Idolm@ster 小説『歌姫咲く花の園』 一 「ま、これからのビックプロジェクトの本陣としては少々貧相だけど、許せる程度の改装ね」 私、スーパーアイドル水瀬伊織は、新生765プロダクションと、そこに揃った顔ぶれを見て呟いた。 今日はこれから始まる列島縦断プロジェクトに向けて事務所を大掃除し、内部を大改造した初お披露目の日。 何と言っても一番の違いは、まだまだ小さいけどテナントじゃなくってビル一つがまるまる事務所になったこと。 ま、とは言ってもたるき屋から近いから正直あんまり変わった気がしないのが難点だけど。 でも、やっぱりビル一つが事務所になったのは大きいわ。 おかげで、高木のおじさまの行為でみんながそれぞれどこかに好きな装飾をしてもいいって事になったの。 賃貸しじゃ出来ない事ね。 で、私は何をしたかというと…。 まぁ、置物やら色々改造したけど、その中でも特に気に入っているのがジュースバーよ。 何て言ったって、この伊織ちゃんが直々に設置した豪華絢爛なスペースなんだから! 前の給湯室じゃ何にも出来なかったけど、冷蔵庫も複数置けるようになったし、少しは調理も出来る設備が整ったから、私奮発して色々調理家電を置いてあげたのよ。 みんな喜んでいたけど、特に春香と雪歩は大喜びだったみたい。 お礼なら、何か美味しいお菓子でも作ってちょうだい。にひひっ♪ それとさっきも言ったけど何と言ってもジュースバー。 ちょっとだけパパにおねだりもしたけど、だいたい自分の稼ぎでそろえた自慢の機器よ。 これでいつでも、絞りたてのおいしいオレンジジュースが飲めるのね。 今までは仕方なしに缶ジュースの百パーセントオレンジだったから、しけてるったら無かったものね。 みんなにも勿論使わせてあげるわ。 あ、使ったらちゃんと洗ってよね。 そのジューサー、ドイツ製よ。壊したりしたら承知しないんだから! 765プロダクション。 今でこそ一端と言えるけど、元は大きな事務所じゃない。 一昔前、私が入ってきた当時は、765プロと言うよりも、たるき亭の上にある事務所と言った方が通りが良いくらいの弱小芸能事務所だった。 ま、言っては何だけど自分もここに籍を置くようになって最初の頃は、当然と言えば当然だけど、目立った仕事はしていなかった。 あ、目立った仕事はしていないって言っても、最初の頃よ。最初の頃。 最近じゃCMとか観光ポスターとか野外ライブくらいはやっているんだから。 ファンクラブだってもうあるし。 ま、ファンクラブは765プロ全員分あって、その中の一つではあるんだけどね。 でも、過大表現とかじゃなく、実際、今回の事務所改造に関する費用だって私の稼ぎが大きかったのよ。 ま、他のみんなもそれなりに頑張ったけどね。 とにかく、世界に轟くスーパーアイドルって言うには…確かに今はまだ色々と足りないわ。 でもまぁ、それはあくまでも今の私がまだエンジンを暖気させているだけだからなのよ。 だって、私があんまり一人で突っ走っちゃうと、まぁまぁ才能がそこそこある他のみんなの自信を喪失させちゃうでしょ? にひひっ♪ 「いおりん、いよいよ『竜宮小町』本格デビューだね!」 亜美が抱きついて来た。 「熱いの! だから抱きつかないでくれる?」 「えー? いおりんの方が体熱いよ?? んふ。実は緊張してたりする?」 亜美がほっぺをすりすりしながら聞いてくる。 やめなさい恥ずかしい! みんな見てるわよ! って、ちゅーってするな! 真美が冷ややかな目で見ているから! 「そ、そんな事あるわけないでしょ!」 「あらあら、でも、緊張感を持つのはとてもいい事ですよ?」 そう言ってあずさが近づいてきた。 「だから、別に緊張なんて…」 スマートに言い返したいのに、どうしてもしどろもどろになる。 うう、自分のこういう、大事な所で気張りきれない所嫌い。 「伊織ちゃん、三人で頑張りましょうね」 そう言ってあずさは私の手をぎゅっと握ってきた。 その瞳は強くて、とっても綺麗。 「…うん」 不思議。 いつもはてんで頼りにならないのに、こういう時のあずさは年相応の頼もしさ、ううん、それ以上の存在感を感じる。 …頼りに、しちゃうわよ? 「頑張ろうね、いおりん」 「それは分かったから、あんたはもう少し抱きつくの自重して」 「やだぴょーん」 …まぁ、この子が私のいう事なんて聞く訳無いのは分かっているけど。 「やぁやぁ、みんな揃ったかね?」 高木のおじさま、765プロの社長が奥から出てきた。 おはようおじさま、今日も健康的な色黒のお肌ね。 まるでシルエットの肖像画みたいだわ。 何よ小鳥、しーって何? 事実じゃない。 「やよいがまだですね」 そう言ったのは律子。 私と同じ765プロのアイドルで…今は、と言うかこれからの私のプロデューサー。 そう、『竜宮小町』のプロデューサーは、同じ事務所のアイドルでもある律子。 最初は、まさか私と律子がこうなるなんて思ってもなかったわ。 あ、律子のプロデュースする子は私の他に亜美とあずさもいる。 つまり、いわゆるトリオのユニットとして私達は活動する事になる。 プロデューサーが違えば仕事は違うから当然と言えば当然だけど、考えてみると不思議よね。 おんなじ事務所にいるのに、やっている事は違って、場合によっては知らない事をお互いにやっていたりするんだから。 …ちょっと。 ちょっとだけど、前みたいにみんなお話ししたり遊んだりする時間が無いのは、寂しい…かもね。 私はうさちゃんをちょっと強く抱いた。 すると。 「いおりちゃん、表の掃除おわりましたよー! 今日から心機一転! とーっても嬉しいですー!」 「あら、ご苦労様」 元気な声で事務所に入ってきたのはやよい。 「やっぱり自分の事務所のお庭のお掃除だと気分が違いますねー!」 何というかこの子はとにかく天真爛漫という言葉が似合う。 家の経済事情は少々逼迫気味だけど、それにもめげない強い子。 あ、さっきのやよいの科白だけど誤解しないでよね。 私が掃除しろ、なんて言った訳じゃ無いわよ。 やよいが、表がちょっと汚れているのが気になったから掃除してきてもいいですか? って、私に尋ねただけ。 これからお披露目会なのにいいんじゃない? って言ったけど、どうしてもやりたそうだったから好きにしなさい、って言っただけよ。 そしたら、「わかりましたー!」って元気に出ていったって訳。 本当、元気な子。 掃除の事も、小鳥より私に聞いてくる辺り、パワーバランスってのを分かっているわね。 小鳥、あんたも何を考えているのか知らないけど変にニヤニヤしてこっちを見ない! とにかくやよい、ご苦労様。 後でオレンジジュース奢ってあげるわ。 そう言えば、私がここに来た当初は、正直この子とは少し距離を置いて付き合おうと思っていた。 別に経済的な差からとか家柄とかじゃなくて、自分が知っている限りではこういう格差がある場合、下手に距離を近づけるとお互いに何かしら良くない雰囲気になる事が多いと知っていたから。 この子がいい子なのはちょっと話して直ぐに分かった。 だからこそ、私はこの子の明るさと言う利点を損ねない為にも距離を置こうと思っていた。 …それに、正直に言うと、自分という存在も765プロでは特殊と言えたから。 他の子達は、所謂オーディション、面接を受けてこの事務所に籍を置いた子ばかり。 でも、私は違う。 本当は、自分で自分の力を見せつけるつもりでオーディションを受ける気だった。 でも、私がなかなか765プロのオーディションに応募しないのに痺れを切らしたのか、パパがある日、高木おじさまに話をして、特待生枠として籍を置かれてしまう。 私は、所謂、『親のコネ』で入った事になってしまった…。 私はそれを知った時、本当に久しぶりにパパに怒った。 電話口だったけど、怒った。 でも、パパは言った。 そんな小さな声じゃ、合格どころか面接一つ通らないぞ、と。 …私は、電話口で声を上げていたつもりだった。 でも、実際に出していたのは蚊の鳴くような情けない、怯えた、震えた声。 抗議しているつもりでも、実際にはしどろもどろになった抑揚のない声と会話。 抗議なんて出来る訳がない。 頭の中ではパパへの怒りどころか、本当は自分への自責と絶望と悔恨でいっぱいだった。 パパはそれを全て見通していたんだと思う。 私が、自分でアイドルの道を目指すと言っていた事に戸惑っていた事実を。 「伊織、怖がらずに、まずはその世界に飛び込みなさい。最初の切っ掛けなんて何でもいい。自分で歩み出したか、人から押し出して貰ったかなんて関係ない。その後、伊織が本物になれるかどうか、それが大切なんだ。高木も事務所の人達も分かってくれる。だから、これはあくまでもパパからのせんべつと思ってくれ。後は、伊織次第だ。伊織、怖がらずに、進みなさい。パパは、伊織が本気でやりたいと思った事なら、後悔しないのなら、心から応援するよ。但し、その気がないと見たなら、パパは伊織を無理矢理でも辞めさせる。分かったね、伊織」 「…は、はい」 反論のはの字も出ずに私は電話を置く。 その手が、見て分かる位に震えていた。 本当は、恐かった。 自分の自信に根拠なんて無い。 いつものただの虚勢。 恐いから強がってみせているだけ。 あの日、あんなに頑張ってパパにアイドル候補生になる事を許してもらったのに…。 パパの心遣いが嬉しかった。 アイドルなんて水瀬家とは本来縁遠い道を目指す事を応援してくれると言ってくれた。 それどころか、戸惑っていた自分の最初の一歩まで踏み出させてくれたのに。 パパへの感謝の気持ちより、その時はひたすら自分が情けなくて、そっと涙を拭った。 アイドル。 その言葉に無限の可能性を感じ、魅力を持ったのは、パパへ、と言うよりも、水瀬家に対する挑戦が始まりだった。 正直に言えば、アイドルになりたかったのは家への反発。 パパやママ、お兄様達は誰もが認める実力を持っている。 でも、私には何もなかった。 誓って自惚れではなく、客観的に自分の容姿には自信はあった。 ううん、無くちゃいけない。 何もない私が、見た目すら人より劣っていたら、それこそ私はここに居る意味がない。資格がない。 それなら、認められる方法は? 手っ取り早く有名になる方法は何? そこから導き出されたのがアイドルへの道だった。 だって、アイドルの条件は何? 外見、良し。 声、良し。 器量、良し。 総合、全て良し。 家柄、まぁ、これは関係無い筈だけど悪いよりは良い方がいいわ。 うん、条件は完璧! これでいけない訳がないわね。 頭の中で訳の分からないシュミレーションを繰り返し、自分の中で世界的アイドルになって歴史の教科書に載る所まで想像し終えた頃、私はパパの元へ走っていた。 ああ、今考えると顔から火が出るどころか流れ星になって燃え尽きてしまいたいくらい恥ずかしいわ…。 でも、その時はそんな事、微塵も考えず、珍しく家にいてジャンと遊んでいたパパをつかまえて、思いの丈を息が苦しくなるまで一気にまくし立てた。 何分くらい喋ったんだろう。 私が額に汗を滲ませ、咳き込んで肩で息をしながら返答を待っていたら、パパは予想外の一言を放った。 まぁ、最初は当然反対よね、と思っていた。でも、諦めない、とその覚悟はしているつもりだった。 でも、パパが言った一言は違っていた。 「伊織、人にものを言う時は、内容を整理してからにしなさい。何を言いたいのか、分からないよ」 そう言って話は打ち切られた。 パパは、許すも許さないも、まず人に分かるように話せるようになるところから出直せ、と駄目出ししてきた。 頭が殴られたみたいなショックを受け、私はその後二日間程熱を出してしまった。 何してるの? 私、馬鹿? 人を魅了するアイドルを目指す人間が、意見一つまともに伝える事が出来ないなんて、無謀もいいところだわ。 でも、その時間のおかげで私はいろんな事を考えた。 アイドルって、実際どうなの? 本当に自分が導き出した条件だけでなれるものなの? そして、なったら、本当にみんなから認めてもらえるの? 私、何やっているの? 気付いた時、私は泣いていた。 こんなに目から涙が出るなんて知らなかった。 それくらい泣いていた。 我慢していた声が押さえきれなくなり、嗚咽になり、情けない声で私は泣いた。 いつの間にか泣き疲れて眠る程に。 まるで、赤ん坊みたいに。 私…精神まで幼かったんだ。 翌朝、きっとひどい顔になっていたと思うから、私は鏡を見ず、学校も休み、部屋に籠もってしまった。 ふてくされたのでもやさぐれたのでもない。 改めて、パパにきちんとお願いする為。 文章にして、何度も読み直して、私は丸一日かけてパパへぶつける思いを思案した。 途中、新堂が食事だけはと言ってむりやりカートを部屋に入れ、食べ終わるまでいつまででも部屋の前にいると言ってきかなかった。 部屋の前にずっと居られたんじゃ声に出して内容を確認する事が出来ないわね。 実際お腹も減っていた。 私は用意してくれた食事を…って何でローストビーフ? 新堂は、体力を付けた方が良い、とあえて用意したらしい。 仕方ないわね。好きじゃないって言っても、食べられない訳じゃないからまぁいいけど…。 でも、今度からは鶏とか他のにしてくれると嬉しいわ。 感謝しているけどね。 気持ちだけでも伝えたい。 私は部屋から出ようとした新堂を追いかけて、ちょっと丸まってるけど広い背中におでこをこつん、としてみた。 そして。 「新堂…。あのね、ありがと」 おでこをちょっとすりすり。 ってちょっと! 感謝の気持ちを素直に表したのに、「ふぉ!」って何変な声出してるのよ。 …変? 変だった? あーもう、レディーに向かって失礼しちゃう。 私はオレンジジュースで喉を潤してからカートを下げて貰い、再び文章を考察し始めた。 次の日、まだ満足していた訳じゃないけど、その日を逃すとパパはまた海外に行ってしまうので、仕方無く今の文章でパパと勝負する事にした。 この前は不覚を取ったけど、この伊織ちゃん、負けたままで引き下がる程根性無しじゃ無いわ。 パパ、伊織の我が儘を、聞いてください! そして当日。 私は庭の東屋でパパと二人になり、まずはお茶で落ちついてからたっぷり時間をかけ、かつ簡潔に、自分の心を包み隠さず、あからさまにして、アイドルになりたいと言う言葉を、気持ちを伝えた。 考えてみれば、こんなに何かを真剣に、熱心に話した事がパパとあったかしら。 それを感じた時、私は心のどこかで、パパとのこの話の時間自体を楽しんでいたんだと思う。 真剣なのに、後はないつもりで話していたのに。不思議。 気のせいでないなら、パパもどこか何となく微笑んで見えた。 暫くして、私の話は終わった。 パパは冷めてしまったローズティーをくいっと飲み干してから、少しの間私を見つめる。 大きくはないけど、しっかりとした瞳。 私は急に自分が縮こまるような気分になり、慌てて必死に背筋を伸ばしてパパの瞳を見詰め返した。 ひるんじゃ駄目よ、伊織! 「伊織」 「はい」 「高木を覚えているかい?」 「高木…高木のおじさま?」 「実は、あいつは少し前から芸能事務所を起業しているんだ」 「へぇー。あのおじさまが?」 パパの古い友人の高木のおじさま。 私も遊んで貰った事があるから知っている。 記憶だと、芸能事務所をやりたがるような人には見えなかったけどな。 「伊織、芸能事務所はピンキリだ。どこでも好きなところと言う訳にはいかない。その点、高木の事務所なら信頼も置けるし、それに大きな事務所じゃ無いから、伊織が自分を試すにもいいと思う」 「なる程…え? って事は、パパ?」 「彼に、話をしてみよう。今も丁度、アイドル候補生を募集している」 「パパ!」 「ただし、オーディションに受かるかどうかは伊織次第だ。話だけはするが、後は伊織がどうするか、だ」 「はいっ!」 「頑張りなさい。自分を、信じて」 「パパ! ありがとうっ! 大好きっ!」 私は久しぶりにパパに抱きついてほっぺにちゅーをした。 パパは「おぉ」、と珍しい声を上げて笑った。 …流行ってるの? あの厳格なパパが。私の我が儘を応援してくれた。 …それなのに。 結局、その後私はオーディションに応募しようと765プロに電話をかけようとする度に足が竦み、まずは電話でとなっている募集要項を聞く事すらままならなかった。 一度だけ電話をかけられたけど、電話口に妙に明るい声の事務が出た時、思わず小さく悲鳴を上げて切ってしまった。 本当に情けないわ。 後から分かった事だけど、その時電話を受け取ったのが小鳥で、小鳥ったら、私の悲鳴を聞いて、リスか猫か何かが電話かけて来たのかと思って大笑いしていたらしい。 憎らしいけど、こればっかりは反論しようがない。 ああもう! おかげで小鳥の奴、あたしに何かある度に「ぴぃっ!」とか似てない物真似してからかうのよ! 失礼しちゃうわ! そして、結局私は締め切りギリギリになっても電話がかけられなかった。 恐くて仕方がなかった。 パパは何て言うだろう。 叱られるだろうか。 呆れられるだろうか。 恐い。 恐くて仕方がない。 もう、逃げ出してしまいたい。 そう思ってすらいた時、何とパパが高木のおじさまに直接話を付けて、私を765プロの所属済みタレント候補生の一人にしてしまったと聞いた。 背筋が凍ったのを覚えている。 その後はパニックになって良く覚えていない。 気がついたらパパに電話をかけて、訳の分からない事を言ってパパを困らせていたんだと思う。 そして、そんな情けない私に、パパは言った。 応援している、と。 私はあの時、本当に最初から最後までパパにおんぶに抱っこされていたんだ。 私は、赤ん坊みたいに何も出来なかったんだ、と。 そして、そんな駄目な私を、パパは優しく、そして強く、押し出してくれた。 自分の力、自分の才能、自分の魅力だけがものを言う、芸能界と言う世界へ。 成長しなさい、と。 その後、私はようやく自分で電話をかけて765プロに出向いた。 見るからに小さな雑居ビルだったから最初は住所が間違っているのかと思ったけど、よく見ると二階の窓にテープで765って貼ってあったから間違いじゃないと分かった。 正直、間違っていてくれたら、と思わなかった訳じゃないけどね。 でも、それでもパパの古い友人の高木のおじさまが開いた芸能事務所。 長年の夢だった事務所をとやかく言う資格は私には無い。 それに…そうよ! このオンボロ…じゃなくて、小さな事務所を私が私の実力で有名にして、いずれは自社ビルにするんだと思えば、むしろ最初はショボイ方がやりがいがあるってもんだわ! さぁ、いよいよ伊織ちゃんのスターロードが…はじ…き、緊張なんてしてないわよ! 緊張しているのを相手に気取られるのが嫌で、私は妙に横柄にしてしまっていたと思う。 小鳥の事、初めてあった時に私、怖がらせて無かったかしら? 愛想良く出てきた小鳥に向かって開口一番。 「高木のおじさまは?」 なんて高圧的になっていた筈だから。 でも、小鳥に言わせるとその時の私は尻尾をぶわっとさせて緊張していた猫だったらしい。声も裏返る寸前で可愛かったって言っていた。 し、失礼ね! 誰だって初めての場所なら緊張するわよ! 社長室に向かう途中のロビーに、何人か私と同じらしいアイドル候補生が座っていた。 後で知るけど、そこに居る人数が残りの候補生全員で、私は最後の一人だったらしい。 パパが私をねじ込んでくれなきゃ、そもそもスタートラインに立てなかったんだ。 少し背筋がぞっとした。 で、候補生達を見ると…。 ふーん、ルックスは…みんなまぁまぁね。 …ス、スタイルは…すごいのが居るわね。 ま、まぁ、年相応だわ。私だってもうちょっと成長すれば…。 う。なんかあの銀髪、まっすぐにこっち見てる…。きつそうね。 い、いけない。呑まれちゃ駄目よ、伊織。 最初が肝心。 私は威厳を持ってちらりと一瞥していたつもりだったんだけど…。 抱いているうさちゃんがいけなかったのかしら? 後でみんなにその時の事を聞いた事があったんだけど、どうやら私、うさちゃんを抱いておどおどしている小っちゃい女の子、なイメージに見られていたみたい。 し、失礼よ! 失礼! この未来の大スターに向かって! そりゃ、亜美や真美達、年下にすら…その、背では抜かれているけど…。 まさか、あの双子が年下だったなんて…。 とにかく、それはさておき、その後、私は久しぶりにおじさまに会って話をした。 自分は今からアイドル候補生。 水瀬家の伊織じゃなくって、一アイドル候補生の水瀬伊織として、自分の力で道を築いて行かなくちゃいけないんだ。 そう思うとガチガチになってきたのが自分でも分かる。 「伊織くん、久しぶりだね。あいつから話が来た時は正直驚いたよ。まさか君がアイドルを目指すとはね。それに、おしとやかになったねぇ。昔はもっと…」 「え、ええ。そんな、昔の事ですわ。あの、伊織、なんて言うか…素敵なアイドルに…えっと…」 声が出ない。次の言葉が出ない。 まずいわ。これじゃおじさまに笑われちゃう。 その時。 「失礼しまーす」 小鳥とは別の女がノックをして入ってきた。 頭のリボンが特徴的で、他は…まぁ特にないわね。 事務かしら? 「紅茶と私が焼いたクッキーを…きゃああっっ!」 すると突然その女は何もないところで転んでお茶とクッキーを豪快にぶちまけた。 宙を飛んだ紅茶とクッキーが、ゆっくりとスローモーションで…う、うさちゃん!? お茶が、よりによって私の隣に座らせていたうさちゃんに向かって飛んでいた。 私は自分でもびっくりするような勢いでうさちゃんを抱き上げる。 その直後、お茶がうさちゃんの座っていた場所にこぼれ落ちた。 「すっ! すみません! だいじょ」 「大丈夫な訳ないでしょ! 私のうさちゃんにお茶がかかったらあんたどう責任取ってくれるのよ! いいえ! 責任なんてとれないわ! うさちゃんはうさちゃんだけなのよ! 事務員なら事務員らしくお茶くらいキチンと配膳しなさ〜〜いっっ!」 その瞬間、お茶を零した事務員が固まった。 あ。 やっちゃった。 高木のおじさまも固まってる。 そして、閉まってなかった社長室の扉がゆっくりと開き…。 その向こうに、さっきロビーで見かけた候補生全員が顔を覗かせたまま固まっていた。 みんな顔を引きつらせている。 ……。 「あ、あの…」 どうしよう。 次の言葉が出ない。足が震えそう。 逃げ出したいと思っていたその時。 「おもしろーい!」 「うん! おもしろーい!」 突然、双子が目を輝かせ始める。 「へへっ、なーんだ、思ったより馴染みやすそうじゃん! やーりぃ!」 そしてボーイッシュ。 「ふむ、二面性あり、かしら?」 メガネ。 「あの大声にもかかわらず…声にブレが無かった。これは…」 スレンダー。 「意外に度胸が据わっているようですわ」 銀髪。 「お、怒ったらだめですぅ…」 小動物。 「ふ〜ん、何だか仲良く出来そうなの」 金髪。 「あらあら、元気なのね〜」 巨乳。 「えへへ、お友達になれそうです」 ツインテール。 「なーんだ、思ったより元気っ子さー」 ポニーテール。 「まぁ、賑やかですね」 インカム。 みんなが口々に好きな事を言っていた。 飾らない、素直な反応。 自分を色眼鏡で見ないみんなを見て、私の心の仕えがふっと溶けた気がした。 「ああもう! 人の事じろじろ見るんじゃな〜い!」 「わー! いおりん怒った〜!」 い、いおりん? 「ちょっと! いおりんって何よいおりんって!」 「んっふっふ〜。いおりんはいおりんだよ〜」 「ばっ! 何よそれ! ちょっと! まちなさ〜い!」 気がつけば、私は鬼ごっこみたいにしてみんなを追いかけ回していた。 ああ、こんな筈じゃ無かったのに。 もっとこう、高貴なお嬢様アイドルとして…。こう…。 「でこちゃん、おにぎり食べる?」 「でこちゃんって言うなぁっ!」 こんな風に、子供が公園で知り合うみたいな感じで、私はなし崩しでみんなと知り合った。 はぁ…。 みんなとうち解けられたのはいいんだけど…、もうちょっと第一印象が何とかならなかったのかしら? とにかく、こうして私のアイドル候補生としての日々は始まった。 水瀬伊織、15歳。 トップアイドル目指して頑張るわ! だって、頂点は私にこそ相応しい場所だもんね。 にひひっ♪ Top 二へ |
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