 そのとおり、とアルルが元気に頷いた。
「こーんなにかわいく着飾った女の子のお誘いを断るなんて、それこそ年の初めからバチが当たるってもんだよ? うん」
 アルルの髪を飾る珊瑚のかんざしがきらりと輝く。
 視線を顔の下に下げると、うす桃色の生地に花が咲き誇る振り袖姿。
 足下も丁寧に草履姿だった。
「…着物だったのか」
「今気付いたんかいっ!」
 アルルが遅すぎる! と突っ込んだ。
 二十分後。
 シェゾは出る前に朝飯を食わせろと言ったが、アルルは自分もまだだと言って着替えたシェゾの手を取りいそいそと家を出た。
「そういやよくその格好でここまで来れたな」
 シェゾの家はお世辞にも整地されているとは言えない道を進んだ先の山奥にある。
 今のアルルの姿を見る限り、到底山道を歩くに適した格好とは思えず聞いてみた。
「むふふ♪ 今年のボクはちょっと違うよ? なんとここに来るまでは虎の子のマジックアイテムを使ってやって来たの!」
「…ああ、そう言う事か」
 シェゾがあくびと一緒に成る程、と一人納得する。
「ん?」
「いや。それじゃ帰りもそれ使うんだな? 多分、限定浮遊魔導ってところか」
「大正解! シェゾ、ちょっと肩貸して。で、見てみて。よっと」
 アルルはシェゾの肩に手を置き、草履を片方脱いでその裏側を見せた。
 そこには、小さなラインストーンのように輝く石が刺さっていた。
「これね、靴の裏に付けると重力反射が発生して、まるで靴の下に小さなローラーでもついているみたいに楽々前に進めるの。しかも坂道だろうが岩場だろうが、水の上すら関係なし! すごいでしょ!」
「ほう。なかなか便利な魔導器のようだな」
「でしょー? だからこの山道もスイスイ歩いてこれちゃったんだ。ううん、歩いてって言うか殆どスケートしている感覚で上れちゃったの。すっごく便利だったよ、これ」
 アルルが宝物を自慢する子供のように目を輝かせて解説する。
 よっぽど楽しかったんだな。
 そんなアルルの笑顔は悪くない。
 シェゾは良かったな、と頭を撫でた。
「……」
「ん?」
「いや、そのさぁ、子供じゃないんだから頭をなでなでは…嫌って訳じゃないけど…もうちょっとこう…」
 嬉しいような不満なような、珍妙な表情でブツブツ言うアルルを見て、シェゾははいはい、と再び頭を撫でた。
「だから…ううん、いい。とにかく行こう」
 アルルははぁ、と溜息をついて促した。
「もっと大人っぽい柄が良かったかなぁ?」
 ぼそりと呟きながら、一歩を踏み出す。
 途端。
「んきゃっ!」
 アルルが豪快に足を滑らせて仰向けに倒れそうになる。
 シェゾはアルルの両脇を抱えてそれを押さえた。
「気をつけろ」
「あ、う、うん。ありがと…」
 アルルは両脇から抱えられて足を宙ぶらりんにされたまま、恥ずかしそうに言う。
「あ、草履あった」
「はいはい」
 シェゾはアルルを宙ぶらりんにしたままそこまで行き、アルルを降ろすと草履を履かせた。
「えっと…んきゃあっ!!」
 再び一歩を踏み出そうとしたアルルが再びこけ、シェゾも再びアルルを抱えた。
「…何やってんだ?」
「あ、あれ? あれれ?」
 アルルがおかしい、と慌てている。
「へ、ヘンだよ? おかしいよ? 歩けないよ!?」
 シェゾにしがみついたアルルが慌てて訴えた。
「足でも無くなったか?」
「んなわけないでしょ!」
「分かってる。動かないのか?」
「う、うん。なんか、全然発動しないの。あれ? あれぇ?」
 アルルが草履をぽんぽんと叩いたりして首をかしげている。
「……」
 シェゾが突然アルルの足をぐい、と持ち上げる。
「ひゃあぁっ!?」
 急に着物が腿まではだけ、アルルが慌てて裾を押さえる。
「あ、ち、ちょっ! シェゾ! 待って待って! これって、え? えっと…ひ、姫始め? ここ、外! 外だから!」
「阿呆! 草履だ草履! 誤解受ける事言うな! 何だそのコトが既に済んでいるみたいな言いぐさは!」
「あ、そうなの…」
 それはそれで寂しい、と声のトーンが落ちる。
「まったく、半端な知識ばっかり持ちやがる…。それより草履を見ろ。いや、この魔導器を見ろ」
 シェゾは自分の肩にアルルを掴ませると足から草履を脱がせ、その裏側を見せた。
「な?」
「……」
 アルルが眉間にしわを寄せながらじっとそれを見つめ、そして。
「…わかんにゃい」
「……」
 シェゾはこいつならまぁそうだろうな、と溜息をついた。
「エネルギー切れ」
「はい?」
「空だ空。マナが空だ」
「うっそぉ!?」
「これじゃあ動く筈無いな」
 シェゾはアルルの足を掴み、草履を履かせ直して立ち上がった。
「…うう、なんで…」
「何でって、魔導器はエネルギーがあって動く。当然だろ」
「ち、違うの! これ、買うときにね! 省エネタイプでとっても長持ちって…」
「だだ漏れだったぞ」
「はい?」
「さっきお前が来るときな、森の向こうからマナまき散らしながら何かが来るって気付いた。それで目が覚めた。あれ、お前の草履だったんだな」
「…まき?」
「まき散らしていた。それと、お前、気付いていないだろうから言っておくが、その魔導器、お前の魔力使っていたぞ」
「はいぃ!?」
「こりゃ持ち主の力を直接使うタイプの魔導器だな。ただセーブが付いてない。だから吸えるだけ吸って、無駄出しまくりで発動していたみたいだ。今のお前、体内蓄積分魔導力ゼロ」
「う、そぉ…」
「大丈夫だ。蓄積分を吸いきっただけだから、また戻る。試しに何かやってみろ」
「え、えっと…えいっ! ファイヤー!」
 両手を突き出して基本的な魔導を発動させようとする。
 だが、火球どころか煙一つ出る事はない。
「…うっそおぉ…」
 と、突然シェゾがアルルの足首を掴んで持ち上げる。
 さっきよりも裾がめくり上がり、その奥が見えかける。
「うきゃあ! ややややっぱりシェゾ! ああああのその! そそそ、外でって言うのはちょっとまだレベルがラベルでまだ早いかも! でもどうしてもって言うなら責任…!」
「脱げ」
「はひゃああっ!?」
「草履だ」
「はい?」
 力の抜けたアルルの隙を突き、片足を脱がす。
 シェゾはそれを思い切り空に放り投げた。
 宙に飛ぶ草履。
 それが次の瞬間、閃光と共に爆発を起こした。
「吸うだけ吸って発散しきれなかったようだな。なかなかいい発破になる」
「……」
 アルルはあんぐりと口を開け、たっぷり十秒程も停止した後。
「だ、騙されたああああっ! お小遣いつぎ込んだのにいいぃっ!」
「だーから、年の瀬にやってる魔導骨董市はまがい物が多いから気をつけろってあんだけ言ったのに」
「…ひ、人の良さそうなおじいさんだったんだもん…」
「絵に描いたようなカモだな」
「あうう…ボク、カモ?」
 滝のような涙を流して崩れ落ちるアルル。
 シェゾはこいつらしい、と頭を撫でて慰めた。
「で、初詣はどうする?」
「どうって…ただの草履じゃこんな山道歩けないしぃ…。そもそも片足だよう…」
 どうやって山を下りよう? とアルルがにゃーにゃー鳴く。
 そんなアルルを見て、シェゾはやれやれ、と手を差し出す。
「え?」
 シェゾが手をさしのべてくれている。アルルは反射的に手を出した。
 途端、シェゾがぐい、とアルルを軽々持ち上げ、そのまま背中に納めてしまう。
 視界が突然数十センチ上昇し、アルルはシェゾにおんぶされる形となった。
「ひゃ…! シ、シェゾ…え、えっと…」
「行くぞ」
 シェゾはアルルを負ぶったままで山道を降り始めた。
「だ、大丈夫? 重くない?」
「平気だ。喋ってると舌噛むぞ」
「へーきへーき、ボクはだいひゃぐにゅ!」
「…黙っとけ」
「んん…」
 アルルは素直に黙り、暫く静かな歩みが続いた。
「お、見て見ろ。コカドリーユの幼鳥だぞ。見ても石にはならないが、目に悪いからあんまり見詰めるなよ」
 珍しい、と声をかけるが、返事が無い。
「…おいおい」
 振り向くと、そこにはだらけきった顔で寝ているアルルが居た。
 着飾ってここまで来たのだ。おそらく相当朝早くから用意したのだろう。
 寝かせておくか、とシェゾはアルルをそのままにしておいた。

「……」
 山を下り、街に辿り着いたシェゾは後悔していた。
「…ご、ごめんなさい」
「まさか、よだれまみれにされるとは思ってなかったぜ」
「ボ、ボクも、あんなによだれが出るなんて思ってなかった…」
 街に入る前にアルルを起こした。アルルが顔を上げたそのとき、その口元が見事に糸を引いていたのだ。
 まさか、と背中を見ると、そこには水を零したかのようなよだれの地図が出来ていた。
「お前、魔導力だけじゃなくてよだれもだだ漏れなのな」
「ごめんなさいいぃ…」
 アルルは平身低頭で謝った。
「今度は自分の足で歩いて来いよ」
「うん…」
「さて、どこに行くんだ?」
「い、いいの? 一緒に初詣、行ってくれるの?」
 アルルが目を輝かせる。
「ここまで来て帰ってどうする」
「やったー! こっちこっち!」
 アルルはシェゾの背中から指さしてはしゃぐ。
 現金な奴。
 シェゾはやれやれ、と笑った。
「今年はね、是非シェゾと一緒に初詣したいって思ってたんだー」
 背中でゆさゆさとはしゃぎながらアルルが言う。
「何でだ?」
「今年はね、新しくできた神社が大人気らしいの。何でも願い事が叶うんだって! しかもね、特定の条件が揃うと、百バーセント意地でもいい事を起こすぞ! だから来るのだ! ってチラシが入ってたの! すごいよねー! 最近は神社もチラシ入れるんだぁ!」
「…チラシ? 新しく?」
「うん、一昨日まで空き地だった場所にね、昨日の朝に神社が出来てたの!」
「……」
 シェゾの顔が一気に渋くなる。
「アルル…もう一回言ってくれ」
「願い事が叶うの!」
「いや、その後」
「えーと、一昨日まで何も無かった場所に、昨日の朝に神社があった?」
「よろしい。その点に疑問は?」
「?」
 アルルは何が? と首をかしげる。
「…じゃ、それは置いておいて、その特定の条件ってのは何だ?」
「はい、チラシ」
 アルルは振り袖の中から折りたたんだチラシを取り出す。
「…最近のチラシは羊皮紙使うのな」
「うん、豪華だよねー。しかもちゃーんとボクの名前でポストに入ってたの」
「……」
 シェゾは突っ込まずに内容を確認する。
「…本日新装開店、鎖端神社。ここに来たポニーテールの君には人生が変わる位のハッピーが訪れるでしょう。神前で幸せを噛みしめましょう…」
「なんか良く分かんないけどすっごく幸せな事が起きるみたい! すごいよねー! しかもボクほら、ポニーテール! すっごい! まるでボクの為にあるみたいなハッピーだよね!」
「神前、ね」
「だから、シェゾと一緒に行きたいって思ったんだ。ねー、一緒にすっごいハッピーになりたいなって思ったの」
 アルルが満面の笑みではにかむ。
「そうか」
 色々間を読まないのはあれだが、自分の為に朝早く起きて着飾り、そして一緒に幸せになりたいと言ってくれているのだから。
「…とりあえず行ってみるか」
「いこーっ!」
 アルルがシェゾの首に手を回して頬をすり寄せてきたその時。
「待てぇい!」
 空から声が降り注ぎ、それを追って何かが舞い降りてきた。
 自由落下よりはるかに速い速度で降りてきた何かは、巨大な蝙蝠の翼を広げながら、片膝を付いて着地した。
 地面が揺れ、衝撃が風を起こす。土煙がもうもうと巻き上がり、周囲が僅かの間夕闇のように暗くなる。
 アルルは思わずシェゾの首根っこにしがみつき、シェゾは眉一つ動かさずに前髪を揺らしていた。
 土煙がうっすらと晴れ、その奥から鬼のシルエットが浮かび上がってきた。
「うはははははははははは」
 それは笑い声なのに笑っていない。
 抑揚のない声は壊れたレコードのように続き、その異様な状況にアルルは背筋を凍らせた。
「くけけけけけけけけけしぇぞおおおおおおおお」
「…ば、化け物?」
 得体の知れない恐怖にアルルがシェゾの服を握りしめた。
「見るな。目が腐るぞ」
「黙りゃワレェ! いてもうたろか!」
「何処の生まれだよ」
「魔界産婦人科だ! んな事はどうでもいい! なんで貴様がいるんだ貴様がぁっ!」
 ようやく土煙が晴れ、その中から現れたのは、神主姿に何故か角隠しを付けた異様な出で立ちのサタンだった。
「そのふざけた格好は、どっから突っ込んで欲しいんだ?」
「やっかましい! この東方浄土日出ずる八百万の神々の国の古式ゆかしい神聖なる神前結婚式衣装を見ておふざけとは侮辱の極み! 貴様の教養の低さが白日の下に露呈してありおりはべりいまそがり!」
「落ち着け。貴様の方がよっぽど侮辱している」
「そんな事はない! これはアルルと年明け祝言を迎える為の正装だ! 見ろ! アルルだって祝言の為のジャパニーズドレスで着飾ってくれているではないか!」
「…シェゾ、アレ、何言ってるの?」
「気にするな。年明けで脳が浮かれて暖まっているだけだ」
「余裕こいていられるのも今の内だぞ、シェゾ。花嫁との祝言を邪魔するような無粋な奴とこれ以上無駄な時間を過ごす程私は暇ではない。どうやら今こそ貴様とは決着を付けなくてはいけないようだな」
 サタンが角隠しから自慢の角を突き出して乱ぐい歯をのぞかせる。
「元旦からそんな凶悪なツラしている方が無粋だぜ。第一、地上でお前の力を好き勝手に解放したらどうなると思う? 正月から天界と喧嘩したいのか?」
 言いつつ、シェゾは呼吸を整え魔導力をゆっくりと練り始める。
「くくく…。シェゾよ。貴様、私が地上では個人的理由では力を自由に振るえぬと知って余裕ぶっきょいているのだろうが、そんな事を考えぬ私だと思うか?」
「今、噛んだね。何も無かったみたいに続けているけど」
「言うな。ますます切れるから」
 今、背中にはアルルがいる。
 降ろす動作を見せれば、その一瞬の隙を逃さずサタンは攻撃を仕掛けるだろう。
 行動はアレだが、その実力は疑う所無き恐ろしさ。
 迂闊には動けない。
 なら、手の動作を伴わぬタイプの攻撃魔導で一撃必殺を仕掛けるのみ。
 だが。
 あまりにもガードの甘いサタンを見て、シェゾは行動を起こしあぐねる。
「くくく…遠慮は要らんぞ。ファーストアタックはくれてやる。やってみろ」
 神主姿に角隠し。畏怖と言うより異様極まりない姿のサタンが両手を大の字に開き、勝ち誇った姿で付け足す。
「やれるものならな」
 シェゾは了解、とジャブのエクスプロージョンを無反動動作で発動させる。
 そこらの魔導士では到底反応しきれない動作だ。
 だが、網膜が焼ける程の発光が起きるはずが、それが無かった。
「!?」
 シェゾが眉をひそめる。
「この神社内は魔力的な術式の能力一切を相当に押し下げるアンチフィールドが張り巡らされている。お陰で私もろくな力は出せぬが、それでも使えぬ訳では無い。だがシェゾよ。闇の魔導士とは言え所詮人間である貴様のラベルではこの結界内ではただの人だ! 魔導力を練る事は出来ても発動する事はまず敵わぬ!」
「レベル、だよね?」
「だから言うなっての」
「ふはははは! さぁどうする? 花嫁を置いて邪魔者は退場するか、それともそこで大人しく祝言を眺めてライスシャワーでも振りかけるか? それくらいなら傍観者として許してやらん事もないぞ?」
「…ちなみに、まさかここで殺し合いって訳にもいかんだろう。勝ち負けの判定は?」
「ふん! そう言う事は勝てる見込みがあるときに言うものだ! だがまぁ、いいだろう。実際あまり大げさに騒いでは、執務を抜け出して来た事を部下達に感づかれてしまうからな。どちらかがとりあえず動けなくなるダメージを負う。それで仕舞いだ。分かり易かろう」
「…お仕事ほっぽりだして来てたんだ」
「ダメな大人の見本だな」
「なんか言ったか?」
「いいや。OK、始めるか」
「ふははは! 開始終了の合図が貴様の最後の合図だがな! 貴様、よゆうぶっこいているようだが、言っておくが背中にアルルを背負っている事など、私の技の前には牽制にもならぬからな!」
「それくらいは分かってるさ」
 と、シェゾはアルルの足首を掴む。
 手がそのまま草履まで下がり、それを掴んだと分かると、アルルはシェゾが脱がしやすいように足首を動かした。
 シェゾは大きく深呼吸を繰り返し、あらん限りの体内蓄積魔導力を圧縮する。
「ほう、ほうほう、なかなか見事な錬成だ。だが、いくら魔力を練ろうとも、魔力発動媒体たる呪文が使えぬでは無意味だぞ。それとも、思い切り魔力を高めれば無理矢理発動でも出来ると思っているか? 浅はかな奴め!」
「無理矢理なんて思っちゃいないが…」
 体内でエネルギーが膨張する。シェゾは歯を食いしばって放出を押さえながら応えた。
「新年早々馬鹿合戦に長々付き合うのもご免だ」
「ならば早々に終わらせようぞ。貴様の敗北でな! 覚悟しろ! シェゾよ!」
 サタンが禍々しい妖気を放ちながら飛びかかってきた。
 振りかぶった右手から黒い気が憎悪を纏って伸び、巨大な剣と化す。
 それでシェゾを切り裂こうというのか。
「貴様は場末の陰気な病室で薬臭い七草がゆでもすするがいい! さらばだああぁっ!」
「お前が…なっ!」
 シェゾはサタンに向けて何かを投げた。
「!?」
 思わぬ攻撃にサタンは一瞬戸惑うが、それはアルルの草履と認識出来た。
 破れかぶれか? 愚かな!
 高笑いしようとした瞬間、草履から眩い閃光が放たれる。
 それは、想像もしていなかった高密度な魔導力を含む爆発。
「んんんんなああっ!?」
 しまった! と防御しようとするが、右手の剣に込めていた力に全てをつぎ込んでいたサタンに防御に回す力は無い。
「馬鹿なあああああーーーーっ!」
 その声を最後に、サタンは轟音と共に空の向こうへと吹き飛んだ。
 シェゾはふぅ、と大きく溜息を吐く。
「…殺った?」
 山の向こうへ煙を噴きながら消えていったサタンを確認し、アルルは物騒な事を呟いた。
「殺るか。吹き飛んだだけだ。ま、命の心配は無いさ」
「それはどうでもいいけど…でも、終わったよね」
「…結構遠慮無いな、お前」
「ん?」
「いや…。そうだな、終わった。アルル、あれ、なかなかいい草履だな」
「いや、草履っていうかそれに付けていた魔導器だけど…それでも、ボク、あんなの履いてたのかぁ…」
 シェゾは、魔導力を限界以上に吸い込む事で暴発するアルルの草履にありったけの魔導力を詰め込み、それを爆弾として使ったのだ。
「ね、シェゾ、この後どうするの?」
「さて、どうするかな。この神社での初詣は嫌だぜ」
「それじゃさ、とりあえず仕切り直しって事で、このままボクの家に行こうよ。おせちあるよ」
 つい先程までの大騒ぎも忘れ、アルルは無邪気に提案する。
「このままか?」
「ボク、もう両足裸足だもーん」
 アルルはそう言ってシェゾの首にかじりつく。
「…ま、いいか」
 シェゾは先程とは違う意味での溜息をつき、アルルを背負い直す。
「しゅっぱーつ!」
 二人は新年の抜けるような青空の下を歩き出した。
 年明け早々に騒ぎはあったが、一緒なら乗り越えられる。
 少なくともアルルにとってはそう思えていた。

 シェゾもそう思うよね?

 言葉に出す代わりに思いっきり抱きつき、それを拒否しないシェゾをもって、アルルは肯定と見なす。
「えへへ」
「何だよ」
「んーん、今年もよろしくね!」
「ああ」
「あけましておめでとう!」
 そこには、ひまわりのような微笑みで笑うアルル。
「…おめでとう」
「はい、お年玉」
 アルルがシェゾの頬に唇を押しつける。暖かな、柔らかな感触だった。
 シェゾはやれやれ、と笑い、その笑顔はアルルの微笑みを更に引き出す。
 晴れ渡る青空の下、賑やかな街の雑踏。
 空気は寒いが、首元の暖かさがそれを忘れさせる。

 こういう新年は、悪くない。

 シェゾの歩みは心なし、軽かった。











 その後。
「あー、今日は七草がゆか…」
「はい。サタン様。それを食べ終わったら執務の続きですぞ」
 魔界の某病院のとある病室。
「はいはい。しかし…今日の今日まで、だーれも見舞いに来なんだ。みんな薄情なものよのう…」
 サタンは薬臭い七草がゆをすすりながらぼやく。
「そう言えばサタン様、妖怪ポストに手紙が入ってましたぞ」
「妖怪言うな! あれは人間界とのホットラインだ! いやまて、妖怪ポストの存在を知っているのは…はは、はやくその手紙をよこすのだ!」
 サタンは生気を取り戻し、奪うようにして手紙を受け取る。
「おお! やっぱりアルルではないか! うむうむ! 流石は我が后(希望)! さては直接話すのは恥ずかしいから手紙で蜜月を…」
 破るようにして手紙の封を開けると、そこには一枚の紙が入っていた。
「えーと、何々…」

『請求書 草履一揃え分、および着物のクリーニング代金請求いたします』

「…いけずうううううぅぅっ!」
 その夜、魔界の夜空に悲しげな遠吠えが夜遅くまで木霊していたとかしていなかったとか。







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